勇名轟く⑥ 轟音


 空に浮かぶ浮島の、木も生えずに草もなく禿げ上がった大地と岩ばかりが広がる大地には絶え間なく衝撃が轟いていた。

 岩が砕け、土や砂が振動で舞い踊る。

 熱を持った風が大地を撫で、その暴力的な圧が荒涼たる土地を破壊しようとのたうち回る。


「精度はやはり低いですね」


 爆発を下方に見る切り立った丘の上でトルネが双眼鏡を覗いていた。

 撒き散らされる熱と衝撃にその身を幾つかの大きな破片に分割された岩を見て、ポツリと呟く言葉の通り結果は予想の範疇。

 フロドがイサナトリから投下した爆弾は威力は充分、しかし中々狙った場所に当たらなかったのだ。


「コイツは飛行機で投下したほうが良いんじゃないか?」

「かもしれませんね。威力は満足いくものだけれど……」

「それに沢山ばら撒くとかした方が効果的だろ。イサナトリじゃ載せられる量にどうしたって限界がある」

「まあ、そこに関してはあまり問題には──」


 続く衝撃が空を揺らす。

 次いで放たれたのはハラネスの機体のロケット弾。

 地面に激突し、鋭い衝撃と共に小さなクレーターを作り出していた。

 

「当たらんな」

「ハラネスの機体は早すぎるのかも……」

「止まって撃てば当たるのか?実際に使う時にそんな事をしてる暇があるかは分からんが」

「普通のイサナトリならそんなスピードを出して銛を撃ったりしないでしょう。スピードを落とせと言ってるの。まあ、実際にクジラを狙うなら的が大きいからどのみち当たるとは思うわ」


 ターゲットの岩を通り過ぎ、猛スピードで飛び去るハラネス機を見てトルネは溜め息を吐く。


「現場の運用ってこういう事?まったく……私達の考えなんてまるで通用しない。ハチャメチャね」

「僕は逆に机に向かってる連中の考えが聞きたいね。クジラに当てるんならこんな爆弾に精度とかいるか?腹だろうが抉ればそのまま失血死だろ」

「文句を言いたいのは私もよ。この計画のスポンサーには軍も付いてるの。今回のテストは軍用イサナトリの為の試金石ってところね」


 クジラ相手に過剰な火力は必要無い。

 ならばそこから外れたシロクジラ相手に開発したこれらの装備はその一回の為にだけ使うのか?

 そのような事に多額の資金や時間や様々なリソースを割くなど出来はしない。

 そこで本来の役目を終えた後、有効活用出来る場所で引き取る事としたのだ。

 このシロクジラ討伐計画にはただ銛を撃ち込む以外の考え方で、ただ敵を倒す事に注力している。

 この場にある2つの武器などはまさにその体現と言えた。


「ハァーやだねェ。つまりこれは船の機関部に当てられるかって事か?クジラを相手にするから良いのによ」

「シロクジラ相手になら、いくら備えがあっても安心は出来ないもの。借りられる手は幾らでも掴みたいわ」

「それには同意だな。だがコレがあるからと言って何が変わる?この程度で船に等しい巨体をどう倒す?」

「そこも問題はない。このロケット弾の役割はあの甲殻を破る事。別の備えもあるから」


 トルネはターゲットにしていた幾つかの岩……その残骸と抉り取られた大地を見る。

 この時点で既に破壊の限りを叩きつけたような有様だ。

 しかしそれでも尚、トルネは満足を……安心を得ていない。

 もっと、もっとと限りのない力への欲求は、シロクジラへの恐れの裏返し。

 自らの感情の根源を意識して、トルネは安心を求めて懐中時計を取り出した。


「時間的にももう良いでしょう。そろそろ帰還して……シャワーを浴びたい。舞い上がった砂埃がもう」

「えぇ!コレ撃ち尽くさないのかよ!?」

「クジラと遭遇した時に使え。これ以上は無駄弾だろう」


 ブツクサと文句を言うフロドに苦笑して、トルネは観測機にもたれ掛かるパイロットに合図して引き上げる事を伝える。

 飛び立つ準備を進める最中、トルネは懐から写真を取り出して眺めて時間を過ごす。


(結局、当たり障りのない事しか話せなかった……)


 僅かな後悔と共に眺める写真が風に揺れ、飛ばされないようにと強く掴むと空気の破裂する轟々とした力強い音が連続して聞こえてきた。

 観測機のエンジンが掛かった音……とはまた別の連続した音。

 空の底から響く力強い音。

 空気を揺らす恐ろしい音。


「雷でしょうか……?いや、何かがおかしい。トルネ女史早く機内へ」

「は、はい」


 パイロットの焦りが滲む言葉に従い後ろの座席に着けば、空気を叩く衝撃が窓を越えても恐ろしげに体の芯を叩くのだ。

 それも何度も何度も。

 急いで発進準備を進めるその後ろで、トルネは不安に駆られてハラネスへと無線で問い掛けた。


「ハラネス!今、何かが──」

「ああ!今見えた!クジラの大群だ!!」


 いつも冷静沈着なハラネスの焦りを多く含んだその声に、思わずトルネは息を呑んだ。

 明確に良くない事が起きているのだと、心臓を締め上げるには十分過ぎた。


「ヤバいヤバい!これはヤバいだろ!?」

「落ち着け!クソ……ッ!早く離陸しろ!島が呑み込まれるぞ!」


 トルネの視界にはこの島の端までしか見えない。

 だからその外でどんな恐ろしい事が起きているのかと想像しても、実際にはもっと恐ろしいのだろうと確信して体が震えだす。

 

「離陸します!しっかりとベルトをしてくださいね!」


 まるで何時間も待たされたような感覚であったパイロットの離陸宣言で、トルネは固く締めたベルトを握る。

 もう片方の手は懐中時計を握り、目は恐怖で瞑るべきか見る事で恐怖を和らげるべきが悩んで力が籠っていた。

 もどかしくゆっくりと加速して、やがて体を包む浮遊感は逃げられるという安心感よりも不安を強く感じるさせる。


「僕らで撤退の援護を!」

「使い過ぎるなよ!」


 飛び立った飛行機の中で、トルネは窓に額を押し付ける。

 空にも、浮島の端という地平線にもクジラの姿は見えなかった。

 ならば何処にクジラが居るというのか?

 その答えはすぐに分かった。

 飛行機が浮島の端にかかり、そして空へと飛び出した時に。


「ひっ……」


 何処に居る、ではない。

 何処に居ないのか、という問いの方が正確な程に……多い。

 それは竜巻のようなものだ。

 渦巻き、稲光り、立ち登る。

 島を下方から、汚染領域から呑み込まんとするように伸びる漏斗状のクジラの竜巻はまるで巨大な怪物の舌だ。

 もうすでに浮島を舐め始めたその怪物は、当然のように飛び出した飛行機にも食指を伸ばす。


「くっ!掴まってて下さいよ!」


 竜巻の構成要素は主に小型のクジラ。

 ただ通常と異なるのは青白い稲光を纏っている事か。

 そして、それが無数に襲いくる。

 機体の限界を試すようなバレルロールがなんとかそれを回避するものの、これが綱渡りである事はトルネにも分かってしまう。


「ひいぃ……」


 この状況でなんの決定権も能力も持たないトルネには頭を抱えて、情けなく声を漏らす他にない。

 音が、光が目を閉じようとも耳を塞ごうとも叩きつけられるのだ。

 骨に響き、瞼を貫く雷が近くで立て続けに鳴り、その度に身を震わせて息を浅くする。


「スゴイ……スゴイな!?なんでコイツら縦横無尽に飛んでぶつからないんだよ!?」

「知るか!衝突しないように集中しろ!舌を噛むぞ!」


 無線の向こうではハラネスとフロドも懸命に生き延びようと足掻いているが、それ以上を行えない状況にある事も同時に伝わってくるものだった。

 トルネがこのように体を縮こませて恐怖に震えるのはこれが初めてではない。

 シロクジラに襲われた故郷から逃げ出した船の中でも彼女は震えて、遠くに見る威容を目に焼き付けていた。


(ま、また私……)


 あの時のように何かを失うのかと過去に囚われるような事を考えたトルネを引き戻したのは光と衝撃という現実の脅威。

 何かを失うのではない、自らの命が危険に晒されているのだと逃避を許さず否応なく現実を知らしめる。

 目と鼻の先を、本能的に怯んでしまうような光と音を放ってクジラが通り過ぎる数度で、その間隔と密度が次第に増している事にトルネは気が付く。

 長くは持たないと、そう考えた時には強い衝撃が飛行機を打ち据えた。

 トルネは咄嗟に目を閉じ、直後には喧しい風切り音と雷鳴が鮮明に聞こえ始める。

 再び目を開けた時には窓が割れ、飛び散った血が機内各所に見られて息を呑む。


「ぐぅっ……!?エンジン停止!無線……ダメか……っ」

「大丈夫ですか!?」


 パイロットの呻き声に思わず前のめりになり状況を確認しようとするが、ベルトがトルネを固定して離さない。

 窓が割れ、機内と機外の区別が付かないような状況ではそれが無事に機能を果たし続けている事に感謝しなければならない程だ。

 流れ込む暴力的な風にトルネの長髪が靡く。

 

「しっかりと掴まっていて下さい……このまま不時着します」

「着……!?何処にそんな場所……」


 ここは空の上。

 下方にはクジラしか見えない。

 今目の前に迫る危険を度外視しても遠く離れた位置には浮島もあるが、エンジンが停止していては辿り着くことは出来ないだろう。

 

「汚染領域まで降ります。マスクの着用を」

「わ、分かりました」


 トルネはシートの下からマスクを取り出して装着する。

 これがなくては瘴気漂う汚染領域では生きていけない。

 だがそうまでして生き残った後は?

 どのようにして帰るのか。

 そんな事を考える余裕は誰にも無く、ただ目の前の危機から逃れるだけで精一杯だった。


「くっ……はぁ、はぁ……」

「やっぱりどこか怪我を!」

「着陸は成功させて見せますから。ご安心ください」


 徐々に高度を落としつつ、人類の生存可能な空の底である汚染領域の上辺が近づく。

 クジラの竜巻はその根本を汚染領域にまで下ろしているようで、その全貌はまるで掴めない。

 濃い瘴気の雲の中へと飛び込めばクジラの姿すら定かではなくなり、衝突せずにそこを抜けられるかは殆ど運だ。

 何処までクジラは潜んでいるのか、そのような不安を抱えながら、まだらで濁った不明瞭な雲へと侵入する。

 視界は通らないというのに、不気味に雷鳴だけは近くのようにも遠くのようにも聞こえ続けているのだ。

 不安は募るばかり。


「着陸可能な陸地は本当にあるんですか?」

「分かりませんが、着陸には自信があります」


 なんの慰めにもならない言葉を交わし……唐突に猛烈な稲光りに包まれた。


「何が!?」


 音もそうだが何より強い光に目が眩む。

 瘴気を抜けたそこはあの竜巻の基部。

 数多のクジラが渦を巻き、青白い光を放つ巨大な揺籃。

 中央の一際大きな光を取り囲むようにして飛行するクジラ達から絶えず雷光が走っている。


「これは……」


 危機的状況にも関わらず思わず言葉を失い見入ってしまう。

 宝石のように輝くクジラ達のなんと美しく……そして暴力的な事か。

 あんな場所には近づいてはならないと、方向舵を切って大きなカーブを描いて飛んでいると下方に島が見えた。

 他に着陸出来る場所は見当たらず、その島は丁度良い場所と言える。

 丁度良過ぎる程だ。


「なんでここに……!こんな汚染領域に……?」


 舗装された道路などは着陸にはもってこいだろう。

 長い道であれば充分な減速も可能だ。

 ただそれが汚染領域に存在する浮島上に築かれた人気の無い町、という不気味なロケーションでなければの話だが。


「小さな浮島は高度を落とし、やがて汚染領域に入ると聞きます。これはなんらかの要因で切り離された都市の一部なのではないでしょうか?」


 とはいえ今は選り好みしている場合ではない。

 生命の危機という状況では、頭で捏ねたあらゆる理屈が意味を為さない。

 パイロットが放った状況理解の為の言葉も結局はここに着陸する他に道はないので然程重要ではなかった。


「町並みがこんなに残ったままなん、て……?」


 港だったのであろう外縁部、市場やホテルに病院まで。

 そこに人の営みが存在した痕跡が残る風景に、トルネは点々と存在する違和感に気が付いて言葉を詰まらせる。

 砕けた家屋、公園の枯れた芝生の上、広場に積み上げられた何かの山……曲線を描く大型生物。


「これ、全部クジラ……っ!」


 今も渦を巻くクジラ達と同じそれらが町の各所に横たわるのだ。

 横になり、動く様子を見せないが、死んでいるわけではない。

 雷光と同じ青白い光が鼓動のように緩やかに明滅し、確かにこのクジラ達は生きているのだと分かる。

 ただそれらは休息しているのだ。

 不時着する飛行機が、その安眠を妨げるかどうかは予想の付かないところではあるが。


「なるべく安全そうな場所に着陸します。しっかりと掴まっていて下さい……」


 明らかに消耗を感じさせる声でパイロットは残された力を振り絞り可能な限り安全な、滑走が長く行える着陸ルートを探して減速を行う。

 機種を持ち上げ、選んだコースはこの町の市場である露店が立ち並ぶ通り。

 減速しつつ、しかし限定的な条件と短い距離の滑走故に乱暴なランディングを……行う。

 機体を叩きつけるような着陸で、腰に響くような衝撃を乗員に与えた機体はいよいよ限界を迎え、膠着脚は折れて胴体を擦る嫌な音が響く。

 翼が露店を薙ぎ倒し、木の折れる音が連続して聞こえるが、しかしそれらがクッションとなり徐々にスピードは落ちて破壊の余韻と共に不時着は成功した。


「よ、よかった……」


 思わず安堵の声を漏らしたトルネは慌ててベルトを外し、前の席に座るパイロットの様子を確認する……が。


「っ……!これは、酷い」


 着陸までを宣言通りにこなして気が抜けたのだろう、そのまま気を失っていたパイロットには無数の傷があった。

 胴体に刺さった無数の破片はクジラと衝突した時のもの。

 服には血が滲み、マスクを着ける余裕すらなかったのであろう顔は蒼白で息も浅くなっていた。


「そうだ!マスクを着けないと!」


 力の抜けた体を押して、シート下からマスクを取り出したトルネはそのままパイロットの呼吸の安全を確保する。

 息苦しかろうが瘴気に蝕まれればどのみち死んでしまうのだ。

 

「それで、次は……」


 体に刺さった無数の破片。

 そもそもこの不時着した飛行機というのは安全なのか?

 ならば安全な場所とはどこなのか。

 今装着したマスクはどれだけの時間、瘴気から肺を守ってくれるのか……疑問が一気に押し寄せ胸の中で膨らんで肺を押しつぶす。


「次、次は……」


 そんな事をしている場合ではないと分かっているのに、思わず座り込んで震える手を伸ばして懐中時計時計を手に取る。

 狭窄した視野で見る文字盤が、無慈悲に告げる時間の経過が等しく生存の可能性を削ってゆく──

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