第4話

 耳の奥のざわめきが消えない。

 無理言わないの。

 催促して、それが最初に返って来た母、マルウの言葉だった。

 ミドルタウンにあってもまったくもってその端に位置するピージーの集合住宅クラバチルは、まるでミドルタウンと森を分ける塀のような白い建物だった。だからしてもうすぐ差し込む夕日を受けるとクラバチルは、その白い外装を赤く染め緑の前に立ちはだかる。影は街へ長く伸び、飲み込まれた通りをひと足早く夜に招いた。

「だって、広告が出るからさ」

「だって、って、それはあなたも承知したでしょう。それに授業中とかぶらないよう、流れるタイミングは調整してもらったはずよ。何か先生に言われたの?」

 夕飯の用意に取り掛かったばかりのマルウはキッチンから声だけを投げている。つながるダイニングでテーブルの前に腰掛けてピージーは、肩を落とした。

「先生じゃ……」

 言いかけて言葉を濁したのは、クラスメイトにからかわれた、などと口にしたくなかったからだとはっきり分かる。

「そのぶんほら、積み立ててあなたの将来にちょうどの『ルカ』を予約してあるじゃない。届くのは誕生日。こっちの都合で早くはできないわよ。それとも友達に何か言われた?」

 マルウが臆面もなく尋ねるのは今さらだからなのだろう。続けさまキッチンから盛大な水音もまた聞こえてくると、他にもまだ何か言っているようだった。その聞き取りにくさよりも言い当てられたことにピージーは、バレているのかまだ取り繕えるのかと、キッチンとを隔てる壁から辛うじて見えるマルウの背と声へちらり、視線を投げる。ならまるで見えていたかのようにひょっこりと、マルウもまた反らせた背で顔をのぞかせ返していた。

「仕方ない。予定変更」

 ピージーの前へ「ルカ」を持ち上げる。

「今から申請するから、今日は包丁を使ってごちそうよ」

 袖口をまくり上げ、肌の色にほどなく近いグレーベージュ色した「ルカ」の手首を下から掴んだ。外側の出っ張った骨、尺骨茎状突起しゃこつけいじょうとっきを押し込む。短縮登録された申請信号はそれだけでオンライン化された『ルカ』から保安管理局へ送られる仕組みだ。今日は混んでいなかったらしい。すぐにも許可は下りると、マルウの「ルカ」のヒジから下、前腕へと亀裂は走った。分割された「ルカ」の表面が浮き上がったところでピージーはマルウから顔を背ける。

「いいよ別に」

 テーブル前から自身の部屋へと身をひるがえした。そこで掴み上げるのは学校へ提げていったのとはまた別のカバンだ。たすきへ体をくぐらせ、抱えて何も言わず玄関へ向かう。靴を履けばマルウが、元通りと組み上がった「ルカ」を腰にキッチンから抜け出してきていた。

「今から?」

 もちろん問いかけには答えない。

「暗くなる前に戻りなさいよ」

 アノブを握る。

「また森はダメだからね」

 矢継ぎ早な口調が気に障ってならなかった。

 遮りたくて表へ飛び出す。叩きつけるようにドアを閉めかけたところで「ルカ」の安全装置に阻まれていた。抵触したガイドラインに従い、暴力的な出力がカットオフされたようだ。気持ちとは裏腹に、違和感のなかった「ルカ」から空気でも漏れ出しているかのように力は抜け落ちて行き、同時にソケットは半遮断されると「ルカ」そのものが鉛のごとく動かなくなる。極まったところでプシュ、とたしなめるようにヒジから今度こそ小さくエアは漏れ出した。合図に「ルカ」は遮断した動きをあらためなぞる。なぞり、そうっとドアを閉めていった。

 おそらくこの動作情報は保安局へ送信されていることだろう。もしかすると素性の粗暴さがチェックされ、新しい「ルカ」の納品に遅れが出るかもしれない。過るがもう、ピージーにはどうすることもできなかった。

 それすら振り払うようにクラバチルの階段を駆け下りて行く。提げるカバンの中で色鉛筆たちがジャラジャラと立てる音を聞いていた。

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