【短編】魔王捏造~勇者が生まれるその前に~

倖月一嘉

魔王捏造~勇者が生まれるその前に~

 これは、昔々あるところに、で始まる物語だ。



   *



「そうだ、魔王を作ろう」


 と、誰かが言った。

 誰が言ったのかは、誰も分からなかった。

 その時の議場は四方八方から罵詈雑言にも似た意見が飛び交っていて、九十九人の議員は好き放題に過ごし、一人の議長は終わりの見えない会議を前に、じっと黙りこくっていた。

 そんなところに飛び込んできた一言に、議場はしんと静まり返った。


「魔王だと?」


 やがて、誰かが唸るような声を零した。


「バカを言え、おとぎ話じゃあるまいし」

「議会でそんな妄言を吐けるとは、とんだ勇者がおりましたな」


 誰かが鼻で笑い、誰かが言った皮肉に、議場はドッと笑いの渦に包まれた。


「いや、案外とありかもしれませぬ」


 しかし突然と発せられたた同意に、議場は再び静かになった。

 発言したのは、議会の中でも顔の利く、力を持った議員だった。

 彼は立ち上がると、身振り手振りを交えて解き始めた。


「確かに発想そのものは馬鹿げているかもしれません。しかし考えてください。日々、害獣の被害に苦しんでいる村が、村民同士で争っていられるでしょうか。他国からの侵略を受けている国の民が、内乱を起こしていられるでしょうか」


 彼の言うことは、もっともだった。

 戦わなければ、こちらが滅ぼされる。そんな局面で、本来団結すべき人同士で争っている余力などあるだろうか。

 そうです、と精悍な顔つきで、彼は頷いた。


「立ち向かうべき敵がいるとき、人々はその敵を討ち滅ぼそうと一丸となれるのです。我々――帝国にとって今必要なのは、そのような存在ではありませんか?」


 その頃の帝国は、長年に渡る周辺諸国との小競り合いと、各地でくすぶり始めた内乱の気配に悩まされていた。

 帝国は周辺諸国を武力で取り込み、大きくなってきた国だ。当然、そこには禍根があり、遺恨があった。急速な領土拡大と国力の増強を続ける一方で、統治する側とされる側の間には、大きな軋轢が生じていた。


「大陸の統一し、世界から争いをなくすこと。恒久的平和の獲得は、我らが責務です。しかしその手段は、相手を屈服させる力のみではないと、私は考えます」


 議場は、重苦しい沈黙に包まれていた。


「我々人間は愚かです」


 彼はそう、沈痛な面持ちで語った。


「たとえ全ての悪人を討ち滅ぼしたとしても、善人の中から些細な違いを見つけ、蔑み、悪に仕立て上げてしまう」


 そうしてまた、諍いが生まれる。


「だからこそ我々が一つの国家、人類という一つの種としてまとまりを得るために、魔王という強大な脅威は、有力な手段ではありませんか?」


 その問いかけに、誰もがみな自問した。

 このままでは、帝国は内側から崩れるだろう。そうなれば大陸には再び混沌の時代が訪れ、多くの命が失われる。それを、帝国議会を預かる一員として許していいのだろうか、と。

 いや、よいわけがない――と。誰もがみな思った。


「作りましょう」


 やがて誰かが言った。


「魔王を作りましょう」


 誰かが賛同した。


「人類が一丸になるに相応しいだけの魔王を」

「民を欺けるだけの魔王を作りましょう」

「全ては虚構で構わない」


 必要なのは、簡単な物語だ。


「異界より現れた魔王が世界を恐怖に陥れ、それを勇者が討ち滅ぼす。繰り返される絶望と希望の物語は、きっと世界を平和に導いてくれるはずです」


 誰も彼もが頷いた。反対の意を唱える者はいなかった。


「魔王を、作りましょう」


 そうして魔王は、作られることになった。





 白羽の矢が立ったのは、リオンという一人の騎士だった。


「君に魔王になってほしい」


 数日後の議場にて。一連の説明の後、そう告げられた若い騎士は、議員たちの予想に反して動揺一つ見せなかった。

 歳の頃は十八。辺境の出身だが剣の腕が立ち、人付き合いは決していいとは言えないが、忠義に厚い。ゆくゆくは騎士団の幹部候補とも目される、将来有望な騎士だった。


 彼は議場の中央に立ったまま、口元に手を当てて考え込んでいた。まだ少年の面影の残る顔立ちだったが、その涼やかな相貌は、冷徹な魔王を演じるに相応しいと議員たちは見ていた。

 議長は尋ねた。


「何か質問はあるかね?」


 彼への説明はいたって簡単なものだった。

 魔王が何故必要なのか、その理由と経緯。在任中の特別手当と任務完遂後の報酬について。また任務に際し、『魔王』という役職には、計画遂行のためにある程度の権限と裁量が与えられること。

 彼は彼の意志で魔王を演じる――要は、彼にとってこれは出世でもあった。

 だがリオンは考え込んだまま、まるで彫像のように動かなかった。

 議長は諭すように語りかけた。


「前代未聞の、それこそ世界の行く末を左右する任務だ。存分に悩むといい。今ここで結論を出すのが難しいようなら、後日、改めて返答の場を設けよう」


 まるで祖父が孫に語りかけるような、優しい語り口だった。

 しかしリオンは「いえ」と応えた。


「その任務、拝命いたします」


 迷いのない返事に、議場は一瞬、どよめきに包まれた。

 リオンに親兄弟はいない。辺境に度々現れる、土着の民族との争いに巻き込まれ、父母と妹を失ったと聞く。親類までは分からないが、騎士団の門戸を叩いてから、彼がそのような存在と付き合いがあるような話は上がらなかった。

 つまりは天涯孤独の身。そういう意味で、彼は適材だった。


 この計画は他言無用の、国家の重要機密だ。知った人間を、いかなる理由であれ生かしておわけにはいかない。計画完遂の暁には、口封じのために存在を抹消される。あるいは、勇者に殺されてくれれば上々。

 要は、いなくなっても追求されない困らない存在。そういう意味で、彼は適材だった。

 しかし実際、そう簡単に命令を飲まれるとも、議会は思っていなかったのだ。


「よいのかね?」


 念押しする議長に、リオンは深く頷き、二つ返事で応えた。


「この国と、世界のためですから」


 ただし、と付け加える。


「一つだけ、条件があります」





 彼が条件として求めたのは、マナという魔法使いの少女だった。

 彼女もまた辺境の出身で、天涯孤独の身であった。しかしながら若くして大変優れた魔法使いであり、同時に優秀な生物学者でもあった。


「自分は剣の腕にこそ覚えはありますが、それだけです。魔王として活動するに辺り、彼女の頭脳は必ず役に立つと考えます」


 リオンの提言に帝国議会はすぐさま承認を下し、魔法研究所には秘密裏に使いが出された。そしてリオン同様、後のない説明をされたマナは、こう応えた。


「この国と、世界のためですから」


 それはリオンと、全く同じ答えだった。

 帝国は二人の関係を訝しんだ。

 辺境の出身であることや、その身の上の共通点。何か企てているのではないのかという疑惑に始まり、果ては恋仲なのではないかという下世話な話まで、帝国は徹底的に調べた。

 しかしどれだけ身辺を洗っても、二人には何の関係性も見えなかった。


 二人の接点は、見習い騎士と魔法使いとして、演習に参加したただ一回のみ。以降は仕事で顔を合わせることもなければ、私的に会っていた形跡もない。将来有望な騎士と天才魔法使いとして互いの噂を耳にすることはあったかもしれないが、深い関係性を築くような機会はなかった。


 最終的に国は、二人に特別な思惑はない。言葉の通り、国と世界のために尽くす決意をしたのだろうと判断し、二人を任に付けた。

 二人はそうして、悪の魔王と、その右腕たる悪の魔法使いを演じることになった。



   *



 リオンはまず、城の建築が必要だと進言した。

 これには議会も同意見で、すぐさま北の果てに、魔王城が作られることになった。

 魔王の威厳に相応しいだけの城の建設は、設計だけで一年かかった。建築には十年を要する計画であったが、魔法使いたちの尽力により、僅か五年で城は形になった。





 次にリオンは、不老不死の魔法の使用許可を求めた。


「魔王の存在が世に広まり、いつか勇者が現れた時、よぼよぼの老人では格好がつきません」


 しかしこれには、教会の司祭たちが猛反発した。


「神に対する冒涜だ!」


 司祭の位を持つ議員は、唾を飛ばしながらそう言った。

 不老不死の魔法自体は古の昔に開発されていたが、命を弄ぶものだとして、禁呪と認定されていた。また魔法の検証自体が不完全で、長きに渡って生きた人間の精神がどのようになるのかも判明していなかった。


「それに不死になっては勇者が倒せないだろう!」


 そう激昂する司祭に、リオンは冷静に「いえ」と言った。


「不死といっても、完全ではありません。普通の人間と同じように傷は負いますし、空腹も感じます。あくまで身体的寿命によって死ぬことがなくなるだけです。そうだよね、マナ?」


 尋ねると、後ろに控えていたマナはこくりと頷いた。

 リオンは言った。


「完全なる不死は、神のみに許された奇跡の御業。我々はあくまで、人より少し長生きするだけです。――勇者が世界を救う、その日まで」


 その論説に、司祭は悔しさを滲ませながらも、反論できなかった。

 最終的に議会は、二人に限り不老不死の魔法の使用を許可した。





 それからリオンは、魔物を作り出す必要性を説いた。


「ま、魔物だと!? 正気か!?」


 これには多くの議員が反対した。

 この世に魔物は存在しないが、誰もが物語の中で、その存在を知っていた。

 人間を襲い、人間に害成す悪しき化け物。物語では時に、魔王の配下としても語られる。田畑を荒らす猪や鹿とは訳が違った。


「魔王とは世界を恐怖に陥れ、世界を滅ぼす存在です。人々が国も人種も越え、手を取り合って戦わねばならぬほど、強大な。しかしながら、私と彼女だけではあまりにも不十分。今の状態では世界に脅威が迫っていると、人々に示せません」


 リオンの言葉に、議員たちは押し黙った。

 確かにここ数年、北の果てに忽然と禍々しい城が現れたことは噂されつつあった。しかしそれだけで、人々は誰も、そこに住む怪しい二人を世界の脅威だとは思っていなかった。


「全ては演技です。禍々しい魔物を作り、人々に目撃させるだけで構いません。いずれは吟遊詩人たちに物語を歌わせ、魔王と勇者の存在を世に知らしめるのです」

「……貴様、本物の魔王にでもなるつもりか」


 議員の一人が、低い声で唸った。

 リオンは淡々と応えた。


「それが望ましいのであれば」


 その一言に、議会は沈黙した。沈黙せざるを得なかった。

 やがて溜息と共に、誰かが言った。


「そもそも魔物など、どうやって作るというのだ」

「マナがおります」


 その紹介に、やはりリオンの後ろに控えていたマナは、魔法使いの象徴たる杖を抱えたまま、ぺこりと一礼した。


「彼女は今や、生物学の権威でもあります。生物と魔法を融合させ、新たな生命を生み出すことは難しくありません」


 気負いもなく放たれた宣言に、神への冒涜だと叫ぶ者はいなかった。不老不死の一件で、教会は既に発言力を失っていた。


「もちろん魔物は、私やマナの命令を遵守するように作ります。その技術は、いずれ国のためにもなりましょう」


 そうまで言われてしまえば、議員たちはもう何も返せない。

 そうして魔王城の周囲には多種多様な、凶暴な魔物たちが闊歩するようになった。





 それから数年が経った。

 この頃になると、凶悪な見た目をした魔物の存在は既に国中に知れ渡っていた。

 リオンやマナの命令で魔物たちは人こそ襲いはしなかったが、狼や熊など、攻撃性と肉食性を備え合わせた動物を元に作られた魔物たちは、好んで動物を襲った。柵に囲われた家畜は、格好の獲物だった。家畜への被害は人々に魔物と、それを統べる魔王の存在を示唆するには十分だった。

 事件は、そんな時に起こった。


「どういうことだ!」


 多くの騎士を引き連れて魔王城を訪れた議員は、玉座を見上げてそう叫んだ。

 リオンは数年前と何ら変わらず、二十代半ばの姿でそこに鎮座していた。その隣には同じく、少女のままのマナが控えていた。


「申し訳ありません。事故が起こったようで」

「事故だと!?」


 悪びれもせず告げるリオンに、議員は一層声を張り上げた。


「魔物が人を襲っておいて、事故だと抜かすのか!?」


 とある辺境の村が、魔物によって滅びたのだ。

 リオンは平然と応えた。


「先に攻撃したのは人間の方です。魔物はいつも通り森の中を徘徊し、野生動物を狩っていたに過ぎません。しかし突然攻撃され、驚き反撃してしまった」


 そして人間は死んでしまった。


「魔物は人を襲わないのではなかったのか!?」

「えぇ、そう命令してあります。しかし元は動物です。本能まで命令で縛ることはできません。命の危機を感じ、咄嗟に反撃に出てしまったのでしょう。ですから、予期せぬ事故です」


 そう述べるリオンに、議員はゾッとして、半歩後退った。

 ――どうしてこいつは、こうも平然と語っていられるのだろう。

 得体の知れない恐怖が議員の中に湧き上がった。目の前にいるのは同じ人間のはずなのに、まるで別の生物のようだった。

 けれど議員は怯まなかった。


「で、では村を襲ったことはどう説明する! それも事故だというのか!」


 その理由を聞き出すため、議員は何日もかけて、こんな辺境までやって来たのだ。とんだ貧乏くじだが、引いた以上全うせねば、栄えある帝国議会の一員としての矜持が許さなかった。


 リオンは「あぁ」と思い出したように応えた。


「事故の延長ですよ。だって仕方ないじゃないですか」


 ――と、まるで言い訳する子供のようなセリフを並べて。


「人の肉の味を覚えてしまったんですから」


 瞬間、サァっと。議員は全身の血の気が引いていくのを感じた。

 同時に思った。

 目の前にいるのは、もう人間ではないと。


「熊と同じですよ。よくある話ではないですか。不幸にも一度人肉を食べてしまったばかりに、その味を覚え、繰り返し人を襲うようになる。でも安心して下さい。その魔物はこちらでちゃんと処分いたしますので」

「そ、それで安心しろというのか!」


 できれば全ての魔物の処分ぐらいは要求したかった。しかし魔物の存在は、議会で正式に承認されたもの。一介の議員である自分の役割は、あくまで魔王リオンへの聴取だけだった。


「安心しろとは言いません。ですが魔物を作ったのは国として、間違いではなかったと私は思っています」

「間違いではない、だと……?」


 耳を疑うような発言に、舌をもつれさせながらも思わず尋ね返す。

 そんな議員に、リオンは笑った。


「だってこの一件で、魔物とそれを統べる魔王は、人類の脅威だと、確かに認定されたでしょう?」


 にこりと冷たく嗤って、議員たちを見下ろしていた。


「あ、あ、あ……あぁ……!」


 全身がガタガタと震え出す。止めようと思っても止められない。騎士たちも震えて、一歩、二歩と後退し始めた。

 きっかけは確かに、不幸な事故だったかもしれない。しかし、大陸に突如として現れた魔物が人を襲ったという今回の事件は、瞬く間に大陸全土へと広がった。行商人たちが道行く先々で人々に警鐘を鳴らし、吟遊詩人たちは魔王の物語を奏で始めた。

 この一連の事件は確かに、人々に魔物と魔王の恐怖を植え付けた。


 人々はやがて、率先して魔物を狩るようになるだろう。そして魔物たちはそれに反撃し、幾度となく村や街を、人々を襲うようになるだろう。

 それは簡単に予想できることで、誰にも止められない大きな流れだった。


「ま、魔王だ……」


 騎士の誰かが、震える声で呟いた。魔王だ、魔王だ、と。他の者たちも次々に戦慄く。

 そして誰からともなく、背を向けて走り出した。


「ま、待て! 私を置いて行くな!」


 魔物だらけの城に取り残されては適わぬと、議員もまた、尻尾を巻いて逃げ出した。

 その様子を、リオンとマナは静かな目で睥睨していた。





 やがて、異界から現れたとされる魔王の存在は世界中に広まり、あちこちで魔物との戦いが日常的に繰り広げられるようになった。

 帝国内に渦巻いていた内乱の気配は全て消え、睨み合っていた諸外国とは休戦や和平協定を結ぶことになった。

 世界は一つに纏まりつつあった。

 そうせざるを得ないほど魔物の被害は深刻だった。


「何故だ……何故こんなことになった!」


 激昂と共に、議員の一人が机に拳を叩き付けた。

 議場は混沌としていた。

 魔物被害への対応と、次善策の検討。日々持ち込まれる問題の山に、議会は常に阿鼻叫喚だった。あちこちから怒声が飛び合い、最早議論もままならない。


「あの若造……最初から帝国に反旗を翻す気でいたのではあるまいな」

「そもそも魔王を作ろうなどと言い出さなければ……!」

「そんなことを言っている場合ではない! 早く奴を殺さねば、本当に世界は滅びかねんぞ!」


 この頃になると、議会は既にリオンとの連絡手段を失っており、完全な敵対関係となっていた。街の自警団のみでは魔物に対処しきれず、騎士が各地に派遣されていたが、それでも拮抗するのが精一杯だった。


「早く勇者を作り、送り出せ! 育成は進んでいるのだろうな!?」

「は……」


 罵倒にも似た問いかけに応じたのは騎士団長の男だった。男は魔王が現れる前から団長を勤めており、十年以上の歳月を重ねたその顔には、疲労の色が濃く滲み出ていた。


「世界中から選りすぐりの者を集め、鋭意訓練中でございます。合わせて勇者を支える魔法使いや癒し手なども……」

「それでどうして勇者が作れない! そうやって何年が過ぎたと思っている!!」


 魔王も勇者も、全て虚構だ。真実を知る者は誰も、都合良く勇者が現れるなどと思ってはいなかった。

 故に帝国は勇者と、そのパーティを組むに相応しい者の育成に力を入れていた。

 しかし成果は、一向に実らなかった。

 そんな時だった。


「なるほど。どおりで最近、前線に張り合いがないわけだ」


 その独り言めいた呟きと共に、議場の真ん中の空間が音もなく歪んだ。歪みが晴れた後、そこに立っていたのは一人の青年。


「お久しぶりです。ご健勝でしょうか」


 議場をぐるりと見回して、青年――魔王リオンは微笑む。

 その左手には、人の生首が握られていた。

 議場は瞬く間に悲鳴に包まれた。


「貴様、よくも堂々と顔を出せたものだな! 何の用だ!」

「な、な……どうやってここに……」

「いやぁ! 人が、首が……っ!」


 我先にと逃げ出す者、怒りをぶつける者、様々だった。その狂乱の中でただ一人、リオンだけが平静だった。


「皆さま、落ち着いて下さい。一つずつお答えしましょう」


 リオンが宥める。するとまるで魔法のように議場は静かになった。


「まず、自分がこの場所に現れた方法について」


 そう言ってリオンは一歩隣の位置へ、足も動かさず瞬時に移動して見せた。


「転移魔法といいます。空間と空間を繋ぐ魔法で、マナが開発しました」

「貴様……魔法を使えるようになったのか」

「えぇ。これもマナの研究のおかげです」


 リオンはにこやかに応えた。初めてこの議場に立った時と変わらぬ、涼しげな相貌だった。


「次にこの首について」


 掴んだ髪ごと、左手に持った生首を持ち上げる。若い男の顔は恐怖に引き攣っており、切り口からは未だに血が滴り落ちていた。


「南で少し手こずっているとの報告を受けたもので、微力ながら加勢してきたのです。魔物といえど生き物。無為に死なせるのは忍びないですから」

「なっ……」


 その言葉に多くの議員が絶句した。


「ふ、ふざけるな! お前が作った化け物のせいで、どれだけの人間が犠牲になったと思ってる!!」

「ですが彼らはただ、襲ってくる敵に立ち向かっているに過ぎません」


 事ここに来て、言うに事欠いて、魔物たちはただ生きようとしているだけだ、と。リオンはそう述べていた。

 人類が危機に陥っているのは、その結果に過ぎない――と。

 議員たちが言葉を失い、震える。そんな中、騎士団長だけが唯一、かろうじて唇を動かした。


「まさかそいつは……」


 リオンが持つ首に、見覚えがあった。騎士団の中でも群を抜いて腕が立つ男で、勇者候補の一人であった。しかし戦況の悪化で、仕方なく南方に派遣されたのがつい先日。来週には元気な姿で、王都に戻ってくるはずだった。

 ――そうして戻ってこなかった騎士は、この男だけではなかった。


「お前、リオン……お前、まさか……」


 騎士団長が思い浮かべた最悪の可能性を、リオンは肯定した。


「えぇそうです。勇者が生まれないのは、力を付ける前に、僕が殺していたからです」


 その瞬間を――その一瞬を。



 絶望と呼ぶには、言葉が足りなかった。



 目の前にいるのは紛れもなく、魔王だった。


「……殺せ」


 と、誰かが言った。


「殺せ、殺せ」

「殺せ殺せ殺せ」

「殺せ! 殺せ! 殺せ!」


 殺意の声は徐々に数を増し、やがて喝采にも似た掛け声となって議場を満たす。

 その中でただ一人、やはりリオンだけが微笑を浮かべて平然としていた。


「……何の用だ、と。聞きましたね」


 騎士団長が剣の柄に手を掛ける。


「簡単な話です。最近、前線に張り合いがなくなり、おかしいなと思って話を聞きに来たんです。――そうしたら、やっぱり」


 生首を放り投げる。

 次の瞬間、騎士団長の首は胴体から切り離されていた。


「可能性の芽は、予め積んでおくに限ります」


 悲鳴が、世界を包んだ。

 リオンの右手には、血の滴る長剣。騎士団長の首が床に転がり、司令塔を失った身体は不格好に崩れ落ちる。議員たちは蜘蛛の子を散らすように、逃げ出し始めた。


 誰も彼もが分かっていた。

 勇者は生まれない。

 今までも、これからも。

 何故なら勇者が勇者となる前に、魔王が全て殺してしまうから――


「あぁ、可能性と言えば……」


 逃げ惑う議員たちを見て、リオンは独りごちる。


「あなたたちもまた、そうでしたね」


 勇者は、勇者だけでは生まれない。

 勇者を鍛える者、共に旅をする者、それらを引き合わせる者。あらゆる可能性が重なった末に、勇者は生まれる。

 そういう意味では、勇者を生み出そうとする議員たちもまた、可能性といえた。


「や、やめろ……来るな……」


 長剣を手に近づく魔王を見上げ、議員が懇願する。精悍な顔は、涙と鼻水と恐怖でぐちゃぐちゃだった。

 そんな彼に、リオンは優しく微笑みかけ、剣を振り上げる。


「全てはこの国と、世界のためですから」


 だから、


「安心して逝ってください」


 魔王の去った議場には、百二の首と、百一の身体が残された。





 議会の消滅と共に、帝国は瓦解した。それに伴い、拮抗していた人間と魔物の戦いは徐々に魔物が優勢となった。やがて魔物が数を増やし始め、その勢いは加速度的に上昇した。

 人類は少しずつ、数を減らしていった。



   *



「そうして世界からは人間がいなくなり、静かな平和が訪れましたとさ。おしまい」


 そう締めくくって、青年は本を閉じる。けれど膝の上の幼子は、本をじっと見つめたまま、動こうとしなかった。

 青年は「どうかしたのかい?」と尋ねる。すると子供が不意に振り返った。


「ねぇねぇ、とーさま。これはほんとうのおはなしなの?」


 その問いに青年――父親は少しびっくりして「さぁどうだろうね」と言った。


「何せずっと昔の本だからね。本当にあった話かもしれないし、作り話かもしれない。それがどうしたんだい?」


 もう一度尋ねると、子供は難しそうな顔をして考え込んだ。


「……どうしてまおーとまほーつかいは、にんげんをほろぼしたのかなって」


 その疑問に、父親は開きかけた口を噤んだ。そうしてもう一度開いて、閉じて、それから、


「どうしてだろうね」


 健やかに笑って、例えば、と続けた。

 魔王は帝国に無理矢理併合された人々の末裔で、先祖代々の恨みがあったのかもしれない。あるいは、親兄弟が襲われた時、何もしてくれなかった国を恨んでいたのかもしれない。魔法使いも、国に何か恨みがあったのかもね。帝国が争いばかりするせいで貧しくて親に売られたとか、内乱に反対したせいで大切な人が亡くなってしまったとか。

 そう語ると膝の上の、頭に角が生えた子供は、唇を尖らせてしかめっ面をした。


「むずかしくて、よくわかりません」

「分からないなら分からないままでもいいんだよ」


 笑って、父親は子供の頭を撫でる。子供はくすぐったそうに、目を閉じる。

 分からくても構わなかった。

 だってもう、この世界に人間はいないのだから。

 と、その時、部屋の扉がノックされた。


「リオン、ルカ、ご飯ができたわ」


 現れたのは表情に乏しい、少女のような女性だった。


「かーさま!」


 淡々と告げる母親の足に、子供――ルカが抱きつく。リオンも本を置くと、静かに立ち上がった。


「いいにおい! きょうはなーに?」

「牛の煮込みよ」

「うし! まだぜつめつしてなかったんですね!」


 そうね、と母親――マナは言った。


「西の方で見つけたのを、届けてくれた魔物がいたの。あとでお礼を言いに行きましょう」

「はい!」


 そう言って飛び跳ねる息子はマナの左手を握り、余ったもう片方の手でリオンの右手を握る。

 リオンの細胞の半分と、マナの細胞の半分。そこに魔物の因子と、不老不死の魔法を組み込んだこの子はきっと、魔物しかいない世界で、これからも幸せに暮らしていくだろう。


「さぁ、ご飯にしようか」


 人間のいない、平和なこの世界で。

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