漁火② シロクジラ
青い空を船団がゆく。
最大限の警戒と共に進む目的はシロクジラ。
そこへとかき集めた戦力を届ける事。
この船団はクジラ狩りのそれを中核としつつもその他複数の船団から集められた様々な船が参加している。
例えば軍艦、複数の砲を備えた戦艦に大きな飛行甲板を備えた空母など。
万が一クジラ狩りが失敗した場合に備えての保険として参加した艦船だ。
だがそんな事にはならないと、プライドを持って挑む者達も当然数多……いや、この空域に集った全ての者がその覚悟を持って挑んでいる。
しかし今回の獲物は飛び抜けた大物だ。
そんなものに挑むのならば僅かでも助力をしようと、周辺の空域からは銛撃ち達が集結していた。
母船として運用される規模の船が4つ、大きく間隔を空けて並ぶ姿は壮観だ。
その間に小型の船が行き来して、さながら親子や群れといった様子。
ここのところ常に飛び回っていた警戒機が見つけたシロクジラの後を追い、船団の進む方角を逐一修正する為に常時何かしらの飛行機が飛び立っているのだ。
大量の燃料を消費したその甲斐あってシロクジラの姿を捉えたと報告があった時には船団の空気がヒリつくようなものに変わった。
緊張が高まり、船と船の間にも張り詰めるものがあるような、そんな気にすらさせる状況で船団を構成する全ての船に声が響く。
「あー、あー……ヨシ。諸君、ご機嫌よう。オレは僭越ながらこの船団を任されている者だ。まずは礼を言いたい、集まってくれてありがとう」
若干の緊張が滲む声が聞こえて、皆その通信に耳を傾ける。
これはスナドのブリッジより届けられた声。
スナドの船長、そしてこの混成船団の指揮を任されたドリギはマイクを握り締めてブリッジより見える空の先を睨む。
「このシロクジラ討伐遠征はいよいよ本番に突入する……この先でシロクジラが発見された。ある程度距離を縮めたらイサナトリを発進させる」
その言葉を聞いて銛撃ち達は皆、肩に力が入る……ただひとりフロド以外は。
フロドは実に気楽な様子だ。
バカンスの最中なのではという程にリラックスくして、格納庫にハンモックを持ち込んで半ば昼寝をしながら放送を聞いていた。
「何してんだいフロド。アンタの兄貴が演説してんだよ」
「オゥ、ウィルフ婆さん。まさか参加する気かよ?もう大人しく寿命を待てよ……」
「何言ってんだか。まだ不甲斐ない若い連中のケツ叩く仕事が残っているからねぇ!」
ウィルフは力強く振りかぶりハンモック越しにフロドの尻を叩いて腕を振り抜く。
ハンモックはグルリと一回転してフロドを転がり落とし、床からは潰れたカエルのような声が聞こえてくる。
「いてえ」
「シャンとしな!アンタとハラネスはこの作戦の要なんだよ。ババアは心配でおちおち死んでもいられない」
「僕が殺したみたいになりそうだから辞めてくれ……少し考え事してたんだよ」
「へぇ……ちっとは思慮深さを身に付けてきたのかい」
フロドは起き上がり、これから共に生死の境を飛ぶ事になるイサナトリを見る。
よく磨かれたシルバーの装甲、最新鋭の技術が詰め込まれて並ぶ他の機体とはまるで違うその形。
フロドはそれを眺めていると思わず目を細めてしまう。
「あの機体はバカみてェに高いんだよ。試作機だしな、量産品と同じとはいかない」
「壊すのが怖いのかい?」
「僕がそんな肝の細いビビり見えるか?あんなの任されるなんて光栄にも程があるぜ」
強がりではなく本心からからの言葉と共に不敵に笑い、しかし直後にそれも力無いものに変わる。
「でもよ、多分これがピークなんだよ。こんな機体を任されて、とんでもない獲物を狙うってさ」
遠い未来でフロドはこの日の事を懐かしみ、何度も語る事になるだろう。
これはそれ程の大舞台だ。
一生に一度訪れるかも分からないような。
だが、だからこそフロドは憂鬱を抱くのだ。
「ここが僕の人生の最高潮だと思うとなんかねェ……ハタチそこらで来ちまったか、ってな」
物憂げな表情をして虚空を見つめてフロドは呟いた……
が、唐突にウィルフの拳骨がフロドの頭に落ちる。
荒々しく鼻息を吐いたウィルフは、痛がって頭を抑えてうずくまるフロドへ向けて追撃の喝を放つ。
「何バカな事言ってんだい!それならアタシはドン底もいいところじゃないか!」
「ッッ──ッてえ!確かに婆さんの人生はピーク過ぎてもう空の底にも届いてそうだな!クソ痛え!!」
「だねぇ。でもやっぱり楽しいもんさ」
ニカリと歯を見せ笑うウィルフを見て、フロドは頭をさすりながら笑い返す。
「そうかァ……ま、今は目の前のお祭りを楽しむよ。楽しまなきゃ損だからな!」
自らの頬を叩いて気合いを入れたフロドは軽く手を振って自らのイサナトリの元へと歩く。
聞こえてくる放送も終わりに差し掛かり、少し熱が籠っている様子だ。
「──相手が如何に強大であろうとも、団結して挑めば必ず討ち倒す事が出来る!どうか力を貸してくれ!オレの船に乗ってるとびきりの馬鹿野郎2人に、出来るだけ有利な状態でバトンを繋ぎたい!アイツらなら必ずシロクジラを仕留められる!」
馬鹿と呼ばれたフロドは悪い気はせず、むしろ嬉しそうに肩を回して意気込んだ。
それ以外の多くの船員達も馬鹿のお守りに腕を鳴らす。
「目指すはシロクジラの討伐、そして全員で生きて帰る事だ!総員気張れ!オレ達でやってやるぞ!」
格納庫中から、船の各所から、船団を構成する船のひとつひとつから鬨の声が上がり闘志が満ち満ちる。
戦意は十分。
イサナトリも着実に発進準備を整えて、出番はまだかと待ち侘びる。
船団が安全を保つギリギリまでシロクジラとの距離を詰めた時、作戦開始の合図が下された。
「第1陣!発進準備を!」
「ヨシ!機関始動!銛撃ち共の準備は良いな!?」
今か今かと待ち侘びていたイサナトリが次々と機関に火を入れ滑走路に待機の列が出来上がる。
まるで銃に装填された弾のように、1機ずつ飛び出したイサナトリはそれぞれの役割ごとに隊列を組む。
「自分だってやれるんですよ……!」
その中にはフィスク少年の姿もあり、彼が共に飛ぶ仲間達は皆同じ装備の5機のイサナトリ。
先制攻撃で爆弾を投下する役割を担う部隊だった。
「飛行は安定している。風も弱い。大丈夫、大丈夫」
不安を誤魔化す言葉を呟き、薄雲を突き抜けてフィスク達は雲海に近づく。
何も見えず、一見して危険があるようには思えない状況ではあるが、近くを飛んでいる偵察機がこの場にシロクジラが居る事を伝えたのだから潜在的な脅威があるのは確か。
敵の姿を早く見つけようと、雲の中へ目を凝らすと……僅かな光が見出せた。
「あっ……!」
一瞬だけ、光が雲の中を通り過ぎた。
その周囲をよく見れば、何度も光が動いているのだ。
銛撃ち達の中で、間違いないと確信が広がる。
「近づくぞ。アマトの若いの、大丈夫か?」
「ええ、やれます。先輩達ばかりに任せるわけにはいきませんから……!」
ベテランからの気遣いに、フィスクは意を決した覚悟を口にし操縦桿を握り締める。
全身に力が入り過ぎではあったが臆病風に吹かれるよりは何倍もマシだ。
それにここまで近付いてしまってはもう引き返すなど出来はしない。
この狩りの幕を開けるのはもう、この場に居る5機のイサナトリに決まった。
「いいか、各機順番に着いてこい。ヤツの背中にドデカイのブチかますぞ!」
大舞台の幕が上がる。
最初に飛び込んだのは5機の中で最もベテランの銛撃ちが乗るイサナトリ。
降下のスピードを乗せて、電撃的な勢いでシロクジラの背を目掛けて飛行する。
続く4機もレールを辿るように同じ軌道で背後に着いて、轟々とした風鳴りすら遠く聞こえる緊張を飲み込んでペダルを踏み操縦桿を倒す。
繊細に、緩やかにシロクジラの背中へ向けた針路を調整。
しかし大胆に抉るような機動で背後を取って、確実に当たるギリギリまで引き付けた先頭の機体が……嚆矢を放った。
──衝撃、衝撃、衝撃……
立て続けの爆発が雲を僅かに隔てた向こうで起こった。
炸裂する炎が雲を照らし、衝撃が薄雲を薙ぎ払う。
露わになるのはシロクジラの、その威容。
爆発を受けても血の一滴も流れた様子のない鎧の如き装甲に覆われた背部が明らかとなった。
「無傷!?冗談キツイな……!」
「じゃ、じゃあこの後は──!」
「作戦通りに逃げる!逸れるなよ!」
脱兎の如く逃げ出したイサナトリの一団。
そして背後では先程と同じように立て続けの爆発が起こっているが、不気味なほどにクジラ側の反応が返ってこない。
傷を負っていない様子である為に悲鳴はないだろうが、それにしても怒りの雄叫びすらも無い空は違和感を覚えさせるものだった。
「おい、本当にアレはシロクジラだったんだろ──」
隊列を組んでいた内のひとりが疑念を口にして針路はそのままに振り返って覗き窓越しにその姿を見ようとした時、雲海から迫り上がるソレと目が合った。
白い甲殻、もはや城砦と比べるような堅固な鎧。
それに覆われた体は大きく、イサナトリと比べれば5倍は超える。
分厚く太いヒレはそれだけで武器になりそうな程。
そして飢えたケダモノの目はギラギラと黄金に輝いていた。
「ヤバ──」
衝撃。
シロクジラを見ていなかった者はそれが投下した爆弾のそれだと思った。
衝撃と閃光が弾け、直後にはフィスクが居る戦闘集団へと接触。
不運な3機が弾き飛ばされ金属がひしゃげる音が響く。
「──コイツッ!」
シロクジラの瞬間的な加速はそこで止まったものの、彼我の距離は大きな体躯からすれば僅かなもの。
銛撃ち達は皆一様に、半ば恐怖に駆られてペダルを踏み抜く。
イサリビ機関を全開で加速。
けたたましい音と衝撃が背中に伝わり、雲が高速で後方へと流れてゆく。
だがそれでもクジラは追走してくる。
巨大にも関わらず全開のイサナトリに追い縋るというのは道理に合わない、そう考えて思わず振り返って観察して……その速度の正体に気が付き悲鳴のような声を上げた。
「イサリビ!?クジラが……えっ?イサリビ!?」
「クジラの癖にとんでもねぇモン出しやがる!」
そう、シロクジラは巨大な体と重量の嵩む甲殻を持ちながら高速で飛行する事が可能なのは推進機関を持っているから。
鼻孔からイサリビ燃料……に極めて近い液体を吐き出して、甲殻を擦り合わせて火を付けているのだ。
白炎を纏い加速して、しかしまるでなんの感慨も抱いていないように吠えもせず冷徹な瞳がイサナトリを見る。
「目標ポイントまであと少しです!」
「とにかくそこまで逃げちまえば……!」
残る2機……フィスクとベテランの銛撃ちは懸命に逃げる。
武装は使い果たし、対抗手段はなく逃げるだけ。
だが逃げた先に希望があると信じて向かう場所は小さな浮島が幾つか連なる場所。
そこまで逃げ込めれば、と焦りと共に希望を抱き、ただ背後から聞こえる島と島を擦り合わせでもしているかと思うようなシロクジラの力強く轟くイサリビの音が胸中に恐怖の影を落とす。
(あと少し、あと少し、あとすこし……)
フィスクはまだ短い人生の中でも最大の恐怖と興奮を同時に味わい、どちらもペダルを踏み込むという形で表れている。
最高速で飛んでいるのにシロクジラとの距離は縮まって来ており、背後と正面を繰り返し交互に見ては心臓を縮めて歯を打ち鳴らす。
「よし!ここまで逃げりゃあ……!」
「やった──!」
あと少しと心の中で唱えているうちに群島の中へと入り込み、思わず歓喜の声を漏らす。
だがシロクジラは未だ健在。
この巨体に破城槌のような装甲だ。
追い掛けた先に小さな浮島があろうと関係無い。
全て吹き飛ばす事が出来るのだ。
そしてシロクジラはその嗅覚で、この浮島に好物の匂いが漂っている事に気が付いている。
卑小な企みは全て薙ぎ倒す。
それが強者のやり方だ。
そんな強者に挑むなら、人は頭を使って策を巡らせる。
これは単純な罠だ。
合図と共にシロクジラに追われていた2機は散開し、直後に老婆の号令が飛ぶ。
「今だ!降ろせぇ!」
「アイサー!」
唐突に、シロクジラの前に影が落ちる。
それは網。
シロクジラの体躯からすれば容易く千切れる蜘蛛の巣程度の縛めだ。
だがその網には……無数の機雷が括り付けられていた。
「──!」
突っ込んで来たシロクジラ上半身を包み込んだ網はその一瞬後、熱と閃光に変わる。
炎のネットがシロクジラを包み、音と閃光が荒れ狂う。
少し離れたフィスクの元にすら爆発の衝撃が伝わる程に。
「ひぃ……!」
黒煙と炎に包まれて、シロクジラの姿が窺えない。
それをウィルフ率いる第2陣のイサナトリで取り囲み、固唾を飲んで睨みつける。
だが無傷とはいかないだろうと半ば願望混じりの考えと共に煙が晴れる時を待ち……嵐が飛び出した。
「──ッ退避!」
ウィルフの声が脳で処理されるよりも早くシロクジラは動いていた。
燃料を吹き出し装甲をガチリと打ち合わせ、空を灼きながら行う瞬間的な加速は黒煙を引き摺る事なく衝撃波を残して巨体を撃ち出す。
咄嗟に発した命令も虚しく何機かのイサナトリが弾き飛ばされ、代わりにその位置に居るのはシロクジラ。
それもまばたきひとつの間に飛び去っているのだが。
「シロクジラから目を離すな!気ぃ抜くんじゃないよ!」
それは浮島の影に隠れられたら、と考えての警告であったが直後に意味がなかった事を思い知る。
圧倒的な強者は隠れるなどという弱者の手段は取らない。
シロクジラは針路上の障害を……イサナトリも浮島も関係なく全てにぶつかり粉砕しているのだ。
土埃に砂埃が滝のように空を舞い落ちて、弾け飛ぶ巨岩を見れば、途方もない衝突音を聞けばおのずと位置は把握出来た。
皆一様にそれを唖然と見る他ない。
「とんでもないねこれは……よぉし!とにかくアタシらの仕事は12発当たりゃあそれで仕舞いだ!腹括りな!」
「やるしかねぇ、やるしかねぇよなぁ!」
「クソッ鬼ババアめ……アレより先に死んでたまるかよ」
ウィルフの激で立て直した第2陣は操縦桿を握り直し、武器……イサナトリの両腕に装備された6連装ロケットポッドを構える。
機雷に突っ込ませた後はこの計12発を撃ち込み可能な限りシロクジラを消耗させる事が彼らに与えられた役割。
それを全うすべく、逃げ出したくなる心を殺してシロクジラの破壊の跡を正面に見る。
その速度ゆえに小回りが効かないのか大きな曲線を描き……戻ってくる軌道のそれを。
「無理するんじゃないよ!正面から何発か当てたら離脱だ。それを繰り返して様子を見る……」
ここで粘れば粘る程、後にやって来るハラネスとフロドが有利に戦える。
故にウィルフは、この場で戦う銛撃ちは死力を尽くす。
形勢を変えるかもしれないチリの一粒を積み上げる為に。
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