迷霧の中で③ 試験飛行
青い空を駆け抜ける2機のイサナトリが競うように飛び、戯れるように軌跡を交錯させる。
フロドの乗る1番機は両腕に銛筒を装備し、通常の機体よりも動翼を大きくする事で無理矢理に旋回性能を高めた機体。
大きな翼が丸い体から突き出したシルエットはさながらウサギか妖精のようで愛らしさを感じるが、こんな物は到底まともに扱える筈もなく翼を少し傾けただけで大きくバランスを崩してしまう。
しかしそれでも美しい航跡で飛んでみせるのが天才フロドというもの。
「僕について来れないみたいだな!」
「お前の機体は小回りが効くが、俺の機体は速度重視の直線型……戦う場所が違う」
フロドが繊細で優美な飛び方をするのなら、ハラネスは真逆の力強く掻き回すような飛び方だ。
空を駆ける猛獣のように逞しく雲を裂き、白い薄衣を脱ぎ捨てて陽を浴びる。
この空でハラネスは飛ぶ自由を謳歌していた。
「おっと、遅れて登場セファンちゃんだ」
「……置いて行かれた事に不満はありますが、テストはここで良いでしょう」
空を悠々と飛び回るイサナトリと比べると、やはりそれ以外の飛行機械というのはスピードに於いて劣るもの。
遅れて2機に追い付いた飛行機への茶化すような言葉に対し、無線から聞こえたセファンの声は存外明るく楽しげだ。
なにせ彼自身もイサナトリの飛行には並々ならぬ関心と愛情がある。
なにせ自分が手を掛けた機体がどんな飛行をするのか、それに対する期待でキャノピーに顔を押し付けるようにして2機を注視しているのだ。
「それで、何をすればいい」
「あまり多くの事をするつもりはありません、本当なら陸地で行う事ですから。ただ機体から異音がしないかとかそういった事を」
「オイオイつまんないなァ……」
「そもそもなんでフロドさんも飛んでいるんです?燃料の無駄でしょう」
「仮想敵が居ないと張り合いないだろ?僕のケツを追いかけていいって言ってんのさ」
そう言って飛び去った1番機を見送り、ハラネスの2番機は窺うようにセファンの乗る偵察機へと向き直る。
「実戦に近しい方が良いのであれば、それで」
「了解した」
弾かれるように飛んでいった2番機を見送って、セファンは双眼鏡を片手に遠ざかり、近づき、急上昇して、急降下するイサナトリを観察し始めた。
地上から見た事はあっても、同じ高度で見た事はないイサナトリの全速飛行は心を踊らせセファンを釘付けにして魅了する。
「凄いな……あんな縦横無尽に飛び回って、中の2人にどれほどの負荷が掛かるものか」
そしてそれは機体も同じ。
空中分解などという事にならずに安堵して、手元ではペンを走らせる。
改善案などは幾らでも思い付いた。
セファンにはそれを実現するだけの物的リソースが足りていなかったが、それでもこの飛行を見てはアイディアはとめどなく溢れてしまって書かずにはいられない。
「同じだな。それでもやりたいから、理想や羨望を抑えられないから飛んでしまう……僕ももっと、素晴らしい機体を──」
自分の手で空を飛ぶモノを押し進めたい。
それがセファンの原体験だ。
紙飛行機から、段々と大きな物を飛ばし始めてここまで来た。
実現出来るかはともかくとして、イサナトリの設計アイディアというものを書き続けているのは理想を追いかけ無茶を承知で飛ぶハラネスと通ずるものがある。
セファンはそう思ったのだ。
「セファン、機体についてだが……」
「異常がありましたか!?」
「いや、それはない。要望だ」
ハラネスからの通信にすわ何事かと飛び跳ねて、しかし聞こえてきた声はとても穏やかなものだった。
気分が良いからだろう、聞こえてくる声からは普段の強張ったような無表情よりも多少緩んだ口元が想像出来るものだ。
「少し揺れるんだ。高速で飛ぶとバランスが悪い」
「救命装置を下ろしているからですよ。それありきで考えられているんですから当然です」
「……あまりお前の事を知らないが、腕に関しては信用している。そんなお前が気が付かなかった訳がない。わざと黙っていたな?」
「そもそも下ろす事に反対なんだから当然です。私達はまだお互いの事を知らなすぎる……ただ、貴方の飛び様は素晴らしいものでしたよ」
セファンは息を吐く。
彼自身に空を飛びたいという欲求はない。
紙飛行機にしろ模型にしろ彼は作る人であって、飛ぶか否かは正しく作れていたかどうかの答え合わせでしかなかったからだ。
そしてそれはハラネスも同じ事。
重量バランスという初歩的な部分に気が付かない程にその先にある飛行に夢中だ。
お互いに頑固で譲れない部分がある、そう確認出来たからこそ歩み寄る事が出来るかもしれない。
セファンの心持ちは雲ひとつない空のように晴れやかだった。
雲を吹き飛ばした嵐の様に強引な男、フロドへの感謝を胸に抱きつつ空を眺めていると不意に無線から声が届いた。
「ヨォ、調子はどうだい」
「船長、問題ありません。機体はまぁ、多少手を加えたいぐらいですね」
「そうかい、そうかい。そりゃァ良かった」
セファンの返答に対して船長は鷹揚に応えるものの何か含みがあるような、続く言葉に不安を覚えてしまう様子にセファンは思わず体が強張るのを感じていた。
「哨戒機がクジラを見つけてな。コイツは是非とも狩っておきたい。丁度そこからなら近いんだが……」
「燃料の残量は充分だ。方角は?」
最も乗り気のハラネスが前のめりに返答をして、反対にセファンは困惑してしまう。
「ま、待ってください!2番機はまだテスト中で──」
「だが問題ないんだろう?乗ってる本人も行けるとさ。いいか、お前達を乗せているのはタダ飯食わせてオモチャで遊ばせる為じゃない。そのテストだって燃料を消費して行ってんだ、ちゃんと稼いできてもらわなぇと話にならん」
実際その通りだと思ったセファンに返す言葉はなく、クジラの位置を確認するハラネスとフロドの声を指を咥えて聞いている事しか出来なかった。
◆◆◆
クジラは全身余す所なく貴重な資源だ。
あらゆる部位に利用価値があるのだが、それでも特に価値の高い部位というものがある。
それはクジラを怪生物たらしめる器官のひとつ、ヒレだ。
クジラは人には未だ解明できない原理にて飛行しているのだが、それを成している要素のひとつがヒレである事は分かっていた。
実際クジラが空を飛ぶ際にヒレを動かして空を漕ぐような動作をしてい為に、それは人の理解が及ぶところなのだが。
細かな原理が分からない。それでも利用は出来る。
クジラのヒレを加工した浮揚膜は通常の翼よりも遥かに効率よく揚力を得る事が可能で、かつある程度の浮揚状態の維持も出来る。
これは僅かな陸地以外は全て空、というこの環境にて世界を渡る為の重要なツールだ。
イサナトリにも、飛行船にも使われるこれの為にクジラのヒレは多く得たいもの。
獲物の選定が雑では冷凍船にいっぱいのクジラの亡骸を持ち帰ろうとも価値でいえば然程、という事もあり得る話。
故に今日、クジラ狩りの船団が目を付けたのは少しばかり特殊な個体だ。
黒く、長く伸びた流線型の体は空気抵抗を減らす為。
シルエットを大きく変えるのは発達した尾鰭、そして何より全長の半分以上にまで伸びている4枚の胸鰭。
それらを交互に動かして、優雅な姿とは打って変わって高速で飛行しているのだ。
上方よりそれを見るハラネスとフロドは思わず感嘆の声を上げる。
「ありゃ凄いな。悠々飛んでやがるが、大抵のクジラは全力出してもあの速度に追い付けないだろうな」
「それは俺達だって同じ事だ。悠長に準備していたら逃げられると踏んでの要請だ」
「どうだかな。兄貴はあのナリで頭突き以外の頭の使い方をする人だ。ハナっからあのクジラが居る事確認した上で飛行許可出したのかもしれない」
「なんにせよアレを仕留めれば良いんだろう。そこに変わりはない」
銛筒を構え、ハラネスの2番機が唸りを上げて重力を速度に変えて先行する。
次いでフロドが後を追い、楽しげに問い掛けた。
「作戦はどうする!?」
「即興だ。合わせろ!」
「いいねェ!それなら俺達はこれから相棒だ!力合わせて行こうぜ!」
獲物を狙う猛禽のように急降下するハラネス機が右腕の銛筒を突き出し、左腕で支えて狙いを定める。
掛かるGをものともせず、ハラネスは握り締めた操縦桿を繊細に動かして引き金に指を掛けた。
だがまだ引かず、ギリギリまで距離を詰めてから撃とうと考える頭とは別に指は焦れて徐々に力が籠る。
「まだ……あと、少し」
ゴウゴウと風が吹き抜ける音に囲まれる中、呟くように言葉にする事で心身を瞑想のように落ち着ける。
そんなハラネスを前方に見て、銛を撃つのはハラネスに任せたフロドはそれを眺めて値踏みする。
どれ程やれるものなのか確かめる為に。
彼我の距離が縮まれば縮まる程に、奇襲は効果を無くすもの。
ましてイサナトリは煩い物だ。
引き寄せ過ぎても奇襲の意味が無くなってしまう。
だからこそ、最初に銛を撃ち込むのは最も腕の良い者が担う仕事として責任を負う事になる。
この一撃がどれ程重要かを理解しているから、ハラネスはよく狙いを定めて、定めて──
「今!」
──引き金を引いた瞬間、機体が揺れた。
「外した!?」
「オイ!マジかよ!?僕が撃つ!」
ワイヤーに繋がれた銛は空の底へと落ちて行って、代わりに2番機の前に躍り出たフロドが素早く狙いを定めて銛を撃つ。
こちらは狙いを違わずクジラの胴へと突き刺さり、ワイヤーで繋がれた1番機は逃げるクジラの後を追う。
これでは期待とはまるで異なる結果だとフロドは文句と共に口を開く。
「何が起きた!?プレッシャーに弱いタイプとかか?」
「高速域で機体がブレる……!」
「最悪のテスト飛行だ!僕の後ろに付け!コイツとにかく速い!」
気を抜けば、僅かにでも速度を落とせば簡単に振り切られてしまう。
そんな速度でクジラは4枚の胸鰭と尾鰭を器用に操り雲の間を飛んでゆく。
引き回されるフロドは歯を食いしばりシートに体を押し付けられながらも、より深手を負わせようと左腕の銛筒の狙いを動かす。
「クソ……速いッ!ついて来れてるかよ!?」
「後ろに居る。この様子だ、銛は浅く刺さったようだな。まだしばらく続くぞ」
咄嗟に撃ったのだ、銛は深くは刺さり切らずに痛みは与えども生命に直ちに影響が出るほどではない。
かと言ってもう片方の銛を撃ち込むには速度が速すぎて片腕で狙うなど出来る状態ではなかった。
フロドは仕留め損ねる事など考えていない。
一撃で仕留める前提が崩れた時点で消極的な戦法に移らざるを得ないのだ。
そしてそれはハラネスも同じ。
ミスはその後の行動で挽回すれば良いと考えているが、行動が出来る余地がどれほど残されているのかを意識し始めていた。
「さて、ヒレに傷を付けたくはないが……」
「言ってる場合か!?アンタのポカだからな!」
「理解しているさ。今なんとかしてみせる……!」
流石に速さを追求した機体であるだけはあって、ハラネスの2番機は逃げるクジラに追い縋る事が出来ていた。
しかし安定とは言い難い左右にブレる飛行では、狙いを定めるには無茶と言わざるを得ない。
そもそもがクジラとは空の覇者、人が仰ぎ見る頂点に位置する存在なのだ。
如何に飛行技術を発達させようとも人は未だ大きな壁の前に居る。
だがしかし、それに爪を立てる事で壁を乗り越えて来た事もまた事実であるとハラネスは知っている。
自分もそのように強大な存在に立ち向かうのだと、窮地にあってこそ生を実感していた。
「こんな獲物こそ、生の実感をくれる……」
飛行時のブレにも慣れて来た。
ハラネスは狙いが外れた後も、操縦桿を素早く動かして再度照準を合わせて撃つタイミングを窺って深呼吸をする。
肺の収縮、心臓の鼓動、イサナトリの振動がひとつになり……それでも撃つ事が出来ないのは視界に入る1番機の姿が、酷く記憶を刺激するからだった。
「っ……ワイヤーを切り離せ」
「ハァ!?何言ってやがんだよ!」
「いいから切り離せ。早くしろ……!」
「僕の機体じゃ切り離した後追いつけないだろ!」
「あぁそうだ!あとは俺がひとりでやる!離脱しろフロド!」
声を荒げて言い合う最中にもどんどんと移動して、船団から離れ過ぎればそこで狩りを終えざるをえない。
だからこそ焦る。
フロドは理解不能の要求への反発を口にして、ハラネスは先走る心臓の鼓動に苛まれていた。
「今撃てよ!ハラネスッ!」
だが全ての問題は今、撃てばそれで良いのだ。
ここで仕留めれば万事解決だと、両者が理解している。
しているからこその断絶でもあった。
「……ダメだ」
「ッ!……フゥ……」
諦めたフロドはワイヤーを切り離し、飛び去るクジラと2番機の背中を見送り舌打ちをひとつ。
フロドが離れてから間髪入れずに銛筒の撃発音が聞こえた為に苛立ちも溜まるというもの。
たとえ全開で飛行しようとも追いつけない速度で行ってしまった、というのもあるが何よりフロド自身の諦めによって追いかける事はしない。
あの場で自分が出来る事がどれ程あっただろうかと、そう考えての決断であったがそれでもしこりが残る結果となった。
「あーったく。……ありゃ?」
苛立ちを抱えてコクピット内をまさぐるフロドは目当ての物が見つからずに頭を掻く。
あちこち触れて、それでも見つからずに大きなため息を吐いた頃、遠くの空で信号弾の光が登ってゆくのが見えた。
クジラを仕留めた事を知らせるものだ。
「ちゃーんと仕留めやがったのな」
つまらなさそうにフロドはひとりごちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます