勇名轟く③ ぎこちない航行


 セファンがいなくなった後も、格納庫での仕事は滞りなく進む。

 恐ろしく手が掛かるハラネスの機体ですら、だ。

 それはセファンが分厚いマニュアルを用意してから船を降りたから。

 とても分かりやすく、理路整然と纏められたその紙束は今や整備士達の愛読書。

 仕事中によく読まれ、仕事終わりには酒の肴にすらなって少し酒臭い。


「もっと扱いを丁寧にすべきだと思うね」

「気を付けやす」


 フロドが水分が落ち、そして乾いた跡の残る紙を眺めて呟いた言葉を整備士の男が簡潔に受け流してイサナトリを弄くり回す。

 角張った顔のこの男は実に寡黙で丁寧な仕事をする、この船の整備士のひとり。

 セファンが担当していた仕事を引き継ぎ、イサナトリを専門とする彼は今フロドの機体を確認していた。


「なんか変なの積むんだろ?」

「新型の武装と聞きましたが」

「大砲とかか?そんなのクジラに当てたら出来立てのミンチになっちまう」


 イサナトリに搭載する武装には制限がある。

 それは何か法規によって定められたものという事ではなく、あまり威力があり過ぎてはクジラの活用出来る部位が減ってしまうからだ。

 だからこそイサナトリの基本は銛とその発射機構である銛筒。

 そこはイサナトリの歴史の中で一度も変わる事がないセオリーだ。


「そもそも話さ、ここんとこ学者だなんだって連中が乗りすぎなんだよなァ」

「学者センセイの話はタメになりやす。知らん事ばかりで、どの話も新鮮でさァ」

「そうかい、僕は最悪だったね。前の遠征のあのクジラ研究の第一人者だかって先生はずっと喋りやがる。銛を撃ち込む角度にも文句言って来やがってよォ……!思い出したら腹立って来た!」


 怒りの余燼を火種に再び燃焼を始めたフロドの元に、タイミングが悪い事にハラネスがやって来た。

 もちろんハラネスが被害者側だ。


「ヨォー!ハラネス!アンタもそう思うよなァ!?」

「お前とそう変わらんだろう。どちらも自覚無しというのがタチ悪い」

「ハァ?僕はそんな事ないよな?最高のムードメーカーだよな?」

「ウス」

「ほら。ってか兄貴のところに行ったんじゃねぇのかよ?」

「今回のゲストと話し込んでいるらしい。暇だから戻って来た」


 壁に身を預け、腕を組んでイサナトリの整備の様子を眺め始めたハラネス。

 工具の動きのひとつひとつを睨め付けるように観察する姿は中々に緊張を齎すものだ。


「オイオイ、こいつがソワソワするだろ。落ち着かないって」

「気になるのか?」

「構いやせん」

「だそうだ」


 寡黙な2人に挟まれて、フロドはやれやれといった様子で肩を竦める。

 何故だがフロドのその動作の方が集中を削ぐものであった事を誰も指摘しない。


「まったくよォ……作業の邪魔すんなよ〜?」

「この程度が邪魔になるならイサナトリに乗せたら発狂するんじゃないのか」

「確かにな。てかさ今回はイサナトリのテストだろ?て事はイサナトリの専門家か!それならアンタも満足出来る話題じゃねぇの?」

「それならイサナトリの話、私が沢山出来るけれど」


 突如会話に割り込んで来た女性の声、そしてコツコツと鋭い足音が近づいてくる。

 ハラネスは振り返り、そして少し困ったような表情をして顔を伏せた。


「アァ!?やべっ……やあどうも!天才と謳われしはこの僕フロド!以後よろしく」

「ええよろしく。私は開発局のトルネ」


 ハラネスとトルネの間に体を差し込み、注意を引く大仰な自己紹介で気まずくならないようにと気を使うフロドであったが、ハラネスとの身長差のせいであまり遮れてはいなかった。

 

「貴方達に試して貰いたい装備を幾つか持って来たからイサナトリについての話はきっと沢山する事になるわ」

「それは楽しみですねェ!……ネェー?」

「……俺には、俺の機体があればそれで充分だ」


 ポツリと呟き身を預けていた壁から離れ、ハラネスは背を向ける。


「作業の邪魔はしたくない。俺は行く」

「ア!ちょっと……!」


 取り残されたフロドとトルネ。

 あとは整備に徹する機械のような男がひとり。

 フロドは女性を前にしてこんなに緊張した事が無かった。

 冷や汗が止まらない。

 口から出るのはその場繋ぎの乾いた笑いだけだ。


「あーハハハ……」

「そんなに緊張しなくて大丈夫。ただ率直な感想を聞きたいだけだから」

「え?あぁそう?いや、ハラネスとこう気まずい感じかなーって」

「ハラネスと?……貴方にはそんな事まで話していたのね」


 トルネは考え込むような仕草をして、しかし僅かに嬉しそうだ。

 フロドはこの予想外の反応を前に、何か奇妙な状況に迷い込んでしまったのかと目を回す。


「貴方と話しているハラネスは楽しそうだったわ。あんなのフランクと話している時にしか見なかったもの」

「フランク?……ああ、アイツの兄貴か」

「ええ、話は聞いた?凄腕の銛撃ちで……ふふっ」


 トルネが口を抑えて楽しげに笑う。

 その視線はフロドの肩を超えてその向こう、イサナトリを見ていた。


「なんだよ?」

「あれがハラネスのイサナトリよね?」

「オウ、バカみてぇな速さでブッ飛ぶ大喰らいさ」

「まだフランクの機体の真似をしてるのね。あの人もイサナトリには、とにかく速度を求めていたから……」


 懐かしそうに、楽しそうに語るトルネの姿はフロドの記憶にある姿とはまるで異なった。

 あの日は確かにハラネスに対する当たりが強かったのだが。


「なあ、僕はさ。ハラネスと飛ぶのが楽しいんだ。船団にとってもアイツは欠かせない問題児だよ。アンタがどう思ってるかは知らないが、ハラネスはイサナトリに乗ってる時が1番饒舌で楽しそうだ」


 照れ臭そうに頭を掻きながら、こんな事は顔を見られながら話していられないと俯きがちでフロドは思いをこぼす。

 急にそんな事を聞かされたトルネは面食らって目を丸くするが、すぐに目を細めてポケットに手を当てる。


「ああ思い出した。貴方、ハラネスに当たってしまった日に会った人よね?ごめんなさい。ハラネスにあんな事を言うべきではなかったと、後悔しているの」


 トルネの目には後悔と、そして怯えが写っている。

 ハラネスも兄同様に銛撃ちだ。

 空へ出たまま2度と帰らないかもしれない。

 仲違い……そう言うには一方的に罵声を浴びせただけのあの会話が、最期の会話になるかもしれないと写真を見るたびにに後悔を重ねていた。

 この船にハラネスが乗っている事はついさっきまで知らなかった。

 偶然、見ておこうとやって来た格納庫で見つけたその姿を見つけ今しかないと思った……のだが。


「へぇ、そっか。ま、心変わりなんてバンバンするもんだよな。全然曲げねぇ頑固なハラネスの方が珍しい」

「やっぱりハラネスは頑固なのね。私もフランクも子供の頃からとても苦労したわ」

「その話スッゲェ聞きたいね。このお節介焼きフロドが、ハラネスがガキの頃の話と引き換えに上手い事仲立ちしてやろう」


 当初の危惧はどこへやら。

 和やかに落着したトルネとの会話にフロドは胸を撫で下ろし、しかし同時にハラネスという頑固で不器用な男をどうしたものかと先の面倒の事を考えて頭を悩ませる。

 そんな悩みの種、トルネを避けて格納庫から去っていったハラネスは、当て所もなくただ船内を歩き回っていた。

 そうする事で何処かの腰を落ち着ける場所を探していると、通りがかった食堂にて声を掛けられた。


「ハラネス!アタシらとゲームしないかい?」

「ルールが分からん」

「じゃあ茶でも飲んできな」

「自分が淹れたんですよ!」


 食堂のテーブルでクジラの骨を加工したサイコロを振っていた数名の船員の中に居たウィルフとフィスクに呼び止められて、これ以上断る理由も見つからずにハラネスは少し離れた席に座った。

 ハラネスにはルールが分からないそのゲームは佳境らしく、テーブルに集められた紙幣の行方を決める大一番が行われているようだ。


「ささ、どうぞどうぞ」

「いただこう」

「マッズイ茶だけどねぇ」

「……そうなのか」

「勉強中でして」

「ビリッケツの負け犬にはフィスクの茶の底に溜まった部分の一気飲みでもしてもらおうか」


 屈強な船員達から怯えた子犬のような悲鳴が上がり、口元まで動かしてしまった茶を見るハラネスの眉間にも深々と皺が刻まれた。

 フィスク少年は屈託のない笑みでハラネスを見て、憧れの先輩から頂く感想を楽しみにしている。

 自覚のない邪悪を前に腹を括ったハラネスはカップに並々注がれた液体を口内へと流し込み……


「不味いな」

「そんなぁ」


 ゲームの勝敗も決したようで、歓喜と共にくぐもった嗚咽が聞こえて来た。

 とはいえ負けは次の勝ちで取り返せば良いと、すぐさま次の勝負に移っている。

 掛け金とは別にウィルフの側に皺だらけの紙幣の山がある辺り、あの老婆は若人から金銭を巻き上げているらしい。


「フィスクはやらないのか?」

「自分はもうとっくにすっからかんでして」

「最初から全ツッパは馬鹿の所業だよ。盛り上がりはしたがね」

「自分には賭け事への適正が無いようですね!」


 あっけからんと負けを認めて罰ゲーム係に甘んじるフィスクも勝負の行方を見守って楽しげだ。

 だがハラネスにはルールが分からず、テーブルについてやる事といえば懐から取り出した小箱の中身を広げて行う細々とした作業。


「あ!それってこの前仕留めたクジラの骨ですか?」

「ああ。加工して紐に通す」

「へぇ……噂には聞いていたけど器用なもんだねぇ。どれぐらい集めたんだい、見してみな」


 首に掛けた紐を指で引っ張り、胸元から引き出した首飾りはもう相当数の骨片を連ねている。

 段数も増えて、ジャラジャラとぶつかり合う音をさせているそれを見てゲームそっちのけで船員達から歓声が上がった。


「そのうちスケイルメイルにでもなるんじゃないかい」

「それまで俺が生きていればな」

「後ろ向きな事言いますねー。そうだ!この文様って意味あるんですか?」

「よく見ろ、日付だ。この骨片にも仕留めた日付を彫る……これでは墓をぶら下げているのと変わらんか」


 針の先を細かく何度も往復させて、ハラネスは手元の小さな破片へと器用に、そして根気強く線を刻み込む。

 この作業を何度も繰り返してきたのだと、胸元で輝く戦利品を見てフィスクは嘆息を漏らす。


「いやーでも流石じゃないですか!今回の遠征でまた増えちゃいますね!自分も記録取ろうかな!」

「いんや。増えるかどうかは微妙なところだねぇ」

「何故だ」


 面白くなさそうに今回の遠征の戦果について否定したウィルフに対し、ハラネスは前のめりで問い掛けた。

 作業の手を止め、もはや睨むような真剣さでウィルフを見る。


「今回の遠征は開発局の新装備のテストってのが目玉なのさ。アンタも噂で聞いてるだろう?デカいクジラがやって来るかもしれないって。近頃この船に学者連中が乗っていたのもその調査。新装備はいよいよ対決を見据えた準備ってとこさね」

「へえ!新装備なんてワクワクしちゃいますね!」

「バカだねアンタ。積んでる荷物の目録を見たかい?新装備ってのは爆弾さ」


 浮かれるフィスクの頭にチョップを落とし、ウィルフはフンと鼻を鳴らして内心の嫌気を隠さずに言葉を続ける。


「爆弾なんてクジラに使ってみな、威力が過剰過ぎて使える部位なんて殆ど無くなっちまうだろう」


 クジラの体というのは全身余すところなく活用出来る資源だ。

 あらゆる産業に求められるクジラを狩り、人々に届ける事に銛撃ちはプライドを持って仕事に臨んでいる。

 ウィルフとて例外ではない。

 ただ威力が必要ならイサナトリではなく軍艦でも使えば良い、それをしないのはクジラという荒々しく時に命を奪うような暴力的なその恵を獲るという行いに長い人生を賭してきた。


「アタシらは命を頂くんだ。野放図にただ殺して回るんじゃなくて、余さず全てを頂いて殺し方も選ぶってのが銛撃ちの矜持ってもんさ」

「おぉ、凄い」

「いいぞー!婆さんカッコいいぜ!」


 フィスクや船員達からの喝采の中で、ハラネスはそのような武器を何故テストしているかについて、周囲よりもひとつ踏み込んだ思考をしていた。

 先程の気まずい再会……この爆弾というのがトルネが作ったものならば、それが向けられる相手にも想像がつく。

 少し距離をとってハラネスは呟いた。


「いや……過剰ではないかもしれないぞ」


 ひとりごちたその言葉は、誰に届くこともなく霧散する。

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