<第四章:ピリオロイド:モラトリアム・ゾンビ> 【09】
【09】
深い眠りに沈む。
意識の最も深い海底に。
そこで、とても長く。いや短く。長いようにも短いようにも感じられる時間を過ごした。
やがて体が浮く。
後はいつも通り目覚め、地獄が待っている。
って………………あれ?
体が沈む。
底に行っては、また浮かぶ。
中途半端なところでまた沈む。
それの繰り返し。
一向に水面に近付けない。
永遠に真っ暗な水の中だ。
一生このままでも良い。危険をどこかで察していても、不思議と心地が良くて動けない。
本当の本当に、このままで良いと思う。
では、おやすみ。
別に目覚めなくても惜しくない人生だった。
………………ん? あれ?
何かを忘れている気がする。
気のせいか?
思い出せない。
とにかく眠い。
力を抜きたい。
考えたくない。
海底に沈み、ヘドロに埋もれ消えゆく思考が――――――止めておけばいいのに何かを思い出す。
思い浮かんだのは、海底のように暗い部屋。
鉄箱のようにも見える部屋だ。
そこで何かと一緒にいた。
会話もした。
大事な話だった。
随分と昔のことだ。
10年? 100年? いいや、三ヶ月程度しか過ぎていない。そんな程度で、こんな綺麗に忘れていたのか。僕の脳は、随分と都合が良い。
忘れたことが自覚で来たので、思い出そう。
………………うん。
無理だ。
思い出したくない。
全く思い出さない。
脳が拒否している。
下手に思い出したら壊れるのだろう。
代わりに、全然関係のない言葉を思い出す。
これも随分と前に忘れていたこと。いや、そう思っているだけで大した時間は過ぎていない。
割と大事だった“死にがい”について。
前にこれを意識して動いていたのはいつだ? 千年? 万年? 下手したら一ヶ月も過ぎていない?
僕の脳は、とっくの昔に壊れたのだろうか。全くもって色々おかしい。
そう思えば色々と合点が付く。
では、どうしよう?
このまま沈んでいるなら、何も考えないで済んだ。けれども、僕のどこかが目覚めようとしている。急かしながら、意識を取り戻せと怒鳴り散らしている。
起きて、
また起きて、
どうすりゃいいんだ?
「死ねよ」
死ねって、死ぬために起きるのかよ。
どうせ死ぬならこのまま安らかに死にたい。
「逃げ出した奴が、許されるわけないだろ」
今更言われることでもない。
逃げの多い人生を歩んできた。今も死から逃げている。“死にがい”とか言っても、ただの逃避に過ぎない。
んなことはわかっている。本当に今更だ。
なにこれ?
また、鉄箱の部屋が浮かぶ。
少し鮮明になり、部屋の詳細がわかった。
どこかのアパートの一室。
黒いモノは、塗料のようにもカビのようにも見える。隙間なく病的なほど真っ黒に塗り潰され、その隅には――――――
『ぐだぐだやってないで起きろボケ』
誰かに殴られた。
起きた。
雑に設置されたテントの中だ。
『あれま、やっと起きた』
「………何日寝ていた?」
傍に置かれたタブレットに聞く。
頭がクソ重い。
脳みそが膿んで破裂しそうな気分だ。
『それよりも、他に聞きたいことがあるのでは?』
「あの変異体はなんだ?」
『え? 思ってたのと違う』
「は?」
『いえまあ、あなたの方が知っているものと』
「知らねぇよ。体だけ知り合いに似ていたが、それだけだ」
『元の体が何かわかりませんけど、あの【変異体】のせいで会社は大はしゃぎです』
「はぁ?」
意味不明な反応。
『あれは他の【変異体】を殺し、他の感染者を続々と制御下に置いています。現在、78%があの【変異体】の制御下にある。つまり、あれ一体を制御できれば、将来的に感染者全てを管理下に置けるのです。莫大なコスト軽減になる』
「………はぁ」
意味がわからない。
変異体を制御? できるわけねぇだろ。
『あ、無理って思いました? 私もそう思っていますが、上の連中はやる気みたいですね。まあ、試す価値はあると思います。成功すれば、この感染症が全て治まるわけですし』
「まず捕えなきゃいけないだろ」
『まず捕えるつもりですよ。失敗続きで、当社の戦闘要員が半壊しましたけど。外の連中使うと情報漏洩とかあるんで、色々もめてるみたいですね』
勝手にやってろ。
で、
「コサメはどうなるんだ?」
『放置中です。あの【変異体】を捕えることが全てにおいての最優先なので。私も含め、忘れられている気がしますねぇ』
「………なんだそりゃ」
発症してない人間よりも、変異体の方が優先かよ。
『なので、勝手にやりましょう』
「勝手?」
『この街の内部で何が起ころうとも、国が介入することはありません。ただ、街を封鎖した壁が破損した場合、軍隊が出動します。話は通しておきますので、その時にコサメさんを受け渡してください』
「いいのかそれ?」
壁を破損って、爆破かなんかするってことだろ?
社員がやっていいことか?
『良くないですねぇ。バレたら物理的にクビが飛ぶかも』
「いや、本当にいいのかよ」
『良くないですけど、やるしかないでしょ』
「なんで?」
『なんでって、そりゃ情が移ったからに決まってるでしょ』
「いや、それこそなんで?」
情が移るほどの付き合いじゃあるまい。
『普通――――――』
テントが開く。
コサメがいた。
少し様子が変わっていた。
髪が伸びている。大きめのバックパックを背負い、槍を手にしていた。顔は汚れているが、表情筋は豊かになっていた。ミリタリージャケットは薄汚れ、ほつれた個所も目立つ。
一体何が?
「ぐんそー!」
コサメに体当たりされた。
衝撃が痛んだ体に響………かない。あれ? 怪我は? ボコボコにされ重症だったはずだ。そんな体を無理して全力で動かした。2、3日の睡眠で完治するはずがない。
まさか、
「おい、僕は何日寝ていた?」
『5ヶ月です』
季節が1つ過ぎていた。
「ぐんそぉぉぉぉぉぉ! おはよぉぉぉぉぉぉぉ!」
ぎゅむぅぅぅぅと、コサメに抱き締められる。
力強い。たくましくなったようだ。
普通、5ヶ月も同じ時間を過ごせば、情が移るってことか。
「1人でよく頑張ったな」
「がんばった!」
コサメの背中をさする。
こんな小さい子が、サポートありとはいえこの地獄を生き延びるとは。僕よりサバイバーとしての才能がある。
「あのね! あのね!」
5ヶ月分の思い出をコサメが喋り出した。
デパートの食料を野犬に食い荒らされ苦労したこと。
屋上に置いた食料がカラスに食い荒らされたこと。
バリケードとカラス避けを作ったこと。
僕を真似て槍を作って戦ったこと。
タンポポは美味しい。
ショーコと沢山話したこと。
ショーコに罠の作り方を教わったこと。
ショーコに料理の仕方や、園芸を教わったこと。
ショーコって誰かと思えば、タブレットの中の奴だった。
過酷なサバイバル生活。そして、野生動物との激闘を話していると、コサメは電池切れで眠ってしまった。
短い時間で成長を感じられる話だった。
僕としては、プチ浦島太郎の気分で複雑だ。
『情が移った理由、わかりました?』
「わかりました」
タブレットのショーコに言う。
『ついでに言うと、戸籍も用意したのでコサメさんを養子にします』
「あ、子育て経験あるんですね」
敬語になってしまった。
『あ、ありますよ。猫だけど』
「大して変わらんだろ」
『変わるでしょ。何を言っているのよ』
自覚があるなら大丈夫か?
ふと、手首を見る。
こんなものかという数値。
「僕が寝てる間に遅延薬は?」
『コサメさんに頼んで毎日打ちました。略奪者がほとんどいなくなったので、支援物資は送り放題ですし』
「壁を破壊する話だが、コサメをどう移動させる? ドローンで運べたりできるか?」
『ドローンでの運搬は私も考えましたけど、設定された重量の変化は感染物の付着と判断されて、自壊するようプログラムされています。これが変更できなかったので空輸は無理ですね』
「地を這うしかないか」
『その、深刻な問題が1つ。感染者の多くが壁に集まっています。それを何とかしないと近付くことも、壁を破壊することもできません。本当に感染者を外に出してしまったら、世界の破滅ですし』
「だろうな」
らしくなく運命を感じた。
「あんた、神様って信じるか?」
『交通安全のお守りを毎年買って、初詣に行く程度には』
「僕は全く信じていなかったが、いるんじゃないかと思っている」
現在の汚染度は、【89%】。
死神が、そろそろ腹括って死ねと言っている気がした。
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