第十五話 想い

 マイルスは橋桁に向かってラッパを吹いていた。橋桁の数だけ音が跳ね返ってくる。ディレイだ。ディレイの音を使って一人で音楽を作る。まるで自分のディレイ音と対話するもう一人のマイルスがいるみたいだ。この感覚はプレイヤーとしてのマイルスだけでなく、音楽家としてのマイルスにも大きな音楽への感性を与えた。


 トンネルや地下駐車で大きな声を出したことがあるだろうか?これはエコーだったりリバーブだ。そのせいかマイルスのスタジオには10を超えるエコーやリバーブその他の空間エフェクターがある。

こんなに必要なのかと思う人もいると思うが、全て音が違っていて、チョイスがハマったときの喜びは文字では伝えられない。はっきりと効果を求める使い方、かかっているかどうか分からない空間としての使い方、音色として使うやりかた等などがある。


 しかしこれらのエフェクターは使う人の想いがあって初めて効果がある。こういう風に伝えたい、聴いてほしいがあって初めて効果を持つ。それが音楽だとマイルスは想う。


 マイルスは日頃から「ため息」が聞こえるプレーヤーでいたいと思っている。「胸キュン」が聴かせられる人でいたいと思っている。「憧れ」や「深い悲しみ」「切なさ」や「想い」も大切だ。フレーズがどうでもいいとは言わないが、それ以上に大切なものがある。

 音楽の中に音より大事なものがある。音楽を学ぶ間にマイルスはそう思うようになった。


 John Coltraneの “Ballad” には「優しさ」がある。傷ついた時聴くと「そんなに優しくしないでくれ」と思う…


 Miles Davisの “Star People” は、もうどうしようもなく落ち込んだ時聴くと、絶望した時聴くと、心が張り裂けるようになる。助けにはならないけど同じ想いがあるようでたまらなくなる。共感できる。心が張り裂けて叫びたくなる。


 突き刺すような感情や、張り裂けるような気持ちも音楽では必要だとマイルスは思った。


 そしてその想いは出すのではない。出てしまうのだ、音として。

絵画の様に描き込まれるものではないし、小説の様に文字間、行間に現れるものでもない。写真の様に切り取られるものでもなく、映画のように滲み出るものではない。

ほとばしる様に出てしまうのだ。隠しきれない気持ちというか、恥ずかしいと思っているのにほとばしる気持ちなのだ。


 口には出せないような恥ずかしい気持ちが音に乗ってほとばしるのだ。クゥー効くぅ。もし人間の体にモニターが組み込まれていて、思っていることが全て言葉や映像で映し出されたらすごく恥ずかしい。テレパシーも欲しい能力か、あると困る能力か分からない。やっぱ恥ずかしい。


 マイルスはオレはいつからこんな感情を持つようになったのか思い出してみた。そうするといろいろあるような気がするが、根源はやっぱりブルースだと思った。


 社会人になって東京に出て行ったケンちゃんがマイルスに「ブルースを書け」という手紙をくれた。簡単そうで難しい命題だった。そしてその命題は今もマイルスに問いかける。「ブルースって何だ?」


 瞬間と永遠は同じではないか、とマイルスは想う。

写真は瞬間の芸術である。一瞬を切り取っているようで、そこには必ず時間が流れている。綺麗に咲いた花には、美しく咲くに至った生命力や、そのために費やされた日々が感じ取られる。子供の笑顔には、生まれてから今までの苦労や、もう大人になってしまった、その子の昔の時間、生活が感じられる。

 見るほうにも時間が流れていて、その時はなんでもなかった記念写真が、後になって、かけがえの無いものとなる。自分の子供の頃の写真には、タイムマシーンが組み込まれていて、写真だけではなく、色々なものが想い出される。

 音楽は歌は時間の芸術だと、知っていながら、まるで、時間を切り取ったような音やタイミングに、神経をすり減らしている。果たしてそれでいいのだろうか?

マイルスの言わんとしている事が、分かるだろうか?

流れの中にしか、本当の答えは無い。形を、言葉を大事にして歌を歌えば、自ずと、どうやって歌うかは見えてくるだろうとマイルスは想う。

 歌の中には、過去も未来も、そして場所や空間さえ超えた世界が、存在するのだ。永遠さえも…


「刹那(せつな)の事を想った事があるかい?」とマイルスは静に訊いた。

Not really…


「刹那はね、10の−18乗=0.0000000000000000001と言われる。刹那は極小の単位だ。

しかし仏教のある教えでは、極大の単位無量大数10の68乗 の後に、さらに大量の大きな単位があって、その中にも刹那があると言う説があるんだ」とマイルス。

 刹那は、切ないに通じる。恋人と居る時が、一瞬に思えて切ない。そしてこの時が止まればいい、とさえ感じる。この時の為に、すべてを捨ててもいいとさえ感じる。

「つまり刹那は、一瞬で永遠なのだ」とマイルスは静に言った。

 マイルスは静の綺麗な目を見つめた。その目に吸い込まれるように静を引き寄せ、ぐっと抱きしめた。刹那だった。

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