迷霧の中で① 顔合わせ


 陸を離れて文字通り地に足つかない遠征を続けていると、馴染んだものもまた違って感じられるものだ。

 それは船の中の見知った人間関係であったり、危険と隣り合わせにある事で変化した価値観など。

 刹那的な生き方に適応する者もいれば長生きをしたいと船を降りる者もいる。

 

 今回の遠征はそんな変化の多い旅だった。

 それは空に出てからというよりも、それ以前から起きたモノ。

 乗組員の変化だった。

 この船団の所属する共同体は名をアマトと言い、周辺の空域で最も規模の大きな組織だ。

 そんなアマトは仕事を探す人、取引に持ち込まれた物が集まる場所であり、他にも困った人々が頼る場所でもある。

 そう、例えば難民が寄る辺を求めてやって来るなど。


 ハラネスもそのひとりだった。

 故郷を失い散り散りになった同郷の者達とアマトを目指し、多くはない人数となって辿り着いた彼等は新しい生活の為にも日々の糧を得なければならない。

 そんな時、諸手を挙げて歓迎したのが常に人手を求めていた複数の船団だ。

 アマトに幾つかあるそれら船団へと取り込まれた人々は否が応でも適応を、変化を求められる。

 それは当然、ハラネスにも求められる事だった──


◆◆◆


 船団の本船は多くの機能が内包されているが、その中でも比較的大きな場所を取るのがこの格納庫だ。

 各種任務を遂行する飛行機から、航続距離や安定性に優れる連絡用の小型飛行船まで。

 大小様々な機械を詰め込んだ格納庫には当然イサナトリの駐機スペースもある。

 全長6メートル程の球体から手脚が生えたような寸胴のそれは、その大きさの何倍にもなる巨大生物クジラを狩る為に使われる。

 そんな過酷な戦いに身を投じる者達……銛撃ちは命を預ける物言わぬ金属の塊の声を聞こうと日々、整備と調整を怠らない。

 整備士と肩を並べて真剣に意見を交わす何組かの中に、ハラネスの姿があった。


「これが俺の機体か」

「えぇ、この前ハラネスさんが仕留めたクジラにやられた機体のひとつだとか。修理して好きに弄って良いそうですよ。楽しみですね!」


 そして隣にはセファンの姿も。

 眼鏡を指で押し上げ、喜色に満ちた顔でイサナトリを弄り回す彼がこの場にいるのは他ならぬハラネスのお陰であった。


「いやーほんと、ハラネスさんが口利きして下さったお陰で気分爽快!息苦しさとは無縁の鉄と油の香りに囲まれて最高ですよ!」


 まるで新しいオモチャを与えられた子供のように……いや、彼にとってはオモチャとそう違いはないのだ。

 幼い頃より機械をオモチャ代わりに、成長につれて教材として触れ続けて手を機械油で汚してきた。

 そんな部分に共感したのだろう、ハラネスは不憫にも採掘作業を割り当てられていたセファンを整備士として使えないかと少しばかりのお願いをしていたのだ。


「なら俺の爽快はこれからだ。俺の手脚のように動く機体に仕上げてくれ」

「お任せを。ただ、あの時ハラネスさんの飛び方を見ていましたが……なんとも荒々しく豪快で、アレに追い付く機体とは一体どうしたら良いものかと悩んでいますよ」

「あれはひとりで飛んでいたからだ。僚機が居ればあんな無茶はしなくて済む。だが兎に角速い方が良いな、不要な物は外してくれ」

「不要と言いますと……装甲を一部取り外しましょうか」


 セファンは手元のクリップボードに乱雑に挟まれた整備のチェックリストなどの紙束へと幾つか書き留め、ブツブツと呟きだす。

 しかしそれを背後から見ていたハラネスはペンを取上げ、チェックリストに次々と線を引く。

 唖然として目を見開くセファンに構う事なくペンを走らせ、チェックリストの救命装置の項目に打ち消し線を引いて「これでいい」と呟きペンを返した時にようやくセファンはこの引かれた黒線の意味を理解して声を上げた。


「正気ですか!?」

「落下傘は要らない。それを外せば幾分軽くなるだろう」

「そう言って死んでいった人達が居るから載せているんです!」

「俺もそうなったら笑ってくれ」

「笑えないから載せるんですよ!」


 互いに頑として譲らず、声を張って口論の様相を呈し始めた時、それを仲裁するように割り込む人影があった。


「そこまで。これは船長命令だ」


 今日も変わらず作業着姿で現れたこの船の最高権力者は呆れた様子で腰に手を当てため息を吐く。


「どうせバカには何言っても聞きやしねェ。言うだけ無駄だぜ?」

「ですがこれが私の仕事です!」

「だってよ。お前さんは他人の仕事にケチを付ける気かい?」

「俺の仕事はクジラを仕留める事だ」

「そうかい、そうかい。よし!なら単純な話だ……」


 大きな手を叩き、船長の視線がハラネスとセファンを射抜く。

 有無を言わさなように、肉食動物のような威圧でもって場を制する様は正しく人の上に立つ者、船の長の姿だった。


「ハラネス、テメェは絶対に死ぬな。生きて帰る事しか許さん」

「……アイアイキャプテン」

「これでいいな?」

「良くはないですね」

「納得してくれ。今は一機でも多くのイサナトリを飛ばしたいんだ」


 再び大きな手を叩き、「さて」と仕切り直す船長は格納庫を見回して……目当ての人を見つけて手招きをする。

 ハラネスとセファンもその方向を見ると、金髪の青年が真っ直ぐにこちらへと歩いて来ていた。

 威風堂々とした姿はまるで貴人の凱旋か何かといった様子で、その背を追う整備士はさながら従者といった所。

 周囲を自らの色に染め上げる存在感が彼にはあった。


「ヨォ!元気かい恩人さん。あの時は助かったぜ」

「俺の弟のフロドだ。別に船長の弟だからって気を遣わなくていいからな」


 偉丈夫の船長と、麗人のような線の細さを宿した弟。

 剛と柔、正反対の印象の兄弟であったが共通するのは自信に満ちた笑顔と胸を張った堂々たる立ち姿。

 目の前に居るとその印象が強く、ハラネスはフロドが言ったあの時がいつだったかを思い出すのに僅かな時間を要した程だ。


「あの墜落したイサナトリに乗っていた……」

「そうさ、まさにそれが僕だな。不意を突かれたとはいえこの僕を墜とす程のクジラを仕留めて見せたんだ。実力は充分……丁度僕の僚機に空きが出てね。ま、不足は無いかな?」


 自分の実力への自負を隠さずにそんな事を言ってのけたにも関わらず、嫌味に感じないのは彼の堂に入った振る舞いによるものか、はたまた自身の負けを棚に上げる滑稽さによるものか。

 ハラネスは少しばかりの困惑を込めて船長へと視線を向ける他になかった。


「お前さんにはフロドと組んでもらう」

「……アイアイキャプテン」

「聞きたい事があるなら聞いておけ。フロドが初めて喋った言葉は知りたいか?」

「……俺は以前、凄腕の銛撃ちと組んでいた。僚機に求めるものはそれに比肩する腕前だ」


 懐かしみ、悲しみ、怒り、憧れが一挙にハラネスへと去来して、睨む力を強くする。

 半端な相手と組む気は無いと。

 しかしそんな眼光など意にも介さぬ様子でフロドは陽気に肩へと手を回してニヤリと笑う。


「それなら僕は適任さ。なにせこの辺りじゃあ一番腕の良い銛撃ちが僕なんでね。天才、ってヤツかな?」


 フロドと初めて会った者は皆こう思う、天才のフロドと。

 彼の生まれた家は名家と呼ばれる家であり、その歴史に見合った権勢も備えている。

 しかし当然のように偉ぶって振る舞い、大口を叩き自分は他とは格が違うのだと考えているような良いとこのボンボンなどは他者の顰蹙を買うものだ。

 その鼻っ柱をへし折ってやろうという者も当然、彼の人生には数多く現れた……が。


「自惚れ屋なんて言われる事もあるがそんな手合いも僕は実力で黙らせてきたもんだ……どうやらアンタも相当な自惚れ屋みたいだし?ここはお互いに腕で語るってのは」


 全ての悪評も妬みも実力で叩き潰して来たフロドだからこそ分かるのだ。

 これが最も手っ取り早い手段であるし、何よりも目の前にいるハラネスという男も自分の同類。

 実力で周囲を黙らせる事でのし上がる手合いなのだと。

 

 それに対するハラネスの反応といえば、いつも通りに口は横一文字に引き結んで押し黙る。

 褐色の彼は今日も巌のようにそこに居て、相手に抱かせる印象はミステリアスや威圧的。

 話しかけ続ければまるで物言わぬ器物に話しかけていたかのような恥ずかしさにすら襲われる。

 もしや自分は本当に石像と肩を組んでいるのだろうか?と思い始めた頃、回した腕を払われてようやくそれが人、あるいは動く石像である事を確認出来た程にはフロドは相手にされていなかった。


「勝手にやってくれ。俺は忙しい」


 床に置かれた工具箱から指で絡め取るように幾つか工具を取り出して、自らの乗機となるイサナトリへと手を加えるハラネスの背中はもうこれ以上の会話を望まない事を言外に伝えて他者を強く拒絶していた。

 残された3人……とフロドの整備士の間になんとも気まずい空気が流れて顔を見合わせるが、語るべき言葉を誰も持ち合わせていないのでハラネスの工具の音だけがこの場で最も大きな音だ。

 そしてそんな空気を変えるのは船長の仕事に他ならず、またもや大きな手を叩いて「用は済んだんでな。仕事に戻れ」と言っていち早くこの場を脱した為に、残された者はどう別れたら良いのか分からなくもなる。


「何か……ハラネスさんの気に触ったのでしょうか……?」


 勇気を出して、小声で話す縮こまったセファンに比べてフロドは変わらず腰に手を当てた物理的にも存在感のある立ち姿だ。

 だから話す事だって自然体の思うがままの言葉だけ。


「面倒臭くなっただけじゃないか?実家で飼ってる犬があんな感じだ」

「いや、まさかそんな……」


 実際それが的を射る発言であった事を、これからハラネスと過ごす時間で2人は存分に味わう事になる──

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