第32話 トリスタン王太子殿下の誘い
「……ラーバント令嬢、ちょっと話があるんだが、ついてきてもらえないだろうか。」
「ミュレールさん……?」
トリスタン王太子殿下が、何やら暗い表情で、目線を落としつつ私を教室まで尋ねて来た。今まで王太子殿下が私を尋ねて来たことなんてなかったから、教室の生徒たちがこちらを見てザワザワとしていた。
どうしたんだろう?なんだか様子がおかしいというか。遠目で見たことのあるトリスタン王太子殿下は、もっとこう、俺様気質というか、こんな自信なさげな人じゃなかった。
ラーバント令嬢に籠絡されて、私を攻撃して来た人だし、あんまり人気のないところで2人っきりには、なりたくないけど。
今のトリスタン王太子殿下は、なんというか……、あんまり危険な感じがしない。
それよりもむしろ、放っておけない感じというか、心配になる感じの雰囲気だ。
「……。わかりました。」
「ありがとう、裏庭にでも行こうか。」
私とトリスタン王太子殿下は、裏庭のベンチに腰掛けて、どちらも黙っていた。
ほんの少し前までは、アドリアン王子とランチをしていたベンチ。アドリアン王子と一緒に過ごさなくなってかなり経つ。迎えに来なくなったことで、両親にも心配されてる。
彼の横にはいつもハーネット令嬢がいて、あれから一度も話も出来ていなかった。
これまではトリスタン王太子殿下の横に、いつでも彼女がいたから不思議な感じだ。
まるであぶれもの2人が肩を寄せ合うように、私たちはベンチで所在なくしていた。
「……それで、お話って?」
「あ、ああ、そうだったな、すまない。」
その為に私を呼び出した筈なのに、トリスタン王太子殿下は、今更そのことに気が付いたかのようにハッとした。
「その……。エーリカが、最近冷たいんだ。
アドリアンばかり構うようになって……。
他に親しくしていた男子生徒たちとも、最近距離を置くようになってな……。」
トリスタン王太子殿下は、寂しそうに目線を落としてそう呟いた。既にアドリアン王子を落とす方向に向かっているから、他の人たちとは関わらないようにしてるんだろうな。
「そうですか……。
でも、なんでそれを私に?」
私はアドリアン王子の婚約者だ。いわばライバル。私に相談する意味がわからない。
「君は……、それでいいのか!?
アドリアンが取られてしまうんだぞ!?」
トリスタン王太子殿下は、バッと顔を上げて、怖い顔で私に迫ってくる。
「……失礼ながら申し上げますけど……。
それをあなたがおっしゃるんですか?
ご自分の婚約者をないがしろにして、ハーネット令嬢にばかり構っていたあなたが。」
それを言って私にどうしろと?他の令嬢たちのように、ハーネット令嬢を取り囲んで文句を言えとでも?トリスタン王太子殿下がそうだったように、意味のない行為だと思う。
「私たちはただの政略結婚だ。
そこに愛はない。私の婚約者は、国母の立場に執着しているだけのことだ。」
それを言うのなら、トリスタン王太子殿下から王太子の立場を奪い、アドリアン王子と結婚して、自分が国母になろうとしている、ハーネット令嬢こそ、そうだと思うけど。
「私たちだって、私が聖女だから婚約したまでのことですよ。政略結婚です。」
「だが君は偽者だろう?」
「──はい?」
「君に惚れ込んだ弟が、子爵令嬢である君とどうしても結婚したくて、聖女という触れ込みにさせたのだろう?そうでもしなければ、王子と結婚なんて不可能だからな。」
ああ、トリスタン王太子殿下の中では、ハーネット令嬢がすべて正しいんだものね。
ハーネット令嬢こそが本当の聖女で、私はそれを騙る偽者ってわけね。
ハーネット令嬢がそうしたように、星読みの聖女は騙ることが出来る。ましてやこの世界の未来を知っているらしいハーネット令嬢からすれば、なりすますのは簡単だろうし。
「エーリカの聖女の立場を奪おうとした、君の行為は正直許しがたいが……。それほど君たちの愛は本物だったのだろう?」
「はあ……そう思いたければ、思っていてくださって結構です。お話はそれだけですか?
でしたら私はもう失礼させて……。」
「──待て。」
トリスタン王太子殿下が、立ち上がろうとした私の手首をグッと掴んで、無理やり引き止めてきた。ちょっと……痛いんだけど!
「手を離してください。」
「君たちの愛は本物だった。ならば私の弟は二股をかけているということだ。エーリカを傷つけることは出来ないが、君は別だ。」
「は?」
トリスタン王太子殿下が、無理やり私を抱き寄せて、私は思わずトリスタン王太子殿下の膝の上に尻もちをついた。
「ちょっと……!」
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