第7話

「不思議……」

 それが出来上がったスケッチを見たキララの最初の言葉だ。

「ピンク、だったんだ」

 あれほど慌ててやめさせようとしたはずも、色合いにすっかり見入っている。下色と忍ばせチラチラとピンクが顔をのぞかせたスケッチは、その上へ重ねた色に独特の透明感と軽やかさを与えると、止まって描かれた川へ勢いよく流れているような錯覚を与えていた。対岸の草木が重たく湿気ていたなら、コントラストも際立たせて止まない。

「違うよ」

 返すピージーはキララへ目もくれず、本当にそれでよかったのか、まだ川ばかりを見つめていた。

「賑やかに見えたから。楽しそうだなって。ピンク色の水なんて流れてないよ。それはキララが言った通り。ただ感じたように描いてみたかっただけ」

 言い分に、キララはなおさら目を丸くした目でスケッチを眺めなおす。

「わぁお」

 言うと、揺すった肩で体ごとピージーを突っついた。

「やっぱりピージーは凄い」

「そうかな」

 いつも大げさなんだから、と聞き流せば、すぐにも大げさだった意味を知らされる。

「この絵、もらってもいい?」

「ダメ」

 見越して、なんて調子がいい。

「どうして」

「森に入ったって、バレるしかないじゃないか」

 スケッチできるような場所はミドルタウンになかった。なら、はっはー、と笑うキララは真の意味で確信犯となる。

「ネットの画像を模写したって言えばいいのよ。それなら森の絵だろうと、人工知能も許可した画像なんだから、危ない所なんてないもの。バレない、バレない。ぜぇった……」

 が、豪語しながらスケッチへと向けなおした顔は、見る間につまらなさげとしぼんでゆく。

「い、バレないっていうには、出来すぎなのよね、これ」

「そういうこと」

 ピージーはキララの「ルカ」からスケッチブックを奪い戻した。

「あ、けちんぼっ」

「凄いのはこっち。川の、森の方だよ。だから描きたくなるし、描いても描いても追いつかない。何か足りなくて、大事なところが違ってるんだ。でもいつか足りないところを見つける。描きたい気持ちの正体を。それまでやめるつもりはないから、出来るだけ騒がれたくないんだ」

 閉じたスケッチブックをカバンへ落とし込む。立ち上がってピージーは頭上を、森を仰いだ。ふうん、と足元でキララは鼻を鳴らしている。

「理由、初めて聞いたかも。上手になってさ、てっきり特別待遇を受けたいのかなって思ってた。だってみんなそのために頑張ってるし。時々、バーンって、力いっぱいキュウギができるらしいわよ」

 二人への頭上に覆いかぶさる枝は、いよいよ傾いた日差しのせいで暗く色を変えていた。重たげな様子は今にも頭の上へ降ってきそうで、やはり「災い」は森に入った者を見張っているのではないだろうか、とピージーへ過らせる。

「特別なら、森の方がずっとだよ」

 いや、そもそもここには人工知能の管理するものなど何もないのだ。あらゆる「安全」から程遠い場所ならその通りだった。

「かも、ね」

 言葉を合図に、キララも尻を持ち上げる。

「じゃあ、ピージーの絵が好きなあたしだって森に惹きつけられてるのかも」

 ついていた彼はを叩いてぽんぽん、払い落した。

「あたしたちで見つけたいね」

 星のピン止めの下で、怖いもの知らずの瞳が輝く。かと思えばキララは、イエーイ、と大の字に跳ねて両の「ルカ」を空へ振り上げた。

「キララは変わり者だね」

「わあ、失礼。ピージーに言われたくない」

 かと思えば、そうそう、と神妙に目もまた細めてみせる。

「嫌なこと言うヤツはあたしに任せたらいいわ。来週、体育の授業もあるでしょ。アイツきっとまた何か言うわよ」

「ありがとう。でも言った通りで気にしてないよ」

 繰り返してピージーは、カバンへ体をくぐらせた。もう帰らなければ本当に辺りは暗がりに包まれてしまいそうで、目印が読み取れるうちに後戻ろうと思う。

「って、まさかあなた、休む気じゃないでしょうね」

 唐突に確かめるキララは、本当によく頭が回る友人だった。

「気にしてない、ってそういうこと?」

「しないし、そうじゃないってば」

「うそうそ。代わりに森でキャンプなんて面白い事、一人でやったら許さないからね」

「しない、しないさ」

 投げ合いながらクラバチルへ向かう。

 時間だ。授業中を避けて設定された広告が、森には場違いなリズムを刻んでピージーの手首を一周していった。



 そう、半期に一度、巡って来る体育の授業では、学校が保有する宿泊所を目指して一泊二日のハイキングを行う。持久力と協調性、判断力と自主に自律の精神養うことが目的で、このときばかりは先生もあれこれ指示を出さないのが決まりとなっていた。おかげで前回など片道三十キロ余りある帰り道、宿泊所に忘れ物をしたクラスメイトのせいで全員が戻るのか、忘れ物をした生徒だけが取りに戻るのか、それを待つのか、忘れ物そのものを諦めるのか、モメにモメている。その前の授業も同じようなもので、まる二日間、三十人近くのクラスメイトと行動を共にする体育の授業に、思いがけないトラブルはつきものとなっていた。

 キララは今日、起きた出来事にクラスの雰囲気を感じ取って、そんなトラブルにピージーが巻き込まれるのではないかと心配しているらしい。ピージーもそのことを大げさだ、とは思っていなかった。なぜならその後の噂によると、前回の忘れ物など誰かがこっそり持ち物から抜き取り、宿泊所に置いて来たらしい、と囁かれている。保安局は「ルカ」の過剰な出力や危険物の扱いを管理することはできても、日常のささいな動きまでは管理しきれず、気に食わない相手の物を盗んだり、隠したり、ほんの少しだけ位置をずらしてみるような悪意は大人の間でも日常的に繰り返されているのだから、ピージーも噂についてはおそらく本当なのだろうと思っていた。

 矛先が自身に向けられたとして、つまらないことをするものだ、としか思えない。だが「つまらないこと」で満足していられる世の中を保安局は望んでいる様子で、たとえ自身の身に起きても、ピージーにもそれくらいの感想しか抱けなかった。



 迎えた当日、しかしながらキララの心配は別のところで的中する。

 キャンプではナイフの使用や非日常的な力仕事が見込まれるため、いくらかの危険行為に備えて「ルカ」の使用制限を解除しようとして朝、拒否されたことにピージーは不意打ちを食らわされていた。

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