勇名轟く⑦ 汚染市街
汚染領域内にポツリと存在する町の中に、不釣り合いな物が2つ並んでいる。
浮島の外縁部に位置する港に程近く、元はレストランだったのであろうその建物にめり込む四肢の生えた金属の球体……イサナトリである。
「着陸下手なんじゃないか」
「普段より重たいの積んでるからな!むしろ良くやった方だぜ全く」
ハラネスの機体は几帳面に駐車場へ、フロドの機体はオーバーランして店舗へのダイナミックな入店を。
その陰で2人は港から持ってきた布をイサナトリへと被せていた。
クジラに見つからないように、という念の為行った気休めである。
「マジでゾッとしたけど案外起きてこないな」
「だからといって油断するなよ」
「分かってるって。ただこれなら不時着が上手くいってりゃ哨戒機も無事だな」
「着陸が上手くいっていれば、だな。通信が途絶する直前にクジラと衝突していた。怪我をしている可能性は高いぞ」
2人は汚染領域に落ちた哨戒機を追ってここまで来ていた。
高度を落とす姿を見て、なんとかクジラの追跡を振り切り辿り着いたは良いものの、いざここまで降りてみれば休眠中のクジラが無数に見えるこの町の惨状だ。
イサリビ機関の喧しさは身に沁みて理解していた為、空から直接向かう事を諦めてクジラから遠い場所へと着陸したのである。
「怪我に関しちゃ一応救急キットは積んである筈だから、ちゃんと扱えていれば心配はないな」
「なら後は着陸の際にクジラを起こしていなければ良いんだが……」
「そもそも僕らが近づいても起きて来ない時点でそう簡単には起きないだろ」
「かもな。だとしても警戒は必要だ……ここにあまり長く留まりたくはない」
ハラネスの言葉にフロドも無言内に同意して、2人は斑色の空を見上げる。
瘴気と眠るクジラが近くに居る事も理由のひとつだが、相変わらず頭上ではクジラの群れがまるでひとつの生命体かのように青白い光を同じ間隔で明滅させているのだ。
クジラというシンプルな脅威に加えて、得体の知れないものが常に頭の上にある不気味さがこの町の居心地を悪くする。
「とにかく動こうぜ。そら!コイツを持っていきな!」
「っと……なんだこれは」
黙って動かずにいるのは性に合わないと、手始めにフロドは大きく、重いものをハラネスへと放り投げた。
ハラネスは予想外の重さに取り落としそうになるが、そのひと抱えはある大きな銃……否、筒。
それは人が携行する事が出来る銛筒だ。
円筒形の本体に、先端には銛を装填する穴がある。
サイズは違えど使い慣れた道具とそう変わりはない事をハラネスはすぐに理解した。
したが当然疑問も湧く。
「役に立つかもだろ?」
「港から持ち出したのか?お前が撃ちたがらないのは珍しい」
「そっちのが体がデカいからな。イサナトリじゃないし大砲はそっちに任せる」
文句の付けようもない。
ハラネスの方が圧倒的に身長が高く筋肉量も多いのだ。
同じ銛筒でもフロドとハラネスでは持った印象がまるで異なる程に。
「だがこんなのは……だいぶ古めかしい道具だ。火薬が湿気っているんじゃないのか?」
「分からないけど試してみる訳にもいかないだろ。昔はそれで小型のクジラを仕留めてたんだ。そこら辺で寝てるねぼすけクジラが目ェ覚したらぶち込んでやれ」
ハラネスとしてもそれが有ると無いでは大きく違う事は無言の内に認めてそれを担ぐ。
革製のストラップは年季を感じさせるものの、肩に掛けると確かな信頼感で銛筒を支えはするものの重さで肩に痛いほど食い込む。
その上にフロドは装填する為の銛が詰められた鞄まで手渡してきたのだ。
総金属製の銛筒、そして予備の銛。
ハラネスは自らの恵まれた体格に感謝すべきか呪うべきか僅かに悩む。
「まったく……不時着したのは市場だ。比較的クジラが多いエリアのようだが、クジラが騒いでいない辺り起こしてはいないんだろう」
「でも眠りは浅くなってるかもしれないし、迂回するルートを取ろうぜ。大体のクジラの配置を覚えてる」
「役割分担だ、こういった事が得意なお前に任せる」
「任せろ。ルートは幾つか思い付く。僕に着いて来な」
決断はいつも即決。
フロドはこのような場面での舵取りには最適と言えた。
フロドは僅かに見ただけの町の俯瞰図を記憶しているのだろう、迷いなく方角を決めて歩き始める。
ハラネスもその後ろを、カチャカチャとぶつかり合う銛に神経をすり減らしながら着いてゆく。
「やっぱり人の気配がないんだよなァ……」
「瘴気の中だぞ」
「そういう事じゃなくてさ、なんでこの町は瘴気の中へと沈んだんだ?住民はどこ行った?死体すら見当たらねェ」
「確かにそうだな。なんの痕跡も……いや、あったぞ」
ハラネスが指差したのは掲示板。
そこには『配給のお知らせ』と大きく書かれた紙が掲示されている。
内容は配給の回数を減らすという内容が記載されており、苦しい生活が垣間見えた。
そして同時に妙な事も書かれていたのだ。
太く目立つ字で『車は使わずに移動して、決して燃料を使わない事』と。
「……なんか怖えんだけど」
「燃料か。フロド、港に船はあったか?」
「ハァ?……無かったな。脱出に使ったんじゃねェの?」
「さて、どうだろうな」
「あ?なんだよそれ!気になる事言うなよなァ!」
「声を静めろ」
クジラから離れた位置にイサナトリを着陸させた為、まだその姿は見えないが大きな声は心臓を縮み上がらせる。
ハラネスに諌められてフロドは慌てて口を抑えた。
しかし周囲に変化はなく、2人は僅かな安堵を生じさせる。
「案外なんとかなるんじゃないか?」
「お前のギャンブルに付き合う気はない。静かに、そして迅速にだ」
「安心しろって、クジラに人気のお昼寝スポットは大体覚えてる。そこを避けて行こう」
その後の道行きは危なげなく。
ただとても慎重に、一歩一歩を確認するように歩き目的の場所へと大きく迂回して、時に家屋を通り道にして先へと進んだ。
その道中で何度も目にしたのが横たわるクジラの姿。
大きさとしてはイサナトリと大差なく、普段ならばある程度狙いを付ければ銛がどう当たっても容易く屠る事の出来る相手だが。
これが生身の人間とクジラとなれば話は別だ。
全長は人の2倍も3倍もあり、重さは更に差がつく。
そんなものを横目に見ながら移動するなど寿命が縮むような思いで、目当ての通りを前にした時にはドッと疲れが押し寄せて2人は大きく溜息を吐いていた。
「分かってる。こっからだろ?」
「ああ、だが疲れるものは疲れるだろう。まさかあの程度のクジラに疲弊させられる日が来るとは……」
冷や汗がマスクの中まで入った不快さを滲ませながら目の前の通り……かつて市場だった残骸を眺める。
薙ぎ倒され、砕かれた露店が散らばる向こうには翼の折れた飛行機が酷く損傷した状態で鎮座していた。
「よく着陸させたモンだぜ」
「とにかく近くを調べてみよう」
着陸の強い衝撃に耐えかね捲れ上がった石畳を越えて、2人は機内を覗き込み既に空になった2つの座席を見る。
操縦席に残る血と、持ち出された治療キットが怪我人の存在を示唆していた。
出血はあれど然程多い訳でもないようで、血の跡は間隔を開けて点々と近くの建物へと続いている。
「怪我人がいるんならそう遠くまでは行けないだろ。まして女1人で運んでるならな」
「治療を行い、クジラを避けて移動すると考えれば相当な牛歩になる。追いつけるぞ」
ハラネスは血の跡追い、扉をゆっくりと音を立てないように気を払いながら開ける。
その建物がかつて何だったかは分からない。
屋内には多くの人々の寝床だったものが並んでおり、その内のひとつにはまだ赤々とした血の付着したガーゼや包帯などが散乱していた。
「ここで治療を行ったようだ」
「ふーん……で、ここはなんなんだ?」
市場に隣接した建物にしては生活感がありすぎる……むしろ生活感とは別種の人の匂いに満ちた場所。
複数人が寝泊まりした形跡は日常とは離れた何かを感じさせる。
「この町が切り離された時、ここに家を持たない人々が集まっていたのかもしれない」
「まずもって切り離された時ってのが分かんねェ」
「俺はそれをやったのがシロクジラだと思っている」
個人の意見としつつも、ハラネスは発した言葉に確信を抱いている様子だ。
ハラネスには見えているのだ。
この町を強大なクジラが襲う光景が。
「治療をしたとしても移動に大通りは使わないだろう。裏口から出てこの先は……集合住宅だ。身を隠して移動できる」
部屋を見回したハラネスはこのまま建物を通り抜けるルートを選択してドアノブに手を掛ける。
その背を無言で見つめるフロドは、その背中に普段よりも重いものが背負わされているように見えた。
物理的なものや今の状況以外の、たった今言葉にしたその仇敵への感情の重さがハラネスにのしかかっている。
それにハラネスは普段とは少し様子が違う事にも気が付いていた。
「なあ、ホントは僕の案内は必要なかっただろ?アンタも随分と覚えてるみたいだ」
フロドの言葉にピタリと動きを止めて、ハラネスは黙りこくる。
フロドは腕を組み壁に身を預けてそれを見つめて、根負けしたのは焦りに身を内から焼かれるハラネスだった。
「ここは俺の故郷の島だったものだ。道はよく覚えている」
「ヘェ、とんだ帰郷だな」
「まったくだ……」
思いの外ハラネスの反応は和らいだもので、眉を下げて困ったような顔で扉を開けた。
「この先は複数の棟が並ぶ集合住宅だ。通り抜けも容易で、トルネならばその先へ向かうはずだ」
「根拠だとか理由があんだろ?」
「安心を求めて慣れ親しんだ場所へ向かうだろうと予測している。この先には彼女の家があるからな」
扉の先には道をひとつ挟んでまた建物が。
背の高いそれは幾つも連なって、大人数の居住を可能とする区画を形成している。
しかし今となっては住む人はおらず、代わりに床に就くのはクジラ達。
外壁が崩れ落ち、外からでも内部が覗ける状態なのは大きな衝撃が加わった痕跡だ。
そしてそんな状態が示すのは内部にまでクジラが入り込んでいるという悪い状況。
この先にトルネが向かったのなら、2人も同じルートを辿らなければならない。
目指す場所に予想が付いているのならば、先回りするという選択肢も存在するが……
「んじゃ、行こうか。レディを待たせるのは忍びない」
危険に飛び込み汚染領域までやって来たのは助ける事が目的なのだ。
方々駆けずり回る事など承知の上だった。
「ああ、この先にもクジラが居るだろう。いざとなれば……この銛筒が使える事を祈ろう」
「あいよ、手早く調べてさっさと抜け出そうぜ」
「慎重に、だ」
釘を刺されたフロドは足音に多少気を配った歩き方で次の建物へと近づきその扉に触れてみる。
鍵が掛かっていれば少し動かせば抵抗を感じる筈だが……いとも簡単に扉は開き、来訪者を歓迎していた。
「オープンセサミ」
「鍵が空いているのならここを通るだろう。他の扉もその調子で開けてくれ」
2人はゆっくりと、確かに足を踏み締めて内部へと進入する。
電気は通っていないようで、まともな日差しが無い廊下は薄暗く、暗闇の先にあるのが何かも分からず距離を詰める他ない。
顰めている筈の足音が人の手が入って久しい廊下によく響き、マスクの中でくぐもった自らの呼吸音がやけに煩く聞こえる。
「なあ……その銛一本くれよ」
「なぜだ」
「丸腰で歩くのは流石に怖い。頑丈な棒の一本でも持っときたいだろ?」
持ったところで、という話でもあるのだがそもそもハラネスが背負う銛とて使えるかは分からない代物だ。
分け与える事に対する抵抗は然程なく、背を向け背嚢から抜き取るよう促す。
「好きな物を取れ」
「サンキュ。うーん、どれにしようか」
「さっさと選べ。どれも同じだろう、無駄な時間を……」
愚痴るハラネスの背から抜き取った一本を掲げて満足げに頷いたフロドは、銛を両手で何度か握り直して移動を再開する。
歩いていると時折何かが軋む音が聞こえてくるが、2人はその度に動きをピタリと止めるのだ。
それがただの木材の収縮ではない事を知っているから、軋む音が聞こえた前後に、大きく重量のある何かを引き摺る音……ヒレを床に擦り付ける音が聞こえているからだ。
確実に、壁を隔てたほど近くにクジラが居ると、そう確信出来るからこそ神経が過敏になり、まばたきですら煩く感じてしまう。
そうして幾つかの棟を通り過ぎ、時に瓦礫で塞がれた道を迂回して進んでいる時、フロドが不意に立ち止まった。
「少し違う音が聞こえる。聞こえるか?」
「?……分からんがお前が言うならそうなんだろう。呼びかけるわけにもいかないからな、近づくぞ」
顰めた声で、肩越しに言葉を交わした2人は更に進み、扉を抜けるとフロドが聞いたと言う音が鮮明に聞こえるようになった。
それは何かを引き摺る音。
だかそれはクジラのそれとは違い小さく軽い、鋭い音だ。
それが脚を引き摺る音である事に2人はすぐに思い至った。
「焦るなよ……感動の再会で泣いちゃわないようにな……!」
「俺はそういうタイプじゃない」
「ハイハイ。行くぞ」
茶化してみせたフロドが肩の力を抜いて、あと少しの道を警戒を頑として進む。
徐々に鮮明に聞こえる音は縮まっている距離を感じさせるが、声を上げる自身の存在を知らせる訳にはいかないもどかしさに苛まれて少しづつ歩くペースが早くなる。
反響する音を頼りに瓦礫を迂回し、角を曲がった時にようやくその姿が見えた。
怪我をしたパイロットへ肩を貸し、しかし背丈の差がある為に歪な形で二人三脚で安全な場所を求めているトルネだ。
「ふぅ……ようやく見つけたな」
「あれでは肩を借りる方も辛いだろう。手を貸すぞ」
そうして2人は少しだけ警戒を緩めて足を早める。
足音は多少響いてはいるが、慣れない肉体労働に精一杯のトルネには聞こえていないようで振り返る事なく懸命に体を支えながら一歩一歩を踏みしめていた。
牛歩のトルネに対してハラネスとフロドは歩くスピードの差で距離を詰め、階段の踊り場から差し込む光の中に入った時に両者は交わった。
「トルネ……っ」
ハラネスがトルネの肩に手を触れ、名前を呼ぶ。
低い声。
顰めて、しかし力を込めたその声が疲労困憊こトルネに届く頃には……脳内で恐ろしげに変換される事もある。
仮に警戒を緩めていなければ、トルネにもう少し余裕があれば……
「キャァァァ!?!?」
「バッ──ッ!」
何処にそんな力が残っているのかと思うような悲鳴が無人の建物に響き、沈黙の中に吸収されて消える。
だが、それを耳に捉えた者もいる。
それは怪我をしているというのに耳元で叫ばれたパイロットや、一気に噴き出した冷や汗で全身を濡らすフロド。
「ハ、ハラネス!?」
「マズイ……」
──そして階段の踊り場で眠っていた子クジラ。
「──逃げろッ!」
開いたつぶらな瞳がしっかりと人間達の姿を捉えて、クジラは欠伸のように息をひと吐き。
咄嗟に駆け出した4人を追いかけクジラものたうつ。
「フロド!コイツを抱えろ!」
「ダッ!テメェが──銛筒か!」
「何!?なんなの!?」
「行け行け行け!」
ひったくるようにフロドがパイロットを抱え、困惑するトルネを追い立てるように最後尾から大声を出しながらハラネスが走る。
廊下よりも2回り程小さい程度のクジラは胸鰭で床を漕ぎ、芋虫のように体を折り曲げ安眠を妨げた犯人を追う。
廊下に響く足音とペチペチと叩きつける音。
クジラの動きは緩慢なものだが、それを行う体が大きい為に不思議と距離を離す事が出来ず、ハラネスは何度も振り返る内に焦りを募らせる。
だからこそ一か八か、走る勢いのままターンを決めて銛筒を構えて激しく上下するクジラの額に狙いを定めた。
「これでも……喰らえッ!」
裂帛の気合いと共に硬い引き金を絞り、ガチリと確かな手応えと音を放った銛筒が……何も起こさない。
銛は変わらず銛筒に装填されたまま。
「やはり湿気っていたぞフロド!」
「ハハハ!数撃ちゃ当たるって!」
「最悪だ!」
そう吐き捨てながらハラネスは不発の銛を抜き取り、次の銛を装填する。
そうして引き金を引いた次の銛も不発。
無情にカチリという音が響いただけであった。
無駄に終わった試みで寿命を縮めていると、やがて少し開けたホールに出た。
左手に正面玄関、右手に階段、そして正面にはここまで通ってきたような廊下が伸びている。
「階段だ!階段昇れ!妙な事にコイツは飛ばない!」
飛べるならばわざわざ這って進まずとも簡単に4人は押し潰されていたし、そうでないなら階段は昇るのに多少の時間稼ぎを出来る場所だった。
フロドの叫びに従って、一行は階段を昇る……が。
「何やってんだよハラネス!」
ハラネスはひとり踵を返し、階段を飛び降りクジラの脇に降り立つ。
「ソイツを安全な場所へ!このクジラに仲間を起こされては状況は更に悪くなる!ここで仕留めなくては!」
不発となった銛をそのままクジラへと打突して、狙いを自らへと引き付けたハラネスは今通った廊下へと駆けて行く。
「このクジラが居た階段まで戻る!あそこなら音を出しても大丈夫な筈だ!」
脇を刺す痛みに呻き声を上げたクジラは面倒な階段を諦めて、怒りを含む荒い吐息と共にハラネスを追い掛ける。
廊下にはハラネスとクジラ。
しかし先程までとは異なり、クジラの動きは機敏だ。
他ならぬハラネスが痛みによって目覚めさせた結果であった。
(あれだけ叫んでもコイツがビタビタ這っても起き出すクジラは居なかった……ここはクジラが居ない、という前提で銛筒を撃つ!)
火薬の撃発など叫び声とは比べ物にならない大きさの音だ。
万が一の保険として持っていた銛筒だが、これが状況をより悪くする可能性だってある。
銛を放った後で別のクジラが起き出してしまえば危機を脱したとは言えない。
だからこの廊下を決戦の地としてハラネスは次々と銛を装填しては発射を試みる。
「これもダメか!次!……これもか!?」
思わず悪態を吐く程度には中々アタリの銛を引き当てない。
命が掛かっているとなれば苛立ちもひとしおだ。
背中から引き抜く銛が最後の2本となった時、ハラネスの首筋に冷たいものが走る。
「残り2本なら逃げを優先か……!」
直後に試した1本が不発だった為に次が最後の銛だ。
移動した距離もひと往復となって、このクジラと遭遇した階段まで戻って来た。
終わりを意識しだす頃合いだ。
ハラネスは階段を駆け上り、クジラも巨体を床に打ち付け追い掛ける。
だが人の建造物はクジラが体重を掛ける事を想定していない。
「なっ──!?」
クジラが数段飛ばしで階段をその大きな腹で昇る度に、大きな亀裂が広がってゆく。
それは先は先へと走り抜け、やがてハラネスを追い越し進路を交わらせて……崩壊する。
「クッ……ソッ!」
崩れ落ちる足場で踏み切った最後の跳躍が、ハラネスをギリギリ無事だった一段へと手を掛けさせた。
とはいえ足先にはクジラが喰らい付こうと大口を開閉しており、ズボンの裾から熱い吐息が入り込んで不快に湿る。
更には間一髪でハラネスの命を支える階段だった物もミシミシと負荷に耐えかねて悲鳴を上げていた。
「最後の1発……ちゃんと当たってくれよ……」
祈るように呟いて、装填が間に合っていた最後の銛をクジラへ向ける。
狙うは眉間、ハラネスへと顔を向けているので狙いやすい。
撃てば吸い込まれるように眉間にめり込み、そのまま命を奪うだろう。
早鐘を打つ心臓がその結果を知る事への緊張を高める。
引き金を引き絞る力を強くして、最後にひと押し。
カチリと引き切る──
「終わりだな」
不発。
ハラネスは賭けに負けた。
遠からず最後の手掛かりとなる階段も崩れ落ちて、そのままクジラの口の中へ直行。
そんな終わり様を脳裏に浮かべたハラネスが溜め息をひとつ吐く……と、それを掻き消すような呼び声が響いた。
「ハラネス!」
「オイ!バカ諦めんなって!」
階段の上には息も絶え絶えなトルネとフロド。
2人がハラネスへと手を差し伸べていた。
「さっさと掴まれ!」
ハラネスは左手を掛けた崩れかけの階段、フロドから差し出された手……そして右手に持った不発に終わった銛筒へと視線を動かして、右手を突き出す。
「銛を装填しろ!」
「っ──あいよォ!」
フロドは身を乗り出して銛筒から不発弾を抜き取り、そして手慰みに持っていた銛を装填する。
金属の機構がしっかりと動く音がした。
同時にハラネスの体重を支えきれなくなりつつある階段の悲鳴も。
「ヨシ!ブッ放せ!」
銛筒を振り下ろし切先はクジラの眉間へ。
狙う必要などないような近距離で、遂に耐えかねて崩れた取っ掛かりから手を離してハラネスは引き金を引く。
「──ッ!」
空気を叩く轟音が反響する。
そして飛び散る鮮血。
「最後の1発がアタリだったか」
額から金属の棒を突き出したクジラの側にハラネスが着地する。
銛筒からは細い白煙が立ち昇り、耳には砲声の余韻が残る。
生き残った安堵に、誰ともなく思わず息を漏らした。
「やっぱりコイツは幸運のお守りだろ?僕が取ったこの銛が湿気った火薬の中で唯一のカラッカラ。勝利を導いたお守りだよコレは!」
「フッ……お前が抜き取らなきゃもっと早く片付いていたかもな」
軽口を叩く余裕を取り戻し、ささやかな勝利の余韻が疲労に心地良く染み渡った。
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