<第四章:ピリオロイド:モラトリアム・ゾンビ> 【14】


【14】


 ゴルフバッグを背負う。

『すぐ避難してください! 変異体が近付いています!』

 腰に下げたタブレットから声が響く。

 言われるよりも早く、僕はコサメを抱えて逃げ出していた。

 階段を駆け上がり屋上に行く。

 周囲を確認。

 白い波が見えた。

 ブヨブヨの白い塊を頭に載せたゾンビの群れ。

 服装に統一性はなく、性別年齢体格もバラバラ、なのに綺麗に整列して行進している。

 この上なく不気味だ。

 まだ、200メートルは離れている。

 逃げる余裕は十分――――――

「ッ」

 風を裂く音、屋上の柵に何かが衝突した。

 現れたのは、ボロボロの革ジャケットを着た大柄の男。左肩から先は千切れ、右足は変な方向に曲がっている。頭部の白い塊の隙間から、黒いハトの顔が見えた。手には、砕けかけの消化斧が握られている。

「こき使われてるみたいだな」

 ゴルフバッグから槍を抜く。

 元リーダーが飛びかかって来た。片足とは思えない跳躍。しかし、何故か、酷く遅い。

 握り締めた槍から、聞いたことのない音がした。

 槍を投擲する。

 思っていたよりも、いや、理解できない速度で槍が飛んだ。

 リーダーの胸に大きな風穴が開く。だが、まだ動く。立ち上がろうとしている。

 パイプ爆弾を取り出す。

 火を点け、

「じゃあな」

 別れと共に放り投げた。

 コサメを両手で抱え直して、全力で跳んだ。

 落下する最中、屋上で咲く爆風が見えた。散らばる肉片の中に、ハトの頭を見付ける。

 別のビルの屋上に着地。

 コサメを肩に担い。火を点けたパイプ爆弾を落とし、また跳ぶ。

 背後で爆発。

 追っ手の何体かが巻き込まれた。

 続々と白いゾンビが飛んで来る。爆撃と言ってもいい。1体でも取り付かれたら、僕らは終わりだ。

 僕はビルの上を跳んで、跳び続けて、背後に爆弾を置いて逃げる。

 逃げ続けることができた。

 明らかに、体が異状だ。

 身体能力が人間を超えている。

 先回りで白いゾンビが落下してきた。3階建てのビルから飛び降り、地面が近付くと壁を蹴って勢いを殺す。それでも、地面を踏み締める足に強い衝撃が走る。

 だが、走り出す。

 速い。

 風の厚さが邪魔に感じるほど速い。落ちて来るゾンビたちが、見る見るうちに離れて行く。

「すごい! すごい! はやーい!」

 コサメは、大喜びした。

 気持ちも体も軽くなる。もっともっと、速く走れる。

 心臓が爆発するように脈動していた。今この時、この一瞬に全てを出し切るような勢い。

 ああそうか。

 三ヶ月の休眠は無駄じゃなかった。

 このために眠っていたんだ。

 初めて自分を褒めてやりたくなった。僕程度の命の一瞬で、コサメの未来が守れるのなら本望だ。無駄に生きていたことの全てに理由ができる。

 このまま、壁の外まで運びきってやる。

「コサメ、行――――――」

 衝撃の後、乾いた音がした。

 わけもわからず僕は転ぶ。だがなんとか、コサメを落とさないように抱き締めることはできた。

 視界が明滅する。

 地面に広がる赤い液体。蛇口を捻ったかのように、僕の腹から血が噴き出た。

「なんッ」

 背後を見ると、遠くに野戦服を着た白いゾンビがいた。その手には、アサルトライフルがある。

「そりゃ卑怯だろうが」

 同じゾンビが、うじゃうじゃ現れる。

 腹筋で傷を締めあげて止血した。走る。両足はあるのだ。走れるに決まっている。

「ぐんそー!」

「大丈夫だ! 大丈夫! 必ず、街の外まで運んでやる」

 もたつきながら走り出す。

 速さは見る影もない。だがまだ、群れとの距離はある。

 再び銃声が鳴った。

 左肩と右腿に熱さを感じる。

 ガクンと片膝が折れるも、膝は突かない。

「おおおおおお!」

 地面を蹴る。

 身を低く、走る走る。ただひたすらに走る。

 白いゾンビたちは、見る見るうちに追い付いてきた。後、数分で肉薄される。

「ぐんそー! かえろう!」

 帰る? お前が帰る場所は、この街にはない。

 外だ。

 安全な外がお前の帰る場所だ。

 だってのに、クソ。

 バランスを崩す。

 コサメを手放してしまうが、彼女は自分の足で立てた。

「おうちはすぐそこ! たって!」

 小さい手が僕を引っ張る。

 彼女が指し先には、根城にしていたデパートがあった。

 最低でも血を止めないと、5分と持たないのが現実。希望を持てたのは一瞬だけ。やはり、僕は愚かで間抜けでゴミそのものだ。

「かえろ!」

 コサメに引かれながらデパートに逃げ込む。

 入口のバリケードの隙間から1階に入ると同時、コサメは床にあるロープを引いた。積み上げた家電は崩れ、入口は完全に塞がる。

 わずかな余裕ができた。

 パイプ爆弾を取り出し解体した。服を捲り、火薬を腹にまぶす。

「離れてろ」

 着火。

 腹に小さな爆発。

 内臓をシェイクされる痛みに、噛み締めた奥歯が砂利のような音を上げる。

 傷は焼き潰れ、出血は止まった。

 弾が貫通しているかどうかは確かめない。残っていようが、抜けていようが、そんな些細なことはどうでもいい。

「立て、立て、立て!」

 足を叩き、体に命令して動かす。

 小鹿のように足は震えるが、立てる。歩ける。

「コサメ。屋上だ」

 最悪を想定して、万が一に用意した付け焼刃の策に賭ける。

 コサメを先に行かせ、僕は後に続く。止まったエスカレーターを登り、2階に到着した時、下から大きな破砕音が響いた。真っ直ぐ、こちらに向かってくる沢山の足音も聞く。

「急げ!」

「ぐんそーも!」

 コサメに手を引かれて足を動かす。

 1つ歩みを進めるだけで、腹の傷が全身を強張らせる。気合と根性だけじゃどうしようもない。だが、気合と根性に頼るしかない。

 手すりに寄りかかりなら上へ。何とか、何とか、上へと足を動かす。

 そんな努力も虚しく、敵は視界に現れた。

 鉄パイプ槍を抜く。

 まともに歩けないのに、火を点ける指は正確で投げ放った槍も3体を貫く。

「コサメ! 口を開けて耳を塞いでしゃがめ!」

 大爆発が起きた。

 光と衝撃に意識を奪われる。が、即覚醒した。崩れるエスカレーターを這いながら3階に到着。振り返ると、室内空間の爆発は凄まじかった。

 2階にある物は、全てとっ散らかっているだろう。

「コサメ!? 無事か!」

「みみがキーンってする」

 耳を押さえているが、大丈夫そうだ。彼女は先に行く。

 別の足音が聞こえて来た。

 パイプ爆弾に火を点け、適当に投げた。

 爆音を背に、屋上に到着。

 鉄パイプ槍を手に、振り向くと同時に突き刺す。頭を貫いたゾンビを蹴って落とす。

 屋上に続くエスカレーターにはゾンビが殺到し、すし詰めの大渋滞が起きている。変異体に操られようとも、結局はゾンビだった。統制されていても、ちょっと突けば同じ馬鹿をやる。

 火を点け、槍を投げる。おまけでパイプ爆弾を2つ追加。

「屈め!」

 コサメに命じ、自分も屈む。

 再びの大爆発、デパートが揺れた。

 耳鳴りに耐えながら、階下を確認した。

 視界の範囲内に動ける状態のゾンビはいない。どれも雑巾のような肉片と、砕けた骨と化している。

 幸運なことに、エスカレーターも綺麗に吹っ飛んでいた。ゾンビたちは跳んで来るだろうが、一斉に跳べば間抜けな状態で詰まる。個々を相手すれば、慣れたパターンで殺せる。

 下から足音がする。

 別の団体が現れた。

 跳びかかって来るゾンビを槍で刺し、蹴落とす。複数跳びかかって来るなら、下がって詰まらせ、刺して刺して落として、爆弾も落とす。

 順調だ。戦えている。

 ゾンビの勢いが止まぬまま、30分近く戦った。心なしか動きやすくなっていた。

 ゴルフバッグを床に落とす。

 音は軽い。

「コサメ! 爆弾は残り何個ある!?」

 槍でゾンビを刺しながら、背後のコサメに聞いた。

「みじかいのが3つ! ながいのが1つ!」

 それで殺しきれるのか? 詰めて詰めて、まとめて爆破すれば威力の底上げができるが………………

 迷うな。

 止まるな。

 まだまだ、屋上の入り口にゾンビが取り付いてくる。

 折れた最後の槍で頭部を突き刺し蹴落としていく。死体が死体の上に落ち、積み重なる音。それで量を判断した。

 いや、ただの勘が、

『今だ。やれ』

 と、師匠の声で囁いた。

「コサメ、長いやつ!」

 後ろに手を伸ばし、鉄パイプ槍を受け取る。火も点いている。

 潰れた腹筋を更に締め上げた。血が甘く飛沫を上げる。

 渾身の力で、目の前のゾンビたちに前蹴りをくらわす。

 爆弾ほどの力はないが、生き物の形を壊すには十分。入口に溜まっていたゾンビが散る。

 下を覗き、階下に積もった死体の山に槍を投げ放つ。

 ぎゅうぎゅうに詰まった肉と骨の塊に、爆薬の詰まった槍が入り込む。

 あの女から、密閉すればするほど爆弾の威力は上がると聞いた。事実、それで圧力鍋の爆弾は凄い威力だった。

 それとは別に、ふと野戦服の死体に目が止まる。

 燃料缶を背負っていた。

 用途は不明だが、燃料が必要な理由もあるだろう。

 しかも、1つじゃない。見える範囲に4、5。………8はある。

 待て、これヤバくないか?

 ゾクッと悪寒が走る。背後に跳んでコサメを抱き締めた。

 閃光が溢れ、爆炎が噴き上がり、比でないレベルの大爆発が起こった。

 デパートが激しく揺れた。

 そして、屋上が少し傾く。

 白煙と瓦礫が崩れる音。爆発の熱が周囲の空気を温めた。

 倒壊を覚悟して、身を固める。

「………………」

 だが、それ以上は何も起こらず。

 コサメを抱えたまま、空いた床から下を見る。デパートの3階は、爆破の影響で大きく抉り取られ、ゾンビ共も消し飛んでいた。

 僕の槍がというよりも、ゾンビが抱えていた燃料と、もしかしたら他に爆発物があったのだろう。そうでなければ、説明のできない破壊跡だ。

「一息入れ――――――」

 咄嗟にコサメを放す。

 僕の左肩を、白い触手が貫く。

「がっッッ」

 そのまま持ち上げられた。

 関節が外れ、肉が千切れる痛み。

 クラゲ頭の女が現れた。

 触手を使って外壁から屋上に登って来たのか、跳んで来たのか、浮いてきたのか。

「ああ、ちくしょう」

 全く、僕の悪い予想はよく当たる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る