第6話

 大人はそんな森のことを「森には『災い』が住んでいる」と子供らへ教えている。「『災い』に捕まれば森からは出られなくなる」とも繰り返していた。だから「森に近づいてはならない」と言うのがお決まりだった。

 もちろんそれは興味本位で足を踏み入れた子供が迷子になるのを防ぐためにに違いなく、いずれ誰もが迷信だと気づく嘘に過ぎない。とりわけピージーはそれが都合のいい嘘であることに早くから気づいており、同じ年頃の友達らが怖がるばかりだった頃からこうしてこっそり森へ入っていた。

 やがてそんな友達も嘘には気づくが、その頃にはもう、触れたこともない森には何の関心も持たなくなり、さきほどちらり目にしたように、表で友達らとはしゃぐことの方が何倍もの関心事にすり替わっている。

 だがピージーは違った。それは何度も森へ出入りしたせいだと自身も気づいている。

「キララはまだ『災い』を信じてるんだね」

「あら、子ども扱い。わたしは比喩、って言葉を知っているだけよ。それに一緒に何度も森に入ってるじゃない。怖くはないわ。ただ危ないかも、って感じてるだけよ」

 青々としていた足元の草が弱々しく勢いをなくしていた。踏みしめ分け入る森は眠たげでどこか薄暗く、目を覚まさせてちらちらと木漏れ日をまだらと降らせている。

「ね、どっちへ行くの?」

 反り返らせていた体を前屈みと倒したキララがピージーをのぞき込んだ。

「こっち」

 川だ。気分は、最近見つけたそちらへ傾いている。示してピージーは肩のカバンを掛けなおし土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。ようやく整った息で目印にした木をつなぎ歩き始める。

 しばらくもすればくぐったシラカバの入り口が、小さく他の木々に紛れて消えた。若木の小枝がどうにも邪魔だ。「ルカ」で押しのけ、屈めた身でその下をくぐり抜ける。張り出した木の根がデコボコと地面を波打たせていたなら、絡まる難所をキララと「ルカ」を取り合いよじ登った。いつかの嵐で倒れたきりの木はコケをまとって大地とひとつになっており、それも目印のひとつと回り込んで、なお森を奥へと進んでゆく。平坦なようで平坦でない道程に、慣れないキララこそ真剣な面持ちだった。

「あいつ、さ」

 合間をぬうと話し出す。

「『ルカ』を新調する前からなんだかヤな奴だったよね」

 エフワンのことだ。

「それがちょっとみんなより抜きん出たからって、調子に乗っちゃってさ。だからからかいたくなったんだろうけど。そんなおっちょこちょいで頭の悪い奴にピージーの『ルカ』のことなんて、わかりっこないよ」

 言い切る調子は強く、きっとそれが言いたくて今日はやって来たのだろうと思えてならない。

「何とも思ってないよ」

 答えたなら、間髪入れずキララに突き返されいた。

「うそばっか」

 初めて訪れた時はどれも同じ木に見え迷子になりそうだったが、今ではどの木もピージーにとっては姿が違って見えている。色鉛筆で印もまたつけていたなら、少し広くなった場所に出たところで傍らの木の幹を確かめ辺りを見回し、あれだ、と次の印をまた目指した。

 まもなくして水音は、方向に間違いがなかったことを教えてどこからともなく聞こえてくる。

「……川っ」

 気付いたキララも、ぱっと顔を明るくしていた。

「もうそこだよ」

 教えてピージーはこうもつけくわえることにする。

「今日はありがとう」

「今?」

 けれどキララはもうどうでもよくなった様子だ。

「遅い。それよりほらっ、見て見て」

 音だけでなく見え始めた水面に「ルカ」を振り上げた。

「あれでしょ、あれっ」

 連呼するそこへ「すごい」と「キレイ」もまた追加する。

 まき散らしながら辿り着いた川は、立てる音さえ透き通っていた。おかげで丸見えな川底の上を水はただ滑っているようで、その所々に石は繋いで渡れば対岸へ行けそうな具合に並んでいた。渡るのはさすがに危なすぎるだろう。ピージーは立ち止まる。滑る流れが土をえぐって高くした川岸に腰を下ろした。

「今日は川なのね」

 さっそく開いたカバンの中をまさぐれば、同様に隣へ座ったキララがピージーをのぞき込む。

「そう。前は失敗だったから」

「そりゃそうよ。だってほら」

 川を「ルカ」で示した。

「ずっと動いているじゃない」

 間にもカバンからピージーが取り出したのはスケッチブックだ。ヒザへ乗せ、再びカバンの中へ「ルカ」を伸ばす。

「この間、あたしが一緒の時はなんだっけ。若いカエデの木、そうカエデだった。おすましでじっと立ってただけだったでしょ。それにすればどう? 暴れん坊よ、この子」

 などとキララは色々気を回すがもう決めたのだから、これだ、と掴みだせば、目にして慌てふためくキララはまったくもって忙しかった。

「待って待って。そんな色、どこにもない。水は青よ」

 その通り、ピージーが掴んでいたのはピンクの色鉛筆だ。うるさいなぁ、とピージーは思わず渋い顔を向けてしまう。

「わ、かりました。お好きにどうぞ」

 この時ばかりはかなわないと、ようやく口をすぼめたキララはそこで大人しくなった。

 傍らに、ピージーは気持ちを整えスケッチブックをヒザの上へと押さえつける。なら短くなってしまった「ルカ」のせいで背は丸くなるしかなく、ままの姿勢で川を見つめた。確かにじっとしていない姿は厄介で、だからこの川を見つけたとき描きたくなったことを思い出す。描きたいと思ったものがカタチではないことを、思い出した。だからピンクを選んだようなもので、それ以上、考え過ぎる前に色鉛筆を握りしめる。スケッチブックへ走らせた。

 画用紙から音が鳴る。色鉛筆の擦れる音は水音へかすかと混じり、考えにおいつかれまいとすれば勢いは増していった。

 けれど決して色鉛筆の芯が折れることはない。子供用の「ルカ」はそうも繊細な機能を持ち合わせていないはずだったが、ピージーが仕損じることはなかった。同級生が扱い慣れないクレヨンを粘土のように潰しながら絵を描こうとも、幼児園の時からその繊細さで幾つもの色を混ぜ合わせ、描いた絵で先生たちを驚かせていた。初等生では入賞したコンクールで審査員の先生たちが、ぜひとも大人用の「ルカ」へ新調する時はこの子の才能に合ったものを選んでやってあげてください、とマルウへ熱く語ったこともある。証拠にマルウは天にも上る気持ちになると、無理をしてでも次に新調する「ルカ」の積み立てを始め、そのためのやりくりにも熱心となった。ピージーの「ルカ」が短いままなのも、子供用の「ルカ」を二つ新調するなら一つを端折ってその費用を大人用へ回したせいだった。

 なぜなら生涯を通して「創る」ことは、とりわけ大人になってその道を選ぶことは、望んだからといって誰でもができることではない。「創る」とは、これまでなかったものを生み出すことだ。生み出されたものがそれまであった秩序を乱さぬはずはなく、すなわち破壊的暴力行為であると人工知能がみなしたためである。

 時代にくさびが打たれて以後、かかわることができる者はだからしてごく少数に限られている。厳選された彼らは人工知能と緊密な関係を保つ中、「創る」ことを続けていた。

 「ルカ」を装着しながらそうも暴力的な行為が許されていることも、特別待遇にさえ映るその立場も、一般市民にとって一目置かれる存在で間違いない。そうした立場を手に入れんがために「創る」ことへ就けるよう、懸命となる者も少なくないほどだった。

 けれどピージーに感心はない。

 気持がただ「描きたい」とピージーを動かしているだけだった。

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