雲霧を越えて① 準備万端
ハラネス、フロド、セファンの3人がどうこうと働きかけるまでもなく、貨客船を襲った危険なクジラの駆除には船団の戦力が駆り出される事となった。
この素早い決定には当然理由がある。
アマトは交易によって支えられている為に、その土台を崩されては敵わないというもの。
金もそうだが安全はブランドだ。
これが崩される事が何よりも損失だと考えた時、丁度良く港には実績十分なクジラ狩りの専門家達の船が停泊しているではないか。
そんな調子でトントン拍子に決まったこのイレギュラーな出航に、喜ぶ者と悲しむ者は半々といったところ。
手当として多くの金が配られて喜ぶ者と、陸地に帰ってきたと思ったら空の上へと引き戻されて悲しむ者だ。
そしてそれら個人の感情は切り分けて仕事が出来る者が大半。
だがしかし、個人的な感情に従って船に乗る者も居る。
例えばそう、格納庫でたむろする銛撃ち達の中で一際大きな声を上げるフロドなど。
彼はこの船に乗る銛撃ち……いや、この船に乗る中で最も高齢となる老女──ウィルフへと、駄々をこねる幼い孫のように必死の懇願をしていた。
「いいだろ!?そこを何とか僕らと代わって欲しいんだよ!」
「アンタも新入りも前の遠征で散々活躍しただろう。アタシらにも仕事が来ないと困るんだよ」
「あー!頭の硬いババアだこと!フィスク!テメェもなんか言え!」
「えぇ!?自分ですかぁ!?」
埒が開かないと手段を変えて、フロドの我儘の矢面に立たされたのは最年少の銛撃ちであるフィスク少年。
最年長と最年少で組むこのチームは祖母と孫程に年齢が離れており、厳しいと評判のウィルフでもこのフィスク少年には甘さがあるとフロドには見透かされてるのだ。
だがしかし、そんな手段で我を通そうとするフロドにこそ、ウィルフ婆さんの雷が落ちるのだ。
「ええい!望めばなんでも叶う訳じゃあないんだよ!このボンボンめ!」
「クソが!とっくに隠居してる年齢なんだから大人しく休んどけや!」
「都合の良い時だけババアを労わろうってかい!」
白熱する口論、喧嘩……威嚇だろうか。
それを尻目にフィスクはそそくさとフロドの後ろで黙って突っ立っていたハラネスへと寄って来る。
「えっと……前はお二人とも上手くいってなさそうでしだが、何かあったんですか?」
「気にするな」
「あ!いや!別に詮索しようとか、そういうつもりはなくて!」
「何故そう怯える」
「え……!?いや、それは……」
言葉数が少なく、威圧的な見た目をしているからだとはとても言えない。
フィスクは面倒から抜け出した先でもこのような事に巻き込まれる。
そのような星の元に生まれていた。
「こわ……いえ、ハラネスさんはあのフロド先輩と同じくらい凄腕ですし──」
「腕は俺の方が上だ」
「あ、はい!すみません!ハラネスさんの方が上です!」
「そうだな。それで」
「憧れ、ちゃうなーって」
いつも通り素っ気なく「そうか」とだけ口にして、ハラネスはフィスクを見下ろす。
じっくりと、穴が開くほど。
フィスクからすれば、まるで獲物を狙う捕食者のように感じただろう。
ハラネスにそんなつもりは毛頭ないのだが。
「俺に憧れるのか」
「はい。自分のような新米からすると先輩方はみんな偉大で……自分なんか空飛ぶのがまだ少し怖くって」
「俺も怖いものは怖い。気にするな」
「ハラネスさん程の方でも……」
「俺を何だと思っているのかは知らんが、お前とそう変わらない」
「へー……自分は漏らしちゃったりするんですが」
「それはないな」
2人の間に走った沈黙と断絶を、ハラネスへと向けられたフロドの怒号が塗り替える。
「ハーラネース!!!こっち来い!このババアを医務室に送り込むぞ!」
「馬鹿を言え。お前が船倉に閉じ込められるぞ」
「それもそうだけどなァ!」
「馬鹿共が!倫理で説得しな!!」
何故こうもフロドはムキになっているのか。
それはとても単純、貨客船を襲ったクジラを仕留める役目はこのウィルフとフィスクに任されたのだ。
この船に乗る銛撃ちはハラネスとフロドだけではない。
当然他の銛撃ちも使い物にならなければ困るので、次世代の育成の為にもここはフィスクに大物に挑む経験を積ませたい……そう考えたのは他ならぬフロドの兄だった。
そこに私情が挟まれていない事などフロドには分かりきっている。
だからこそ説得には当人であるウィルフとフィスクの2人から始める必要があったのだが。
「まいったなコリャ。どうするよ?」
「どうするも何もないだろう、今回は機会が無かった。獲物は相応しい時に目の前に現れるものだ」
「獲物は探して自分の手で掴み取るもんだ!かーっ!出鼻を挫かれるってのはどうしてこう──」
苛立ちに悶える体がもどかしさで妙な形をとり始め、堪らず駆け出したフロドを見送ったハラネスに、立ち代わり話しかけてきたのはセファンだった。
「まあ、人生ってままならないものですよね」
「だが人生は同じだけの奇妙さや神秘に満ちているものだ」
ハラネスとて思うところがない訳ではない。
休養の大切さ、他者との関わりなどを理性では理解しつつも可能ならばずっと飛んでいたいという衝動もある。
とはいえイサナトリの外にいる間は、ハラネスは冷静であった。
そんな状態でハラネスが何を思うのかといえば、良い事が起きるといいな程度の薄っすらとした願望くらいのものだ。
「そうですね。奇妙に神秘……私としてはハラネスさんがあの機体に納得しているという事が奇妙の極まる点に思えますが」
「良い仕事だと思うが」
今回の仕事に力を入れていたのはハラネスやフロドだけではない。
当然セファンも全力を尽くしたのだ。
セファンにとっての本番とはまさに今、この時。
ハラネスの為の機体を完璧に仕上げる事こそ自らの誇りに賭けてこなすべき使命だと心血を注いだ。
遠征中に得たデータを元に帰港時に部品を補充。
とはいえ他の機体と互換性のないパーツの申請は蹴られてしまったが、それでも完成したイサナトリは10人が見れば9人が欠陥品だと答える状態。
ただ1人、ハラネスが完璧だと言えばそれで良いという考えの元組み上げられた機体はしかし、現在は飛行停止を命令されている状態だった。
「私個人としては満足のいく機体です。なにせ搭乗者への負担をまるで考えない机上の空論……もやは妄想を元に機体を組み上げていますから」
「俺が操れると信じていないのか?」
「信じてもいいとは思っています。ですが帳簿上でも中々に難しいところが発生する機体ですからね」
そう、この機体が飛行停止を命じられた理由。それは燃料費が嵩む為。
とてもシンプルで重たい問題は、ハラネスの求める高速化と高速域での安定化を一挙に解決しようとしたせいで発生した。
それはスラスターの増設。
セファンは単純に考えたのだ。
救命装置を下ろした分、燃料タンクとスラスターを詰め込めば良いと。
結果、誕生したのが暴れ馬。
クジラの脂を精製したイサリビ燃料を大量に呑み、炎を噴き上げるクジラ殺しの空飛ぶ怪物だった。
「リミッターを付けるらしいな」
「飛行停止を解除するならそれが必要だと、船長にこっぴどく叱られましたよ……」
「なに、俺の価値を示せば良いだけの事だ。使う量より多く獲ってくれば解決するだろう」
「その機会がいつになるのやら、といった感じですけどね」
腕を組み、ハラネスが格納庫の端を見た。
イサナトリが並んで駐機された中に彼の機体も停められている。
「早く飛ばしたいものだな」
「ええ……フロドさんも変な感じになってますし」
「僕を飛ばさせろーっ!!!」
格納庫を駆け回るフロドの奇声がこだまする中、船の進路は大きな雲海へと向かっていた──
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