第11話
運動神経がいい方だとは思わないが、動きは交互に両足を出すだけだ。厄介なのはそんな足の置き場がじゅうぶんないだけで、上がる飛沫に濡れて滑りやすくなっていることも厄介だった。だが体の向きを変えて後戻りこそもう出来ない。ピージーは狙い定めた次の石へ、そのまた次の石へ、覚悟を決めて足を繰り出す。繰り返すうちにリズムは生まれ、自然、足取りも小気味よさを増すと、跳ねるままに四つ、五つ、六つだ。石を蹴って難所を抜け出し、気づけば対岸の立ち上がった土肌へ手をついていた。
ふう、と吐き出す息で背へ振り返る。先ほどまで座っていた場所は目線よりも高く、想像以上、遠く離れた場所に見えていた。そこへ後を追い、不意に顔を出す何某の気配はない。
「ルカ」で生える草を掴み、ヒョロ高い若木へもう片方の「ルカ」を伸ばした。ピージーは岸の上へ這い上がってゆく。何度か滑り落ちそうになりながらも、ようやく二本の足で地を踏みしめていた。
目の前に森は広がりまだ奥へと続いている。
具合の良い道が探せたらいいのだけれど。
期待に胸を膨らませ、すっかり汚れた「ルカ」を叩いて土を落とした。出発する前にリュックに提げて懐中時計を開く。確かめた時刻にあと二時間、散策したなら引き返そうと決める。でなければどれほど目印をつけていようと、日は暮れて目印こそ見つけられなくなる頃合いだった。
閉じた懐中時計に触れる「ルカ」の指を見て、ふと、ネットはつながっているのだろうかと過らせる。つながっているはずがない、と思えばらわざわざ確かめる気もなくなって、ピージーはむしろ感じた自由に吹っ切った。
あと二時間、どんな景色を見ることができるのか。その間にスケッチもすることになれば大忙しだ。想像して胸を膨らませる。だいたい森へ入ってはいけないという大人たちこそこんな奥まで入ったことがないのだから深さも、そこに何があるかも知らないはずで、森はとてつもなく深く、どれほど描いても描き切れないほどの風景が用意されていたならどうしようと、眉をひそめた。それこそ本当に森で寝泊まりしながらスケッチしなければならなくなりそうで、いやそれどころかスケッチをしながら一生、森で過ごせるのではなかろうかとひそめた眉を跳ね上げもした。
「ああ、でも食べ物に困るか……」
独り言を吐いて見知らぬ森を奥へと歩く。
取り出した白の色鉛筆は、川までの森でもしていたように迷わないよう木の幹へ目印の線を引くためだ。木肌のめくれた所があれば白い塗料を埋め込むように書きこみピージーは、ちびた色鉛筆を削りながらまた先へと進んだ。
おや、とそんなピージーが目を細めたのは、目印の木を八本、作った後になる。折り返しの時刻も近づいてきた、戻るにどこかキリよい場所はないかと探っていたその時のだった。終わりがないように思えた森の向こうに、スポットライトでも浴びたかのような明るい場所は現れる。のみならずそこだけ草木は綺麗に刈り取られると、丸く開けてピージーの目に飛び込んできていた。様子は間違いなく人の手が加えられたものだとしか思えない。森も川さえ越えた奥だというのに、理解ができずピージーは魔法のように現れた場所をしばし食い入るように見つめ続けた。
ままに近づいてゆけば燦燦と光が降り注ぐ場所は、ただ草木が刈り取られているだけではないことが分かってくる。剥き出しとなった地面には踏みしめられた跡が幾重にも重なる足跡として、生々しくも残されていた。
信じられない、という思いさえわいてこない。むしろこれは一体どういうことだ、疑問はピージーの中で暴れ回っていた。つまりずっと以前から森へ出入りしている何者かはいた。しかもこんな奥にまで、というのである。
大人たちはこのことを知っているのか。ならみながみな完璧な嘘つきだった。そして知っているからこそ口をそろえて入ってはいけないと言い、捕まってしまえば二度と戻ってはこれない、とさえ言いきかせてきたのか。とらえなおした言葉の意味は、とたんピージーの鼓動を早めてゆく。
「ルカ」でぎゅっ、とリュックの肩ひもを握りしめていた。
それでも足は引き寄せられてゆくように、丸く開かれた場所へ向かってゆく。
もう帰ろう。
いや、ここで帰ればなおさら気がかりだけが残るに決まっている。
けれど大人たちの忠告が本当だとすれば、ピージーはとてつもなく危険に晒されている予感しかしない。
その時だ。日を浴び踏みしめられた地面は動く。一部はまるで敷物のように波打つとバサリ、端をめくり上げる。下からだ。目玉は二つ、のぞいていた。
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