迷霧の中で⑤ 再始動


 フロドはこの上なくワクワクしていた。

 なにせあの謎に満ち、そしてまるで言う事を聞かず歩調を合わせる気のない男について知れるかもしれないのだから。

 これには興味本位、そして多少の嫌がらせの感情が含まれているのだが、もはや彼を止める事など出来はしない。

 人混みに、路地裏に。ハラネスの背中を探してフロドが首を回す。


「暗い奴を探せ!辛気臭い奴だ!」

「はぁ……フロドさんも中々の執着っぷりですね」

「あん?ハラネスの野郎にか?」

「何かと気にしてるでしょう」

「それはもう当然よ。完全に夢中だね。僕は特定の相手を持たない主義だが……まるで恋する乙女の気分だ」


 首根っこを掴まれ連れ回されている形のセファンは内心のウンザリした感情を隠す事なくフロドへ問い掛けた。


「ヤツの腕は本物さ。この僕が言うんだから間違いない。なんせあの無謀なスタンドプレーでもなんだかんだで生き残ってるワケだしなァ」


 関心半分、呆れ半分といった褒め言葉でハラネスを讃えるがその内には隠しきれない羨望がある事にセファンは気が付いた。

 

「嫉妬とかしないんですね。自分の事を天才だとか言うから他人の優れたところは認められないのかと」

「ハッ!何言ってやがんだか。僕が天才、ハラネスが凄腕。両立すんだろうが。僕より優れた奴を何人も見て来たがそれは通過点、踏み台さ。そこを超えてしまえば自分が一番になれるんだから妬む必要がどこにあんだか」


 それはあらゆるハードルを超えて来たからこそ、これからも超え続ける事が出来ると確信しているからこその言葉。

 フロドの極めて強靭な自己肯定感に、もはや感嘆の域にまで達したセファンは抵抗を諦める。

 結局フロドもセファンもハラネスも、全員頑固なのだ。

 誰も譲らないから衝突する。

 誰も譲りたくないから意地になっているのだと、セファンは自嘲を込めて苦笑した。


「何がおかしいかねェ?」

「いえ別に。ただハラネスさんと仲良くやってるフロドさんはしっくり来ると思いまして」

「そうかい。ま!それはあの雨雲みてェに重苦しくて湿気ってやがるアイツ次第かな!」


 フロドの視界にはまさにそんな様子の男がひとり、当てどもなく歩いている。

 褐色の肌、ダークブラウンの髪は普段の健康的な印象が見つけられずに心なしか小さく見える。

 しかしそんな事に構う事などなく、勢いよくハラネスの首へと腕を回し、離してなるものかと脇で抱えたフロドが豪快に笑う。


「見つけたぜェ!ハラネスさんよォ!!何処へ行こうってんだいえぇ!?」

「ぐ……何の用だフロド」

「愚問ってやつだな。酒だの飯だのかっ喰らうのさ」

「いやーご迷惑おかけしますね。無理にとは言いませんが……」

「セファンもか?何故そう──」

「あー!いいから、いいから。話はテーブルに着いてからな!さぁ行くぞ!」


 有無を言わさず先陣を切りるフロドを恨みがましく睨みながら、ハラネスは首や頭をさすってため息をひとつ。


「行くのか?」

「私は行きますよ」

「そうか……俺も、行こう」

「えぇ、嬉しいですよ。……フロドさん待ってくださいよー!」

「僕の薦める店だぞ!早く来いよノロマども!」

 

 石畳を踏み締め、既に赤ら顔の通行人とすれ違い……フロドの案内に従って、一行が辿り着いたのは特別な点は無いありふれたパブだった。

 店の外からでも聞こえる雑多な話し声は扉をくくれば、打ち寄せる波のようにより大きく聞こえてくる。

 暖かな暖色の照明が照らす店内をまるで自分の家かのような気楽さで歩き、フロドは言葉に偽りなく店員とも馴染みのようでカウンターに立つ店員に3本立てた指を見せてから店の奥まったテーブルへと着いた。

 

「ほら来いよ」

「あぁ。ここにはよく来るのか」

「当然。仲良くなるにはやっぱコレに限るからなァ!」


 早速ジョッキになみなみ注がれたビールがやって来て、フロドが歓喜と共に受け取ると2人も取り敢えず、といった様子で受け取りフロドを窺う。


「お酒が好きなんですか?」

「この場が好きなのさ。賑やかで楽しいのは満たされる感じがする」

「へぇー」

「へぇーって。セファンちゃんは飲まないのかよ?」

「誘われて、予定が空いていれば行きますが……」

「おいおいマジかよ。ハラネスは?」

「必要なのか?」

「だよな。お前もイサナトリに乗りながらだったら良い感じに楽しめんじゃねェの?」


 テーブルの中央で突き合わせた杯を打ち合わせて乾杯とし、3人それぞれがジョッキへと口を付ける。

 フロドは豪快に半分程を一気に飲み干す勢いで、セファンは3口程。

 ハラネスはほんの少しだけ。


「何が美味いんだこれは……」

「ハラネスくんには分からない大人の味なんでちゅよ〜」

「私も付き合いで飲む理性こそ持ち合わせていますが、これを美味しいとは思いませんね」

「嘘だろ……なんでお前ら律儀に着いて来たんだよ……」


 それはひとえにフロドの強引さ故なのだが、言っても詮無きことだと2人はジョッキに口を付ける。

 内容量は変わっていなかった。


「まったく……僕の計画が台無しだぜ」

「土台無理があったように思えますがね」

「何の話だ」

「僕らは見ちまったのさ。アンタが女と話して泣かせたのをよォ」

「あぁ」


 納得、あるいは意にも介していないのか。

 短い言葉を発するのみで、見られてまずいという様な後ろめたさは感じられない反応だった。


「何だよつまらないなァ……」

「他人の事情に無闇矢鱈と首を突っ込むのは品が無いですよ」

「セファンちゃんだって興味津々だったくせによォ。んで?あれは誰なんだよ。どんな関係?」


 フロドとセファンを睨むでもなくじっとりと見て、ハラネスは息をひとつ吐いて口を開いた。


「トルネ……幼馴染。いや、義理の姉か」

「オイオイもったいぶるなって!全部話せよ、ぜ・ん・ぶ!」

「あぁ下品だ……」

「そう思うなら帰っていいよ!俺が払っておくからよ!」

「……」


 セファンはビールをひとくち。

 フロドもテーブルへと乗り出し、続きが楽しみな様子を隠しもしない。


「俺のミスで死んだ兄の嫁がトルネだ」

「あー多い多い。加減をしろ」

「以前はお兄さんと組んでクジラを狩っていたんですか?」

「ああ。あの人ほど腕の立つ銛撃ちは見た事がない」

「へぇ……僕よりかい?」

「俺よりもだ」


 ハラネスの首に掛かる数多の戦利品は全てが兄との共同戦果。

 取り出して、手のひらで感じる重みには物理的なもの以上に精神的な重さが含まれる。


「それで?そんな凄腕サンが2人揃っていたってのに、ミスをして?さらに死人が出るなんて一体どんな怪物を相手してたのか気になるね」

「シロクジラ。そう呼ばれている個体が居る」

「セファンちゃんは知ってるかい?」

「ええ、故郷では有名な話です。縄張りに近づくもの全てに襲い掛かる気性の荒いクジラですよ。風に流された船が襲われるような事件も起こっていた記憶があります」


 クジラの中には特異な能力を獲得する個体が現れる事がある。

 それは例えばフロドを落としたウタクジラと呼ばれる通信障害を起こす鳴き声を発するクジラ。

 ヒレを多く獲得した個体などはハネクジラと呼称され、シロクジラは真っ白な体色を特徴とする個体だ。


「体躯も通常より大きく、触れるもの全てを薙ぎ倒しながら飛ぶんだ」

「そりゃ恐ろしい。んで?あとは?」

「それだけ、ただそれだけで島に根付いた人の営みを破壊した。どうにもヤツは……イサリビに誘われているように思えた」

「ピカピカ光ってるうえ煩いからな。どうしたって目立つさ」

「それだけじゃない。風が渦巻く分厚い雲の中に逃げ込もうとヤツは的確に位置を把握し襲い掛かる。シロクジラ自体も白く発光していた様にも思えたが、あれはイサリビ燃料を目当てに縄張りを抜け出してまで人を襲った……」


 顎に手を当て、記憶を探るハラネスは今になり色々と当時の状況について考え始める。

 ただそんな事はフロドにとっては眉唾物だ。

 そんなクジラはフロドも、そしてセファンも聞いた事がなかった。


「船乗りにとっての酒が、シロクジラにとってはイサリビ燃料だってか?あれはクジラの脂から作り出してるもんだぞ?」

「でも鳥は鳥を、虫は虫を食べますよね?」

「人は人を食わねェけどな。それで、そのシロクジラ相手にアンタはしくじったと」

「そうだ。俺達はシロクジラが縄張りの外で船を襲っていると報告を受け、その場に向かったんだが……あの凄まじい光景は今でも瞼の裏に焼き付いている。まるで船を喰らうように体当たりしては穴を開け、皮膚は銛を弾き、俺達の最高速度を高めたイサナトリですら追い付かれそうな程に速く飛ぶ……」


 目を閉じて滔々と語るハラネスに恐怖の色はなく、しかし言葉の節々に力が篭って悔恨を伺わせていた。

 そんな様子に息を呑み、フロドとセファンはまるでこのテーブルだけが世界から孤立したかの様にパブの喧騒を遠く感じる。


「俺はアレを仕留めたかった。兄さんも同じだ。そのまま放っておけば被害は拡大し……実際拡大したからな」

「そんな相手に2人で挑んだのか?」

「いや、シロクジラに襲われたと連絡があったからな。以前からその脅威については伝わっていたから、その時動けた6人が挑んだが……あっという間に空を飛んでいるのは俺と兄さんの2人、そしてシロクジラだけになった」

「銛が弾かれたんなら2人残ったところでどうしようもないだろ」


 その言葉にハラネスは深く頷き、息を吐く。

 これからがハラネスの失敗の話なのだ。


「俺は仕留めたかったんだ、アイツを」

「だから銛を弾くんだろ?」

「しっかりと、適切な角度で狙い撃てば刺さりはするんだ」

「でも追いつかれそうな程に速いんじゃ狙いなんて……」

「ああ、だから兄さんは撤退を選ぼうとしていた」

「安定思考だ。ベターな選択だと思うぜ」

「だが俺はここで時間を稼げは避難の時間が作れると無理に説き伏せて突貫したんだ」


 それは間違いではない。

 結果論として時間を稼ぐ事によって救われた命もあるのだろう。

 ただそれがハラネスの本心から出たものではない事を、当人もこの話を聞く2人も……ハラネスの兄とて分かっていた。

 それでも関係なくハラネスは半ば心中のようなフライトに飛び出して、ひとり生き残った。

 それを噛み締めて今、ハラネスは過去を口にしている。


「結局俺は仕留め損なった上、兄さんは死に俺はシロクジラの眼中にも入らず避難して来た船に拾われた。それでも尚、俺はイサナトリに乗りたいと願い、クジラとの死闘の中でのみ生を実感している……トルネの言う通りだ。何があろうと俺は銛撃ちを辞めないだろう。どれ程の犠牲もリスクも俺を阻む事はないんだ」


 そこまで吐き出して、ハラネスはいつも通りの置物じみた沈黙へと戻る。

 常に冷静、或いは無気力。

 全ての情熱はイサナトリと共に燃やして、生きているのはその間。

 それ以外に彼の心を燃やせるようなものは存在しなかった。

 だからこそ生きる為には空を飛び、敢えて死線に近づかなくてはハラネスは生きる意味も目的も見つける事が出来なかったのだ。


「ハン……テメェは自分の事をまるで人の心が分からない怪物みたいに言いやがるが──」


 フロドが酒を呷り、喉を潤しテーブルにジョッキを叩きつける。

 

「ならなんで僕を毎度引かせようとする?巻き添えで死なないようにか?僕を心配して?それとも死なせてしまった後悔から自分を守る為?」

「ちょ、ちょっとフロドさん……!」


 セファンが宥めようとするするが、エンジンのかかった暴れ馬であるフロドを止める事が出来るものなど存在しない。

 彼は常に思うがままを口にする。


「ならどっちにしろテメェの悲しみがあんだろうが。死んだ兄貴との思い出なんだろ、イサナトリってのはよ。自分自身の悲しみに向き合ってないんだからテメェを救う事すら出来ないのさ、不器用なアンタはよ」

「……そうだろうか」

「そうなの!僕が言うからそうなんだって!これマジな!」


 指を指してそう断言するフロドは残りの酒を一気に呷り、喉を鳴らしながら全て飲み干した。

 それでハートアップした頭が多少冷えたのだろう、ほんのりと赤い頬を掻きながら恥ずかしげに笑う。

 

「あー。酒のせいでくせェ事言っちまったか?」

「普段から自分に酔ってる訳ですし平常運転では?」

「逆さ、普段は僕が世界を酔わせてんの」

「酔っ払いの戯言だな」


 ハラネスがジョッキに口をつける。

 フロドがもう一杯注文し、セファンは軽食を。

 少しずつ、歯車が上手く回り始めた瞬間だった。


◆◆◆


 夜も更けて、空には冷たい風が吹く。

 人気は減りつつも未だ街には灯りが点々と輝き、その数だけ人の営みがある。

 ハラネス、フロド、セファンの3人は気分良く店を出て、薄暗さに染まった石畳を踏み締めて帰路に着いている。

 通行人のない通りは風通しがよく、飲酒で熱った体には程よい空気が流れ込んで心地良い。

 とはいえ多量の酒を飲んだ訳ではなく、やはりこの気分の良さというのは彼ら自身の内的な力によるものだ。


「そうだ。港に寄ってこうぜ」

「何故だ?酔って状態で行くのは危険だぞ」

「やだなぁ……フロドさんが酔っ払って島から落ちましたって報告するの」

「いいから!これは初心を思い出す為さ。こっから僕らは再出発ってな!」


 両腕を広げ、目一杯に道を使って歩くフロドの後ろでハラネスもセファンも満更でもない顔をしている。

 何にせよ港というのは3人にとってそれぞれ特別な場所なのだ。

 そして多少の遠回りも悪くないと思える程度には気力も残っていた。

 

 ダラダラと、靴の底を削るように歩き続けて通常より長い時間をかけて辿り着いた港には、予想と反して人が多く居る。

 人だけではない。

 車両も多く集まって、何か活力からではない騒がしさに満ちていたのだ。


「何かあったのか?」

「停泊してるあの船、救難艇ですね。そしてあれは救命ボート……」

「分からないなら聞けばいいだろう」


 ハラネスは周囲を見回し、不安を顔に貼り付けて身を寄せ合う人々や忙しそうに会話をしたり走っている人の他に、港湾警備員を見つけて話し掛ける。

 ボサボサの髪と無精髭という見た目は堅苦しさがなく、話を聞いて断られる可能性は低そうに見積もられた。


「何があったんだ?」

「貨客船がクジラに襲われたんだとよ。あの航路でこんな事が起こったなんて初めて聞いたぜ」

「これで全員なのか?随分と少なく思えるが……」

「チラッと聞こえたんだが、どうもここに居る人らは運良く早めに逃げれた人達らしい。そりゃあもう酷い有様でそもそも逃げる事が出来たのは一握りで、残りは船と一緒に……だってよ。ほんと、やるせないね」


 沈痛な面持ちで頬を掻く警備員を前に、ハラネスもそのような顔をするが内包する意味合いは僅かに異なる。


「そうか……その船を襲ったクジラだが白く発光している、といった話は聞いたか?」

「発光?そんな光ってたら目立つだろうなァ。逆だよ、接近にまるで気が付かなかったんだと」

「気が付かない……?船を沈める程のクジラだ、ある程度の体躯だと思うが……」

「そんなのコッチに聞かれても困るね」

「だろうな。すまない、助かった」


 踵を返し、命からがら逃げ延びた人々を横目にハラネスはフロドとセファンの元へと戻る。

 今ハラネスに見えている範囲においては生き残った人数とはそう多いものではない。

 恐怖と安堵の間にある人々を前にして渦巻き始めた感情を胸の内に抱えて2人を見つけると、フロドはしゃがみ込んで泣きじゃくる子供と向き合っていた。


「大丈夫じゃなさそうだ。助けはいるかい?」

「ママとパパが……」

「はぐれちゃったか?そりゃ不安だよな」

「うん。船で」


 船、という言葉が救命艇を指していると楽観的に考えられはしなかった。

 フロドの顔が僅かに強張り、しかし不安にさせないように柔らかな笑顔を努めて維持する。


「ああ、船な……デッカい奴か?」

「そう。大きくて、みんな手を振ってた」

「そっか、大変だったな。ここは安全だから、まずはゆっくり休め。な?」


 肩に優しく叩き、フロドは少しでも不安を取り除こうとしているが……脳裏にこびりつくのは嫌な想像。

 人数の限界を迎えた救命艇が発進し、それに縋るように手を伸ばす人々がどのように見えるだろう?

 

「嫌んなるね。悲しい出来事ってのはさ」

「は、はい……ははは、なんだか急に怖くなってきました。私はなんというか……」


 フロドが振り返ると、セファンが青い顔をして立っていたので思わず苦笑する。


「オイオイセファンちゃんよ……」

「大丈夫、分かってますよ。一番怖いのはこの方々ですから」

「んな事はどうでも良いんだよ。怖いなら怖いですって言や良いんだから。こんな事は滅多にない──」


 安心させる為の言葉を発そうとして、フロドの脳内で結び付いたのはここ最近の出来事。

 中途半端に開けた口が何か言葉を生み出そうとして、それを駆け巡る思考が上回った。

 言葉にならない動きを唇が繰り返し、視線は僅かに揺れる。


「どうかされましたか?」

「このテンロが発展してるのは陸地がデカいだけじゃなく、瘴気の下はあんまり居心地が良くないんだろう。周辺の空域に人を襲うようなクジラが現れないからだ」

「?それが……」

「航路には危険が少なく、空の流通網が発達して物や人が多く集まるのがここ。だが最近はどうだ?」


 フロドがウタクジラに落とされ、ハラネスがハネクジラを仕留めた。

 今回の遠征で船団が持ち帰った成果は中々のものだ。

 大きな個体も普段より多く遭遇し、それらを限界まで詰め込んで帰還した事がフロドにはどうにも引っ掛かる。


「人を襲うようなクジラやら、デカくて縄張り争いに負けなさそうなのまで選り取り見取り。こんなのハラネスとセファンが来てからだぜ?」

「えっ!?私達のせ──」

「テメェらが何でウチに来たのか考えてみやがれ!縄張りに入るものは何でも襲うような凶暴な奴が、縄張りの外に出て大暴れしやがったせいだろうが!」

「……じゃあシロクジラが生息域を荒らしてるから、追い立てられた他のクジラが動いているって事ですか?」


 肯定はしなかった。

 だがフロドは腕を組み、その考えを否定する事もなく思案に耽る。

 それらのやり取りを黙って見ていたハラネスは同じく聞いていたのだろう、フロドに慰められていた子供の不安な様子が目に入った。

 両手は胸の前で服を握りしめて、ギュッと体を縮こませた姿は世界の全てに怯えているような様。

 これにもハラネスは何か渦巻く感情を胸の内に生じさせ、行動しなければという衝動だけが唯一そこから掬い出せるものだった。


「俺は苦しむべきだろうか」

「あ?知らねェよ。僕は答えをなんでも授けられる訳じゃあないんでな」

「そうか、そうだな……俺は、クジラを狩りたい」

「めんどくさい程伝わってるぜ」


 急に話しかけてきたハラネスに対してフロドの対応というのはぞんざいだ。

 しかしハラネスとて返答に期待していた訳ではなく、これはただ言葉にする事で自分の思考を正しているだけだった。

 

「だが、同時にあの時の選択に対する迷いもある。だから俺は人の為に空を飛んでみようと思う。それで俺は……俺の何かが変わるかもしれない」


 真っ直ぐに見据える視線を受けてフロドはフッと軽く笑う。

 その顔に確かなものを感じ取ったからだ。

 何かが上手くいくかもしれないと、そう思わせる小さく輝く何かが。


「ヨォ、他になんか言いたいんじゃないのか?」

「……力を貸してくれるか」

「僕を信じるんならな」

「ああ、一緒に飛んでくれ」


 お互いに視線を交わして決意を確かめ合い、ハラネスはしゃがんで不安がる子供と目線を合わせる。

 表情はいつもとそう変わらない仏頂面であったが、不思議と頼もしく信頼出来るものがあると感じさせるのだろう。その子供の服を握りしめる力が少し弱まった。


「これが君への慰めになるかは分からない。だが俺達は君が眠る時に悪夢を見ないように、その源を……君の両親の仇を討とう」


 子供に語り掛けるにしては固く、しかし少しでも心にのしかかるものを取り除こうとした意図が伝わったのだろう。コクリと頷くその子はやって来た車に案内されて、他の救助者共にその場を去った。

 この先どうなるかはともかくとして、今は暖かな食事や寝床が提供される事をハラネスは知っている。


「アンタも案外歩み寄る話し方ってのが出来んのな」

「でも悪くないですよ。まあ、私の悪夢はハラネスさんがあの機体で落ちる事ですが」


 フロドの茶化す声とセファンの小言を背中に受けてハラネスは口元を緩める。


「お前達と居るのは、悪くないな」

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