勇名轟く⑧ 電光雷轟


 クジラを起こしてしまった危機から脱したのち、4人は一層安全に気を配り先へと進んだ。

 目指していたのはかつてトルネの家だった場所。

 フロドが上から見た記憶によれば、そこは比較的クジラが居ない安全……と思われる場所でもあったからだ。

 ともかく怪我人を抱えている為に安全な場所で休ませたいと、警戒を緩めないという教訓を得た道行きは特段の危機に見舞われる事もなく一旦の終わりとなった。


「ここが私の……かつての家」

「よし、コイツを寝かせるぞ」

「ベッドを使って。私は何か使える物がないか見てくる」


 トルネの家……とは言ってもアパルトメントの一室だ。

 怪我をしたパイロットはハラネスが奥の寝室へと運び、トルネは家主不在の間に部屋がどんな状態になっているのかを確かめに行った。

 残されたフロドは漫然と部屋を見回し歩き回る。


「うん、良い部屋だ。景色も良いし……汚染領域にあるって事を除けば」


 窓からは街が見える。

 然程高い階層にある訳ではないが、それでも通りの向こう側はよく見渡せた。

 芝生に街路樹、公園も。

 ただし瘴気の影響で残らず枯れ尽くしているが。


「隣人トラブルとも無縁そうだしな……てかどうなってんだよ、この無人の町はよ」

「住民はおそらく心中したんだろう」


 呟いだ疑問に、戻って来たハラネスが答えた。

 ぶっきらぼうに、簡潔にこの町が辿った運命の推測を。


「ここに来るまで一度も死体を見なかった。船は残らずシロクジラに沈められ、徐々に降下する島の上で助けも来ないとなれば末路はこの、汚染領域まで沈んで瘴気に肺をやられて死ぬくらいだ」

「あぁ思い出した。シロクジラがイサリビ機関の火に惹かれるんじゃないかって話してたよな。燃料使うなってそういう事か」

「ヤツは吹かせば吹かすほど寄ってくるぞ。覚えておくと良い」


 ハラネスも窓の側で景色を眺め、その目に懐かしさや様々な感情を去来させて目を細める。

 少しな間そのまま無言で過ごしていると、トルネもやって来て3人は窓際で並ぶ。


「酷い景色ね。前はもっと綺麗だった……覚えてるでしょ?」

「……瘴気の中なら全てこうなる。俺達も仲間入りしないように作戦を練るぞ」


 悲しみを湛えたトルネの声を打ち消すように、ハラネスは断固とした声で行動を促す。

 窓から離れ、テーブルへと着きその上に置かれた鞄から中身を取り出し始めた。

 それは缶。

 この瘴気の中を生き残る為のガスマスクを有効に機能させる為の吸収缶だ。


「俺達の時間は有限だ。救助を待っても居られない。自らの手で状況を打開しなければ」

「明日まではマスクも保つでしょうね。そう準備されているものだし」

「ま、なんにせよ動くなら明日だ。もう遅い時間だろ?夜間じゃ見付けてもらう事も出来ないって」


 テーブルを囲み、3人は顔を突き合わせて思案を巡らせる。

 様々な消耗が時間と共に襲う中で何をすべきか言葉を交わす。


「早く帰りてェ。良い感じの案がある人は?」

「私がここに落ちた時、クジラの中に一際大きな輝きが見えたの。アレは群れの主とかじゃない?」

「司令塔を叩くという訳か。ヤツらの武器は高度な連携だ。それを潰せるのなら──」


 雷鳴と共に現れたクジラ達に襲われた時、ハラネスもフロドもその異様なまでの連携に苦戦した。

 空中を3次元的に、かつ高速に飛び回ってもぶつかる事はなく、追い詰めるような動きすらして見せたのだ。

 それを大きな脅威と考えるハラネスはマスク越しに顎に手を当て考え込む。


「オイ待てよ、あのウジャウジャたむろしてるクジラの中だぜ?突破はいくらなんでも無理だね」


 そう、そもそも司令塔なのだから容易に近づける場所には居ない。

 分厚い肉の壁に守られたそれをどのように突破するかが1番肝心な部分だ。


「それなら……あの爆弾の威力はどんなものなんだ?アレで突破出来ないか」

「いくらなんでも流石にそれは……破壊力が足りないわ」

「案外使えねェのな……もっとド派手に爆発して欲しいぜ」

「ハ、ハハハ……私達も全力を挙げてはいるんだけどねー……」


 肘を付き、顎に手を当てブツクサと呟くフロドに対してトルネは思わず眉間に皺を寄せてしまう。

 マスクの下には引き攣った笑顔が隠れている事だろう。

 トルネの苛立ちに我関せずといった様子でフロドは吸収缶を弄び、ハラネスは黙りこくって思考を深める。

 

「ひとつ、思い付いた事がある」


◆◆◆


 3人が顔を突き合わせて考えた作戦の決行を当日に控えた未明の頃、有り合わせの寝床を抜け出したハラネスは窓から故郷の景色を眺めていた。

 悲しげに見つめ、怒りを込めて睨み付け、無機質に見下ろす。

 様々な感情でもって眺める街並みには色濃い影が落ちて、さながら魔都といった雰囲気のおどろおどろしい様だ。


「ハラネスも眠れない?」


 そんな光景とは反対に、ハラネスの背に優しい声が掛かる。

 振り返ればトルネが立っていた。

 目元を赤く腫らして。


「マスクを外すのは避けた方がいいだろうし、ご飯食べれなくて眠れないよね」

「別に腹が減っている訳じゃない」

「そうなの?」


 トルネはハラネスの隣に来て、共に窓からの景色を眺める。

 その顔には明らかな悲哀が影を落とし、触れれば折れてしまいそうな脆さがあった。


「また戻って来れるなんて思わなかった。持ち出し損ねた大切な物が沢山あるんだもの」

「脱出する際に邪魔になるから、あまり物を持たないでくれると助かる」

「そうよね、分かってる……せっかくまた帰って来れたのに、またお別れしなきゃいけないなんて残酷」


 ハラネスはマスクで下半分が隠れていても分かる困った顔をして立ち尽くす。

 そんな様子を見たトルネはクスリと笑い口に手を当てようとして、しかしマスクに阻まれて小さく声を上げた。


「別に貴方に怒っている訳じゃないんだから、そんな顔しなくていいのに」

「……そうか」

「うん。それとごめんなさい。以前ひどい事を言った事を謝りたくて」

「別に、俺は気にしていない」

「それはそれでどうかと思うなぁ。言った事がまるっきり嘘でもないもの」


 トルネが冗談めかしてそう言うと、ハラネスは眉の傾斜を深くしてより困った顔をする。

 それが堪らなくおかしいようで、トルネは思わず声を上げて笑ってしまう。


「ふふふっ、フランクはよく言ってたの。ハラネスにはオレが着いてないとダメなんだーって」

「兄さんが?知らなかった」

「私からしても貴方は見てて不安になるもの。……フランクが居ない今、それを出来るのは私だと思った。物事を良くない方向に進ませない為には貴方をイサナトリから降ろすのが最適だって、そう思った」


 トルネは懐から写真を取り出す。

 何度も何度も見返して、端は擦り切れ皺も多い一枚はかけがえのない宝物だ。


「これ、覚えてる?」

「ああ、だが俺が写っていない写真もあった筈だ。何故そっちを持っている」

「だってこっちの方がみんな楽しそうだもの」


 写真の中の3人は顔に出ている量は違えど楽しそうに写っている。

 ハラネスは仏頂面だが、そこに楽しさが含まれている事をトルネは知っていた。

 この写真を撮る時、フランクは家族写真だと言ったのだ。

 それを写真を見るたびに思い出して、トルネは忘れる事がなかった。


「ハラネスにはない?こんな感じの宝物」

「……首飾りくらいだ。元からそういった物は持っていなかった」

「アレまだやってるんだ!どこまで増えたか見せてよ」


 ハラネスは首に回した紐に指を掛け、胸元から首飾りを引き抜く。

 ジャラジャラと細かい音を立てて飛び出した無数の骨片に、トルネは感嘆の声を漏らす。


「凄い……これ全部ハラネスが仕留めたクジラの、よね。もしかしてひとつひとつの狩りを覚えてるの?」

「そうだ。全てが俺の糧になっている」

「へぇ、ここに思い出が増えてくんだ。これ以外の大切な物は欲しくはならないの?」


 トルネの問い掛けにハラネスは少し悩むそぶりを見せて、そして溢すように呟いた。


「俺にクジラ以外のものは必要ない……重荷を背負うと決意が鈍るんだ。それが唯一、俺を揺るがせる」


 会話をそれきりにして、ハラネスは寝床へと戻る。

 大仕事が控えているのだ、体力の回復に努める事もまた大事。

 だがハラネスのそれはどちらかと言えば逃避のそれである事にトルネは気付いて胸中に不安を抱くのだった。


 翌朝、空を濃い瘴気の天蓋に覆われている為に変わり映えのしない朝を迎えて一行は作戦開始の準備をしていた。

 だが荷物も無く、ただ作戦の再確認を行う程度で済んだ為に、その時間は主にトルネが慣れ親しんだ部屋へと別れを告げる時間として用意された時間だった。


「悩んでいるようだが、あまり大きな物は──」

「大丈夫、記憶に焼き付けてるだけだから。持って行く物は写真とか手紙とかに決めてる」


 紙束を治療キットだった鞄に入れて、トルネは意気を込めて立ち上がる。

 この鞄に収まりきらない程に、この部屋には思い出が溢れていた。

 だがそれを全て記憶の中に仕舞い込み、部屋を見渡して軽く頷く。


「これでよし。行こうか」


 我が家へと別れを告げて、向かうのは島の端。

 ハラネスとフロドがイサナトリを停めた場所だ。

 昨日2人が辿った道を遡り、パイロットの怪我の具合を見ながら休み休み、ゆっくりと移動する。

 クジラを刺激しないように、着実に移動して無事イサナトリまで辿り着いた後、ハラネスとフロドはそのまま何処かへと行ってしまい、戻って来たのは昼頃だった。


「マジ疲れたしハラ減ったわ」

「あの少しの辛抱だ。準備が整い、あとはヤツを倒せば……」

「帰れるね」


 僅かな時間でも瘴気は吸い込まない方が良い。

 その考えで最低限の水分補給以外を行わなかった4人の体力的にも、仕掛けるには今しかなかった。


「さて、行くか」

「よぅし!気張っていこうぜ!」


 そして時は来たと、ハラネスとフロドが動き出す。

 イサナトリに掛けた布を剥ぎ取り、ハッチを開けてコクピットへと収まる。

 携行型の銛筒ひとつでクジラに挑んでいた時に比べれば遥かに頼もしい存在感が、乗り手を受け止め安心感を齎す。


「ハラネス、帰ったら話をしましょう。確か帰る頃にはお祭りの時期らしいの」

「ああ、分かった。必ずこの島から帰してみせる」


 イサリビ機関に火が入り、昨日から息を顰めていた為にやけに煩く感じる音が会話を打ち切った。

 トルネはゆっくりと距離を取り、ハラネスはハッチを閉める。

 これでハラネスはクジラから逃げ、隠れる存在ではなく狩る側へと変化して、煩わしいマスクからもコクピットに清浄な空気が流れ出した事で解き放たれた。


「ヨォ、準備万端か?」

「当然だ。あとは手筈通りに」


 フロドとハラネスは短く言葉を交わし、2機はそれぞれ動き出す。

 フロドは上空へ、ハラネスは陸を走って作戦通りに目的の場所へ。


「よぉーし……どうせ近づいたら迎撃に大騒ぎなんだろォ……」


 上昇する機体の中でフロドは緊張で体を強張らせていた。

 目指すのは上空のクジラの渦。

 数多のクジラが同調する光を放つ、まさにその中だ。

 巨大な卵のような円形の集合体は汚染領域を隔てる巨大な雲にめり込む形で存在している。

 何故そのような形でこのクジラ達は生活しているのか。

 この球体は監視塔であり、そして兵器であり、発電施設でもあるのだ。

 この種のクジラは発電器官を持ち、それを活用する群れの生き物だった。

 互いに身を擦り付け合い発電を行う。

 そうして蓄えた電気を群れの為に利用する。

 つまりは戦って電池切れとなった仲間への提供。


 球体は敵の接近でスクランブル状態へと変わり、漏斗状へと変形して下方へと延びる。

 仲間を叩き起こすのに充分な電気を蓄えたクジラ達が仲間へと触れて、次々と島から青白く輝くクジラが飛び出して渦の中へと戻ってゆく。


「オイオイまーじか。量ヤバすぎないか?」


 雷鳴が轟き、それを嚆矢としてクジラがフロド目掛けて飛び出した。

 数としては全体のほんの一部。

 速度が速い訳でもない。

 だがそれでもこの数は、数えるのが馬鹿らしくなる程だった。

 殺到するクジラは群れから伸ばした一本の触手のようなもので、フロドの航跡をなぞって追い掛ける。


「何処まで着いてくるつもりだよっ!全然目減りしないしよォ!」


 空を飛び回れば飛び回る程、何もない空中というキャンバスをクジラという絵の具が塗り潰す。

 自分の飛行経路が視覚的に分かる様にフロドは冷や汗を垂らして考える。


(何故こんな一列になって追い掛ける?これは明らかに仕込み……僕を取り囲んで全方位から叩くつもりなんだろうが……)


 この群れで行う狩りの脅威を思い出し、気を引き締めて飛び続けて……その他の行動をとらない。

 自らの首を閉める行為だと理解した上で逃げ続け、フロドは包囲されないギリギリまでクジラの戦力を引き延ばす。


「まだ行けそうだな?もうちょい誘ってみっか……」


 これは囮だ。

 フロドは可能な限り敵を惹きつける事を目的に飛んでいる。

 しかしそんな手が届きそうで届かない状態にクジラも焦れて苛立ちが波及してゆく。

 明滅する青白い光も高まる鼓動のようにその間隔を早めて強く輝く。

 光、そして音。

 それらが導火線のように長く伸びたクジラの列を走り、炸裂。

 この鬱陶しい敵をさっさと潰してしまおうと、波濤のように押し寄せるクジラの大攻勢。

 クジラとクジラの間で稲光が走り、巨大な光の波となってフロドへ追い縋る。


「本気出しやがったか!やるなら今だろ!」


 フルスロットルで加速して雷霆のドームを抜け出し、目指すは大元となるクジラの球状結界。

 それを突破する手段をフロドは持ち合わせていないが、構わず飛ぶ。

 背後からは聞いた事もないような大音量で常に雷鳴が絶えず轟き、イサナトリの内部にも小さな覗き窓から青白い光が強く差し込み照らされている。

 雷雨……雨の如く降り注ぐ雷を背に一直線に飛ぶフロドに殆ど全ての警戒が向けられて、群れの主を守ろうと対空砲火さながらのクジラの突進が飛来し迫る。


「派手で良いね!もっと目ェカッ開いて僕を見な!」


 フロドまるでダンスでも踊るようにペダルを踏み、操縦桿を巧みに動かす。

 翼を動かし、四肢を動かし、イサナトリは優美な機動で迎撃の悉くを躱して大将首を獲らんと一層イサリビを吹かした。

 無数の光の交錯の中、一条の光が放たれた矢の如く飛翔して……やがもう一つの駆け昇る光と進路を交わらせる。

 それは下方に広がる汚染市街から猛烈な速度で登る光。

 大きなタンクを掴み上げたイサナトリだ。


「待たせたか?」

「いいや!今が盛り上がりの最高潮だ!

「そうか、ならその手伝いをしてやろう。派手な花火を上げるぞ」


 フロドが敵を引き付け、薄くなった防御をハラネスが突き抜ける。

 この作戦の大まかな概要がこれだ。

 上昇する2機はそのまま汚染領域の天蓋である濃い瘴気の中へと突入し、その最中で針路を曲げる。

 目指すのはそう、群れの主である巨大な1体。

 だがそう易々と王手をかける事は出来ず、無数のクジラが飛び回る肉の壁が2人を阻む。

 それは見た目以上に堅固な守りだ。

 一見空いているように見えるその隙間は、電撃の網が広がり立ち入ったものを絡めとり、その身を焼いて接近を拒む。

 例え幾つか殺そうとも、それは構成要素の一部でしかなく即座に穴は塞がれる。

 ならば2人はどのように壁を越えるつもりなのか。

 求めるのは突破力……爆発力だ。

 ハラネス機のロケット弾もフロド機の投下爆弾も、この群れの生存の為に命を賭した守りを破る水準には到達していなかった。

 だからこそ、その力を外部に求めた。

 クジラが寝床としたこの町は元はシロクジラに襲われて、元の島から切り離された島の小片。

 脱出に使った船は残らず落とされ、燃料を使えばシロクジラを刺激する。

 使われる事なく、余ったイサリビ燃料はタンクに並々と残り火を付けられる時を待っていた。

 そしてそれは──


「ヨォシ!今だ!」

「ああ!ぶちかませッ!」


 充分乗った加速と共に、ハラネス機がタンクを放り投げて離脱する。

 そして投射されたそれをクジラは難なく受け止めて、次いで降ってきた爆弾も同様に──

 

 ──炸裂。


 イサリビ燃料はとてつもない勢いで燃えて、膨張し、破壊力を全方位に撒き散らす。

 白炎はクジラを焼き、衝撃が防御をこじ開ける。

 群れの主を守る鉄壁の守り、光り輝く卵の如き球が割れ、ポッカリと空いた穴に弱々しく紫電が迸って消えた。


「あとは──」


 2機のイサナトリが弧を描いて転回してすれ違う。


「──任せた!」


 互いに自らの役割を担って加速し、ハラネスは破った防御を通り抜けて敵の只中へ飛び込んだ。

 防御の穴はハラネスが通り抜けた時には既に閉じられて、今のこの場は全方位をクジラに囲まれた雷鳴の檻の中。

 出る為に何が必要かをハラネスは知っている。

 それのみを睨み付け、他の一才には目もくれずに全開で飛ぶ。


「高みの見物は終わりだ」


 他のクジラよりも大きなそれが、空間の中央で揺蕩っている。

 纏う青い光もより強く、まさしくこれが群れを率いるものなのだと一目で理解出来る存在。

 それが光のパターンを変えれば群れ全体の動きが変わる。

 侵入者を排除せよと、そう命令を下そうと光を強めて雷鳴が、クジラが轟き──


 ハラネスはトリガーを引く。


 ──そしてイサナトリが轟いた。


 イサナトリから放たれた3発のロケット弾は炎の尾を引いて猛烈に加速する。

 高速で彼我の距離を縮めるこれはクジラよりも速い。

 命令が下され、それがクジラへと届き動き出すよりも先に……

 群れの頭は吹き飛ばされた。


「悪くない威力だ」


 頭部を失えば飛んではいられない。

 群れの主は空の底へと落ちてゆき、ずっと命令に従っていたクジラ達は統制を失い仲間と衝突して混乱が広がってゆく。

 そんな状態であれば包囲されていようとも離脱は簡単。

 混乱に乗じたハラネスは悠々と檻だったものを抜け出して、汚染領域の外へ向けて上昇する。


「終わったぞ。そちらは無事か?」

「ああ!無事も無事!」


 無線の相手はハラネス機ただ返答には多めのノイズ……人の声やガタガタと何かがぶつかる音が入り込んでいた。


「3人乗ればもうギュウギュウ詰めで窮屈でもう!」

「ハラネス!こっちはみんな無事!」

「うぐ……っ。スミマセン脇に誰かの膝が食い込んで……」


 それはハラネスと空で別れた後、町まで戻って残る2人を収容したハラネス機の騒々しい様子。

 本来1人乗りでコクピットもそう広くないイサナトリに3人押し込めれば相応に圧迫感も強くなる。

 母艦を探して上昇するハラネス機を追い掛けるように、汚染領域を隔てる分厚い雲からゆっくりと姿を現したフロド機は普段よりも低速で定員オーバーというよりも乗員を気遣った飛行をしていた。


「なあなあ、僕はもうちょい労われても良いと思わないか?」

「感謝しているさ。いつも助けられている」

「おー……まだ足りねェな!もっとくれよ!」

「価値が下がる」


 勝利の余韻の中で戯れていると、空に腹に響くような低音が広がった。

 空を緩やかに飛行する2機の姿を遠くに見つけた船団が、その存在を知らせる為に汽笛を鳴らしたのだ。

 群れの主が仲間の姿を見つけたように。


◆◆◆


 その日は年に一度の祭りの日だった。

 町並みには飾り付けが施され、町角では音楽に合わせて踊る人も。

 酒の陽気さに任せて楽しげに語らう人々に、穏やかな顔で思い出話をする人も。

 今年は例年に比べても参加者が多い盛況な催しとなった。

 この1年でそもそももの住民の数が増えた事が大きな要因だろう。

 賑やかさの波を掻き分けて進むハラネスもそのひとりだ。

 群衆の中にあっても頭ひとつ抜けて背の高い彼はよく目立つ。

 そして彼自身も周囲を見渡しやすい。

 首を振り周囲の様子を確認しながら歩いて、待ち合わせの人物を見つけたのはハラネスが先だった。


「待たせたか?」

「そうでもないかな。待つのってなんだか新鮮だったし」


 声を掛けた道の端には壁に持たれて時間を潰していたトルネが居る。

 彼女は長方形の物体を抱えながら、ハラネスを伴って目当ての場所へと歩き出す。


「ハラネスはさ、辛くない?」

「……何がだ」

「家族を失ったんだよ。弱音を吐いたっていい」


 優しく、諭すようなその言葉にハラネスは少し悩む。

 自らの内を探り、言われるような弱音にあたる言葉を探そうとしているのだ。

 だが見つからず、代わりに掴み取った感情をゆっくりと言葉に変えて話しだす。


「兄さんは、あの日帰りたがっていたんだ」

「シロクジラと遭遇した日?」

「ああ、だが俺は……」


 ハラネスはシロクジラに挑む事を選び、それに付き合う事になった彼の兄は命を落とした。

 それはずっとハラネスの心を縛り動きを妨げるものになっていたが、今少しずつそれを解いている。

 

「シロクジラと衝突し、機能停止して落ちるままになったイサナトリから兄さんは飛び出したんだ。だが結局は再び突っ込んで来たシロクジラに兄さんは潰された」


 ハラネスは覚えている。

 白い体表で弾けた赤いシミの事を。

 ズタボロの何かがパラシュートと絡みあって落ちてゆく様を。

 人の脆さや弱さが、ハラネスの脳裏に焼き付いて離れない。

 だからこそ、イサナトリに乗ればそれらを討ち倒す事が出来ると安心して勇ましい気持ちになれる。


「あの時のベストはイサナトリの再起動だった……兄さんの飛び方は変わってしまったんだ。陸で重荷を背負って空を飛ぶなんて、鈍るだろう」


 失いたくないと思えば消極的になり、死にたくないと思えば逃げ出そうとする。

 敵を倒す事を目的とするならば、恐怖もなく慈悲もなくただ動く存在になれば良いのだと、ハラネスはそう思っていた。


「俺には理解出来なかったんだ。今も理解はしていないが……きっとその重荷は大切なものだったんだろうと、今はそう思える」


 だがそうではない事をハラネスは知っていた。

 自らも恐怖を抱き、その上で戦意を滾らせて戦っている。

 失いたくないからこそ出せる力もあると理解した。


「兄さんには、帰る場所があったんだな」


 トルネを横目で見て……俯き、ハラネスは呟く。


「そうだね……ほら、到着したよ」


 そこは町の端に位置する広場。

 底なしの空が程近いこの場所で、皆一様にトルネが持っている物と同じ長方形の物体……灯籠を抱えていた。

 この祭りの本分は死者の弔いだ。

 灯籠に魂を乗せて弔う事、故人の思い出話をする事で心の整理を行う事こそこの祭りの目的。

 空で死に亡骸がそのまま空の底へと落ちて、故郷や家族の元へ帰らない死者が多いこの地において、この祭りはなにより生きる者達にとって重要な葬儀なのだ。


 時間が来た。

 ポツリポツリと灯籠に火が灯り、段々と広場に暖かな光が満ちてゆく。

 合わせてトルネも灯籠に火を灯して、その光に照らされる。

 その光を眺めていると思い出が無数によぎり、溢れ出した感情が涙となって頬をつたう。

 この広場に居る者はみな同じなのだろう、あちこちで嗚咽が聞こえてくる。

 そして広場の一角から、灯籠が空へと向かってフワリと飛んだ。

 それを皮切りに次々と灯籠が飛び立ってゆく。

 死者を送り出すその心の準備が出来た者から灯籠を手放し空へとそっと押し出す。

 

「心の支えはきっと多いほうが良い。それは思い出だったり……復讐だったり」


 灯籠を持ち上げて、しかしそこに愛する人を重ねて手を離す事を惜しむ。

 力を少しずつ抜いていけば、指先に僅かに引っ掛かるだけとなった灯籠がゆらゆらと揺れる。


「ハラネスはどう?」


 指先から空へ向かってこぼれ落ちるように、光が空へ向かって飛び立った。

 微風に乗って、他の灯籠と共にひとつの流れを作り出す。

 川の如きその無数の光のひとつひとつが誰かの大切な人だったのだ。

 ハラネスとトルネにとっても大切な人も、その光の一部になって飛んでいった。


「帰る場所、支えになるもの。ちゃんとある?」

「……俺はまだ旅の途中だ、帰る時じゃない。もっと飛んでいたいから荷物は少ない方が良いんだ」


 咽び泣く声も、別れを惜しむ言葉も、ハラネスの呟くように発した吐露も、全て夜空に霧散する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る