雲霧を越えて④ 奇襲


「ほらほら急げ!僕とハラネスが出るぞ!」


 ウィルフとフィスクの状況が伝わった時には出撃するべく行動を始めた2人は、あっという間にイサナトリに乗り込み滑走路の支度を整えさせていた。

 

「お先に失礼するよ」

「ああ、俺の機体は速いからな。そうでもないとお前を置いていってしまう」


 滑走路にて発進の準備を整えたフロドが、無線を操作しブリッジへと繋ぐ。


「ヨォ!兄貴。あのクジラは僕らでやる。いいだろ?」

「あぁクソ、許可する!……気を付けろよ」

「ハッ!誰に言ってんのさ」


 イサリビ機関が温まり、後部に大きく開いた顎の如きノズルから轟々と息吹を放つ。

 イサナトリも滑走路も出撃準備完了と合図を送り合いフロドはニヤリと笑う。


「僕は天才だぜ!よっしゃあ!フロド出るぞ!」


 轟音と一条の光の軌跡を残して滑走路を飛び出したフロドを見送りハラネスも滑走路へ。

 2番機は改修後初の本格使用だ。

 セファンが心血を注いだ結果、イサナトリはハラネス好みの高速機体へと変化を遂げた。

 多くの燃料を搭載し機体各所に増設したスラスターにて、とにかく吹かしまくるという乱暴なスタイル。

 これにハラネスはとても満足し、飛び立つ前から既に高揚を隠していなかった。


 そんな状態ゆえに、発進の合図を一瞬ごとに今か今かと待ち侘びて、合図として振り下ろされた手を歓喜と共に迎えてペダルを踏み込む。


「ハラネス機、出すぞ」


 轟音と、大小様々な光の軌跡を残してハラネス機が加速する。

 音も振動も負荷も何もかもが今までとはまるで違う。

 操縦桿を握り締め、急速に拡大する空へと向かって飛び出したハラネスは大空の自由を享受する。


「最高だな、これは」


 発進しただけで感じるパワーが堪らなくハラネスを魅了し、思わず感嘆の言葉を口にしてしまう。


「ご機嫌みたいだな。そら行くぞ」

「了解」


 フロドが先行し、ハラネスが後を追う。

 目指すは雲の中、敗走する味方の援護。

 大まかな狙いを付けて飛び、薄雲の中へと入った頃に周囲を見回すが動くものは何もない。

 これ以上進めば狩られる側が増えるだけだ。


「雲の中で飛んだ事あるか?」

「当然ある。お前はないのか」

「あるに決まってんだろ?じゃあ雲の中を飛んでるイサナトリを見つけた事は?」

「ないな」

「おおーそうかそうか。じゃあ僕が先行する」


 満足げ、そして得意げになったフロドが飛んでゆき、ハラネスはため息を吐きながら後に続く。


「婆さん!聞こえてっか!?」

「聞こえてるよ!フィスクがやられたんだ!クソッ……アタシのミスだ……!」

「そういうの良いから状況教えろ!高度!速度!角度!」

「あ、あぁ」


 ウィルフに答えさせた数字を元に、大まかなルートを脳内の空図に描いたフロドは次の指示を飛ばす。


「随分遅いな?よし、一定間隔で信号弾を打つんだ。それを頼りに見つける」

「あぁ、助かるよ。フィスクのイサナトリをなんとか掴んだんだけどね、フィスクは気絶しちまってるみたいでコレを抱えながら逃げなきゃならないのさ」

「ヨシヨシ、僕が来たからには万事解決だ。大船に乗ったつもりでいるといい」


 フロドは記憶する事が身を助ける事を知っていた。

 例えば空図。今自分が何処にいるのかを知る事が出来る。

 例えば速度計。自分がどの程度移動したのかが分かる。

 例えば方位計。自分が何処を向いているのかが分かる。

 これらを記憶し、組み合わせてフロドは脳裏の空図に自分の航跡を描いているのだ。

 そしてもうひとつ、探している対象であるウィルフの位置を帰還目標である船団を終点としたラインで認識して位置取りを決める。

 脳内で独立した推測航行。

 まるで空図をその場で広げているかのような正確さが、フロドのそれにはある。


「ハラネス、はぐれんなよ?」

「そっちこそ迷うなよ?」


 軽口を叩き合い、フロドとハラネスは濃い雲の中を飛ぶ。

 迷いなく、ただ周囲を見回して見落としがないようにしながら雲の中を行けば、フロドの予想通りに雲の中に今にも消えそうになる赤い光を見つけた。

 今打ち上げたという訳ではなく、少し時間が経った信号弾は間違いなくこの近くにウィルフとフィスク、そしてクジラが居る事を示していた。


「近いぜ。腹括れよ」

「とっくに出来ている」


 そこから飛行を続けて程なくして、雲の中に歪なシルエットを見つける。

 歪んだイサナトリとそれを抱えながら飛行するイサナトリ。

 ウィルフとフィスクだ。


「ヨォ!婆さん!救世主の登場だ」

「こんな状況じゃあ本当にそう見えるよ……全く、たいしたもんだ」

「フィスクを連れてこのまま離脱しろ。俺達は──」


 言葉を続けようとして、ハラネスは視界の端で動くものを見つけて口の動きを止める。

 大きなシルエットが、雲の中を泳いで誘っているのだ。

 そんなものを見れば当然ハラネスは堪らずに口元を獰猛に歪ませる。


「──このままヤツらを仕留める」

「そう来なくっちゃなァ!」


 口笛と共に歓喜を表すフロド。

 しかしそんなものは自殺行為だと知る……実感しているウィルフは焦りで引き攣った口を開いた。


「正気かい!?相手は2匹、ここは立て直して作戦を──」

「同数だ。問題ない」


 クジラの数とイサナトリの数。それらを等価値とする滅茶苦茶な打算でハラネスは勝機を見出している。

 大きさも、何もかもが大きな相手に挑むのにハラネスとフロドは己の心意気、自身の腕前に対する自負のみで充分だった。

 このような頑固さを改めさせる術を持たないウィルフは力なく息を吐き、苦笑する。


「必ず生きて帰るんだよ。自分より若い連中が死ぬのは堪えるのさ」

「ハン!当たり前さ、僕が死ぬ訳ないだろ?まだまだ名声を高め足りないんでね」

「そうだな、まだ足りない──来るぞッ!」


 クジラは人の都合など気にしない。

 これ見よがしに姿をチラつかせていたクジラが急速に接近し、三者三様の方向へと警戒を厳とする。

 とはいえ今迫っている危機への対処も行わねばならず、散開する事で突進を避けるがこれこそクジラの目論見通り。


「ぜってェ次が来るッ!」


 フィスクを襲った一撃と同じものが襲い来ると分かっていれば身構えておく事が出来る。

 とはいえクジラもそのような場合の対処法を用意していない訳がない。

 雲の中からイサナトリを睨むクジラは目一杯に息を吸い、それを全力で噴気孔より放出する。

 ただ雲を出すだけのそれも吹き出す力が強ければ砲と変わらない。

 イサナトリの視界を知ってか知らずか、視界の通りの悪い下方から雲を吹き出し白い柱が空へと昇る。


「うぉあ!?」

「ぐっ……!」

「下だよ!」


 無防備なままに衝撃を受け、揺れるイサナトリは滅茶苦茶な軌道で空を飛ぶ。

 姿勢の安定を欠いたのだ。

 無理矢理に散らばらせ、避ける事もままならない隙を生み出す狩りの技。

 特にウィルフは立て直すには重量バランスが悪かった。


「婆さんを守れ!」

「自分の事を心配しな!」

「チッ……俺か!」


 再びの突撃のターゲットととなったのはハラネスだった。

 手負いの獲物は残して負担とさせる意図があったのかなかったのか、ともかくハラネスには巨体が迫っている。


「くっ──オォ!」


 ペダルを踏み抜き、脚部も背部もとにかくスラスターを吹かして強引に、ボールが弾き飛ばされるような加速をして難を逃れる。

 イサナトリの内部ではハラネスが加速に揺れるが、外を見れば僥倖に思わず笑みを浮かべた。

 推力任せの滅茶苦茶な動きは予想外となってクジラの背後へ躍り出したのだ。

 これを逃す手はないと、ハラネスは眼光鋭くクジラを睨む。


「俺達で引き付け、そして仕留める!行くぞ!」

「オウ!」


 唐突なハラネスの提案ですらない宣言に、フロドは躊躇わずに同意の声を上げる。

 2人の飛行がただ逃げる為のものから、狩る為のものへと変わった瞬間だった。


「とにかくピッタリ張り付くんだ!見失わなけりゃあなんとでもなる!」


 連携を崩すならばとにかく相手の思い通りにさせない事が肝要だ。

 フロドもハラネスも相手を釘付けにして時間稼ぎを行おうと、クジラ相手にドッグファイトを仕掛ける。


「アタシらは離脱する!待ってるからね!」


 そしてウィルフはフィスクを連れて、全速力で離脱を敢行。

 クジラの側もそれを追うような事はしなかった。

 縄張りを守れればそれで良く、なにより目の前の乱入者が手強い事を悟っていたからだ。

 囮役の体の大きなクジラをハラネスが、奇襲役の体の小さなクジラをフロドが追い掛けるこの状況。

 雲の中へと飛び込み互いに狩るか狩られるか、対等な捕食者が4匹争う状況に相違ない。


「結局1対1やってるな!」

「時間を稼ぐ必要もある。今は凌げ」


 フロドは全力で小柄なクジラを追い掛けていた。

 この奇襲を得意とするクジラを見逃しては碌な事にならないと知っているからこそだ。

 小柄さを活かした左右に揺さぶるような飛行、そして雲の中へと逃げ込む撹乱がフロドを惑わせる……が。


「喰らい付いたら離さないってのが俺の良いところだよなァ!」


 蛇行する機動でイサナトリがギシギシと軋む音が聞こえる。

 それでもこれはフロドの空での手脚、翼となる身体の延長。

 どのように操れば望む結果が得られるのかを考える事もなく理解している。

 上下左右への揺さぶりも雲の中への逃避も意味をなさず、ピッタリと先を行くクジラの航跡をなぞり彼我の距離が縮まってゆく。


「右、左、上昇……その雲好きだろ?ヨシヨシ」


 クジラの次の動きを呟きながら、まるでダンスでもするように操縦桿やペダルを動かしイサナトリを操る。

 そしてその予想は全てが的中しているのだ。

 クジラが雲に飛び込む事を予想した通り、雲の中へと共に飛び込んでもその精度は変わらず、動きの予想の正確さはもはや予知の域。

 これはフロドが主導権を握るパフォーマンスだった。


「まだ、まだ、まだ、次だ……ここ」


 フロドの1番機の両腕に装備した銛筒の内、右の側を構える。

 相手の動きは手に取るように分かる為、狙いは次に来る場所へと置くだけで良い。

 躊躇や不安は無く即決で引き金を引く。

 火薬の撃発が銛を叩き、そして高速で撃ち出された銛は吸い込まれるようにクジラの脇腹を刺し貫いた。

 ワイヤーも繋がりこれで完全に手綱を握ったフロドがクジラを見失う事は無いだろう。

 この全てが定まっていたかの様な一連の動作にフロドは満足げだ。


「今日も万事順調で気分が良い」


 ならばハラネスの方はどうなのか。

 フロドが戦う場所から距離を置き、大柄な囮役のクジラとの戦いは苦戦を強いられていた。

 クジラは基本的に身体が大きければ大きい方が強い個体だ。

 速力に関しても、肺活量などに関しても。


「くっ……またか!」


 ハラネスを白い砲弾──噴気孔から放たれた雲の息吹が襲う。

 当たれば安定を崩され、そのまま無防備にきりもみ飛行しているうちに殺される。

 フロドの曲線を描く軌道に対してハラネスはほぼ直角、クジラから放たれる砲撃を回避する為の回避の連続だった。

 確かにハラネスが背を取ってはいたものの、このクジラは背後への視界も広い。

 噴気孔もある為に背後を取ったというのが必ずしも優位に働く状態でもなかったのだ。


 そしてもうひとつ、ハラネスを翻弄するのが雲の砲弾を撃つたびに、噴気孔から圧力が掛かりきらなかった雲が漏れ出る事だ。

 まるで砲煙のように残るそれはクジラの身体を覆い、気が付いたら別の場所に移動してハラネスを奇襲する。

 囮を務めるその知能の高さを存分に活かし、翻弄する戦い方でハラネスを徐々に追い詰めるクジラは嘲笑うように鳴く。


「俺に張り付いている分には構わんが面倒な相手だ……」


 逃げる味方の援護の為にも負担は背負う必要がある。

 クジラの攻めは一向に止まず、雲が迫り出しハラネスを襲う……かと思いきや白い塊は徐々に霧散し停滞した。

 肩透かしのような現象が、しかし別角度からの攻撃の為の囮である事をハラネスは知っている。


「この程度で落とされはしないが攻める事も出来ないか。本当に面倒な……」


 喉の奥から心底ウンザリと呟くハラネスは眉間に皺を寄せ、回避を繰り返す。

 雲を巻き上げ広範囲の視界を遮るなど、妨害の手は止む事なく続いている。

 だがそれは互いに膠着してる事を如実に表していた。

 クジラの側もハラネスへの決定打を持たず、ハラネスも銛を撃ち込む隙を見出せずに数度の交錯の後に、一本の通信が状況を変えた。


「ヨォ!ウィルフとフィスクは大丈夫だ!帰るならサッサと帰って来い!」


 船団は2人を収容したと、船長からの通信が入る。

 これで2人を縛るものは無くなった。

 時間稼ぎではなく思うままに、狩る為に飛ぶ事が出来る。


「アイアイ兄貴!デカいの2匹連れて帰るから準備しとけよォ!」


 フロドもハラネスも歓喜の笑みを浮かべ、目に力が入る。

 見逃さないようにではなく、仕留め損なわないようにとクジラを睨み、操縦桿を握り直す。

 

「このまま1対1で仕留めるのか!?」

「いや、2対1だ。速戦即決で片方を仕留める」

「ならコッチのが先だ!フィスクが上手い事銛を当てたみたいで弱ってきてる!」

「ならばそちらへ向かう、信号弾を上げろ」

「へへ、これだよコレ!」


 フロドがパチリとスイッチを弾いて信号弾を打ち上げれば、その輝きが離れたハラネスの位置までよく見えた。

 しかしそこまでの距離は離れていて、クジラに引っ張られているフロドは大きく移動してしまう。

 だからこそ、ハラネスは切り札を切る。


「セファン、聞こえているか」

「ええもちろん!ブリッジに居ます!」

「この機体、フルスピードは行けるな?」

「当然ですとも!赤いスイッチを操作すればイサリビ機関への燃料の流量が最大になり──」

「よし、これか」


 ハラネスが赤いスイッチを動かして、次の瞬間……景色が背後へと流れていった。

 メインの推進機も、増設されたスラスターも白い輝きと共に炎を噴き上げ轟音と共に爆発的な推力を生み出す。

 揺蕩う薄雲を吹き飛ばし、分厚い雲すら切り裂いて幾つもの光の尾を伸ばすイサナトリは信号弾へ向けて飛翔する。

 立ち位置が逆転し、その背を追ってクジラも飛ぶがなんとか追い縋るのが精一杯。


 そして当然そんな加速はコクピットに居るハラネスの全身を押し付ける圧を齎すが、ハラネスの表情にはこの上ない喜びに満ちていた。


「このスピード、パワー……!最高だ。この感覚こそ生きているというもの!」


 歯を食いしばり、ゴウゴウと風鳴る音を聞きながら空を飛べばハラネスはこの世で最も自由になったような感覚を味わい飛行も冴え渡るというもの。

 通常のイサナトリを遥かに超える速度で飛べばフロドの元まで辿り着くのにそう時間は掛からず、薄雲を乱暴に払い除ければその向この開けた空間にクジラとイサナトリが見えた。


「合図したらワイヤーを切り離せ……信じるか?」

「信じるさ。僕は性格が良いんだ」


 目の前を横切るような軌道を取るクジラとフロド目掛けて、ハラネスは速度を一切落とす事なく飛び込んだ。

 目指すはクジラ、その背中の僅かに上を掠めるルート。


「いくぞ……3──」


 ハラネスが引き金を引き、銛筒から銛が放たれる。


「2──」


 銛が深々とクジラの背中へと突き立ち、ワイヤーがたわむ。


「1──」


 ハラネスとクジラの軌道が交錯し、そのまま駆け抜けたイサナトリから伸びたワイヤーが強く張る。


「──今だ!」

「アイサー!」


 フロドがワイヤーを切り離し、代わりに繋がるのは横切ったハラネス機。

 高速で飛ぶそれに強引に横方向へと引っ張られたクジラが苦悶の声を上げた。

 ハラネス機のワイヤー巻取り機構が火花を散らし、張り詰めたワイヤーは不恰好な弦楽器のように歪な音色を奏でて騒々しいセッションよう。

 それでも尚、踏み止まろうとヒレを動かしてもがくまま、クジラを軸にハラネスが大きく回る。

 回ればひっくり返り……フロドに無防備な腹を晒す事となる。


「ヨォシ!任せな!」


 フロドは左の銛筒を立て続けに撃ち込み、クジラの腹には何本もの銛が刺さる。

 心臓、肺、そういった部位はクジラにとっても弱点となり、そんな場所に何本も銛が刺されば遠からず生き絶えるだろう。

 そんな時に亡骸が空の底へと落ちないよう、銛の尾部に搭載されたブイが起動し浮袋が膨らんだ。

 フロドは何匹ものクジラを仕留める、自身の活躍を疑わない為に自ら回収せずとも問題無いように異なるアタッチメントを備えた銛筒を2つ装備したイサナトリに乗っていた。


「次だ!」

「おぉ!?来てる来てる!作戦は!?」

「ヤツの肺に穴を開けろッ!」


 残るは1匹。

 しかし片割れを殺された1匹は尋常な相手ではない。

 雲の中から飛び出したソレは荒々しい息遣いで猛進し、青い空を白く染め上げる。

 噴気孔から、口から雲を噴き出して突進する様は怒りの熱で駆動する蒸気機関のよう。

 暴走さながらの勢いで狙うのは直接の仇であるフロドだった。

 雲を纏い、背後に雲を残して突き進む大柄なクジラが自らが生み出した雲を突き抜け加速する。


「来るか!カウンターで……」

「下手に色気を出すなッ!」


 入れ違いで肺を目掛けて銛を撃とうとしたフロドは、ハラネスの忠告に慌てて回避行動をとり……そして感謝した。

 クジラの動きが濃い雲の中で、明らかに予想を超える速さへと変わっていたからだ。

 フロドを追い越し、そしてUターンして再度の突撃を敢行するクジラは再び大量の雲を残して更に加速する。

 

「……なーんか小さくなってない?」


 自らに迫る威容を前に、フロドが違和感を覚えて呟いた。

 雲に隠れて分かりづらいが、どうにも記憶している姿と相違があるように感じたのだ。

 そしてそれが勘違いではない事に、少し離れた位置で見ていたハラネスは気付いていた。


「蓄えた水を減らしているのか。向こうもここで俺達を仕留めるつもりらしい」


 徐々に速くなるその理由はシンプルに重荷を一気に捨てているから。

 そんな手札を減らす真似をするのは確実に相手を斃すと決心したからこそ。

 グルグルと単調な突進を繰り返して加速を続け、回避されようとも構わず全てを絞り出す……そう、全てを絞り出す。


「この……モクモクはヤバくないか?」

「ならば離れればいい……離れられればの話か」


 ハラネスとフロドを包囲する形でグルグルと雲を残すクジラが行なっているのは自らに有利な戦場の構築。

 相手を牽制し続け、雲を展開して掻き回す。

 つい先程まで開けていた空間に引かれた幾本もの白い線が、引き延ばされて拡散して空間を満たして止まらない。


「作戦は?」

「天才ならば自分で考えてみろ。思いつかなければアドリブだ」


 大量の水を抱えて飛ぶパワーを持ったクジラが、その重量を降ろせば力は持て余す程の加速へと繋がる。

 膨れ上がった体の下には大きく発達した胸鰭が、緩やかに収束するシルエットを描く尾部は最速の状態にある事を示していた。

 それが今、ハラネスとフロドへ襲い掛かる。

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