迷霧の中で④ 帰港の夜


 テスト飛行に出たハラネスとフロドが特殊個体のクジラを仕留めたとなれば船団は普段より活気付いていた。

 ボートがクジラの亡骸を引き上げ船団まで曳航し、母船の設備にて解体する。

 いつも通りの仕事ではあったが、運び込まれた段階でその異様に驚き息を呑んだものだが、それより驚きを齎したのはこれをハラネスが殆どひとりでやってのけた事だった。

 ハラネス自身は寡黙な性向である為に手柄についてアレコレと語る事はしない為、これが広まったのはイサナトリを収容した後の格納庫にてフロドが大きな声でハラネスに食ってかかっていたからだ。


「僕はお前を相棒って呼びたいが!そっちにその意識がないんだったらなれやしないだろ……!」

 

 他人にも無自覚に自身と同じものを求めては落胆したり怒ったりするフロドの事だと、なんだいつものヤツか、或いは新入りに嫉妬でもしているのかと思われたその諍いが後を引くとは誰も思ってもいなかった。


 そう、これは遠征を終えて船団が帰港するまで日課のように続いたのだ。

 逃げ場のない環境でそれを隣に生活する船員達は最初はヒヤヒヤとした気分で遠巻きにしていたものだが、しまいには日課のような気分で口論──フロドが話すばかりでハラネスは殆ど言葉を発さないので些か一方的なものだったが──を意識の外に置く程度は容易い事になっていた。

 なにせ話す内容などは毎回同じ事、しかし原因となる事柄を何度も繰り返しているのだから変えようもない。

 つまりハラネスとフロドは何度もクジラを追ったが、毎回ハラネスがひとりで仕留めてしまうのだ。

 今回の遠征の成果は特別に良いものと言って差し支えない程であったが、しかしその要因が協調性というものが欠落したハラネスによるスタンドプレーとあれば問題にもなる。


 この船には当然ハラネスとフロド以外の銛撃ちも乗っているが、彼らは最初こそハラネスを煙たがる反応を示していたものの、最終的には腫れ物に触るような状態でその死出のフライトを見送るようになっていた。

 そもそもクジラにひとりで挑むなど無茶にも程がある、死んでしまうぞと小言を受けても「問題ない」と短く返して行ってしまうのだ。

 フロドも最初は咎める口調だったものの、しまいには心配が滲み出るような言葉へと変わっていた。


 そしてこの件で最も諦めていて、最も多くハラネスと接していたのがセファンであった。

 ハラネスの頑固さに説得を諦めて、とにかく生きて帰す為に彼の飛び方を研究して機体にその成果を還元する。

 この遠征でハラネスが死ななかったのは、ひとえにこれを繰り返していたセファンの執念によるものだ。

 

「ホント、よくやるなァ……セファンちゃんはよ」

「お互い様ですよ、これが仕事ですから」


 念願の母港へと降り立ち、船員達が賑やかに陸地への再会を口にする中でフロドとセファンも労いの言葉を掛け合い久方ぶりの陸の営みへと脚を向ける。

 ここはアマト、フロドの故郷でありセファンやハラネスの人生における寄港地だ。


 見渡せば大きな港には数多く船が停泊しており、そこにはクジラ狩りの船団以外にも大小様々な船が見受けられるがやはり1番目を引くのは、今フロドとセファンが降りたクジラ型の船だろう。

 サイズとしても最大で、この船を見物しようと集まる町民がいる程。

 遠くからでもよく見えるこれは貴重な資源を持ち帰るという意味でも羨望の的なのだ。

 

「見物人が多いなァ。そんな珍しいかね」

「きっと私のような難民なのでしょうね。故郷ではここまで大きな船は見ませんでしたから」

「ああ、なんか災害に遭ってんだったか。災難だな」

「私は避難が早かったので何も分からないままでしたけどね。父母と共に乗り込んだ船の中の微かな灯りでスケッチを続けていましたし」

「ま、良い場所見つかるまではこの船が家になってくれるさ。せいぜい働いてけよな」


 他の船員達と同じく2人も大きな人の流れに沿って街へと向かう。

 家族や親しい人との再会を待ち侘びて胸を躍らせるものも中にはいるが、大概は酒場を目指している。

 とにかく疲れは酒で流そうというのが船乗りの流儀と考えてパンパンに膨らんだ財布を懐に抱いて気分は上々。歌声すら聞こえてくる程だ。


「あそこで歌ってるご機嫌な連中の中には難民も居たはずだ。馴染めてるようで大変よろしい事だこと」

「働き口がすぐに見つかったというのが一番の安心ですね」

「セファンちゃん……とハラネスは採掘船団に居たんだったな。俺はあの時、採掘作業員の増員に伴う護衛不足を補う為に貧乏くじ引いたワケだが……」


  資源を多く得ようとするにはやはり人が必要だ。

 専門知識が比較的、必要とされずに肉体労働を主とする採掘船団は急速に規模を拡大した。

 しかしそれで足りなくなったのが特殊な機材とそれを動かす為に専門知識必要とする警護……つまりはクジラを追い払う為のイサナトリとそれを操る銛撃ちだ。

 他の船団に泣きつく形でその2つを借り受け、あの時フロドはセファンやハラネスと出会うキッカケとなった。


「結果的にこうして巡り会えたのは不思議な事ですね」

「ハラネスの野郎ともな。アイツだって難民なんだろ」

「そうですね。同郷とはいえ面識はありませんでしたが」

「飲みに行けたらよかったんだがねェ。きっと不味そうに飲むんだろうなァ……想像出来るぜ」

「親しい方を亡くされて未だ傷が癒えない、という事もあるでしょう。無理に誘うものでもありませんよ」


 当然このクジラ狩りの船団にもハラネスやセファン以外の難民は居る。

 彼らの中にはこの酒場へと向かう足取りが軽やかな楽しむ為のものではなく、辛い記憶を忘れる為の慰めとしての酒を求める者も。


 そして港を出発しガス灯が照らす街の中を歩いていると、そんな暗さを羽織った者の中に一等重々しいものを背負った男が目に入った。 

 ハラネスである。

 クジラを狩るというこの一点に人生の意味を見出す彼にとって今は死んでいるもの同然の状態。

 死人の顔をして歩く彼を見つけたフロドは指を指してニヤリと笑う。


「居たぜ居たぜハラネスさんがよォ……!酔わせて色々聞き出しちまおうぜ!」

「何言ってるんですか、普通に誘いますよ」


 喧騒と人混みを掻き分け、人の波間に捉えたハラネスの姿を追いかけていると彼が不意に立ち止まった様子が目に入る。

 これは僥倖と近づくと、ハラネスは誰かと向き合っているようだと気がつく。


「うん?知り合いにでも会いましたかね、お邪魔するのもあれですし──」

「オイオイ女だぜ相手!!」

「ちょっと静かに……!」


 セファンは大声を出したフロドの口を押さえて引きずって、ハラネスを窺える道の端へと移動する。

 非難の視線を向けつつも、それよりもフロドは楽しげにセファンの脇を肘で小突いて笑う。


「くくっ、出鼻亀かい?セファンちゃんも好きだねェ」

「フロドさんが大きな声出さなきゃ変な事にならなかったんですよ…!」

「じゃあいいよ、僕のせいで。せっかくだから見てこうぜ」


 がっしりと肩を組まれて共犯者とされているセファンだが、それでも満更ではないといういった様子で固唾を飲んで見守るハラネスは歳のほどは彼と同じくらい、肩にかかる長髪が美しい妙齢の女性と向き合っていた。


「ハラネス……?」


 目を見開いて彼を見つめて、次いで掛ける言葉を探すように周囲を見回し唇が細かく動いている。

 その表情は最初、どんな言葉を使うべきか当惑するものだったが、彼女の中で何かが決したのだろう。次第に眉間に皺が寄った険しいものへと変わっていった。


「今日、クジラ狩りの船団が帰って来たと聞いたわ」

「そうだな」

「この人達は船員よね?」

「ああ」


 ハラネスは短い言葉で返答を繰り返し、しかし面倒臭さなどは顔に無く、むしろ表情というものが抜け落ちた状態で木偶の坊のように突っ立っているのだ。

 それを眺めているフロドとセファンも只事ではないと察するに余りある状況であった。


「貴方の同僚?」

「そうなるな」

「私に……全部の答えをこうして暴かせたい?」

「……俺はイサナトリに乗っている」

「っ……」


 眉間の皺が一層深くなる。

 引き攣った口の端からは怒りの言葉を抑え込むだけの理性が見て取れ、まるで感情を見せないハラネスの代わりにあらゆる感情を雑多に混ぜ込んだような複雑な表情をしていた。


「何故?貴方は、また……」

「イサナトリの中だけが、俺の生きる場所だからだ」

「ッ!そうやって!」


 ハラネスの言葉が堰を切るキッカケとなり、怒りに見開いた目と言葉が向けられる。

 張り上げた声によって周囲の人の注意が集まるが、彼女はそんな事をまるで気にせずに拳を握りしめて胸の内から湧き上がるままに言葉を紡ぐ。


「そうやってまた人を道連れにして!貴方ひとりが生き残るつもり!?大勢を巻き込んで最後は貴方だけが満足して死ぬ……」

「すまない」

「謝るくらいなら返してよ!貴方だけが好き勝手に生きている……色んな命を踏み台にして……!また誰かを死なせて、まるで何も無かったみたいに空に出るんでしょ。貴方はそういう人よね……」


 怒りが頂点に達して、急速に失われてゆく熱が悲しみへと変わり崩れ落ちた彼女に、ハラネスは僅かに手を差し伸べようと身動ぎして、しかし何もしなかった。


「俺にはこれしかないんだ」

「は、あはは。ほんと、言葉なんて要らないんでしょ。貴方はひとりでも好きに生きれればそれで充分なんだから」

「……そうかもしれないな」


 ハラネスは僅かに、瞬き程の逡巡を経てその場を立ち去った。

 自らが相応しい場所はここではないと知っているから。

 しかしこの場に取り残された女性にとってもこの場所は相応しくはなく、ただ誰一人として手を差し伸べる者は居ないのでフロドが歩み寄る事にした。


「ヤァ、大丈夫ではなさそうだ。僕に出来る事はあるかな?」

「いえ、大丈夫。大丈夫なの。ごめんなさい」


 しゃがみ込み、目線を合わせて話しかけたフロドであったが女性はゆっくりと立ち上がり足早に去ってしまった。

 そしてフロドはそれを追いかけるような真似はしない。


「よし、セファンちゃんハラネスの野郎追うぞ!」


 ハラネスを追いかける方が断然面白いと考えているからだった。


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