雲霧を越えて③ 雲海の主
「ウィルフ機、フィスク機発進準備よぉし!」
格納庫に多くの声が響く。
その中でも一際大きい声がイサナトリの準備が完了した事を伝えると緊張感が一層強くなる。
「オイオイ緊張し過ぎだ。もちっと落ち着け」
「ほ、ほほほんとに大丈夫でしょうか!?」
「フィスク、大丈夫だ。安心しろ、いいな」
その中でも最も緊張し、固くなっているのがフィスク少年。
見ればコクピットに座るフィスクの膝は小刻みに揺れ、上下の歯が細かく打ち鳴らされている。
あまりにも緊張している為に見かねたハラネスとフロドがこうしてハッチに捕まり話しかけ、落ち着かせようとしている程だ。
「基本はウィルフの婆さんに任せとけ。あとはもう言う事聞いときゃ気付いた時には終わってるって」
「言う事、聞く……言うこと、きく……イウコトキク……」
言葉すら覚束なくなったフィスクを囲み、ハラネスとフロドは苦笑する。
いよいよ発見したクモクジラ。
それに今から挑もうという時にこの緊張は、未だ経験の浅いファスクにとっては仕方ない事であったが何にせよ空に出てしまえばあとはどうとでもなる。
経験豊富なウィルフが付いているというのもあり、ハラネスもフロドもそこまで心配せずに送り出せた。
「何かあれば俺達も待機している。思うように飛んでこい」
「頼りにしてます……」
「はなっから僕らに頼る前提で飛ぶなよな!」
イサナトリから離れれば、フィスク機はハッチを閉じて発進待機の列へと並ぶ。
緊張は機体の動きにも表れていて、細かく並ぶ角度を調整しては揃わずにオーバーに動いていた。
「大丈夫かね?」
「知らん。俺達は飛ばないからな」
「機体の準備は?」
「セファンがやってくれた。いつでも出せる」
「なら気楽に待つかね」
そんな事を言いつつもフロドは腕を組みつま先をコツコツと床に打ち付け落ち着かない様子だ。
そしてそれはハラネスも同じ。
飛び立ったウィルフ機を見て、羨望のあまり思わず言葉が漏れ出てしまう。
「こんな事は良くないと分かってはいるが、俺達の出番が有ればと思ってしまう」
「僕だって飛びたいさ。いつだってな」
2人の視線の先で、フィスク機が次いで飛び去った。
滑走路の先の空は白い雲。
先の見通せない分厚い雲に囲まれていた。
◆◆◆
森のように連なる雲の中、2機のイサナトリが並んで飛行する。
目指すは大勢の被害を出したクモクジラ。
巧みに雲の隠れ蓑を使う狡猾な狩人を相手に、ウィルフもフィスクも油断なく周囲を警戒していた。
「緊張してるかい?」
「ええ、そりゃあもう……自分なんかじゃ先輩方みたいに堂々とはしてられませんよ」
ウィルフの気遣う言葉に対し、ファスクは緊張ゆえの饒舌さで自らを卑下する。
しかしウィルフはその答えに満足げだ。
「それで良いんだよ。緊張して、怯える奴が一番長生きするのさ。恐れ知らずはデカい事を成し遂げるかもしれないが、あっという間にくたばっちまう」
それは実体験に基づく言葉。
ウィルフは確実に前者であり、常に周囲に気を配り空を飛び続けてきた。
だからこそフィスクが自分と同じ類の人間だと分かり、その能力を最大限に活かす方法を教える事としたのだ。
そんな折に訪れた今回の狩りは、まさに良い教導の機会だった。
四方を囲む雲の中でもウィルフは周囲の変化に聡く、雲の流れや周囲に落ちる影などから変化を見逃さない。
天候の変化もクジラの接近もあらゆる要素を読み取る事が出来るのだ。
これはひとえに周囲に対する恐れを持ち続けた為。
そしてその萌芽をフィスクにも見たのだ。
「何かが雲の中に居るような気がします……」
「居るんだろうさ。気を付けな、よぉく見るんだ」
薄雲が覆えばあらゆるものがクジラに見える。
そんな環境で目を凝らし、正体を暴く事で恐怖が和らぐ。
恐怖の源を見つけてしまえばそれを叩く事が出来るのだ。
目に見えない恐怖より、実体のあるものが1番対処がしやすい。
だからそこに集中する。
そして集中して観察を続けていると、見慣れた曲線を雲の中に見つけて思わず舌舐めずりすらしてしまう。
ウィルフは無線でその位置を知らせる。
「正面、下。見えるかい」
「はい……!」
「あれは誘ってるね。追い掛けたらダメだよ」
「ではどうしたら?」
雲の中、ギリギリ互いの姿が見える距離にクジラが居る。
大きなシルエットが雲の中を泳ぐ様子が薄っすらと見てとれたが、仮に追い掛ければあのクジラは雲の中に姿を隠し、そのシルエットすら捉えることが出来なくなるだろう。
「待つのさ。視界が通る場所で待ち構えてりゃ気が急って出てくる事もある」
「出てこない場合は?」
「無理矢理仕掛けてくるだろう。でも退路をしっかり分かってれば大丈夫だよ」
たとえ視界がなくとも船へと帰れるように、ウィルフもフィスクも野生動物の帰巣本能のように位置関係を認識する技術を磨いている。
自分達が通った場所も覚えている。
風の向きと強さから雲の薄い場所が今現在どの辺りにあるかも認識して、万が一の場合にはそこまで退く事も可能だ。
「目を離すんじゃないよ。奴の動きを見逃さないようにね」
クジラは下方で緩やかに飛んでいる。
それが罠だと分かっているから飛び込まないが、無防備に飛んでいるように見える姿を眺め続けるのはなんとももどかしいものだった。
銛を撃ち込めば当たるのではないだろうか?
その様な疑問が頭に浮かび、魅力的な欲が鎌首をもたげる事もあるだろう。
しかしそれが無意味である事をウィルフは当然分かっていた。
(この距離、銛筒を撃たれても回避可能な距離って事かい?誘い込む様な飛び方といいイサナトリの相手を経験して、学習した個体……)
やはりこの場においては互いが狩る側である事を再認識してウィルフは気を引き締める。
だが中々動かない状況に精神が圧迫され、集中は
この膠着状態がいつまで続くのか、燃料はまだ保つが余程辛抱強いクジラであった場合には帰還しなくてはならないと頭の片隅で考え始めた頃、クジラが動いた。
「上がって来ます!」
「雲を吐き出すつもりだよ!」
上昇し、徐々に大きく見えるクジラは銛を射掛けられないように噴気孔から雲を吹き出し視界を遮る。
下方から迫るのはクジラというより最早白い壁。
迫り上がる白を見て、2機のイサナトリは予定通りに来た道を戻る。
未だ開けた視界の退路を進みつつ、背後を確認すれば追走する雲とその中を踊るクジラの影が見えた。
「何処まで引けばよいのでしょうか!?」
「向こうの雲が尽きた時に仕掛ける!気張りな!」
クジラは大回りするように四方八方から雲を巻き、雲の回廊を埋め立てる。
しかしそれにも限界は来る。
クジラとて無尽蔵に雲を生み出せる訳ではなく、水分補給が必要だ。
だからこそ、逃げて、逃げて……
「雲が……濃い?」
そのうちに、フィスクが周囲の異変に気がつく。
どう逃げたら安全なのか、教わった通りに記憶していたルート。
それが雲に塞がれている。
雲の裂け目となっている筈の場所は進むにつれ徐々に視界が不明瞭になり、しまいには視界は不鮮明な雲ばかりを捉えていた。
「こ、これは……」
「風はそう吹いていない。短時間でこれだけの変化があるって事は──」
「下ですッ!」
つまり、と続けようとしたその時、下方よりクジラが襲い掛かる。
急接近したそれに対して2機は素早く散開し、難を逃れるがクジラは再び雲の中へと消えてしまった。
「不味い状況だ。取り敢えず船の方角へ逃げるよ」
「了解です」
必ず再び襲い掛かってくるクジラを警戒しつつ、飛行を続ける2人の額に汗が流れる。
この状況、既に狩る側はクジラになっていると理解しているからだ。
本能的な恐怖が想起させられる。
「ウィルフだ。ブリッジへ、聞こえてるかい」
「ああ聞こえている。状況は」
「予想外が起きた、雲に囲まれている。そっち側に退くルートを取っているがクジラの追撃がありそうだねぇ」
万が一の備えとしてブリッジへと連絡をするが、ウィルフはどうにもこれが万が一では済まない気がしてならなかった。
ひとつの予想外は、ウィルフの脳内で猛烈な警鐘を鳴らすには十分過ぎたのだ。
「退却……ですか?」
「そうしたいところだけど、退かせてくれるもんかねぇ……とにかく嫌な予感がする。戻って立て直すよ」
フィスクは僅かな名残惜しさと共に背後を見る。
功名心が無い訳ではないのだ。
腕の立つ流れ者の登場で、憧れは一段と強くなった。
そんな欲によって振り返った背後から、クジラが急速に接近していた、
「後ろですッ!!」
「ッ──!」
咄嗟に振り絞った声により、2機は全力の回避を行いすんでのところで難を逃れた。
この場でフィスクだけが、偶然振り返った事による幸運が2人の命を救う。
「も、もし振り返らなかったら──」
「良くやった!シャンとしな!」
もしもの自分を想像し、ガチガチと歯を打ち合わせて慄き落ち着かなく周囲を見回すフィスクを喝と共に称賛しながらウィルフは追い抜いて飛び去ろうとするクジラを睨む。
奇襲を凌げた今こそ好機。
再び見失う前に銛を突き立てワイヤーで手繰らねば状況は変わらない。
「このまま見失う訳にはいかないんだよ──っ!」
ウィルフは年齢を感じさせない反射神経と長年磨き抜いた判断速度で素早く銛筒の狙いを付ける。
クジラが完全に雲の中へと逃げ込む前に、簡単に外れない確実な一撃を撃ち込む必要があった。
しわがれた腕に血が巡り、指が引き金を引き絞る。
狙うは脇腹。肺や心臓に刺されば良し。
肋骨に銛が引っ掛かればそう易々とは抜けないだろう。
当てる、当てると息巻いて集中する……視野が狭くなる。
「危ないッ!!」
フィスクの叫び、そして火薬の撃発。
同時にウィルフの耳朶を叩き、疑問がひとつ湧いて出る。
それはおかしい、クジラは今まさに目の前に居るではないか。
直後、ウィルフの目の前を赤い飛沫が落ちて行った。
慌てて背後を確認すれば、クジラと共に落ちてゆくフィスク機の姿が。
「もう1匹居たのか……っ!」
既に最初の1匹は雲の中へと逃げおおせて、もう1匹はフィスクを叩いた。
これは狩りなのだ。
ただし、端からこれは狩る側が定まっていた。
この場において、人間は獲物だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます