<第四章:ピリオロイド:モラトリアム・ゾンビ> 【07】
【07】
翌日、コサメを連れてアパート近辺を探索した。
一度漁ったことのある家で、子供用のバックパックと靴を手に入れる。
帰宅して荷物をまとめる。
「必要なものだけを入れろ」
「う?」
「優先するのは、水と食べ物。明かり」
僕は、コサメのバックパックに水と携帯食、ペンライトを入れる。
「余裕があるなら毛布、消毒液、包帯」
それらを入れたら、小さいバックパックはパンパンになった。
「トランプ」
「………まあいいだろ」
最後にトランプを入れた。
「忘れ物はないな? 他に必要なものは?」
「う~?」
コサメは、部屋を見回す。特に何もない部屋を注意深く隅々まで見ている。
何故か、ベッドの下に潜ったりもした。
しばらくして。
「ないかも」
と言った。
「よし行くぞ」
「うい」
コサメは、屈んだ僕のバックパックに掴まる。
少し前、バックパックに塩化ビニール管で骨組みを作り、コサメが掴まったり、出入りしやすいようにした。今後のことを考えると、今くらいしか使い道のない改修だ。
背中にコサメの体重を感じる。
「いいか?」
自分のうなじ当たりに手を伸ばすと、小さい手が触れる。
アパートを後にした。
一度だけ振り返り外から自分の部屋を見る。
二度とあそこには戻らないだろう。特に感情は動かない。
「おい」
腰に下げたタブレットの呼び出しボタンを押す。
『何ですか?』
「話は通っているんだろうな? 本当に」
『心配性ですね。何回確認するんですか』
「何回目だ?」
『18回目です。問題ないですよ。あなたがどう思おうとも、向こうはプロフェッショナル。しっかりと仕事はします』
「だと良いが」
信用できない。
全く。
不安の中、“砦”に向かう道中、コサメに向かって話しかける。
「今日から集団生活になるが、大丈夫か?」
「わかんない」
だろうな。
ちなみに僕は、大丈夫じゃない。集団生活なんてトラウマしかない。本当に嫌だ。コサメのためと思って我慢するつもりだが、どのくらい耐えられるのかは不明。
「どのくらい“砦”にいることになる?」
『わかりません。まだ、協議の終わりが見えていないので』
「なんだかなぁ」
『止めますか?』
「いや………………………………やるよ」
『物凄く嫌そうですね』
「我慢しなきゃいけない時もある」
『うわ、まともなこと言ってる。この人』
僕をなんだと思っている。
『ああ、そうだ。タブレットはこのままで。緊急時とはいえ、社員IDを確認しないと』
「はいはい」
倍重い足取りで“砦”に向かう。
今日は本当に天気が良く。半分ゾンビになった人間には、しんどい日差しだ。
「ぐんそー」
「どうした?」
コサメが話しかけてきた。
日差しがキツイのかもしれない。近くの民家を漁って帽子か日傘を漁るべきか。
「かえりたい」
「帰る?」
「おうちにかえりたい」
「お前の家にか?」
「ぐんそーの家」
「あそこよりも良い場所に行く。お前なら大丈夫だ」
僕はともかく。
「やだなぁ~やだなぁ~」
珍しくコサメはゴネていた。
「困ったな」
「や~」
だからといって足を止めることはなく、気付くと“砦”に到着していた。
背後のコサメが、バックパックに隠れる気配がする。
「よう」
門番に手を上げた。
「体育館でリーダーが待っているぞ」
賄賂なしで通してくれた。本当に話が通っていた。
だがまだ、安心はできない。
いつも以上に注意深く警戒する。
少し異常を見つけた。
グラウンドに並ぶ檻だ。中身が1つも入っていない。全て空になっている。
何かあったのか?
足を止めて考える。
まるでわからない。
引き返すことも考えた。
しかし、あのアパートで昨日と同じ生活をするのは嫌だ。
企業の協議が終わる期間が定かじゃない以上、あそこじゃジリ貧。今の僕の体じゃ、コサメを連れて物資を探すのは骨が折れる。彼女を安全で、安定した環境に預けるのが最善なのだ。
………違うか。
違うのかもな。
単純に、僕がコサメの命を背負いたくないのだ。
腹を括る勇気がないだけ。
ここには逃げに来た。逃げることすら迷うとか、もう意味がわからない。
進んで、体育館に入る。
リーダーと10人ほどの取り巻きが待ち構えていた。物々交換に色んな人間がいる場所だが、他に人は見当たらない。
「来たな」
「ああ、よろしく頼む」
頼みたくないが、リーダーに頼んだ。
我ながら大人の対応である。
「で、問題のガキは?」
「コサメ。挨拶しろ」
バックパックを降ろして、コサメを呼ぶ。
彼女は一瞬顔だけだして、すぐ引っ込んだ。
「見ての通り人見知りだ」
「これから集団生活しようってのに、それじゃ困るな」
近付いてくるリーダーを、僕は自然とブロックした。
「徐々に慣れさせる」
「おいおい、一端の保護者気取りかよ。関わった人間、全員を殺してる奴が」
「………………」
お前が原因で死んだ人間もいるだろ。
と、喉元まできた言葉を飲み込む。
「ここに住むならここのルールに慣れろ。ちょっと荒療治でもな」
僕を押し退け、リーダーはバックパックを持って逆さにした。
ボトっとコサメが出て来る。
猫の子みたいに怯える彼女を、リーダーは襟首を掴んで持ち上げた。
「確かに、感染してないように見えるな。【コルバ】の故障って可能性もあるが」
『失礼』
タブレットの音声が、リーダーに話しかける。
『社員IDを提示してください』
「ああ、形式的なやつね。ちょっと待てよ。確かここに」
リーダーは、ジャケットからスタンガンを取り出し、僕の腹に押し当てた。
ヂヂヂヂ、という音と共に腹に味わったことのない衝撃が走る。
内臓が縮んだような感覚。体が勝手に丸まり、床に転がって動けなくなる。もう一度、ヂヂヂヂヂと音。今度は長く、背中に衝撃。
「よし、お前らやれ。殺すなよ。ギリギリ生かしておけ。遠慮はするな。こいつは、自分を人間と思ってる狂犬だ」
僕は、取り巻きの10人に鉄パイプや角材で袋叩きにされた。
コサメの大きな泣き声が響く。
「うるせぇガキだな。まあ、好きなだけ泣け。泣くのが無駄だって気付くまで泣け。人払いしてあるから遠慮はいらん」
この小さい体で、こんな声が出せるとは驚きだ。
そのくらいコサメの泣き声は大きかった。僕といたときは遠慮していたのだろうか。
軽く逃避するほど、状況は絶望的。
全身を殴打され、口中に血の味が広がる。頭も殴られ、踏まれ、着ぐるみ越しでも衝撃が伝わる。
なるべく丸くなって耐える。
今は耐えることしかできない。
チャンスが来るまで耐えて………耐えてどうなる? もう、骨が何本も折れた。体は更に痛んで壊れる。左腕はもう駄目だが、なんとか右腕と足だけはある程度無事にしておかないと、次が――――――僕に次なんてあるのか?
選択を間違った。
普通は、それで死んで終わりなのだ。
さっぱり諦めるのが吉なのに、コサメの泣き声のせいで諦めきれない。
大量の痛みに襲われる中、リーダーの声が聞こえた。
「察しの悪いお前に説明してやる。ガキをここに置くのはいい。だが、お前は質の悪い爆弾だ。ここに置くとか冗談じゃねぇ。しかし、会社の命令にも逆らえん。間をとって、お前を八割殺しにする。命までは取らないから安心しろ」
咽るように血を吐いた。
僕じゃない。コサメがだ。大声で泣き過ぎて喉が裂けたのだ。
「やっと静かになったな。次からは、血を吐く前に無駄だって気付け」
体が勝手に動いた。
近くにいた男の下腹を殴る。拳は柔らかい肉を裂き、五指がもっと柔らかいハラワタを掴む。モツを引き抜いて、地面に叩きつけた。
発作的に1人殺してしまった。
残りが一斉に警戒態勢に入る。
ああ、うん。
こいつら普通に経験がある奴らだ。9対1じゃ逆立ちしても勝てない。いや、リーダー入れたら10対1のまま。
もう不意打ちもできないし、1人で逃げることもできない。
「はぁ」
僕は、ため息を吐いた。
1人でも多く道連れにして死ぬか。思ったのと違う最後だなぁ。
「予定変更だ。殺せ」
リーダーの命令で9人が動く。
と、
体育館が、鈍い音と共に振動した。
音の元は天井。
鳥でも落ちて来た?
ドンドンドンドン、重たい音が天井に降り注ぐ。駆け回る音もする。
窓から一瞬見えた影は、鳥とは思えない大きさ。
少し遠くで、さざ波のような声がした。
近付いてくる声は更に大きくなり、悲鳴の合唱になった。
『ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
何かに“砦”の人間が襲われている。
何が来た?
今は真昼だ。ゾンビが来るはずはない。例え来たとしても、“砦”周辺にはバリケードがある。乗り越えるためには、空を飛ぶか高く跳躍しなければならない。
体育館の窓が割れる。
窓を破って落ちて来たのは、恐らくはゾンビ。それの頭部は、ブヨブヨした白く丸い塊に覆われていた。
白いゾンビは、ゆっくり立ち上がり忽然と消えた。
僕の近くにいた男も同時に消える。
壁に衝撃音。
白いゾンビが男を壁に叩きつけ、頭に齧りついていた。
「【変異体】だと?」
リーダーの驚きには同意する。
窓が次々と割れ、白いゾンビが大量に飛んで来た。
周囲の男たちが、ゾンビと戦い始める。
悲鳴と怒号が飛び交う。こんな状況なのに、リーダーはまだ僕に斧を向け警戒している。
僕は、冷静に提案をした。
「おい、クソリーダー。協力して倒すぞ」
「馬鹿言うな。まだお前の方が危険だ」
「冗談言うな」
「まさか、お前が呼びこんだのか?」
「それこそ冗談だ」
「あの女と一緒に【変異体」に何かしただろ!?】
あの女って、僕が吹っ飛ばした変異体のことか?
「こいつとは別個体だろ」
「馬鹿な誤魔化ししてんじゃねぇよ!」
「誤魔化しだと?」
比べ物にならない大きな衝撃と音が降って来る。
天井を貫き、落ちて来た巨大なモノは、混乱する姿をしていた。
頭はクラゲに似ている。長い触手があり、白いゾンビと同じブヨブヨした質感で、重力に逆らい浮いているように見えた。
そのクラゲ部分の下には、女の裸体がぶら下がっている。
首はない。まるで、クラゲが頭部みたいだ。
クラゲが鳴く。
金属を擦る音に似た、耳鳴りを伴う異音。
白いゾンビが一斉に動きを止めた。
時間すら止まったかのように見える。
クラゲはゆったりとした動きで進み。僕らの前に立つ。
身の毛がよだつ。
緊張のあまり呼吸を忘れる。
直感的に、生物としての格の違いを理解した。こいつの触手に撫でられただけで、人間はバターのように溶ける。
戦慄する中、触手の1本が僕に伸びて来た。
手にしていた物を僕に差し出す。
「………!?」
それは、見覚えのある鉄パイプ爆弾だった。
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