<第四章:ピリオロイド:モラトリアム・ゾンビ> 【08】
【08】
思考が停止した。
操られるように爆弾を手にする。
『おい、捨てろ』
誰かの声により、意識が戻った。
手にした爆弾の導火線には火が点いている。いつの間に? 誰が点火した? 僕か? 迷い呆けたのは一瞬、爆弾を横に放り投げる。
衝撃と音は現実の証。
酷い耳鳴りとぼやける視界。
世界がねっとりと粘着いて体が重い。
声が聞こえる。
『先ず、ハト野郎を殴って斧を奪え。その後、ガキを拾って逃げろ。混乱が起きる今ならどれも容易い』
世界がクリアになる。
体が軽い。恐ろしく速く走れる。
リーダーの振り下ろす斧がスローモーションに見えた。簡単にかいくぐって、ハト頭に拳を叩き込む。
骨を砕く感触。だが、殺しきるには足りない。
今はこれでいい。
コサメを小脇に抱え、斧を奪い。ゾンビと生存者で乱れる体育館を後にする。
一度だけ振り返り、クラゲの変異体を見た。
『見間違えだ』
「見間違えだ」
体が、あの女に似ているだけ。鉄パイプ爆弾も偶然だ。そも、顔どころか頭もないじゃないか。判別しようがない。
これ以上は考えるな。
混乱の中を駆け抜ける。
邪魔になるものは、全て斧で切り払った。それがゾンビなのか、人間なのか、判別しようがない。
『そんな余裕はない』
僕みたいなのは、シンプルじゃないと生き残れない。
運動場は、とんでもない混み様だった。“砦”のバリケードの至る所から白いゾンビがよじ登ってくる。量だけでいえば、前の雨天の時よりも多い。
“砦”の人間の応戦は、山火事に小便をかけるような抵抗。ここはもう終わりだ。数分で壊滅する。
血眼になって周囲を観察した。
探すのは、最短最速の逃げ道。
「なッ」
こんな時に、立ち眩みに襲われた。
落としそうになるコサメを抱き留める。
斧が落ちる音を聞いた。
綺麗で広い青空が見えた。
視界が広くなった気がした。
気のせいじゃない。
あまりにも広く遠くが隅々まで見えた。脳に直接、大量の視覚情報をぶち込まれる。頭が破裂しそうな衝撃。目を閉じても映像が、いやこれは他人の視界だ。
誰の? まさか、白いゾンビたちのか?
『落ち着け、よく見ろ』
バリケードを見る。
一部が破損していた。
一角に隙間を見付けた。
一切迷わず突貫する。
一斉に白いゾンビたちが僕らに迫る。
スライディングしながら隙間に滑り込んだ。ゾンビの無数の腕が背中に触れた。服を掴まれながらも無理やり進む。
外に出た。
一難去って多難が待ち受けていた。
中と比べ物にならない量の白いゾンビがいた。街中のゾンビが集まってるかのよう。ちょっと考えれば当たり前でもある。けれども、ワンチャンに賭けて外に出るしかなかった。
結果、失敗だ。
どこから間違えたのか? コサメの言う通り、あの家に閉じこもっていれば良かった。ジリ貧で死ぬとしても、こんな最後ではない。
「目を閉じていろ」
コサメの顔を両手で覆う。
ゾンビの大波が迫って来た。数秒で飲み込まれて終わる。逃げ場はなし。本当に終わり。走馬灯すら見えない完全な諦め。
何が容易いだ。
内心、妄想にぼやく。どっちも自分なのにアホなことである。
『俺が嘘言ったことあるか?』
黒い風が吹いた。
何が起こったのかよくわからない。目の前の光景を咀嚼して理解するには、小一時間は必要だ。
黒く、頭部のない巨大なゴリラがいた。
そうとしか見えない変異体だ。
それは白いゾンビを千切っては投げ、千切っては投げ、叩き潰し、握り潰し、薙ぎ払い、蹴散らし、暴れまくっていた。
まだ、いる。
電柱に並ぶほどの細長い変異体がいた。胴も頭部も手足も針金のような細さ。白いゾンビを手で串刺しにしていなかったら、疲れた時に見る幻と勘違いしただろう。
いや、幻と思いたい。
“砦”にいるクラゲと合わせて、近くに変異体が3体もいる。
今まで体験した地獄ランキングのトップを更新した。
肉片が飛んで来る。
思わず避けた先は、白いゾンビたちの中。食われると身構えるが、連中は人間1匹に注意をしている暇はないようだ。僕らを無視して、2体の変異体に襲い掛かった。
大混乱の渦。
巻き込まれなかったのは、本当にただの運。
そもそも、状況は停滞してるだけで好転はしていない。鼻先に剥き出しのミキサーがあるようなもの。動けないし、待つしかできない。
光明を見付けるため、全神経を研ぎ澄ます。
麻痺していた痛みがぶり返すが、奥歯を噛んで耐える。ただただ、耐える。
ゴリラに似た変異体が吠えた。
ない頭部からではなく、腹部にある穴から。白いゾンビに噛まれた痛みを叫んでいる。
針金のような変異体も、足に喰らい付かれた痛みで体を震わせていた。
如何に変異体といえども、物量には勝てない。白いゾンビの群れに押されている。
ゴリラが大暴れをして、ゾンビを振り払う。だがアリのように、うじゃうじゃと白いゾンビはゴリラに群がる。
『準備しろ。もうすぐだ。ほら、3、2、1』
短いカウントが終わり、光明が見えた。
ゴリラが倒れる。白いゾンビ共はその肉を夢中で食い始める。
小さい道ができた。
だが、大きな隙間だ。
『走れ!』
走る。
転がる肉片や、骨を踏み潰して駆ける。
足が折れても構わない。一歩でも遠く、一秒でも早く、この地獄から離れるために足を動かす。
白いゾンビは、まだまだ集まって来る。奴らは変異体を食うことに夢中だ。僕らを素通りするも、物理的な衝突は避けられない。
何度も何度もぶつかる。
一度や二度ならともかく、雪崩のようにぶつかる。“砦”の連中に受けたリンチよりも酷い。コサメを抱えていなかったら折れていた。
自分の骨の音を聞きながら、走り抜けた。
全身を濡らすのは汗なのか、血なのか、確かめるのは後。足はまだ動く。
少し余裕も生まれた。
「避難場所を教えろ!」
奇跡的に、まだぶら下がっていたタブレットに言う。
『半径5キロメートル内に、3000近い感染者が集まっています! 何とかここから離れてください! 離れさえすれば、そこは安全な地帯になっているはず!』
体よ、持ってくれ。
願いながら足を動かす。必死で走る。意識して足を運ばないと、体が自然に左に傾く。どこかが折れたか、捻じれたのか、今はどうでもいい。
限界まで酷使した心臓と肺が破裂しそう。眩暈も酷い。頭痛は更に酷い。ウサギのマスクが、心底呼吸の邪魔だ。自分の変な呼吸音が耳障りだ。熱も出て脳が沸騰しそう。
でも、走れ。
走れ走れ。
死んでも走れ。
足さえ動け死んでいてもいい。
ブツンと意識が途絶える。
暗い。
何もない。
でも何か?
小さく風を感じた気がする。
周囲が晴れる。
風を感じた。
僕はまだ走っていた。
コサメを抱えたまま落としていない。
景色が変わっている。
駅近く。
あの女と共に、変異体と戦った場所だ。
明らかに気配が違う。
ガランとしている。周辺にゾンビが潜んでいる圧迫感がない。ここのゾンビ共が白いゾンビになったのなら、今ここは空っぽで誰もいないはず。
気を抜いたら、片足が動かなくなった。
体も活動限界だ。
どこか、物資が豊富な場所に陣取って休まなければ。
どこだ? 前拠点にした雑居ビルか? 適当なコンビニか?
「あ」
コサメがデパートを指していた。
「もしかして、行ってみたいのか?」
「う!」
こくこく頷く。
あそこなら、物資は豊富だろう。後々バリケードで出入口を塞げば、安全な拠点になる。ゾンビがいない今が、陣取る絶好のチャンス。
「行くぞ」
時間はギリギリだ。
デパート向かって、片足でラストスパートをかけ、ほどなく到着。
割れた自動ドアから中に入る。
ゾンビはいない。いないと確信して動く。警戒する余裕はない。
手早く必要最低限の物資を取る。
1階は、食料品フロアだ。
買い物用カートにコサメとカゴを2つ載せ、保存の効く食料と飲料を入れる。
「今は我慢しろ」
食玩を見ていたコサメに言う。
そりゃ子供だ。気になるのは仕方ない。ただ、僕に余裕はない。この疲労と負傷は、今まで味わったことのないレベル。今すぐ倒れて意識を失う可能性も高い。
物資を十二分に入れたカゴを両手に、2階へ。
日用品フロア。
接着剤、針金とペンチを手にする。後はほぼ素通りで3階へ。
家電と専門店フロア。
ありがたいことに、キャンプ用品の特売コーナーがあった。コサメに寝袋を持たせ、僕は設置された小さいテントの紐を首にかけ引きずる。
止まったエスカレーターに引っかかりながら、目的地の屋上に出た。
無駄に広く、20年物の寂れたゲームコーナーがあるだけの殺風景な場所。
急いで出入口を確認。
2つあるドアのドアノブを、接着剤と針金で固定。
「ッ」
猛烈な睡魔に襲われた。
もう、3分と持たない。
ゲームコーナーにテントを設置し、中にコサメと寝袋を入れた。
食料は外でいいだろう。
僕もテントの中に入る。
傷の手当てをしなきゃいけないが、余裕はない。
「コサメ。僕は少し休む。環境は変わったが、やることは変わらない。腹が減ったり、喉が渇いたら、外のもんを口にするように。お前も怪我してるんだからしっかり食って治せ。後――――――」
一瞬気絶した。
タブレットを取り外し、コサメに見せる。
「こいつの言うことを聞け。クソ間抜けだが、一応まともだ」
『あの社員の行動については、私が謝罪することなんでしょう………か?』
そうだぞ。
タブレットが手から滑った。
限界だ。
いつになく深い眠りが待っている。
ああやっぱり、家を出るんじゃなかったな。
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