第四十二話 英語の歌詞は前から訳す
「今日駅からスタジオに来る途中でロケをやっていましたよ」と、恭子さんが言った。
そういえばテレビドラマなどでこの辺りの風景をよく見かける。ここ東京港区はどうもロケ地に良いらしい。マイルスがニューヨークに住んでいた時は、よく映画の撮影に出くわした。数ブロック以上を通行止めにして行われる大掛かりなものだった。
ニューヨークで自分たちは映画のスクリーンの中に住んでいるようだと思っていたが、今度は東京でテレビ画面の中に住んでいるようだ。
映画やドラマの終わりは、ぶちっと終わらず、後味が納豆の糸みたいにずっと切れずに伸びている。歌もそうありたい、とマイルスは日頃からそう思っていた。
「およそ音には波形があって、その形は0クロスから立ち上がって、0クロスに向かい、反転した形で、また0クロスへと戻るんだよ」「これが1つのサイクルなんだ。この波形をいきなり切ると、ブチッとノイズがする。これは、もう自然な波形でない証拠だよ」
「楽器でも歌でも、音の消えていく形は、自然なもので、いきなり消える形は、自然な形とは言えない」
「という訳で、発声にはなだらかなフェードをかけるのが、正しい音の形と言えるよね」「普通のサンプリングシンセサイザーは音のお尻の処理が人工的なんだが、高級機になると波形が長く消えるまでサンプリングしてあるんだ。これが自然な波形になるんだ」
「アタック時からフェードをかけると、同時に余韻が増えていく。この余韻は、息継ぎさえなければ、発声が終った後でも響いているんだ」
「プロとは、このお尻をきちんとまとめられる人達の事を言うんだよ」「よくしまっている、とか言うよね。だらっと流れていない感じだよ。このお尻でビートやグルーブを感じると良くなるよ」
「しまっているのに余韻感がある、これはもう最高のパフォーマンスだね」とマイルスは言った。
なるほどお尻は大切なんだ、ドラマの終わりなんだ、と恭子さんは思った。
考え方はNeo Maggioでは「最後のスペルは最初からイメージする」と、教える。カラオケの文字のように順番に読むのは良くない。wordは塊として認識する。
「恭子さん、英語の歌詞をどう訳しますか?例えば
Fly me to the moon and let me play among the stars (引用)をどう訳しますか?」とマイルス。
「私を月まで飛ばせて、星の間で遊ばせて...こうでしょうか?」と、恭子さん。
「それでは後に行ったり、前に戻ったり大変ですね。そこで前から訳します。この時のコツとして、訳の後に毎回『ネ』を付けます」
「飛ばせてネ 私をネ 月にネ そしてネ させてネ 私をネ 遊ばせてネ 間でネ 星のネ こうすると前から訳せて意味も分かってきますね。この『ネ』はすごいですネ」
「そしてこの『ネ』が余韻だと考えるのです。どんどん 歌うと上手くなったようですが、実は余韻のない歌を歌っているのです。wordを一つ一つ余韻を付けて歌いましょう」
「もう一つ、前から訳すついでに、wordはまとめて読みましょう。前から順にw・o・r・dと読まないようにしましょう」
「untrueも u・n・t・r・u・e と読まないように。でもついカラオケでこんな読み方をする癖が付いていませんか?こんな読み方をすると、英語のwordが、日本語の音になってしまいます」
「さらにもう一つ。日本語も英語のword的にまとめて読みましょう。音符一つに一音ずつ付けると、意味の分からない歌になります」とマイルスが注意する。
「ところで、地球から月までの空間に、太陽系の惑星がほぼぴったり入るって、恭子さん、知ってました?」
「え!本当ですか?」
Fly me to the moon and let me play among the stars
と口ずさむ恭子さんは、月明かりに浮かぶ東京タワーに想いを馳せていた。そしてマイルスのレッスンの最後の言葉を思い出していた。
練習時間を決めて歌をやるより、いつも口ずさむ方が、より歌を歌う形になっている。答えを出そうとして練習すると、自然に歌う感じが損なわれ、歌の一番大事な部分がいつのまにか忘れられてしまう。
ほんの数秒でも、数十秒でも、信号待ちの時、電車待ちの時、電車に乗っている時、歩道を歩いている時、仕事の合間、そして最もふさわしい時がお風呂の時間だが、そんな時正しい歌の形を思い出して口ずさんでみよう。
「正しく口ずさむこれがキーワードだ」とマイルスは言った。
決して大きい声を出す必要はない。むしろ最低のボリュームが訓練になるんだ。ただしスマホと一緒で、駅で歩きながらは危険だ。
この時自分の歌が聞こえないとは絶対に思わない事だ。聞こえる聞こえないにこだわっているから、必要以上に大きな声で歌って、リラックスした歌が歌えないのだ。
「好きな人の耳元で歌ってる」と思って歌ってみよう。「うるさい!」と言われないように優しくね。
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