漁火③ 星火燎原
スナドの格納庫の中、フロドは高速飛行形態で待機しているイサナトリのコクピットの中でシートベルトを締めて発進の準備を進めていた。
シロクジラからは離れていて空は何も起こっていないかのような澄んだ青空をしているが、遠くからは爆発音が時折聞こえて来る。
無線からは状況もおおよそ伝わって、まだ自身の出番ではないと理解している筈なのだが。
「何してる!?お前が出るのはまだ先の筈だ!」
「我慢出来なくなってね……冗談だよ」
「何言ってんだ!流石に今日は我儘言われても通す訳にはいかない!」
駆け寄って来た船員に肩をすくめて冗談を言いつつも、フロドはイサリビ機関に火を入れた。
徐々に会話が隔てられる音量へと高まってゆき、耳を抑えて顔を顰め大声で怒鳴り合うような会話へと変化する。
「作戦通りならシロクジラはもっと消耗してても良いハズだ。あんだけやってヒビ入ってる程度じゃあどのみち肉に阻まれて心臓は突けやしないだろ」
「その為のハラネスとサカマタだ!」
「ならアイツの為に僕が舞台を整える。婆さん達も苦戦して何機か落とされてるんだろ?この試製サザナミ肆式の重武装ならもうちょいマシだ」
そう言ってフロドが叩いた乗機にはこれでもかと装備した武装の数々が厳しく主張をしていた。
本体の扁平で流線型のシルエットを崩すほどの大量の装備は、この新型の推力に任せた無茶なカスタム。
飛行機のように横に突き出した翼の下には他のイサナトリが装備している物と同じ6連装ロケットポッド。
その隣にはより大型で威力を高めた大型ミサイル……それらを両翼に。
機体上部の人型の基準で言えば肩となる位置にも箱型の武装を積んで、機体下部には大型の銛筒を。
限界まで載せた武装の数々はもはや、この機体自体が火薬庫とすら呼べる危うさの上に成り立っている。
「こんだけ積んでるんだ。少し早めにおっ始めたって問題ねェさ」
「あぁ!全く……自分で許可取れよ!」
「僕が出るって言えばそうなるさ──兄貴!」
ブリッジへと通信を繋げつつ、フロドは機体を滑走路へと進めて最早許可など要らないかのように振る舞う。
緩やかに、自然体で。
だが返ってきた通信の緊迫した様子だった。
「また落ちたのか!?ックソこんな時になん──フロド!?お前の出番はまだ……いや行け!こういう時のお前は強い!」
無線の向こうの船長は余程余裕が無いようで、間の悪く入った通信に思わず悪態を吐きつつも今打てる最適な手は何かを素早く判断して指示を出す。
それを受けたフロドは口角を上げて滑走路の先、その向こうの空に居るであろうシロクジラを睨む。
「信頼してくれる兄を持てて僕は幸運だね。よし……試製サザナミ肆式──フロド、出るぞ!」
耳に刺さるような高音と共にイサリビ機関が炎の尾を伸ばす。
白く輝く炎は揺らめく事なく放出されて、鋼の塊を前へと押し出し滑走路を銀の弾丸が駆け抜ける。
「うぉっ!ハハ!スゲェ加速だ!」
シートへ押し付けられながらフロドは空へと鋭く飛び出し普段とはまるで違う加速感に酔いしれる。
陽の光を浴びた銀色のボディが輝きと甲高い駆動音が激しい攻撃性を示すよう。
他の作業に手一杯だった船員達も、空を切り裂く銀の鏃に目を奪われる。
これはまさに、フロドを体現する機体と言えた。
「ヨォシ……アッチか。さぁて、この距離をどれくらいで走り抜けるんだ新型ちゃん」
舌舐めずりしてフロドはペダルを踏み込み、更なるスピードを機体に求める。
船団は安全を保つ為に、現在シロクジラとの戦いの舞台となっている群島からは距離をとっていた。
故に発艦してから実際に加勢するまでに多少時間がかかる……というのは通常のイサナトリの話。
大量の重荷を背負ってなお、新型はそれを上回る。
「オイオイもう到着すんのかよ!最高だなコイツは!」
フロド自身読み違えていた程の速さでシロクジラの姿を鮮明に捉える事が出来る距離まで辿り着き、歓喜に見開いた目で状況を把握しようと周囲を見回す。
シロクジラは何度も突進を行ったようで、空を埋め尽くす勢いで砂煙が舞っている。
そんな圧倒的な相手に、腕に覚えがある銛撃ちがイサナトリをシロクジラの眼前にわざとチラつかせて囮の役割を負って味方の援護をしていた。
丁度フロドが到着する頃に幾度目かの突撃が敢行されるようで、狙いを絞らせ味方に撃たせようとしている様子が徐々に大きく見え始めた……のだが。
「ッく!マズイ──」
その内1機が僅かに逃げ遅れていた。
味方が次々離脱する中で最後まで残り狙いを確実にしようとした者。
ウィルフ機だった。
責任感の強さ故、ウィルフは背後に迫る白い壁の如きそれに近づき過ぎてしまったのだ。
思わず目を閉じそうになった時、無線機越しの溜め息と共にシロクジラの顔面が爆ぜた。
爆炎、そして衝撃と飛び散る白い欠片。
6連装のそれは明らかに威力が違う。
「なんだ──!?」
「婆さん無理すんなよな」
フロドが放った2発の大型ロケット弾は見事シロクジラの顔面を捉えた。
思わず衝撃に顔を背けてそのまま針路を曲げて飛び去る程の綺麗な当たり方。
フロドはトリガーから指を離して満足げに頷いた。
「なんで居るんだい!アンタはまだ──」
「ハイハイ!言われ飽きたよもう!テメェの不甲斐なさを恨みな!」
吐き捨てるような言葉に僅かな反感を覚えるが、しかしフロドが居なくては今どうなったかも分からない。
それを理解しているからこそウィルフには返す言葉が無く、悠々と飛行する新型の輝きに歯噛みする他なかった。
「まあ見てなって。なんならここで倒しちまうかもな」
そんな楽観的なことを言いつつも、フロドの瞳は存外冷静だ。
頭も冷えて、滑らかに思考を巡らせる。
そうしてまずとった行動はイサナトリの変形。
飛行機の様な形態から四肢を伸ばした人型機械の形態へ。
機体下部に取り付けていた大型銛筒を両手で抱え込み、シロクジラを待ち受ける体勢を取った。
「正面から突っ込んで来てくれるならありがたい限りだね。コイツの威力を試したかったんだ」
試製サザナミ肆式が装備する大型銛筒は対シロクジラを想定した物だ。
通常の銛筒よりも数倍大きく取り回しが悪い。
その上に装填を自動で行う機能を搭載する事が出来ず、次弾はイサナトリの腕を使って手込めする必要があのだ。
だがそれらの欠点を押し除けてまでこれを使う理由というのも当然存在する。
それは極めてシンプルに威力の高さだ。
長大な銛はシロクジラの体躯を想定して心臓まで深く差し込む為のもの。
この銛にワイヤーを繋げる機能は存在せず、ただ尾部に特殊な機構を内蔵しているのだ。
「さあさあ来いよ……僕を狙って真っ直ぐ突っ込んで来い……」
特異な銛を構え、フロドは回頭して突撃コースに入ったシロクジラを待ち構える。
フロドはシロクジラを警戒してはいるが、結局のところ相手がクジラである事から動きはその範疇を超えない事を理解してある程度の余裕を持って事に当たっていた。
警戒すべきは近距離に肉薄した時。
その重量級の肉体を駆使した攻撃が唯一にして最大の武器。
しかしイサナトリはどうだろう。
その武装の殆どが遠距離からの投射を行うものだ。
クジラとイサナトリでは得意とするレンジが違う。
フロドの役割はハラネスが来る前に場を整える事だ。
「教えてやるぜデカブツさんよ……人間サマの恐ろしさってヤツをなァ」
シロクジラが迫る。
空を叩き、炎を噴き上げ加速する。
何物も意味あるものとして見出していなかった黄金の瞳には、微かな怒りが滲んでいた。
「喰らいやがれ──噴進銛だ!」
フロドがトリガーを引き、抱えた銛筒が後方に火炎と煙を吹き出した。
それが推進力として充分な水準に達した時、銛はロックを解除されて自由となる。
長大な鋼の棒は銛筒から放たれ、羽根によって安定を得ながら目標へ向かって突き進む。
距離を縮めるシロクジラと、真っ向から迎え撃つ銛。
シロクジラはそれがどのようなモノなのか理解していなかった。
故に正面から受けてしまう。
こめかみ付近の甲殻の割れた隙間を狙いすまして銛が突き刺さる。
心臓を狙うにはズレた位置なうえに、距離も随分と遠い。
だがそれでも良いのだ。
銛が半ばまで突き刺さり……なおも肉を突き進む。
ここで初めてシロクジラの声が、痛みに呻く声が響いた。
この噴進銛はシロクジラの肉を突き抜ける為のもの。
より深くを突き抜く為に肉を掘り進む。
この銛もこめかみから入って頭蓋で滑って肩まで進み、体内で止まった。
体内に異物が留まる不快感と痛みで身を捩るシロクジラはフロドへの突撃コースを外れて飛んでゆく。
そこをダメ押しのロケット弾が襲い、銛撃ちが勢い付いた。
「これが新型の力か!」
「流石だぜフロド!」
「まあな!あとは僕が引き付ける!撃ち切った奴から離脱しろ!」
フロドは操縦桿を巧みに動かし、銛筒の砲身に懸架した銛を掴みんで砲口から装填する。
この次弾を撃つまでこの動作を繰り返す他なく、そして大量には持ち運べなかった。
計4発。
今しがた1発撃った為に残りは3。
相手を考えれば十全とは言えない数だ。
だがそれで良い、フロドはそう考える。
「どうせこの機体じゃ仕留め切れないんだ。何かしら、ハラネスに繋げるモノさえ得られればそれでいい……」
再び銛筒を構え、シロクジラの再突撃に備えて狙うのはやはり先程と同じ頭の走行が欠けた部位だ。
だが先程の予想外の痛痒にシロクジラも学習した。
流れる血と痛みに眼光を鋭くし、ギラギラと喧しく輝くソレが他とは異なる強者である事は理解したのだ。
だがそれでもやる事は変わらない。
突入コースは真っ直ぐと。
最速で突っ込み自らの肉体を武器とする。
単純で最も効果的なソレを選択して……加速。
「来るぞ!備えろよォ!」
狙いはフロド。
額に収まるコースで飛翔する。
その他のイサナトリはコースの外からロケットポッドを構えて追撃の準備を。
加速、加速。
シロクジラの背中から噴き出す白炎が強くなり、フロドはトリガーに掛かる力が強くなる。
無駄撃ちは出来ない。
限りのある回数を無駄にしないよう引き付け……その時。
「っ!?回避──!」
シロクジラが身動ぎをした。
蹲るように体を曲げて、イサリビの噴射方向を変える。
胴体上部から噴き出ているイサリビは甲殻によって推力が発生する方向を制御していた。
その甲殻を動かしたなら、シロクジラの巨体には突如として別方向の力が加わり……回転。
巨大な尾を振り回して突っ込んで来たシロクジラの加害範囲は極めて広い。
全長が殆どそのまま攻撃範囲だ。
振り回される大槌、それもイサナトリを潰せるサイズのそれが迫り通信に悲鳴が混じる。
「ひっ──」
「馬鹿ペダル踏め!」
フロドは咄嗟に放った怒声と共にペダルを踏み抜き回避行動をとる。
イサナトリの脚部と背部のスラスターから爆発的な噴流が放たれ間一髪の緊急回避。
しかし視界の端では弾んでひしゃげる鋼鉄の玉の姿が見えた。
クジラの戦い方はワンパターンだ。
自らの巨体を打ち付ける事が唯一の手段。
だがそれでもそこに技がある。
シロクジラはどのようにすれば一撃でより多くの獲物を仕留める事が出来るのかを思考するのだ。
今回も予想通りに一振りに複数体を捉えて深追いはしない。
強烈な一撃を与えた後は即座に離脱し再びの突撃へと準備を整える。
ヒットアンドアウェイ。
そこに徹する相手は脅威と言えた。
「何人落ちた!?」
「4人だ!アンタは大丈夫かい?!」
「あたぼうよ!でも流石にコリャ無理だ!ハラネスを呼べ!」
無事な機体も幾つかあるが、それでも最早余りと言って差し支えない程には数が減っている。
ロケット弾の残弾もそう多くはないだろう。
故にフロドは切り札を切る。
後方に控える相棒を。
◆◆◆
フロドの要請は無線を通じて後方の船団……その中のひとつの船へと届く。
それは箱のような形をし、内部に多くの物資や機材を詰め込む事が出来る船。
それが今はただひとつ、この日の為に作り出された大型イサナトリ……サカマタを積む為に飛んでいた。
何故他の機体と共に運ばないのか。
それは大き過ぎる為。
格納庫を圧迫し、発進準備にも時間が掛かる上に発進時には滑走路からサカマタ以外の全てを取り除かなくてはならないのだ。
それならばいっそサカマタの為に船をひとつ用意しようと考えてのこの配置。
とはいえ船内は快適とは言い難い状態だ。
格納スペースはサカマタで埋まり、直前で行なっている調整作業も実に窮屈そうに行われていた。
全長も全高も高いサカマタの運用に限られたスペースしかないというのは大変な事なのだ。
そんな限られた空間を常に使う梯子がひとつ、サカマタの上部……コクピットへと掛かっている。
ハッチが開いて、大きな機体だならといって広々としている訳ではないコクピットには既にハラネスが座っていた。
そして梯子を登って来たトルネが顔を合わせる。
「出番よ」
「そうか」
「もっと緊張とか意気込みとかないの?」
「やる事は普段と同じだ。これを動かすのは楽しみではあるがな」
普段通りの感情の起伏を感じさせない声でそう言って、操縦桿や計器類を撫でるハラネスはしかし楽しげだ。
実に穏やかな、老人が昼下がりに釣りを楽しむような安穏とした様子はむしろこの場合は異常と言える。
「とにかく!気を付けて。通信の様子からするとシロクジラは私達が知っているよりも強くなってる」
「俺も強くなったさ」
そう言ってハラネスはコツコツ、と指先で操作パネル叩いて……珍しく事に笑って見せた。
「感謝しているんだ、ありがとうトルネ。俺にこのクジラと渡り合う為の身体をくれて。初めてクジラを見た日から、きっと俺はこの日の為に生きて来た。生き延びて来た」
「ハラネス……」
遠くを、遠い日の事を見てハラネスは今感じている全てを享受する。
ここが夢見た場所だと。
だがそれを見るトルネの表情には不安が写っていた。
「お願いだから死なないでよ。昔っから危なっかしくて……それだけが心配」
「俺はそんな感じだったか?心配は要らないさ。シロクジラを仕留める事が俺の役割だ」
フロドと同じく、シロクジラを仕留めるという覚悟は持ちつつも今日が人生のピークだと思う事の儚さを漂わせたハラネスは、トルネから見れば刺し違えて死んでしまいそうにらすら見えた。
だがそこに如何なる言葉を掛けたものか分からずにトルネは困った顔をして、少しの名残惜しさと共に梯子を降りる。
まだ何か言えたのではないか、そのような後悔と共に。
そして交代でやって来たのはチェックリストを片手に神妙な顔をしたセファンだ。
ブツブツと何事かを呟きながらコクピットへと身を乗り出し、計器のチェックを行いだした。
「うん、うん……よし」
「大丈夫そうか?」
「問題ありません。メインが温まるまでにもう少し時間が掛かります……この船、覚えていますか?私達が初めて会ったあの船なんですよ」
「そうなのか?……どれも同じだろう」
周囲を見回し、しかしなおもピンとは来ずにそんな事を言うハラネスにセファンは寧ろ楽しげに笑う。
「ハハハ!ハラネスさんらしいですね。でも良いじゃないですか、初心に立ち返るような、再び走り出す……飛び立つような気分になれて」
あの日この船にはハラネスもセファンもフロドも乗っていた。
そしてそこから様々な変化が起きて、今こうして同じ船に乗ってクジラに挑む。
そこにセファンは運命めいた何かを感じて、そして同時に願いにしているのだ。
あの日と同じようにハラネスはやってくれると。
「どうか生きて帰ってくださいよ?私にはまだまだ作りたい物が山程あって、そのどれもがハラネスさんでもないと性能を引き出せませんので」
「無茶を言う。俺は今日シロクジラにやられるではなく、お前の発明で死ぬんじゃないか」
「そんな程度の低い物は作りませんよ。乗り手を必ず生きて帰す為の機体を目指しているんですから」
セファンは無言で拳を突き出す。
ハラネスもそこに拳を合わせて、互いに頷き合った。
セファンは梯子を降り、ハラネスは機関の始動を行う。
「目覚めの時間だ。お前に心躍る狩りをさせてやる」
唸りを上げて巨獣が目覚める。
回転数が上がり徐々に高まる重低音が機内に響き、発進に向けた最終作業を行う者達は思わず耳を抑えてしまう程。
「チェック、チェック……よし」
準備完了と、サムズアップをして見せて最後にハッチを閉じる。
重々しく下がる金属の扉はさながらサカマタの顎か。
鋼の獣に飲み込まれ、ハラネスは不思議な安心感を得ていた。
胎内回帰のような根源的な安心感。
しかしこれから赴くのは命と命を奪い合う場所だ。
そんな場所へと今、若き巨獣が産み落とされる。
「ハッチ解放!ロック解除!サカマタ投下だ!」
船員の声が響き、サカマタの背後で壁が倒れ始めた。
壁はスロープとなり、四角く切り取られた空から風が吹く。
張り詰めていた固定が外される弾けるような音が響き、サカマタは縛めから解き放たれて徐々に後退る。
与えられた力に任せるがままに背後から空へと飛び込んで、そのまま自由落下へ。
サカマタは大き過ぎたのだ。
とてもじゃないが滑走など出来はしない。
だがそのまま落としても滑空は問題無く出来る。
落下の猶予は多くあるのだ。
故にサカマタの発進とは投下し滑空しながらイサリビ機関を回して加速させるという方法を取ることとした。
「スタビライザー展開。イサリビ機関、回転数上昇」
サカマタの手も足も無い長大なボディの下部、そこが迫り出し一対のヒレ……スタビライザーが展開される。
それを自在に動かし風を掻き分け姿勢の安定を得れば、落下は滑空へと変わり始めた。
スロットルを押し出せば、サカマタの尾鰭……イサリビ機関も白炎を伸ばして空を叩く。
位置エネルギー以外の力を加速に使い始めれば、そのスピードは最早を風を超えサカマタが高らかに吠え声を上げる。
大空を支配しているかのような雄大な飛行で狩りへと加わらんとするその姿は、黒く厳しいその見た目故に遠くからでもよく見えた。
例えシロクジラと戦う最中であっても、当のシロクジラ自体も接近するソレを認めて疑問を抱く程。
猛スピードで接近するサカマタを見た銛撃ちのひとりが思わずこう漏らした。
「ク、クジラか……?」
まさかシロクジラの仲間かと、そう思うのにも無理はない。
サカマタの見た目は人型機械であるイサナトリからは乖離して、クジラのそれに近い。
まして今まさに相対している相手が轟々とイサリビを噴き上げて空を飛ぶのだ。
大きさこそ違えどシロクジラの同族と見紛う程の威容と言えた。
「まずはこれだ……コンテナ展開、ロケット弾発射」
そしてその威容が僅かに形を変える。
背部の一部が迫り出して箱が飛び出す。
8発のロケット弾を収めたコンテナ、それが2機。
間髪おかずに一斉に放たれ、流星雨の如くシロクジラへと殺到し爆ぜる。
「派手な登場じゃねェかハラネス!」
歓喜の声を上げるフロドを追い越しシロクジラを追い越し、スタビライザーとサイドスラスターを全力で駆使した空中Uターンにより再度シロクジラに機首を向けたサカマタが吠えた。
「次。腕部展開、噴進銛だ」
サカマタは再び姿を、今度はより大きく変えた。
側面装甲がせり上がり、内部に格納された長い腕が現れる。
空に爪を立て両手の平……前腕部に内蔵された大型銛筒をシロクジラに向けて狙いを定め、サカマタの肘から炎が吹き出す。
噴進機構を備えた銛が間髪おかずに2発射出され、風切音と共にシロクジラを穿たんとする。
だがシロクジラとて簡単にはやられない。
ロケット弾を喰らった衝撃から立て直し、しかし加速して銛を回避するには時間が足りない事を瞬時に察して取る行動は身を屈める事。
身を持って味わったソレの真っ直ぐに飛ぶという特性を理解して、そして衝撃から身を守る術を心得るシロクジラは銛が刺さらないように甲殻に角度を付けた。
狙い通りに甲殻の表面を滑る……にしては甲高く骨に響く音を立てて銛は彼方へ飛んでゆく。
「腕部収納、再装填」
サカマタは両腕でそれぞれ1発だけ撃ち腕を仕舞い込む。
たったこれだけ撃って諦めた訳ではない。
これは試製サザナミ肆式が装備するものとは違い装填機構を備えているからだ。
サカマタが内蔵した装備の中には大型銛筒の装填機構と予備の銛を含む。
しかし装填のための機構を銛筒に合わせる事は叶わず、代わりにサカマタに内蔵する形で実現したのだ。
1発撃つ度に格納しては腕として果たせる機能が少ないように感じるかもしれないがそれは違う。
五指を備えてこそいるがサカマタの腕とは大型銛筒の砲塔だ。
「やるぞフロド」
「アイアイ、ハラネス」
短く言葉を交わし、空に黒と銀の2機が舞う。
片や直線的で暴力的に。
片や自在に空を切り裂くように。
シロクジラは2機を交互に見て、より大きな側を正面に相手取る。
真っ向から突っ込んでくるシロクジラ、あるいはサカマタ。
共に相手を睨みつつ、しかし状況を掻き回すのは視界の外で煌めく銀の鏃だ。
「僕は眼中に無えってか!?」
高速飛行形態でシロクジラの側方から突っ込んで、狙うは甲殻の割れた顔面。
しかし標的はフロドから見て横に移動している。
更にそれが高速とあっては偏差を狙うのは至難の業。
だからフロドは単純に試行回数を増やす手を打つ。
試製サザナミ肆式の胸部には機銃が備えられていた。
「豆鉄砲でも目と傷口に当たりゃ痛えだろ!」
機銃が立て続けに火を吹きドラムロールの如き発砲音を響かせる。
一発一発はクジラの大きさからすれば砂粒にも等しい。
それが特別大きなシロクジラともなれば尚更だ。
だが大量に投射する……砂を使った目潰しなどは人の歴史ならば常套手段。
シロクジラは違和感と痛みに思わず目を閉じて、僅かなまばたきのあとに再び視界が開けた時には迫っていたサカマタの姿を見つけられず。
ならば何処か。
シロクジラの背後でサカマタがスタビライザーを大きく動かし、重量に振り回されながらスラスターで強引に制御して腕部が再び飛び出した。
「背後を取ったぞ……!」
2発放った噴進銛は揃ってシロクジラの背中へ飛翔し甲殻へとベストな角度で突き刺さり……突如シロクジラの背中で吹き荒れたジェット噴流によってバランスを崩される。
その長さ故に横から煽られれば銛は容易に先端をずらし、そして吹き飛ばされた。
「コイツ勘が良いな」
「デケェ図体に任せてばかりって訳でもないらしいな!」
敵が消えたなら位置は恐らく背後と、素早く判断して最適な防御手段を選択したまさしく野生の勘。
そんなものを目の当たりにして、ハラネスは思わず声に多少の感嘆が篭ってしまう。
それも今はまだハラネスは有利な位置を取れている為。
背後に居られては堪らないと、防御のそのままイサリビを吹かしてシロクジラは距離を取ろうとするが、2機もそれを追い掛ける形となった。
「やれるぞ……!このまま押し切る!」
「ああ!新しいオモチャの性能なら行ける!」
逃げるクジラを2機で追い掛ける。
如何に形が変わろうと、イサナトリの戦い方は最もシンプルなこの形に回帰したのだ。
ハラネスもフロドも慣れたやり方へと移った事に安堵して、すぐにそれが甘い考えてあった事に気が付いた。
「っ……思ったより早えな」
「噴進銛はブレやすい。動きを止める必要があるが──ッ!」
シロクジラが体を回転させて、偏向する推力を活かした高速のバレルロールを行う。
イサリビを少し絞り、作り出したバレルの内にサカマタを収めるような機動で速度を合わせて反撃を試みたのだ。
ハラネスは咄嗟の減速で後方から押し出されるような、シートから引き剥がされる力を浴びて難を逃れたが、シロクジラはただ冷徹にそれを眺めていた。
「色々試そうってか?悪知恵働かせやがって」
「浅知恵にはならないのが厄介だ。銛を弾く機転といい……コイツは知恵を付ける前にここで仕留めなくてはならない」
シロクジラはフェイントを織り交ぜた動きで撹乱を行い、このドッグファイトじみた戦いの優勢を得ようと幾度も試行を行い、徐々にその精度も上がりつつある。
「あぁ!ったく、どんどん面倒になりやがるぜコイツはよォ!」
「苛立つな。今から仕掛けるぞ」
ハラネスとフロドはその動きに喰らい付いてはいるものの、ここから打つ手の乏しさを認識して……ひとつ打って出る事とした。
仕掛けるタイミングは──シロクジラが急制動を行い一気に距離を詰める──アドリブだ。
「──合わせろ!」
サカマタも機体を回し、進行方向に対して機体を横たえるようにして無理矢理の急制動。
空中でシロクジラとサカマタは踊るように向き合って螺旋を描く。
シロクジラは腹で押し潰そうと、サカマタは腕を伸ばして銛を構えて。
「喰らえッ!」
銛が射出され同時にロケット弾も火を噴いた。
彼我の距離を埋め尽くす噴煙に視界が遮られ、攻撃の成否は烟る向こうに見える赤い閃光のみが知らせる。
ひとつ、ふたつ、みっつ、と次々火炎の花が咲くが撃った数よりも明らかに少ない。
(……回避されたか!)
高速の思考でそれに気が着いた時には側方より白い塊が迫って……
(当たる──!)
しかし回避は間に合わないと判断して機体を傾ける。
長く戦闘を行えるようにダメージを追う箇所を選び、そこにシロクジラの攻撃を瞬時に合わせた。
奇しくもそれはシロクジラが直前に行ったロケット弾の回避と同じ方法であった。
「ハラネス!」
鋼がひしゃげるけたたましい音が響きサカマタは弾き出されるが、機能は問題なく生きている。
「構うな!やれ!」
「任された!」
ならば問題ないと、フロドは高速飛行形態を解除してシロクジラの周囲を回る。
次々放たれるロケット弾と共に。
全身にくまなく浴び掛けた爆炎が白を覆い隠し、ダメ押しにと銛筒を構えて一撃。
意識の間隙を付いた攻撃は見事背中へと突き刺さるが……それだけ。
致命傷にはならずフロドは思わず舌打ちをひとつ。
「スマンしくじった!」
「いや、よく合わせた!このまま押し切る──!」
跳ね飛ばされた勢いそのままにスタビライザーを動かし姿勢を整えサカマタは銛の次弾を放つ。
シロクジラもその動きを鏡写しにするように体勢を整えて突撃を敢行。
飛び来る銛は最低限の動きで弾き、滑らせ最短距離を突き進みその進路上には加速が追い付かずに回避がままならないサカマタが。
だが片方を狙えば片方は自由になってしまう。
「そらそら!コッチも見るんだよ!」
フロドの放った3発目の銛がシロクジラの視界に入り即座の回避行動……はイサリビを吹かした縦回転での尾での攻撃を伴うもの。
とはいえ僅かな回避の猶予を与える事となり、ハラネスはその隙に機体を動かして再び装甲の厚い部分に攻撃を掠めさせて反撃にロケット弾を次々放つ。
「とっておきを使う!」
即座に連携を取ったフロドの追撃、イサナトリの肩に装備された箱型のそれを発射する。
中にはロケット弾。
左右各4発を収めたロケットコンテナ。
だが他とは違う特殊なそれは見た目においては杭のよう。
2発ずつ放たれたそれは狙い澄まされシロクジラの肩の甲殻が割れた部分に尖った先端を埋めて突き刺さり、爆ぜた。
肉と血と炎とが弾け飛び、シロクジラの肩を抉りとる。
「うぉっ……エグい」
これは装甲を貫き内部で爆発してダメージを与える為のもの。
そしてその機能は十全に発揮されて空に血煙の赤い花が咲く。
とはいえ抉り出したのはほんの表面だ。
痛みと怒りで低く唸るシロクジラにはまだ余力が残り、忌々しくフロドを見るが、黒い影がそれを見逃しはしない。
「オオオォォォ!」
ハラネスが叫び、サカマタが化け物じみてシロクジラを襲う。
シロクジラへ肉薄しての敢えての近距離。
「助走がついていなければ、そう怖いものでもない!」
シロクジラの最大の攻撃は、その巨体に速度を乗せた体当たりだ。
ならばそれを封じる。
サカマタは両腕を広げてスラスターを吹かし無理矢理の姿勢制御で空中ドリフトすら行ってシロクジラに張り付く。
頭や尾を振り抜く余地すら与えないように。
ここから始まるのは殆ど全ての攻撃を受ける事を前提とした殴り合い。
互いに穿つ、叩く、爆ぜる、ぶつかり合う。
銛が突き刺さり血が飛んで、装甲がひしゃげて異音が響く。
短時間に連続して破壊の音が鳴り響き、噴煙と血煙が戦いを彩るデスマッチ。
「オイオイ……やっぱりヤバさはアンタが1番だよ」
あまりにも互いの距離が近く、巻き添えとなる事を危惧してフロドは何も出来ず、ただ唖然とその様子を手に汗握って見つめていた。
相手の動きを制する為に頭を抑え合う為に上下すら無視して錐揉み飛行に近い状態で重力すらも加速に利用して。
高度はどんどんと落ちてゆく。
「このままだと汚染領域に突っ込むぞ!」
「今良いところなんだ!後にしてくれッ!」
シロクジラとサカマタは絡み合って降下し、その追走は僅かな距離すら見通せない分厚い瘴気の中まで突入する。
しかしそんな環境でまともに打ち合えるはずもなく、猛スピードで境界線を突き抜ければそこには遠く広がる毒々しい景色。
そして何処かへ飛び去る……否、誘い込むシロクジラ。
白を追い、黒と銀が走る。
「まだやれそうかよ?」
「問題ない。だが今ので左の銛筒の装填機構が死んだ」
フロドの問い掛けに平然と答えるハラネスだが、並走するフロドから見たサカマタは表面上では酷い状態だ。
あちこち凹み、歪み、脱落しかけているパーツもある。
「それはテメェのしくじりだな。僕の方はまだ銛が1本とロケット弾があるけどそっちは?」
「銛とロケット弾なら残りはまだ有る」
「銛は半分使えないじゃねェかよ……んで?どうするよ」
「作戦は変わらん。動きを止めて、そこを叩く」
ハラネスはそう言ってのけるが、激しい攻防……殆ど攻撃に偏ったそれを経てもシロクジラは未だ健在。
そして今、武装のひとつを潰されたのだからそれが無茶な作戦である事は明らかだ。
だが無茶だろうと突っ込まなければならない時もある。
フロドは笑う。
楽しげに、不敵に。
「ホント無茶苦茶だよ、僕達」
「今更何を言う。嫌になったか?」
「そうじゃないさ……楽しくなってきたんだ」
「それも今更だな。俺はもうとっくに楽しんでいる」
ハラネスも心から楽しげに、そして不敵に獰猛に笑いシロクジラを追う。
何があろうと突き進み、必ず仕留めると睨み付けるその視界に小さな浮き島が増えてきた。
回避しなければならない程の密度ではない。
ルートを選べば自然と避けれる程度のその小島へ向けて、シロクジラは真っ直ぐに飛行していた。
「突っ込むつもりか。破片に注意しろ」
「そっちこそ。僕の機体なら回避出来るがアンタの機体じゃそんな細かい動きは出来やしないだろ」
耐久性に関して言えば、フロドの機体に然程の進歩はない。
だからこそ、今まさにシロクジラが小島に激突し大量の砂煙と共に砕け散った大小様々な岩を避けて距離を取る。
仮に当たればそのまま飛行不能に陥るだろう。
だがハラネスはあまり気にせず殆ど真っ直ぐ飛行する。
シロクジラに肉薄していれば大きな破片は他ならぬシロクジラが弾いてくれて、それでも転がり落ちてきたものは最短の動きで回避を行う。
コクピットには小さな石やある程度の大きさの岩がぶつかる音が響くが問題はない。
「この程度なら大した問題にはならないが……」
ハラネスはそう口にして、しかしこれだけで終わるとは考えていなかった。
シロクジラなら必ずここから更に何かをしてくる筈だと、そう考えて操縦桿を握り直して注視する。
何度も小島に激突しては岩を後方に残すシロクジラが何をしているのか。
そうして状況は幾度目かの小島の粉砕を行った時に動いた。
「っ!これは砂埃……目潰しか!」
「後ろだ!」
自分達も行った手段故に素早く気が付き、フロドの警告を聞いてハラネス咄嗟にペダルを踏み抜いた。
全開の加速で即席の煙幕を抜け出し背後を見れば、血の滲む顔に黄金の目をギラつかせたシロクジラが次いで煙の中から飛び出してハラネスの後ろにピッタリと付けている。
「フロド!離れていろよ!」
だがサカマタにはこんな時の備えがあった。
ハラネスは操縦桿を回してサカマタの右腕を回転させる。
グルリと回り、手のひらは後方へ。
「背面撃ちはやった事が無いが……」
とはいえ相手は巨大だ。
ある程度の狙いさえ合っていればおのずと当たる。
より重視するのは不意をつく事。
腕の展開から間髪置かずにトリガーを引き、放たれた銛はシロクジラの額に突き刺さった。
とはいえ銛の先端は頭蓋で滑り脳には至らない程度。
それでもシロクジラの顔には驚愕が表れていた。
「生物ではあり得ない動きはやはり珍妙に見えるか?」
「僕だってそのイサナトリ?はヘンテコに見える」
腕を格納し、装填。
ハラネスを追い掛ける限りはこの銛を喰らう事になる。
腕部の展開、回転、格納、装填を立て続けに繰り返して銛が放たれ、徐々に狙いが正確になりつつある中でシロクジラは理解した。
「なっ!アイツ!」
「当然だな。撃たれっぱなしでいる筈がない」
これは追われる側の方が有利だと。
シロクジラは追う事をやめてまるで違う方向へと向きを変える。
背後を横目で見つつ、追ってみろと挑発しながら。
これが単なる縄張り争いならば追い払えばそれで勝ち。
だがこれはハラネスとフロドの側に明確にシロクジラを追う理由がある。
シロクジラが逃げたのなら追わなければならないし、シロクジラにはそのルール上で戦う必要もない。
故に追わせる。
有利な状況へと仕切り直す為に。
「動きを止めるんだったっけか?」
「とにかく今は追うしかないだろう」
2人は当然追い掛ける。
全速力でシロクジラの背を追っていると、不意にその巨体が大きく見え……迫って来たのだ。
「避けろ避けろ!」
2機の間をシロクジラが通り過ぎ、間一髪で押し潰される事を免れた。
嘲笑うようにシロクジラは反対の方向へ飛んでゆき、2人も追いかける他にない。
しかしそれを追い掛ければまた自らの体を障害物として、追突させるように横たえるのだ。
「急減速で体当たりか。弄ばれているな」
「これはマズイだろ。このまま追い掛けても変わらずアイツのペース。僕らが追わなきゃそのまま逃げるんじゃないか?」
「なら頭を動かせ。作戦はないのか」
そう言われてフロドは少し考える。
硬いシートの上、振動が腰に伝わる。
汗が煩わしい。
それでも頭を動かさねばと考えて、唸る。
「そうなぁ……不意を突いて攻撃するってのは良かった」
「ヤツはもう腕の回転程度では驚かないだろうな」
「不意ってのは別に変な事しろってだけの話じゃないだろ?いや、それもアリか?まあともかく目潰しは互いに仕掛けあったし効くって事さ」
「それならもう一度視界を奪って……何をする?これまではジワジワと表面を削れてこそいるが有効打とは言い難い」
「動きを止めて、ありったけを叩きつけるんだよ。まあ聞け──」
話し合い、作戦を決める2人が中々追い掛けて来ない事にシロクジラは疑問を抱いて振り返る。
怪訝に見た背後の空にけたたましいあの音が響いて、空を切り裂くソレが現れた。
銀に光る小さい方だけが姿を晒し、周囲を見回せば浮島の影に大きな黒い方が見え隠れしている。
それが奇襲を狙っている事をシロクジラは理解した。
だがやる事は変わらない。
自らを追い掛けるなら潰すのみと、ヒレを動かしイサリビを噴き上げる。
「そう、不意だよ。予想外っての僕は好きだぜ」
フロドもそれを追い掛けて、シロクジラの動きに注意を払う。
シロクジラに振り切られないように高速飛行形態で着いて離れず、体当たりが迫れば足を伸ばして逆噴射を掛ける。
移動の自在さに於いてはサカマタよりも上。
そんな小さなモノが中々潰れず張り付いていてはシロクジラにも苛立ちが募るというもの。
周囲を飛び回るハエのようなソレは小さいからこそ攻撃が当たらず、しかしこの状態ならば何も出来ない。
前を飛び続けていれば主導権はシロクジラにあり、時折身を翻して尾を振るえば攻撃の余地を与えない。
仮に当たれば墜落は免れず、否応なしに精神が擦り減る回避の連続。
一撃当たればそれで決するだろうと思えばシロクジラ側には余裕が生まれる筈なのだが、やはりフロドはそう簡単に落ちないのだ。
積もり積もった苛立ちは一層力強く振るった尾に表れる。
空気を叩き、唸りを上げて迫る致死の一撃をフロドはヒラリと紙一重で躱し、そのままシロクジラ尾の先から頭に向けて駆け上がった。
「随分な大振りだぜ。デカブツさんよ」
火炎が空を裂き、鋭利な音を響かせ飛んだ試製サザナミ肆式。
シロクジラの顔の横へと交錯したその一瞬で、機体上部が開く。
それは本来武装ではない。
飛び出したそれは強く光り、周囲にその存在を知らせるもの。
照明弾だ。
そして、そんな強い発光体が目に入ればシロクジラも当然怯む。
視界の片側が潰れたのなら、そちら側から奇襲が来ると思うもの。
シロクジラは素早く身を翻して、奇襲が来ると予測される方向から距離を取る。
自らを追わせるこの形にしてしまえば良いのだと。
しかし残った視界に銀の輝きを捉える。
自らの行手を阻むように空に立つソレを。
「ちょっと相手していけよ!」
フロドのイサナトリが銛筒を構えて仁王立ちする姿を見せれば、シロクジラも多少は怯む。
脅威を認識しているからこそ。
だが多少だ。
ほんの少しの逡巡を経て、正面にいるのなら突き飛ばしてしまえとヒレを動かしイサリビを噴き上げて、加速し……更に力が加わった。
背後からの衝撃。
鋭くはないが重く、威力は無いが自らを押し出す力。
「離しはしない──!」
サカマタがシロクジラに取り付いている。
全力で空を飛ぶシロクジラへと更に速度を提供し、制御を離れた猛加速。
真っ直ぐに飛ぶなど出来はせず、眼前に迫るのはこの空域に幾つも浮かぶ浮島のひとつ。
その中でも容易くは砕けないであろうそれに衝突する軌道。
シロクジラは低く唸って身を震わせてサカマタを振り解こうとするが鋭く太い、鉤爪のような五指は甲殻の隙間に入り込んで剥がれない。
「落ちろ!」
ヒレを動かしブレーキをかけども既に遅く、ハラネスは叫と共にシロクジラを放り投げた。
もがいて制動を試みながら、シロクジラは地に落ちる。
大地を揺るがし空の底へと響くような轟音と共に。
砂埃が舞いがり、その姿は隠されてしまうが構わない。
フロドがイサナトリを滞空させて、全武装の狙いを向ける。
「残り全部、ありったけだ……!たんと喰らいやがれ!」
翼下のロケットポッドと肩部の特殊ロケット弾が全て、火を噴いた。
魚群のように殺到して、烟るその向こうで赤々と輝く。
立て続けに鳴り響く爆発音に加えて閃光、更にフロドはトリガーを引く。
「最後の銛とォ!ダメ押しも持って行けやァ!」
銛筒から最後の噴進銛と、胸部機銃も放って祭りのような騒々しさが空を満たし、弾を撃ち切り銃身が熱を帯びた頃には空になったロケットポッドやコンテナを投下して潮が引いたかのように静寂が訪れる──が。
「まだ終わりじゃない──!」
だがまだハラネスが居る。
シロクジラを放り投げた後Uターンして戻って来たハラネスがコンテナを全て解放。
残りのロケット弾を一斉に射出した。
幾本もの航跡を残して殺到するそれらは眩く赤い星のように立て続けに瞬き……一層派手に煌めく。
白く、強く。
「──ヤバ」
爆発と違わない強烈な衝撃。
砂煙全てを吹き飛ばす暴風、暴威。
白い炎が空を舐め、大気を揺るがす咆哮が本能的な硬直を生む。
晴れた砂煙の向こうにはシロクジラ。
甲殻が割れ肉が裂け、もはやその名を冠するには些か血が滲み過ぎた容体でありながら、やはり白い炎の輝きがソレを白く輝かせる。
そんな存在が今、フロドのほんの近くまで迫っていた。
余力全てを注ぎ込んだ爆発と同時にその力を推力と変えて、とにかく前へと飛び出したのだ。
血が滲む巨大な瞳が、覗き窓を通してフロドと視線を交錯させる。
「ッ……」
思わず息を呑む。
その恐ろしく、暴力的で、そして恐怖が宿る瞳に見入られて。
彼我の距離は程近く、自らの優れた動体視力と極限の集中への僅かな恨みを抱きつつフロドは目を閉じようとして……怒号が聞こえた。
「させるものかァァァ!!」
視界を横切る黒。
まばたきひとつした後に視界の中にはシロクジラの姿は無い。
だが耳には途方もない衝突音の余韻が残っていた。
「ハラネス!?バカ何を!」
慌てて周囲を見回せばシロクジラへと体当たりをしたまま制御を失いスピンするサカマタが見えた。
その姿勢でなおも腕を伸ばして銛を放ち、シロクジラの体に突き刺さって悲鳴が響く。
「仕留め損なったか……俺が救ってやったんだ!文句を言うな!」
「クソが!機体は立て直せるか!?」
「やってるが……イサリビ機関の様子がおかしい!」
「とにかく適当な所に着陸しろ!……シロクジラは!」
スタビライザーを懸命に動かし制御を取り戻そうとするサカマタから目を離し、突き飛ばされたのであろうシロクジラを探せば、上方に逃げ去る姿を見つける。
深い傷を負い、這々の体でヒレを駆使して滑空と力の無い上昇を繰り返している。
もはやイサリビを吹かす余裕もないのだろう。
「シロクジラは……ああ!とにかくテメェの不時着だ!」
「問題ない!お前はヤツを!」
「弾がねえんだよ!」
フロドは銛筒すら捨てて、サカマタの下に着いて全開でイサリビ機関を唸らせ持ち上げるようにして飛行する。
少しでも落下の猶予を稼ぐ為に。
「見えた!あの島に降りる。潰されるなよ」
「シロクジラじゃなくてアンタに潰されてたまるかってんだ!」
緩やかな軌道で、地面に平行になるようにしてサカマタは着陸する。
地面を深々と抉りながら。
土や砂に汚れ、あちこち凹んで歪み酷い状態だ。
体当たりの際に大きく破損した左腕は格納する事が出来ずに力なく垂れ下がって、その他にも脱落しかけたパーツは山程あった。
反対に側に着陸した試製サザナミ肆式は見た目においては綺麗な状態だが、もはや戦闘能力は残っていない。
無駄な荷物となった銛筒を捨てれば、砂や土を舞い上げ銀のボディを僅かに汚す。
「再起動出来るか?」
「やっているが……」
「まあ、そのまま続けてくれや。ここまで来て諦めたくはないだろ」
「そうだな。あと、少し。あと少しなんだ。ほんの僅かな時間だけでも飛べたのなら、アイツに手が届く。指を掛けられれば……!」
ハラネスは悔しさに思わずコクピットの中を拳で叩き、鈍い音が悔しさと共に無線でフロドまで届く。
低く弱く唸るイサリビ機関の音が静寂に不安を加えて、2人は歯噛みする。
シロクジラは明らかに弱っていた。
ハラネスはあと少しで触れる事が出来たシロクジラの命の熱が指先から遠ざかる事に途方もない悔しさと不甲斐なさを感じて拳を強く握り締める。
爪が食い込み血が流れ、それでもどうする事も出来ない現状に深く溜め息を吐こうとして……フロドがひとつ「よし」と声を上げた。
「そいつはさ、勢いが必要なんだよ。息を目一杯吸う為にな」
「何が言いたい」
「僕がサカマタをこの島から突き落とす。落下の勢いで再起動しろ」
「……それでシロクジラまで辿り着けるのなら、やろう」
ハラネスの同意を得て、フロドはサカマタの後ろに回ってイサナトリの腕を伸ばす。
破損状態に気を遣い、頑丈な場所を選んで固く掴み膝を曲げる。
「これで死んだら僕の責任か?」
「気にするな。早く押せ」
イサリビ機関全開。
鋭い炎が地面を焼いて、ジリジリとサカマタが動き出す。
脚部と背部のスラスターをフルで活用し、更に手足も駆動させて巨大な金属の塊を動かさんとする。
サカマタの前方で押し込まれて積もり始めた土が山となり……そして島の端から空の底へと落ち始めた。
「あと少しだ!」
「了解!ところで残弾あんのか?」
「ロケット弾は全弾撃ち切った。銛は……右腕がゼロだ」
「……左使えないから打つ手ナシじゃねェかよ!」
「やりようは幾らでもある。とにかく押せ!」
ゴリゴリと硬い地面を削り取る、あるいはサカマタの底部を削り取る音が鳴り、ゆっくりと機首が空の上に出て……機体が傾いた。
試製サザナミ肆式の手を離れ、機体後部が持ち上がって、そのままスルリと落下する。
「……大丈夫か?」
フロドが発した不安に返る言葉は無く、空には静寂があった。
地面に引かれたラインの上でフロドは次第に焦燥にかられる。
確かめるのが恐ろしく思えるが、意を決して機体の足を動かし島の端へと近づいて空の下を覗き見た。
その瞬間。
「うぉあ!?」
黒い影が猛スピードで眼前を通り過ぎて行った。
吠えるような駆動音と共に。
「馬鹿野郎!黙ってんじゃねェよ!」
「集中していたんだ。置いていくぞ」
サカマタがイサリビを焚いて駆け昇り、フロドも慌ててペダルを踏んで空へと踊り出す。
2機が並んで空を飛び、目指すはシロクジラの首。
あと一歩を届かせる為にボロボロとパーツを落とし、もはや首の皮一枚繋がっているような状態のサカマタと、飛ぶ以外に何も出来ない試製サザナミ肆式を駆る。
「ヤツは何処へ行った!?」
「相当手負だし、あんな状態じゃあ遠くへは行けない筈だろ」
「それは俺達も変わらない。時間を無駄には出来ないぞ」
機体を旋回させて周囲を見回し汚染領域の澱んだ景色を注視する。
動く物はせいぜいが緩やかに流される小島程度。
そんな中でアップダウンを繰り返して遠くへ逃げようとする姿は、そう時間が掛からずに目に入った。
「居たな」
「逃がしてたまるかってんだよ。準備いいか?」
「当然だ。そっちこそ着いてこいよ?」
「ああ、最後まで僕が着いてるからしっかりやってこい」
2人の口元に笑みが浮かぶ。
イサナトリの親指を立てて信頼を示し合い、サカマタが先行して緩やかに加速する。
空中分解などといった終わり方にならないよう慎重に。
位置エネルギーを利用しつつ飛んで、そんな有様でもシロクジラには段々と近付いて……振り返る黄金の瞳には驚愕が満ちていた。
「ハハ、驚いてやがるぜ」
「俺もよく飛べていると思うさ。だがここまで辿り着いた」
シロクジラが必死に痛む体を動かして、空を掻いて前へと進む。
恐怖に駆られて速度を求め、限界を超えて血が吹き出す。
だがそれでもなお止まらない。
追い掛けて来るモノが恐ろしいから。
如何に叩こうとも砕け散らず、どう足掻いても逃げられない。
そんな存在に出会ったのは初めてだった。
今までに出会った全てはシロクジラからすれば格下だ。
好奇心から縄張りを出て喧嘩を仕掛けてみれば、どれも容易く屠る事が出来た。
だからこそ、初めて出会ったそうではない存在が理解出来ない。
故に逃げる。
必死に逃れようとヒレを動かすが……背後にはあの幾ら傷を負っても襲い掛かって来る恐ろしいモノが居る。
今まで狩ってきた獲物のように弱々しく悲鳴を上げて逃げる事の惨めさをシロクジラは理解する余裕すらなく恐ろしい。
逃げ出したくて逃げ出したくて、シロクジラは必死に空を目指す。
理屈などなく、ただ安心を得たいが為に。
「上昇か。コイツが耐えてくれると良いが」
「言ったろ?僕が着いてる。幸運のお守りもある訳だしな!」
「お前が勝手に付けた謂れに頼る事になるとはな……」
フロドは懐に収めたお守りを叩いて笑ってみせる。
だがそれでもハラネスはやはり機体の状態には不安を抱き、ゆっくりと操縦桿を倒して機首を上げて汚染領域とその上の空とを隔てる濃い瘴気の中へと逃げ込んだシロクジラを追う。
視界がまるで通らない中に居ると余計に機体が軋む音が聞こえてハラネスは冷や汗を垂らす。
何かが緩んでぶつかる音、何かが張り詰めて負荷に喘ぐ音。
固く握り締めた操縦桿の操作を誤れば、それらの音は一斉に鳴り出して破綻が生じるだろう。
だがなんとか、2人は無事に陽の光の元へと辿り着いた。
「よし……このまま──!」
「ああ!ぶちかまして来い!」
太陽は傾き始めて、次第に夕陽に変わるだろう。
そんな空にあってシロクジラはひと足先に夕陽に染まったかのように赤く血に汚れ、ただひたすらに逃げていた。
それをハラネスは、サカマタは無慈悲に追い掛ける。
「最後の一撃の分だけでいい……頼む、飛んでくれ」
ハラネスがペダルを次第に強く踏み込み、それに伴いサカマタは身を大きく軋ませながら加速する。
天頂を目指して白と黒の2匹は飛び、その身は共に限界に近い。
シロクジラが垂らした血はサカマタの装甲の上で弾け、サカマタは装甲や様々なパーツを脱落させている。
だがより速いのは追い掛ける方だった。
「ギギィ……オオオォォォ──ッ!」
それはシロクジラが聞いた恐ろしき巨獣の声。
実際のところは限界を迎えつつあるサカマタが軋む音だが恐怖に駆られたシロクジラには死神が迫る証としか聞こえなかった。
恐怖に駆られて昇る、昇る……
逃げるのならば下降する方が正しい判断だった。
サカマタには汚染領域の深部まで追う力が無いからだ。
だが恐怖から解放されたいという衝動は上を求めた。
「シロクジラ…… 目の前の光をただひたすらに追い掛けるお前は俺と同じだ。無我夢中で飛び続け、他の全てを狩ってきた。自らがこの空で1番強く、速いと信じている……だから、お前はあの日の俺と同じだ」
サカマタの右腕が自らの体へと突き立てられる。
機構を掻き分け手繰るのは左の銛筒へと装填される筈だった予備の銛。
装填機構のその奥にある銛へと鋼の手を伸ばし、掴む。
オイルを吹き出し撒き散らかして、無理矢理に引き抜く様はまるで素手で骨を抜き出すよう。
その異様な光景が、シロクジラの恐怖を煽る。
「俺はお前に負けて、お前を追い掛けた。より強く、速くなって。今、貴様の喉元に辿り着くまでに──!」
サカマタがシロクジラに追い縋る。
機体をピッタリとシロクジラにくっ付けて、血混じりの息苦しい悲鳴が上がるが、逃げる余力もなく恐怖に震える瞳で振り上げられた銛を見る。
五指にしっかりと掴まれた銛はその先端を陽の光に照らされて輝き、そして振り下ろされた。
一筋の光がシロクジラの眼窩を突き抜ける。
「────」
サカマタの腕にて強引に突き入れられた銛はシロクジラの脳まで到達した。
腕の機構も限界を迎えて各部からオイルが漏れている。
だが間違いなく、最後の一撃はシロクジラの命を貫いた。
「──終わりか」
緩やかに、シロクジラが落ちてゆく。
力なく、ぐったりと体は流れるがままに空を滑り落ち、勝者であるハラネスだけが空を登り続けている。
「ぃぃぃぃっやったじゃねェかよォ!!」
そしてその傍にフロドの機体が歓喜と共にやって来る。
グルグルと周囲を回り、陽の光を目一杯に反射させて。
「ああ、完了だ。船団に通信を。コイツを解体しなければ」
「だな!とんでもねェ大物だぞ!」
「きっと人生で一番の大物だ。……ありがとう、助かった」
「良いってことよ。相棒だろ?」
2人はイサナトリ越しに笑い合い、そして信号弾を上げる。
狩りの成功を船団に伝える為に。
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