"Sense in the REVOLVER"

上井オイ

"Sense in the REVOLVER"

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 それは至高の才能を撃ち殺すための計算式である。



 団野が死んだのは、ある春の日の早朝だったらしい。

 その日の窓の外では、桜の花弁が狂ったように舞い散っていた。その光景を眺めるような余裕もなく、俺はひとり、定数を弄りながら夥しい量の出力結果と睨み合っていた。

 そんな閉ざされたコンピュータだらけの研究室に、一人の職員が飛び込んできた。記者が詰めかけている、と彼は叫んだ。全員追い返せ、と俺は苛立ちまぎれに声を返した。団野が死んだらしいです、と彼は続けた。俺はうるさいぞ、と呟いた。思うように機能しない学習モデルにもう数日も悩まされていた。そこでやっと、俺は先ほどの彼の言葉を脳裏で反芻し、今なんて言った? と俺の方から聞き返した。変数はおかしな値で止まっていた。機嫌を損ねた聞かん坊は、暴走気味に意味不明な画像データを垂れ流し始めていたが、ひとまず俺は今耳にした言葉に処理能力の全てを注がなくてはならなかった。

 彼は走ってきたのであろう、肩で息をしながら、扉を押し開けたままの体勢で再び俺に告げた。

「画家の団野千澄が死にました。今、その件で記者団が詰めかけてきています」




「——出てきました! 中航博士です!」

 記者室に入った瞬間、俺を向けて一斉に焚かれるフラッシュに、薄暗さに慣れた目が強く眩んだ。遥かな太陽を直視してしまったときに、どこか似た眩暈がする。

「中航博士とは旧友とのことでしたが、世界的画家『DANNO』の訃報についてどう思われますか!?」

「博士開発の第一世代画像生成AI、『Faraway』による未来を悲観した自死ではないかという噂がかなり出回っていますが、どうお考えでしょうか!?」

「『DANNO』は死の間際に、自らの作品の出来る限り全てを燃やして回ったそうです! 博士に心当たりはございますでしょうか!」

 ふらつく俺を意にも介さず一斉に浴びせかけられる質問に、一気に背筋がぞわりと粟立つ。凶器のようなカメラが、マイクが、俺に突き出されているのが白くぼやけた視界にうっすらと映る。

 団野が死んだ。奴の腑抜けた面を思い出す。ぼさぼさの天然パーマを、切るのが面倒だと肩まで伸ばして、丸メガネをかけてぼさっと突っ立っている。記憶の中の奴は、あの頃から変わらず覇気のない風体をしていた。その全身を思い描く。色とりどりの油が染みついたエプロンを。愛用していたボロボロのデニムのズボンを。そして、常に絵筆を握っていた奴のごつごつとした左手を。

 そうだ。今日は。あいつの二十七の誕生日だ。


 奴は奇特な男だった。そしてまたそういった人間に稀にあるよう、同様に輝かしい才能を有していた。団野千澄。俺が高校時代に出会った、その変わった名の彼は、ドリンクバーで取ってきたコップに必ずストローを二本刺すようなそんな風変わりな男だった。理由を聞くと、彼は必ずこう返した。

「それはまあ——センスだ」

 そのつまらない洒落なのか本気なのか分からないセリフを、彼は決め台詞のようによく使っていた。

 遠い過去の——奴と真っ当に過ごした最後の一日を思い出す。

 当時、俺が卒業生代表として式を終えた後、美術室に足を運ぶと団野はすでにキャンバスに向かっていた。窓の外に見えるソメイヨシノが桜の花弁で桃色に染まっているのを、そしてそれが暖かな春風で微かに揺れているのを、奴は両手の指先、二つの親指と人差し指で四角をつくって囲んでいた。切り取られたその光景を、彼は左目を瞑って見つめている。

「……団野」

「…………」

「団野。卒業式くらいは出席しろよ」

 彼ははあ、とため息をついてその長方形を解体した。

「何の用だぜ、中航」

「今言った用だ。卒業式くらいは出ればよかったのに」

 俺はそのキャンバスの後ろを通る。白布には、窓越しの平凡な広葉樹がモデルだとは思えない、恐ろしさを感じる程美しいソメイヨシノがあった。その桃色はただ桜色、と著すに憚られるほど艶やかな色合いで、生命の夏と死滅の冬の間にありながら、草枯の秋の対偶に位置する「春」の独特な空気を見事に醸し出していた。

「それは?」

 俺は美術室での定位置、団野から六つ離れた椅子に座りながら問う。

「この美術室を描こうと思ったんだよ」

「ここを? なんで突然。最後だと思うと感慨でも湧いたか?」

「いや。それはまあ——センスだ」

 団野は大きくあくびをした。そのセンスとやらだけであのソメイヨシノを創り出せる彼に、極めて何も思わないように注力しながら俺もキャンバスに布を張る。その作業を済ますと、「中航 仁」と書かれたパレットを手に取った。

「中航もなんか描くんだ?」

「——俺も、記念にな。卒業すれば描くこともないだろうし」

 ふうん、と団野は尋ねておいて、わりと淡白に俺に応える。

「もう描かないの?」

「研究室の方が忙しくなると思う。教授が俺の論文を評価してくれたらしい」

 俺はこのときにはもう人工知能を齧っていた。巨大私立大学の付属高校であったから入学時から専門の大学教授に師事できていた。既に工学界でも俺の名前は「神童」だとかある程度広まっていたらしかった。

 ——それもまあ、眼前の男ほどではなかったが。

 団野はぼさぼさの頭を右手で掻きながら、大してやる気もなさそうに左手で筆を躍らせる。しかしその毛先は意思を持つかのようにキャンバスに吸い付き、鮮やかなソメイヨシノのその魂の形を蘇らせていく。彼は紛れもなく、絵画のだった。

 それを最初に痛感させられたのは、高校生絵画コンクールでの出来事だ。その一幕は強く記憶に刻まれている。

 俺の絵は佳作として品評された。それはいい。俺は分析して描いたのだ。今年発表されていた審査員の好み。毎年最優秀賞に選ばれる作品の傾向。高校生らしい情緒を、工夫された技巧で、真新しい構図で描かれたもの。佳作には食い込む自信はあった——いや、正直に言うと。もしかすると、大賞なんかに選ばれてしまうんじゃないかと。高校一年生の純朴な馬鹿は胸を膨らませたりなんかしていたのだ。俺は提示された問題に対して、出来得る限りの最適解を弾き出していたはずだった。遠く見える大樹を遥かに、赤蜻蛉が鮮やかに翔ぶ様を映した、俺の傑作は。

 期限の数日前に、ふと思い立った様に一気に描き上げられた団野のソレは——何なのか。分からなかった。何もない空間の、真ん中に円柱があって、そこで鳥が一匹、その大きな翼を広げていて、飛んでいるようでいてそれは円柱の上にとまっているような、俺には理解ができないひどく曖昧な絵だった。俺はそれを見て、心の内で安心していた。こんな抽象的なものが入賞した前例は、直近の二十七年で一度もない。お得意のセンスとやらに傾倒しすぎて、この男は失敗するだろうと——しかし。結局のところソレは、俺が好みや傾向について分析してきた高名な芸術家や芸大の教授なんかに絶賛された。

 団野と共に表彰式に向かった夏の日の、狂ったように冷えたバスから見えた、嫌に青く、青い空は今でも目に焼き付いている。それでいて肝心の式の内容はほとんど記憶にはない。会場を出た後——かたく握りしめていた拳から、真っ赤な血が滲んでいたのに気がついただけだった。

 そしてそんなことを続けていれば当然の結果として、もう一年間この美術部には俺と団野しかいなかった。他は全員辞めたのだ。団野に負けて。

 それぞれ言い残したことは異なっていたが、共通しているのは、彼らは軒並み団野に殺されたということだった。

 団野は紛れもなく他者を巻き込む災害だった。それも才能という名の。

「中航もすげえなあ。論文ってあれだろ? なんかロボットの。今はどんなこと勉強? してんの」

「……今はFB制御理論についてだ」

「おー、ぼくにはよくわからんがなんかすげえな」

 団野はキャンバスから目を離さないままだった。彼の悪意のない虐殺の中——俺だけが生き残ってしまった。理由は簡単だ。俺にとって、絵はただの、趣味だ。少なくともそういうことで納得している。それに俺は芸術よりも工学において才を発揮できるという自己分析も正常に働いている。

 大丈夫だ。今日も俺という機構は正しく動作している。

 思考を回す俺には目もくれず、団野はひどく気楽そうに筆を走らせていた。俺はゆっくりと絵筆を取ると、絵描きとして最期に描くものを決める。水溶性のアクリルを混ぜ合わせた。

「じゃ、中航はハカセとかなんかになるのか」

「博士……まあ、博士号も取るかもな」

 団野はひどく無邪気に、かっけえな、ハカセ。と続けて、握った筆先をキャンバスにぱたりと押しつけた。俺も大学に入り、本格的に研究室に属すれば、絵筆を握るような時間は失われるだろうから、これは正真正銘最後の絵になるはずだった。

 団野は既に集中し始めたようで、真摯な目でキャンバスに向かっていた。一度集中してしまえば、団野は時間も忘れたかのように世界を彩りはじめる。そして完成するときには──どの工程でそれを挟んだのか、以前後ろからずっと睨んでいても分からなかったのだが──ただ現実を写像しただけに留まらない、ひどく感情を揺さぶる何かが介在している。


 俺たちは、窓枠にうつる桜から溢れる光が薄暗くなるまで筆を走らせていた。そして俺は、六時間かけて描きあげた自分の絵を、額の汗を拭って見直す。うん、悪くない。そこそこいい出来だった。

 そして俺は団野のキャンバスを遠目で見やって。俺と彼の絵を見比べる。

 ————うん。

 俺が描いたソメイヨシノは、その存在の全てを賭けても、団野の創り上げた舞い散る花弁のひとひらにすら届いていなかった。その絵と比べると俺の絵はまるで赤子の落書きだった。無駄に凝らされた技巧がその惨めさをより引き立てている。同じ桜を描いたはずであるのに、改めて見てみると俺の木は枯れ果てているかのように彩りがなく、それでいて団野の木は世界の初めに唯一立っていた、この世の全てに祝福されているかのような豊かな色彩をもつ一本だった。その大樹が落とす影の黒が目に入る。

 俺の影に使われた黒は、ただのインクの染みだった。しかし奴の影は黒ではなかった。この世界を構成している全ての色彩を混ぜれば、何よりも色とりどりな漆黒へと成る。団野の影の色こそが、「桜の木の陰」の黒色だった。ただ「黒」という色が、絵画全体を根底から支える「影」として人の目に映る。俺はそれをぼんやりと見つめていた。

 ずっと解っていたし、それでいながら続けていたことだった。俺に——画才は、ない。少なくとも、こいつよりかは。順当に団野から離れられる今になって、やっとそれが腑に落ちた。どこかで何かの歯車が噛み合う音が、かちりと聞こえた気がした。

 描くのは、辞めだ。後ろ髪を引かれる気にはならなかった。俺はこのときになってやっと、至極軽やかに団野に殺されることができた。



 K大工学部に進学し、そのまま院を卒業した後、俺は渡米してAI技術開拓を行う研究チームに所属した。画像解析、その中でも特に描画を専門にして──その俺の新しい試作として完成したのが『Faraway』だった。

 入力された言語データに、気の遠くなるような強化学習の末完成した学習モデルが描画した画像データを出力して返す。そのサイクルを指令AIに行わせるプログラムだ──意味のある画像の出力は難易度が高く、実用には程遠かったが——それを利用した西欧の画家が、高名な絵画コンペに入賞したとかで、『Faraway』はSNSだかなんだかで大きく騒がれることになった。曰く「機械が絵を描く時代が訪れた!」と。

 それはまさしく賛否両論であったが、賛だろうと否だろうと、騒がれることで開発者たる俺の名は指数関数的に有名になっていった。多くの支持と、多額の寄付を受け、俺はだんだんと描画AIの第一人者として位置されるようになっていった。

 その余波で俺は多くの記者に押しかけられることが日常になっていって──その一環だった。どこからか俺と団野が古い知り合いであることを聞きつけた記者が、世界的画家『DANNO』と俺の対談を設けたいとかいう話が来たのは。



 どうして受けてしまったのか。六年ぶりの団野との対面を翌日に控えた深夜。俺は記憶の最奥に押し込んでいたその名前を思い出し、暗いホテルの一室で酒を煽りながら自分の判断を悔やむ。

 喉が灼けるように熱い。忘れかけていた奴の姿を、その絵を思い出す。荒く栓を抜いたワインの側面を見ながら。

 そういえば団野は、絵を描く時は必ず、いくつかの側面からそのモノを書いていた。座ったまま、身体も目も動かさず、被像物を背面から再構築して。

 それが異常であることを、俺は知っていた。絵など齧らなければ、それが異常であることなど知らなくてすんだかもしれなかった。彼はものの構造を頭の中で再現して、それを箱庭を眺めるかのようにくるりと回した目線で世界をとらえ直すことができたのだ。そしてその能力は、自らの内に箱庭を作り出すことにも応用できるらしかった。

 一度、どうして同じものを描き続けるのか聞いたことがある。奴はセンスだ——と言いかけて。静かに奴に問うた俺を一目みてから、そうだな、と彼なりに言葉を選び取りながら話してくれた。曰く、モノの絵を描くということは、そのもののたましいに到達することだという。当時の俺も、他の有象無象どももそれを天才の御業だと信じて疑わなかったが、今考えてみると、奴は何よりも被像物のたましいを視る「目」に長けていたのだろう。



 何人かのライターと共に、ニューヨークの団野のアトリエに入ると、彼はチューブから白と赤の粘体を搾りだしていた。それらを木板の上で油と混ぜ、パレットナイフで執拗に切り付ける。本来の色を喪った紅白はより映える淡い桃色を映し出した。団野はそれを荒々しく筆先で擦ると、そのままキャンバスにべたりと塗り付ける。そしてこちらも見ずに呟いた。

「……誰?」

「久しぶり……だな、団野」

「おまえ。そうか。中航、か」

 彼はようやく、少しだけこちらを見やった。そしてスーツ姿の俺を一瞥して、すぐにキャンバスに目線を戻した。何を言うべきか分からなかった。

 眼前の獣を、現実感の喪われてしまったような白い部屋の褪せた光景を、ぼんやりと眺める。キャンバスを見据えているのは変わらなかったが、その目はひどく荒み、血走っていた。そして彼はおもむろに絵筆をぶちりと叩き折った。俺はそれに少し後ずさりするが、周囲は慣れたものなのか、発作ですね、と小さく言葉を交わしながらカメラをこちらに据えたままだった。

 目の前のこれは。これは……誰だ。

 俺は混乱しながらも、当たり障りない言葉をなんとか絞り出す。

「……最近は、どうなんだ。団野」

「今描いてるのは……空だ」

「ピンク色だが」

「だったらどうした」

 彼は呻くように新しく筆をとると、先ほどの荒れ方が嘘かのように、細部に掠れ目を付けるよう筆を慎重に斜めにしていった。白く、緩やかな筋が世界に現れていく。

 俺は黙ったままその風貌を眺めた。彼の目は吊り上がってキャンバスを睨んでいたが、しかしどこかあの時より覇気を喪ったように思える。ぼさぼさの髪だけがあの日と同じだった。気楽そうに筆を握っていた彼はもういなくなっていた。食い込むような強さで、パレットをかたく握りしめていた。いつかの魂を見い出す天才は、今やひとりの芸術家として魂を削る立場にあるようだった。

 それから少しの間。俺の問いかけに奴はああ、とかうん、とか言って、しかしそれでも普段よりずっと多く彼は話したらしく、ライターたちも非常に満足した様子で、俺はアトリエを出ることになった。

 俺は最後にたまらず問いかけた。

「お前、変わった……よな」

 団野は反応することなく、絵筆を走らせていた。

 諦めて扉に向かう俺の後ろで、団野がぽつりとつぶやく。

「……変わったというより、向かってるんだ」

「どうした。何にだ」

 なんでおまえでも分かんねえんだよ、と団野は小さく口を動かした。分かるわけないだろ。おまえのような天才のことなんて、何も。

「描くことは、自我を削り出す作業なんだ。たぶん、そのうち、限界がくる」

 きっとぼくは——と、奴は何かを言い残しかけたが、彼はそこでやめて、手で俺たちを追いだす様に払った。



 

 それから俺たちは会うことも無く、四年後の春に団野は死んだ。あいつの遺すはずだった、全ての絵を燃やして。

 ———結局死因は自殺ではなかった。病死だったらしい。

 『Faraway』が絵画コンペに入賞したことは関係なかった。あいつのことだから、もしかすると知りもしなかったかもしれない。記者どもは当初まだ発表されていなかった死因をハイエナのように嗅ぎまわり、そして捻じ曲げて面白おかしくニュースに仕立て上げようとしていただけだった。

 それを知った瞬間。俺は泣きたいような、笑いたいような、そして明確な死因で以て、団野がこの世界からいなくなったことを再認識した。勝ち逃げ。その言葉がたちの悪いコンピューターウイルスのように頭を走り回る。勝ち逃げだ。そしてすぐに自分を笑った。俺の方から絵の世界を降りておいて、勝ち逃げとはなんだ。

『Faraway』ではあいつに届かなかった。あいつは独りで、孤独と死んだ。俺ではあいつを殺してやれなかった。しかし——それなら——。



 どうせ、現代の技術革新のスピードであれば「それ」はいつかは成されることだ。それならいっそ。この。俺の手で。




 その日、俺は大々的に完全次世代型描画AIの製作に着手することを発表した。




 俺は凡人だ。少なくとも画家としては。しかしそんな俺が——夢に出てくる天才の虚像を断ち切るためには。奴へのこの感情にケリをつけるためには。

 俺は全ての才能を否定してやる。輝く星々のような、その全てをただの#00001Cで塗りつぶしてやる。いつかの品評会でかたく握られた、その拳をようやく開いてやれる。

 いつか憧れだったかもしれないその感情は、じきに無感情を繕い、その対象を喪った今やただの執着へと堕ちきっていた。

 いくつかの企業や多くの機関からの資金も得て、俺の研究所も設立された。そこからの毎日は、俺自身をレジストリに組み込んだプログラムを動かすだけの日々だった。学習モデルの改善と変数を調整するだけの毎日は、余計なことを考えなくてよくて楽だった。

 いや。一度だけ、ウイルスもどきが混入したことはあったか。


 売れない画家だったかなんだったか、俺と似たようなつまらない男が、ある日研究所に飛び込んできた。奴は取り押さえられたまま、俺に向かって叫ぶ。

「中航いい! 今すぐ描画AIの開発を中止しろ!」

 俺は引き留めようとする警備員を振り払ってその男に近付く。

「なぜだ」

 地面で組み伏せられ、じたばたと喚くその男は、まるで無力な虫が蜘蛛の巣で足掻いているようで滑稽だった。

「何故も何もない───!」

 人生を捨てて俺に提言しに来たのだ、少しは話を聞いてやろうと思ったが、彼はただ喚くだけで、まともなことは何一つ言わなかった。

 時間の無駄だと判断した俺は、背中を向けて研究室に戻りながら、警察に引き渡される男の最後の声を、聞いた。聞き届けてしまった。


「おい、聞いているのか中航!


 芸術の神は——こんなことを許さない!」



 俺は——その言葉に。

 振り返って咆哮した。

「芸術の神などいない! いなかった。いるなら——団野を死なせたりなどしなかった」

 突然。初めて感情を見せた俺に、研究員や警備員が唖然として目を向ける。

 俺は止まらずに言葉を続けた。

「芸術に神はいない。たとえ万物、八百万に神がいようとも、「創ること」の神だけは決してこれまでの時間軸に存在していない」

 取り押さえられたままの駄犬を睨み、魂の底からあざ笑った。

「なぜなら、は今から俺が作るからだ。創造における人造神デウスエクスマキナは。そしてそれが、この世界に産み落とされる最後の創造物になる」





 それから数ヵ月が経ち、完全次世代型描画AIも完成間際に迫ったある春の日の午前。

 うららかな陽射しの下で、俺はひとつの荷物を受け取った。

 送り主の名は——団野千澄。

 ちょうど、一枚のキャンバスが入りそうなその箱の大きさに、ひどく嫌な予感はした。開けるな、と本能は警告を出していた。しかし、俺は導かれるように箱の封を解いた。


 それはいつかの美術室の絵だった。窓には比類なきソメイヨシノが映っていた。

 そして視点から六席離れた場所に、一人の男子学生が座り、絵筆を立ててキャンバスと向き合っていた。

 彼は高校生のくせに、なんだか気難しそうな顔をしながら、それでも真摯に絵に向き合っていた。本当に意外なほど、真摯に向き合っていた。



 俺だった。



 今だからこそ言えるが、俺は多分。奴の目を俺に向けさせたくて、『faraway』を作ったんだと思う。

 けれど、奴の目はあのときは確かに俺に——少なくとも。あの日の美術室の、あの瞬間だけは俺に向いていたのだ。

 震える手で持ち上げたキャンバスから、一枚の紙が落ちた。


『よう、中航。これをお前が読んでる時、ぼくはもういないと思う──使い古されてるけど、なかなかセンスだよな、この言い回し。言ってみたかったんだよこれ。

 お前を描くのはそこそこ楽しかったよ。もう会うことはないかもしれねえけど。

 だから、お前に頼まなきゃならんことは、今のうちにメモしとく。


 ───ぼくは、いずれ死ぬ時に、描いた絵を全て燃やして死ぬ。色々大変だろうが、それだけは必ずする。ぼくにとってそれが『センス』だからだ。

 しかし、この絵はお前のものだと今決めたから、ぼくが勝手に燃やすわけにはいかない。なのでこの絵はお前に焼いてもらおうと思う。盛大にやれよ?

 そうすればきっと、ぼくは──        』



 そこから先は、読まなかった。




 この完全次世代型描画AIは間違いなく技術的特異点シンギュラリティになる。迷いはなかった。俺はコードを全てオープンソースに設定し、その全てを無償で利用できるように設定した。俺にとって、この393万1423字で構成されるスクリプトは研究者としての命であり、魂であり、間違いなく俺の人生が生み出した中で最も価値があるものだった。これを無償などで公開してしまえば、俺の研究所は潰れ、数多の人間が路頭に迷うだろう。しかしそんなことはどうでもいい。この文字列をコピーして演算するだけで、世界中のすべての人間が、いとも簡単にどのような絵画でも量産できる。

 そして世界中の凡人はダ・ヴィンチを超えるだろう。またそれだけではなく、どこかの工学者はこのプログラムを原型とし、すぐに絵画以外にもその鋭利な才の刃を向けることになるはずだ。

 音楽を。彫刻を。建築を。映像を。文学を──小説を。およそ人によって創られるもの全て。何年先になるかは分からないが、いずれそれらのすべては完全に最適化されたドライブエンジンによってコンマ1秒毎に大量生産されるようになる。例うるなら人工『バベルの図書館』。ヒトとは違い、文字通り「無限」に文字列を生み出すことができる人工知能は、いずれどんな人類も辿り着いたことのない極地に至る小説を、無数の偶然の果てに書き上げるだろう。全ての可能な文字列の中には、全ての文章が内包されているのだから。

 俺はあの日——団野に置いて逝かれた日。決めたのだ。

 俺は、世界中の創作者を撃ち殺す。

 その引き金となるプログラムの最奥に、ある画像データを挿し込んだ。

 この完全次世代型描画AIは、ブラッシュアップ画像生成式と呼ばれる手法を主に構成されている。ある一枚の原型となる画像データを少しずつ変化させていくことで、司令AIの発する閾値に最も近い数値を弾き出す永遠の計算式。プロセスにおいて無限回の回転式を内包することから、俺はその機構にこう名付けた。Cylinder Engine と。


 回転式薬莢シリンダーを内蔵するのだから、順当に俺はその人工知能に『REVOLVER』という名を冠した。銃には弾が込められなければならない。俺は最後の文字列を装填していく。

 あの日の奴が、俺を描いたその画を最奥に据えて作り上げるのだ。全ての芸術に宿る神性を喪わせる拳銃を。いずれ世界のすべての作品は、俺と団野の無限の合作に埋もれる。

 ぼくが死んだら、描いたものは全て燃やして灰にしてくれと言っていた。お前のその願いは果たされない。お前は、この俺の遺作と共に永遠に生き続けろ。


 その画には、スクリプトの進行上名前を付与しなければならなかった。

 俺は、ごくごく自然に——その言葉しかないと、そう感じて——躊躇いもなく、最後の一文を入力して。斯くして機械仕掛けの芸術神は誕生する。同時に、団野千澄の最後の遺作には初めて題が冠される。





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