第2話

 棟田くんの姿を見ないまま一週間が過ぎて、それから二日ほど経った朝、今度は部長の席にロボットが増えていた。部長のロボットも例のサブスクのものらしい。

「あれは少しグレードの高いタイプね」

「そうなの?」

 領収書の不備を指摘しに来た経理課の桜井さんによれば、部長のサブ・ロボは環境配慮型で、稼働音も静かなものと言う事だった。僕は耳を澄ませてみるけれど、実はさっきから部長のロボットはあまり動いている様子がない。

「書類の点検をしてるのかな?」

「部長の仕事って、ざっくり言ったら承認の印を押すだけだもんね」

「そんなことないでしょ、さすがに」

「……寝てたりして?」

 まさか。そうは言いつつも僕は舟を漕ぐ部長の姿を思い出す。

 時計の秒針が水平に半分ほど移動する間を経て、部長のロボットは音もなく動き出すと、おもむろに部長印を押下する。書類を承認済みトレイに移して、隣のトレイから新しい書類を取り出して、机の上に広げた姿勢のまま、またしばらく静止する。

「……ムーブが完全に部長」

「……完コピだ」

 僕らは声を押し殺して笑う。

「ところで川島くん。今晩なんだけど、早めに上がれそう?」

「もちろん」

「ワイン飲みたくない?」

「もちろん」

 こんな時の桜井さんは普段と違って甘く柔らかな笑みを浮かべる。今のところ僕はその虜ってやつで、この手のお誘いには一も二もなく乗ってしまう。待ち合わせの時間と場所を決めると桜井さんは経理部へと戻っていく。それを見送った僕は、ほのかに残るコロンの香りに胸をときめかせながら、定時までの時間を数え始める。


 退社時刻になると、棟田くんのロボットも部長のロボットも一斉に動きを止めてスリープモードに移行する。コンパクトに折り畳まれたアームと、慎ましく傾いだ頭部。二台とも胸の辺りにある淡い緑色の小さなランプが忙しなく明滅を繰り返していて、どうやらそれは通信中なのだとか。本日の成果をオーナーに報告する仕組みになっているらしい。

 横目でそのチカチカを確認しつつ帰り支度をまとめていると、不意に、棟田くんのロボットからシュイーンという起動音がした。無意識に目をやればロボットはこちらに顔を向けている。

「……何か用事かな?」

 エラーでも起きたのだろうか。少し面倒だなと思ってしまいながら問いかける。

 ロボットは、数秒間思考した後に棟田くんのデスクの引き出しをそっと開くと、中から何か小さなものを掴んでこちらにアームを伸ばした。反射的に受け取るとそれは絆創膏で、僕は首を傾げることも忘れてロボットを見つめる。

「これをお持ちになってください」

 業務中よりもずっと小さな音声だった。

「きっと、必要になります」

「……ありがとう」


 どう受け止めて良いか分からないまま、とりあえず絆創膏をコートのポケットに突っ込んで会社を出る。指定の店に先に着いていた桜井さんは、カウンター席に頬杖しながらメニューを覗き込んでいた。隣のスツールに滑り込む時、足元に違和感を覚える。

「どしたの、それ」

「靴擦れしちゃった。パンプス、おろしたてなの」

 ちょっと顔をしかめて見せる桜井さんも最高にチャーミングだ。靴を脱いでしまった踵に赤い傷が見えた。痛そう。あ、そうか。僕は思い当たってコートのポケットを探る。

「はい、これ。使って」

 棟田くんのロボットからさっき渡されたばかりの絆創膏をカウンターの上に置いた。桜井さんは目を丸くして絆創膏と僕とを交互に見たあと、口元を綻ばせてから僕の腕を柔らかく肘で突く。

 お化粧室で貼って来るという彼女の姿を見送ってから冷たい白ワインを口に運ぶ。そうしながら、棟田くんのロボットに何かお礼が出来ないか、などと考え始める。


 その晩、テレビ画面の中では戦火の拡大する中東に向けて、大掛かりな連合国軍の派遣が決定されたと報じられていた。桜井さんの部屋のベッドの中で毛布に包まりながら遠い異国の光景を漫然と眺める。

「きれい」

 桜井さんの漏らした呟きは夜空を飛行する無数のミサイルの映像を示しているらしい。僕はその時すでに眠気に抗うことが出来なくて、言えることは何も無くなっていた。プツリとモニタの電源が切られ、桜井さんが隣に潜り込んでくる。ふと、あの青緑色の光が何か似ていると思い付いたけれど、温かく柔らかい身体を両腕で包んでしまうと、たちまちの内に意識が遠のいていった。

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