<第三章:辺獄にて> 【04】


【04】


 時間が過ぎ、ようやく雨が止む。

 現在の時刻は、17時48分。18時の日の入りは目の前。

 どんよりとした雲の間から弱々しい光が刺す。窓から見える景色が赤らみ出してきた。

 世界は黄昏だ。

 防火扉を叩く音は、心なしか弱まっている。

 確証はない。

 分の悪い賭けだ。

 ここに閉じこもっていれば、少なくとも数日は生き残れる。“それでも”と動く理由は………

「何なんでしょうね?」

『暇なんだろ』

「結局たぶん、そんな感じ」

 少しでも身軽になるために、バックパックを降ろす。コートのポケットに火炎瓶を入れる。へし折った椅子の脚に布を巻いて火を点け、松明を作った。

「間違っていたら、化けて出てやるぞ。女」

 窓を開け、松明を落とす。

 数秒、観察。ゾンビは来ない。

 壁と壁に手と足を付け、ズリズリと落ちて行く。

 音を立てず着地。

 松明を手に、火炎瓶の1つに着火。

 それを振り上げた体勢で、ビルの入り口に回る。

 大量のゾンビが、みっちり、ぎっしり、ビルの一階に群がり詰まっていた。人体と無機物が融合した気持ち悪い前衛芸術である。

「へーい」

 投擲。

 ゾンビたちは、振り返ると同時に炎上した。

 一斉に大量の火達磨が出来上がる。思ったよりも派手に燃え、燃え移った。着ぐるみのマスク越しでも伝わる熱気。雨上がりとは思えない燃えかた。

 あの女、この火炎瓶になんか混ぜたか?

 僕は走り出した。

 燃えたゾンビたちが追ってくる。

 女の言っていたことは正解だった。

 目に見えて遅い。だが、亀は言い過ぎだ。小走り程度の速度は維持しないと、燃えたゾンビに捕まって僕も燃える。

 炎上ゾンビを引き連れ、走り進む。

 目的地は決まっている。

 問題は時間。

 残り9分でゾンビを連れて目的地に到着し、そこから更に安全な場所に避難する必要がある。

 時計と後方を何度も確認しながら走る。

 焦る。

 思ったよりもゾンビが遅い。このままだと到着する前に陽が落ちる可能性がある。いや、ギリギリ間に合うか? 間に合わないか?

「ああクソ」

 ぶっつけ本番。その場しのぎの思い付き。上手く行くはずがない。

 師匠がいた時は、いつもしっかりしていた。

『勘違いだぞ』

「は?」

 師匠に意外なことを言われる。

『毎回じゃないが、俺だってその場の思い付きで行動していた。ぶっつけ本番の丁半博打だ』

「嘘でしょ。毎回、あんな自信満々だったじゃないですか。実際、成功してたし」

『演技に決まってるだろ。自信なくても自信あるように見せりゃ何とかなるもんだ』

「………はぁ」

 こんな状態でも?

『なる』

「できる気がしてきた」

『お前の単純さが羨ましいよ』

 足取りは軽く、行進は続く。

 燃えるゾンビの数は減っていない。しかし、速度は更に落ちている。炎のせいで人体が壊れているのだろう。

 残り時間は5分もない。

「何となる」

 自信だけは持つ。

 世界が夕陽と炎で赤い。

 10秒、20秒、30秒と数え、止めた。腕時計のタイマーが鳴り出した。

 目的地が見えた。

 並ぶ廃車の中に佇む、赤黒く巨大な肉の塊。近くで見る【タイタン】は、異様な空気を放っていた。

 全長5メートルの歪な球体に、皮膚らしきものはなく筋肉が剥き出し。全体の、全体の体型が全くわからない。元が人間と言われても誰も信じない形。

 タイマー音がうるさく響く。

 ノロノロと背後のゾンビが近付いてくる。

「何とかなれ」

 廃車の屋根を足場に、【タイタン】の上に乗った。

 靴底に鋼鉄のような感触。

 これ本当に生き物か? 鉄で作られたオブジェじゃないのか? サメや他の奴らが、変異体と勘違いしているだけじゃ?

 変な思考を巡らせているうちに、燃えたゾンビが足元に近付く。【タイタン】と思わしきオブジェを登ろうとする。

 きしり。

 小さく歪な音がした。

 自分でも驚くような速度で体が動いた。

 飛び降り、近くの廃車の下に潜り込む。拍子で着ぐるみの頭が外れた。

 狭い視界に、立ち上がる化け物を見た。いいや、その表現は正しくない。巻いていた“とぐろ”を伸ばした。

 間違っていた。

 元が人間である以上、人間と似た姿になると思い込んでいた。

 それは、巨大な蛇に似ている。

 何十、もしくは何百と圧縮されたゾンビが蛇状に合わさった変異体。

 それは、体をくねらせ燃えるゾンビたちに鎌首を下げる。

 蛇の腹には数え切れない無数の顔があり、その数多の目が一斉に開く。目を合わさないように、僕は体を引っ込める。

 おい、サメ。

 話が全然違うぞ。ゴリラじゃなかったのか? どう考えてもアナコンダの化け物だ。

 ヒュッ、と突風が吹いた。

 僕が隠れていた車が消えた。

 周囲にあるものが、全て綺麗に吹き飛んでいた。

 変異体の首の一振り。ただそれだけで、燃えたゾンビと廃車が散った。細かい残骸が、周囲の建物や道路に突き刺さっている。

 幸運に恵まれた。

 しかし、アラームが止む。

 こんにちは辺獄。

 倒れた姿勢のまま、コートから火炎瓶を全部取り出した。松明で着火し、ばら撒くように目の前の化け物に投げる。

 巨大な篝火が生まれた。燃える。大きく燃え上がる。

 効いている?

「ィィィィィィィイイイイイ!」

 耳をつんざく変異体の鳴き声。

 ガードレールや、街灯が震えた。アスファルトにヒビが走る。体の内側に滲みて響く、変異体特有の鳴き声。

「うるせぇ!」

 着ぐるみの頭を被り直す。少しだけ音がましになる。

『さっさと逃げろ!』

「その通り!」

 再びの突風。

 変異体は火を消そうと暴れ狂う。小さい台風と言っていい。火が効果ありそうとはいえ、燃え尽きるまで付き合う暇はない。

 もうあたりは夜闇。

 敵はこいつだけじゃない。さっさと避難――――――

「を?」

 風に撫でられた。

 実際は、変異体の尻尾に軽く接触しただけ。ただそれだけのことで、僕はぶっ飛んだ。

 風を直に感じる空の旅。

 短い旅行の後、廃車のボンネットに着地。バウンドしてビルの壁に叩き付けられ、別の車の屋根に顔面から落下。

 着ぐるみがなければ、顔が潰れていた。

 随分遠くに火と踊る変異体が見える。

 結果的に逃げることは成功。だが、詰んだ。

 左足と左手が動かない。

 折れたかもしれない。

 夜の影の至る所から、蠢くものが見えた。雨の時と比べようもなく多く。街そのものが襲ってくるかのよう。

 唯一の武器は、奇跡的に手放さなかった消えかけの松明。この頼りない明かりが消えた時、僕は一瞬で食い殺されるだろう。

 いいや、先んじて1匹迫って来た。

 こいつに殺された方が楽に逝けるのかも? 

 でも、最後まで抵抗してみるのも面白いか。師匠もそうだったし。

 松明を振り上げ、

「火炎瓶盗むなら、爆弾も持って行けばいいのに」

「あ?」

 相手が女だと気付く。

「起こしてって言ったよね? アタシ寝起きはすげぇー悪いんですけど? 頭痛っ」

「知るか」

「てか、1人でやれると思ってたの?」

「燃えてるだろ」

 遠くの変異体を指す。

「おー燃えてますなぁ。あれで死ぬ?」

「………………」

 正直、思っていない。

 あのサイズは外側を炙った程度じゃ殺せない。内側までこんがり火を通さない駄目だ。あの程度の火力じゃ、もう少し暴れたら鎮火される。

「まあ、別に変異体を殺すことが目的じゃなかった」

「たむろしてるゾンビを倒すのが目的? だから、アタシに任せろって言ったでしょ」

「暇潰しだ」

「………はぁ?」

「ただの暇潰しだ。他に理由はない」

「頭おかしい」

「知ってる。てか、早く逃げろよ。連中が迫って来た。見えなくても巻き込まれたら痛いぞ」

 わらわらと、波のようにゾンビが街に溢れる。

「?」

 思ったよりも勢いはなく、僕を包囲していた。

「はいはい、とりあえず帰るよ」

「何言ってんだ」

 女が僕を抱え上げた。

 お姫様抱っこである。体に激痛が走る。

「ゾンビから見えないって言ったよね? つまり、密着していたら君も消えるんだ。透明マントみたいなもんよ」

「どう見ても隠れきれてないだろ」

「じゃあ、ジャミング? チャフ? そんな感じよ。たぶん恐らく」

「どういう理屈だよ」

「動く死体に理屈なんてないでしょ」

「確かに」

 女は、僕を抱えてノロノロと動き出す。

「君って、思ったよりも軽いね。きちんと食べてる?」

「お前に食料全部食われたんだが」

「それは言わない約束で」

 女の乗り心地最悪で、凄く揺れる。密着したデカイ乳の感触と共に、骨に響く激痛が体を襲う。気絶しそうだが、それとは別に生物的な欲求が芽生えてきた。

 ふと目に止まった場所を指して言う。

「そこのコンビニ寄ってくれ。腹が減った」

「こんな時に!?」

 お前に言われたくない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る