第5話 情報を制する者が、戦いと物理を制す。

「先生、あの丘が賊の根城みたいですね。」


「うん、ぽいね。情報通り敵影は37か。」


 見渡す限りの平野にポツンと隆起した小高い丘。だいたい高さは15メートルくらい。丘は草木が生い茂り視界が遮られている。


「先生、何が見えてるんですか?酒がまだ抜けてないです?」


「うん?体温だけど。あの丘、もともと地の魔術師が作ったちょっとした要塞だな。最下層の体温低い影が人質3名だと思う。代謝低いから栄養状態良くないよね。」


「え!?【サーモアイ】って表面温度が分かるだけの魔法ですよね。先生は熱の配置を空間的に把握しているんですか?」


「そうだぞ。情報は大事だからな。特に火の魔術師とってはな。」


「酒が抜けてないなんて言ってすみませんでした。後で教えてください。」


「気にするな。顔に出ていないだけで二日酔いしているのは事実だからな。ああ、クラクラする。」


「飲みすぎですよ。アルコールなんて【内なる火】で飛ばせばいいじゃないですか?」


「やだ、二日酔いも酒のうちなんだよ。もったいない。坊やにはまだわからんさ。」


「さっぱりですね。あと、さっきの空間版【サーモアイ】をものにしたんで、これ終わったら休んでください。」


「…毎度覚えが早くて助かる。この魔術の名は【マクスウェルの魔眼】だ。そして熱の配置が見えたということは動かせるだろ、自由自在に。」


「え、えええ!?ということはこれ、部屋の空気から熱を奪って、お湯を沸かすことができちゃいます?」


「ご明察のとおりさ。ゆえにこの魔術を【マクスウェルの悪魔】と呼んでいる。そしてなぜ自然状態において、熱は高温部から低温部にしか流れないのかもこれで実証できたわけだ。熱の配置情報の取得に魔力を要するから、よほど変な魔力溜まりでもなければ観測できないだろうな。この現象は。」


「じゃあ、体温を集めて脳を焼けばいいですね。まあ、60度くらいにするか。」


「あ、そのアプローチで行く?私は熱勾配に逆らわないで、体温を奪うのに使ってるな。空気に体温を吸わせるんだ。人間25度以下だと活動を止めるぞ。この魔術の本質は加熱でも吸熱でもなく、ただ任意に熱を移動させることだ。マクロで見た時の熱量は変わらないところに特徴がある。」


「うーん、無法だ。一応聞きますが、これ禁術ですよね。」


「当然。まるで魔法だよ。「高度に発達した魔術は魔法と区別がつかない」とはよく言ったものさ。」


「熱の位置情報取得と迅速な熱交換に魔力を消費するだけで、熱を移動させる。天才か…。陰陽ここに極まれりの感があります。熱の収束と拡散を自在に操りますね。終わりました。」


「うん。敵に火の魔術師はいなかったようだな。制圧完了と見ていいだろう。」


「まあ、我々くらいですよね、体温を偽装する魔術師は。」


「先生も言っていた。「徐かなること林の如く、知り難きこと陰の如し。」とね。周囲の環境に溶け込み、存在に気取られたときにも意図までは知られないようにする。戦いの基本は情報だし、火の魔術の核心にも情報がある。可燃物の配置、風向きなどなど、知らずに戦い始めると、自分の起こした火に巻かれることになるわけだな。」


「まだその話するんですか?当時は僕も子供だったんですよ。」


「はは、お前はまだ子供だろうが。」


 そういうと先生はからからと笑った。


「そいじゃ、救出に向かうか。敵は死んだが、罠はまだ生きてるはずだ。気を引き締めろよ。」


 先生の雰囲気が変わった。嵐の魔女ロズリーヌ=フランクールは今日もクールだ。














 さて、今日お話しするのは、現代においては情報こそ極めて重大なファクターであります。地平線の彼方から遠距離攻撃魔法が飛んでくる、水平線の向こうへと魔導砲を撃つ時代になりました。間接射撃というものですね。撃つ方も撃たれる方も直接見えない敵と戦うことが多くなりました。


 敵はどこにいるのか、どこに向かっているのか、狙いは何なのか、これが分かっていれば脅威というものは四半減します。どこに砲撃すればよいのか、何をすれば敵が困るのか、どこまでが敵から撃たれない安全圏なのか。これらが分かります。


 講和にしてもそうです。敵の戦争目的は何か、現状にどこまで満足しているのか、現在の講和交渉は単なる時間稼ぎでしかないのか、これらが分かっていれば、我々としても守りやすいし、攻めやすい。外交官にしても落としどころが分かるのでスムーズな終戦の可能性が上がります。


 つまり、軍事外交のいずれにしても、正確な情報を掴むことが必要です。よって、情報をもたらす人材、彼らこそが最前線で戦っているということを忘れないでください。

 塹壕は戦場の最前線に過ぎません。戦争の最前線は、敵国の中にあり、友好国の中にもあり、そしてわが国の中にもあります。そこには戦時も平時もありません。


 彼らは武器も持たずに敵地で活動します。我々以上に命懸けです。我々は彼らから命を預けても良いと思われる人材にならなければなりません。そのためには、断片的な情報から真実を導き出す知性だけでなく、人間性も必要になります。どうぞ自己陶冶じことうやに努めてください。




 後書き


 明君賢將所以動而勝人、成功出於衆者、先知也。 孫子 用間篇 


 非聖智不能用間。非仁義不能使間。非微妙不能得間之實。 孫子 用間篇 




 索敵にせよ、敵の意図を掴むにせよ、情報は大事ということですね。


 孫子ではないのですが、火と情報の交差点である情報熱力学の話をします。


 現実世界の理論によると、マクスウェルの悪魔は、情報の取得にも、得た情報の記憶の消去にも、大してエネルギーを使わないらしいので(ここ作者の理解が怪しいです)、熱力学第二法則と矛盾しないみたいです。


 したがって、「情報の取得にコストがかかるため、低温部から高温部に向かって熱が移動することは自然発生しない」という説明は、理論的には間違っています。


 しかし、魔術師がマクスウェルの悪魔に成り代わるためには、魔力を消費して情報を取得する必要があることを考えると、現場の魔術師ほど「魔力という別のエネルギーが必要なので、自然界では低温部から高温部に向かって熱が移動することはない」と誤信するほうが自然かなと思いました。


 赤裸々に語ればド文系の私には、マクスウェルの悪魔と熱力学第二法則がなぜ矛盾しないのかが、よくわかりませんでした。


 数式が読めるようになってから、理解したいと思います。


 logがもうよく分からないです。まさに「非聖智不能用間。」

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