<第四章:ピリオロイド:モラトリアム・ゾンビ> 【03】


【03】


 痛む脇腹を押さえ、安アパートに帰還。

 焦らず罠を確認。

 1階に仕掛けた3つに動いた形跡はない。

 2階に続く階段の罠も動いていない。

 侵入された形跡はない。

 罠を作動させないようバリケードの隙間を潜り、2階の角にある自分の部屋に行く。鍵を開けて中に入ると、ドッと疲れた。

 狭い安アパートの一室が、聖域のように感じられる。

 師匠とタブレットを外し、適当に捨てた。

 ベッドの上にバックパックを降ろし、

「出てこい」

 と、コサメに言う。

 彼女は、おっかなびっくり周囲を見回す。

『殺風景な部屋ですね』

 床のタブレットがぼやく。

 壁には段ボールが隙間なく並べられている。中身は、医療品、靴、衣服、ペットボトルの水と日持ちする食料。

 家具はベッドが1つだけ。他の家具は、全部バリケードに使用した。カーテンも取っ払って、自然光が入れている。

『コサメさんは、衛生状態が悪いので着替えさせないと』

 衣服の入った段ボール箱を開けた。

 ボクサーパンツとTシャツ、ミリタリージャケットを取り出す。靴は、どこかで調達しないと駄目だな。

「着ろ」

 ボーっとしてるコサメに、取り出した衣服を渡す。

『ちょっと待ってください。お風呂は?』

「あんた、それ冗談か?」

 タブレットの人間は、ここの状況が何もわかってないようだ。

『え、ではあなたいつお風呂に………いえ、聞かなかったことにしてください』

 仕方ない。

 取り出したタオルを水で濡らす。

「ほれ」

 コサメの眼帯を外して、小さい顔を拭く。ボサボサの長い髪も適当に拭く。汚れた眼帯を元に戻す。探すものリストに眼帯も追加。

『もっと丁寧に』

「やってる」

 細い首と折れそうな手足も拭く。浮いた骨が見える背中も拭いた。

「残りは自分でやれ」

 汚れたタオルを渡す。

 自分の面倒も見ないといけない。

 腹に巻いた元コートを解く。シャツを捲って傷を確認。

「うえっ」

 そんな声が漏れるほど、かなりよくない。

 縫い傷が化膿している。今までは、一晩寝たら大体回復していたのに初めての状態だ。しかも、たかが刺し傷程度で。

「あ」

 心当たりが1つある。

 変異体の体液だ。

 傷口から入ったのだろう。あんな戦いをしていれば当たり前だ。

『酷い状態ですね。医療品を送りましょうか? どこか“安全な場所”で』

「考えておく」

 思い出したようにコルバを見た。

 表示は【71%】。ゾッとするほどの上昇である。焦りながら医療品を入れた段ボールを開けた。残っていた4本の遅延薬を全部打つ。

『遅延薬の連続使用は、大変な不快感に襲われると聞きましたが?』

「知ってる」

 今、眩暈と吐き気を味わってる。

 不快感に耐え、傷口を消毒して包帯を巻く。他にできることはない。

 新しいシャツを着ると、コサメも着替え終わっていた。

 ミリタリージャケットの襟と正し、余りまくった袖を捲ってやる。

 コサメは、ぎこちない笑顔を浮かべる。錆びたロボットみたいな表情である。

「無理して笑わなくていいぞ。僕は愛想のない人間だからな。そんなもん気にしない」

「あう」

 わかったような、わかってないような顔。

「トイレの使い方を教える」

 コサメをトイレに連れて行く。

 便器には、何枚もビニール袋を被せている。

「座って出したら、袋を外して玄関の箱に入れろ。以上だ」

 こくこくと頷き、わかった様子。

「おい、他には?」

 部屋に戻って、床のタブレットに聞く。

『コサメさんに、3日分の食事を用意してください。指示するので小分けにしてください』

 指示通り、回収した食事を小分けに。

 RUTFとかいうピーナッツバターが1つ、小さい棒状の羊羹が1つ、ビスケットが2枚、ペットボトルの水。

 これで1食分。

「そんな少なくていいのかよ」

『胃が弱っているので、量を少なく食事回数を増やすのです。缶詰のパンは、3分割にして1食分に分けてください。できればシチューを作ってほしいのですが、他に食材は?』

「家にあるのは、カップ麺やカップ焼きそば、お菓子類、水、以上」

『栄養バランス考えていますか?』

「お前んとこの会社が、まともな食い物寄越さないからだ」

『我が社の食品部門は、閑職なので』

「潰しちまえ」

『私にそれを言われても』

 3日分18食を用意した。

 眩暈が酷くなった。

 意識を失いそう。

「僕は寝る。休んで傷を治す」

 睡眠が一番の治療なのだ。

 それで回復しないなら駄目。おしまい。僕はここまで。

『お待ちを。コサメさんに私がアナウンスをしたら食事するように言ってください』

「おい、コサメ。そこに用意した食事を、腹が減ったら適当に食え」

『駄目です。もっと具体的かつ細かい言い方をしないと、彼女は動かないのです』

「………なんで?」

 コサメが、おかしいのは気付いていた。

 と言っても、僕は最近の子供を知っているわけじゃない。こんな世界だし、色々あると考えていた。いや、考えないでいただけか。

『個人情報について、あなたが知る必要はないかと。どうしても知りたいのなら別ですが、ご興味が?』

「ない」

 知っても知らなくても、やることはかわらない。

 なら、知らなくてもいいだろ。

 これまでもそうだった。人の人生を聞いたところで、僕は何も変わらない。変えることもできない。

『では、今後のために私の言うことを聞くように言ってください。せめて、食事とトイレ。体調の良し悪しについて報告するように』

「わかったわかった」

 体感したことのない面倒さである。

 タブレットを拾って、コサメに見せる。

「おい、コサメ。ここから色々と声が聞こえる。そいつの言うことを聞け。いいか?」

 コサメは、首を横に振る。

 あれ?

「もう一度言うぞ。こいつの言うことを聞け」

「や」

 激しく首を横に振る。

 振り過ぎて、ふらついている。

「どうしてだ?」

「うー」

 説明はできないようだ。

 子供を問い詰めても仕方ない。

「おい。タブレットの誰それ」

『何でしょうか? その呼び方は不愉快ですけど』

「無理そうだから、僕が食わせる。お前は、食事の時間や、なんかあった時に僕を起こせ」

『わかりました。大音量で呼びます。とりま、今食事をさせてください』

「はいはい」

『手は消毒してくださいね!』

「わかってる」

 ウェットティッシュで手を拭き、念のためにアルコールで消毒もした。

「コサメ、飯だぞ」

 ビスケットにピーナッツバターを付け、コサメの口に持って行くと、鳥のヒナみたいに食べ出す。

「水も飲め」

「う」

 ペットボトルを渡すとゴクゴクと飲む。

 羊羹は半分にして食べさせてやる。

「水は、喉乾いた時に飲め。沢山あるから遠慮するな。わかったか?」

「うん」

 これは頷いた。

 さっきと違いがわからん。

 食事は完了。コサメの口を拭いてやる。

「よし、僕は寝る。いいかコサメ。何かあったら僕を起こせ。家の周りに誰か来た時や、周辺がうるさくなった場合でもすぐ起こせ。タブレットの音だけじゃ起きない場合もあるから――――――」

 ベッド下の武器収納から、適当に何か掴む。

 警棒が出て来た。

「これで僕を殴って起こせ。何事も速度だ。オーケー?」

「う」

 理解した様子。

 僕はベッドで横になる。身体共に疲れた。

『ちょっと待ってください。女児と同じベッドで寝るつもりですか?』

「………わかったよ」

 中々休めない。

「コサメ。お前がベッド使っていいぞ」

『シーツカバーを変えましょう』

「………………」

 予備はあるけど面倒な。

 怪我人だし、疲れているんだが? やるけど。

 疲労と痛みに耐え、シーツを変える。古いのは玄関のゴミ箱に入れた。

「お次は?」

『今は特に』

 コサメを、もう一度ベッドに置く。

「お前も休め。子供は食って寝るのが仕事だ」

「う!」

 コサメは敬礼した。敬礼し返すほど、僕はノリがよくない。

 毛布を取り出し、床に寝転ぶ。

 傷は痛むし、熱も出て来た。でもたぶん、眠れる。人間は眠れるのだ。ゾンビになったら、もう眠らない。夢も見ない。あるのは、怒りと一時停止。僕の予想に過ぎないけど、たぶんそんな感じだ。

 目を閉じる前に、コルバを見た。

 汚染度は【51%】。

 4本打った後でこの数値。人生の折り返し地点だ。そんな節目でこんなガキと出会うとは、師匠の言う通り死神なのか、別の何かなのか。

 さておき。

 ああ、眠い。

 僕はまだ人間だな。

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