迷霧の中で② 意地の張り合い
ハラネスとセファンが共に一機のイサナトリを調整する二人三脚の日々で、少しずつ互いの理解が深まって来ていた。
セファンが最初に抱いた寡黙で勤勉な人、という印象は間違いではなかったものの、それはハラネスの一側面であり全てではなかったのだ。
例えばセファンが昼時にハラネスを呼び止めて昼食に誘おうとしたなら……
「これから食事を摂るんだ。後で頼む」
「この時間に呼び止めてんだから飯に誘うに決まってるよなァ!セファンちゃん一緒に食おうぜェ」
あっという間に居なくなり、何処を探しても見つからないまま時間が過ぎて気が付いたら格納庫でイサナトリを弄っているのだ。
結局セファンは毎日フロドと三食を共にしていた。
それ以外にも作業中に他愛のない会話を試みようとした時の事……
「ハラネスさんはご趣味はなんです?私は絵を描く事が好きでして」
「……クジラを狩る事だ」
「そいつは一般的には趣味とは言わねェな。ただアンタがニコニコしながら花を描いていたら悍ましいったらありゃしない……セファンちゃんは何描くのさ」
「イサナトリの絵です!」
「それも仕事みてェなもんだろうが……」
寡黙、勤勉は興味を持つ対象以外全てへの無関心であり、セファンは同僚──フロドは何故か毎日2人と共に時間を過ごし、良く笑ってとても楽しそうにしていたので除外──との中々上手くいないコミュニケーションに危機感を覚えていた。
そして今日も結局セファンはハラネスを食事に誘ったものの断られ、いつも通りにフロドと共に食卓を囲んでいたのだった。
「何がそんなに気になるかね?別に無理して仲良くなる必要も無いって」
「納得が欲しいんですよ。私はまだ救命装置を外す事への納得が得られていませんから、その為にハラネスさんが何故そのような考えに当たったのか理解して納得したいんですよ!」
声の大きさに食堂の注目が集まり静寂が訪れる。
フロドがなんでもないとジェスチャーをする事で戻った食事時の喧騒の中で、セファンの機嫌の悪さがなんとも不釣り合いに浮いていた。
「分かった分かった……納得納得納得ね。とにかくそれが欲しいんだな?」
宥めるように声を掛けたフロドがウインクして得意げに笑う。
しかしそれは逆効果だったようで、セファンの訝しげな視線が端正な顔を射抜いて冷や汗がひとつ。
「任せとけって。な?天才フロドに出来ない事は無いってね」
手早く皿の上を片付けたフロドはさっさとテーブルを立ち、食堂を出て何処かへ向かって消える。
何をするつもりなのか皆目検討が付かなかったセファンは諦めて、ゆったりと食事を楽しんでから食堂を出た。
まさかこれから面倒ごとに巻き込まれるとはつゆ知らず……
セファンがゆったりとした昼休憩を終えて自らの担当するイサナトリの前へと戻った時に、普段とは違う服装をした2人が待ち構えていた。
ハラネスとフロドは彼らの仕事着……イサナトリに乗る際に着る服を身に纏い、いつでも飛び立てる状態でセファンを待ち構えていたのだ。
「おふたりのその格好、まさかとは思いますが……」
「最終調整を頼む。俺は飛行許可を取ってこよう」
有無を言わさないのはいつもの事。
セファンとしては、さっさと行ってしまったハラネスよりもフロドに用があった。
「フロドさん……?」
「飛ばすだけだって!どのみち修理して、調整してって作業するんならいつかは飛ばさなきゃ始まんないだろ?」
全く知らされていない飛行テストに対してセファンはやはり懐疑的だが、この場においては2対1。
任せておけと言っていたフロドに裏切られたような気分で渋々、腹ごなしの最終調整に取り掛からざるをえない。
「……」
「大丈夫だって!飛ぶだけ!ホントよ?」
「それでも……やはりこの救命装置を下ろした機体というのはどうにも」
セファンの手元にあるチェックリストに救命装置の項目は無い。
打ち消し線を睨み、彼が思うのは責任というもの。
自らが手を掛けた機体なのだ、その乗り手には確実に生きて帰ってこれるだけの安全を提供したいと考える。
それがセファンの双肩に掛かるもの。
これがある限り手を抜く事は許されず、肩が強張る感覚を覚える……のだがフロドが揉み解すのでペースが乱される。
「セファンちゃんは優等生だなァ」
「優等生だとかの問題ですか」
「もっと単純に考えようぜ?」
「あの機体がなんらかの理由で飛行不能になった場合ハラネスさんは死にます」
「その前段階だよ。落ちなきゃ良いのさ」
「楽観的過ぎるのでは?」
「いいや?そうでもない」
セファンの肩を揉み、背中を叩いて喝を入れる。
何をするんだと非難の目でフロドを見れば、自身に満ちた表情でニヤリと笑いこう返す。
「よく見ろ。目の前に居るのは天才フロドだ。アイツの僚機が僕である限り死なせたりしないよ」
そう言い残して背を向けたフロドは自らの機体へと歩いていった。
その背中を見送ったセファンはふと思い立ち、クリップボードの紙束をめくって目当ての一枚を探し出す。
それは目の前のイサナトリが最初どんな破損の仕方をしていたかが書かれた紙。
何処を修理すべきかを明確にする為に記されたそれを見て、セファンはひとつのストーリーを思い付く。
(天才だなんだと言ってもフロドさんはあの時落とされている、僚機だって同様だ。ハラネスさんはその落とされた僚機の代わりに入った訳だけど……前任者は別に死んだ訳じゃない)
イサナトリの装甲とフレームに歪み有り。
瞬間的に掛かった衝撃を物語るその記述は少し不可思議なものだった。
(クジラにやられたにしては範囲が小さく、装甲の塗膜のハゲが目立つ……この衝撃はイサナトリがぶつかった時のものなんじゃ?)
あの時、墜落したフロドが乗っていたイサナトリは右腕部に装着していた銛筒の装填機構のみが破損していた事を思い出してセファンは笑う。
「クジラに不意を突かれた僚機を押し除けて助けた……?天才も案外やるなぁ」
それで全てが払拭される訳ではない。
だが多少は気が楽になるというもの。
セファンに掛かる重荷は分け合う事が出来るものだったのだ。
◆◆◆
船団が最も慌ただしくなるのは何時か。
それはクジラが現れた時だ。
クジラというのは全身余すことなく活用出来る資源、実際にクジラと相対するのはイサナトリでありそれを操縦する銛撃ち達だが仕留めた後にも仕事は続く。
船に引き入れ、解体し、冷凍船に保管する。
まるで巨大なひとつの生き物が獲物を狩り、咀嚼し胃袋に収めるかのような一体感のある動作が無数の人間によって行われる。
だからこそクジラが現れた時が最も慌ただしく、そして賑わい活気付く時……なのだが。
今日の空は良く澄み渡り、自分達以外の影などひとつも雲上に落とさない平穏さに満ちていた。
だがそれでも今日が特別なのは他ならぬハラネスが飛ぶからこそ。
フロドですら落とされたクジラを仕留めた新入りの飛行とあれば、彼が飛行許可を取りに行った段階で無線すら使って噂は広まっていた。
隔絶された空の上、変わり映えのしない船の中では娯楽が少ないのだ。
その日はやけに甲板やデッキの掃除を行う者が多く、この環境で溜まった鬱憤というのはやはり多い事がよく分かる。
そしてそれはハラネスにも同じ事が言えた。
「問題ない。良い状態だ」
「出来る事は完璧にこなしました。ただそれでも万が一はありますから、機体に異常が生じた場合はすぐに報告して帰投を」
「それはフロドに言ってくれ。帰してくれるかはヤツ次第だな」
粗方の調整を終えたイサナトリは新品同様よく磨かれた装甲に歪みのないフレームと、最初に2人が取り掛かった時とは見違えるような立派な状態だ。
ハラネス好みにカスタマイズされたこの機体は、一部の装甲を外して救命装置すら外した軽量級。
武装は銛筒ひとつを右腕に懸架したシンプルな物。
そんな十分に手を加えられた機体のコクピットに座り、あちこち触って満足げに頷くハラネスを見て、セファンはハッチにもたれ掛かり深くため息を吐く。
「随分とご機嫌な様子ですね。そんなに饒舌なのは初めて見ましたよ」
「……そうか?そうだな、機嫌は良いさ。空を飛べるからな」
「そんなにお好きですか。死の危険と隣り合わせなのに?」
ハラネスが腰掛けるこの機体からは救命装置が取り外されている。
機体が飛行不能になった場合の落下傘やバルーンといった物だ。
クジラの攻撃は体当たりといった面の攻撃が主なので、フレームが歪みハッチが開放出来なくなった場合に備えてイサナトリ自体を浮かせるような装置が積まれている。
そしてそれがあるかないかで生還出来るかが大きく変わる事は常識だ。
この機体はあの世へと片道切符となる事だってあるのは2人の共通見解であるにも関わらず、ハラネスは平然とこの機体が良いと言う。
「結局のところ、その様な装置を使う状況にならなければ良い。それに起動したからといって助かるとは限らないだろう……兄さんもそうやって死んだからな」
「え?ちょっと──」
「発進準備だ。行くぞ」
慣れない多弁さが思わぬ感情の吐露を招いて、ハラネスは誤魔化すようにイサナトリを起動する。
主機が動いていないとはいえ、その煩さは会話を中断させるには充分な大きさで鼓膜を叩く。
そうして動力を送るのはイサナトリの脚の裏。
イサナトリに存在する四肢の内、腕は武装を使用する為に。
脚はもっぱら降着装置として用いられる部位だ。
そして足の裏には稼働する車輪が備わって、ある程度の地走も可能。
これを動かしゆっくりと滑る様にイサナトリが前進し、格納庫から続く船内備えられた滑走路、そこで発進を待機する列へと並ぶ。
先頭に偵察機、続いて銛筒を両腕に装備したフロドの機体、数字が輝く1番機。
続いてハラネスの2番機が並んで今か今かと待ち侘びる。
「偵察機を出すぞ!早く乗ってくれ!」
「はい!今行きます!」
そしてハラネスの視界を横切るのは慌てた様子のセファン。
チラリとハラネスの方を見て、偵察機の後部へと乗り込み機体がゆっくり滑り出す。
これはハラネスのイサナトリの飛行テストだ。
その状態についてセファンは操縦する本人以上に気にかけており、自らの監督下でのテストを申し出たのだった。
「ヨォ、ハラネス。調子はどうだい?」
無線機がフロドからの問い掛けを吐き出す。
すぐに自分が飛び立つ番だというのに構わず無線で私語を流すのは彼らしい図太さによるものか。
「調子はこれから分かる事だ」
「イサナトリはな。アンタはどうなんだよ」
「俺はいつでも変わらない……そっちはどうなんだ。あの時は随分と無茶な操縦をしてしまったが」
返事の代わりにイサナトリが腕を曲げ、ガッツポーズで応じたのを見てハラネスは息を吐くように笑う。
「問題ないようだな」
「当然さ。前はカッコ悪いとこ見せちまったからな、今日は挽回させてもらうぜ」
2人が無線のテストをしている内に、偵察機がプロペラを力強く回し滑走路を通過して船外の空へと飛び出した。
次いで1番機だと、乗組員にハンドサインで案内を受けたフロドが「お先に」と無線を残して滑走路へと入る。
主機に火が灯り、イサナトリがグッと膝を曲げて飛び立つ力を蓄える。
「よぉし!僕の番だな!フロドが出るぞ!」
乗組員の船外へ向けて振られた手を合図に白炎を尾のように伸ばして1番機が凄まじい圧を残して飛び出した。
残るは2番機、ハラネスだ。
「やはり、良いものだな……」
出撃前の心臓の高鳴りが指先にまで伝わって全身を震わせる。
主機を起動させればその振動が体に溶け込んで奇妙なセッションのようだ。
ハラネスは噛み締めるように操縦桿を握り、喜びを享受する。
「問題ないな。いつでも飛べる」
イサナトリの無骨な指を立て、問題が無い事を伝えると、滑走路の端に立つ乗組員が強く頷く。
引き絞られた弓のように力を蓄え、矢を放つのはその乗組員の振るう腕だ。
「ハラネス、出るぞ」
合図とともに、猛加速するイサナトリが周囲の景色を置き去りにして船外へと飛び出す。
滑走路はその巨大なクジラのような形の船の腹、底部に備えられた設備故に発進のその様は産み落とされたようにも見えるだろう。
空へと躍り出たイサナトリは僅かに脚をバタつかせる。
降着装置であった脚は、飛行中にはサイドスラスターを吹かして機動の補助を行うイサナトリの胸鰭となるのだ。
「問題なし。飛行は安定している」
「どうやらそのようですね。見ていましたよ」
大きく旋回し、船団の針路と合わせていると無線機からはセファンの声が届く。
覗き窓から周囲を窺うと、同じように彼の乗った飛行機が旋回して2番機の状態を確認していた。
「とはいえテストはこれからです。ここまでで不安要素などはありますか?」
「パワーが足りないな。もっとシートに押し付けられるような圧が欲しい」
「それは慎重なテストを重ねた後に検討しましょう……ああほら、フロドさんの1番機を見てあげてください。さっきから曲芸飛行を繰り返してるんですよ」
1番機は何処かと周囲を見回そうとして……そんな事をしなくとも否が応でも視界に入るのがフロドという男だ。簡単に見つける事が出来た。
宙返り、背面飛行、ダンス……様々な曲芸はイサナトリの寸胴な見た目からは滑稽に映るが、それが途轍もない技量によって為されている事をハラネスは理解する。
というのもフロドは全く機体をブレさせないのだ。
「やはり綺麗な飛び方だ。俺ではああは飛べない」
「ハラネスさんでもですか?」
「俺の事を買い被りすぎだ。俺はフロドように美しく乗るのではなく、暴れ馬を乗りこなすタイプだからな」
手脚を大きく動かして、平泳ぎをしているような動作や空の上を歩いているかのような動きをしても、1番機は見事に機体を制御して見物人の笑いと喝采を受けている。
そして恭しく腕を振って一礼し、ハラネスの横に付けた時に重々しく無線から声が響いた。
「随分と楽しそうじゃないか」
「オウ!兄貴!フロドの定期公演はお開きだ。また次回をお楽しみに」
「ったく……ハラネス、テメェの僚機はこんなんだ。せいぜい頑張んな」
「良い飛行だ。次はクジラを相手に飛ぶところが見たい」
「オイオイ馬鹿が2人に増えたのか?これじゃあ仕事にならないんでな。3機はこの先でテストしろ。雲ひとつない開けた場所がある」
フロドが口笛を吹き、ハラネスは短く「了解」と返していち早くそこへと辿り着こうとペダルを踏み込む。
戯れるように2機が飛び去り、セファンの乗る偵察機は出遅れる。
「あぁ!追いかけてください!」
「イサナトリのスピード相手じゃ無理だよ」
偵察機のパイロットはそう返し、白炎の軌跡を辿ってイサナトリに比べれば牛歩の飛行で後を追いかけた──
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