<第三章:辺獄にて> 【02】


【02】


 周囲のビルの窓という窓が割れ、人の形をしたものが滝のように流れ落ちて来る。

 どう形容するのが正しいのか。

 神輿を担いだ祭り。

 マラソン。

 パレード。

 波のようなゾンビ。

 ゾンビのような波。

「うっおおおおおお!」

 女を肩に担いで僕は走った。

 津波から逃げるように、雪崩から逃げるように、100近いゾンビに追われながら必死に走る。全力全速で駆ける。

 来るんじゃなかった。

 こんな所。

 天気にしてもそうだ。少し前の僕なら、頭痛を感じた時点で気付いていた。

 何でこんなに鈍くなったのか、危機管理能力が落ちたのか、いや、原因は明らか。

 他人と関わったからだ。

『じゃあ、なんで女を担いでいるんだ?』

 知らない!

 心で叫び、足を動かす。

 目的地は一応ある。

 サメと来た時に目に入った場所。今がどんな状態なのかは不明。だがもう、そこに賭けるしかない。

「君、足早いねぇ~」

「黙れ殺すぞ!」

「あ、いや。さっきのアタシの話聞いてた?」

「黙れッ!」

「あ、はい」

 ビルとビルの隙間、細い路地に入る。

 ショートカットではなく、直線では追い付かれると判断したから。

 ミジっとゾンビの群れが路地の入口に殺到する。圧壊した骨が飛び出、肉が弾ける。しかし、構わず無理やり進んでくる!

 ゴミを蹴飛ばし、室外機を踏み台にして路地から飛び出た。

 追ってくるゾンビは少数、いいや今も尚、爆増している。

「げっ」

 他のビルから別のゾンビ群が流れ出て来る。

 道路に放置された車の下から、建物の入り口からも、至る所から、まるでここが彼らの街かのように。うようよぞろぞろと。

 事実。

 この街はこいつらのもの。僕らは、つかの間の住人に過ぎない。

 ジーッという音がした。

 最近どこかで聞いたことのある音だ。

「うるさいよぉ、これ」

 筒状の物を女は投げた。それには導火線があり、パチパチと火が点いている。

 既視感と共に爆発が起きた。

 雨に混じって、血と肉と臓物と骨が降る。

 開いた群れの中を突っ切る。

 目指す場所が見えてきた。

 ラストスパートだ。

 心臓に鞭を打つ。脚に千切れてもいいから動けと命令する。歩幅は広く、駆けるというより小さく跳ぶことを繰り返す。

 一気にゾンビたちを引き離した。

 が、最高速度はすぐ維持できなくなった。

 女を抱えてるとはいえ、1キロメートルも走ってないのに限界寸前だ。

 肺も心臓も破裂しそう。関節が外れそう。肉が剥離しそう。

 ちょっと本気で走っただけでこれ。何と人間の体の脆いことか。ゾンビ連中のタフなことか。離した距離がグングンと狭まる。しかも、まだまだ増えてる。

「もう1本、火ぃ点ける?」

「止めろ!」

 ギリギリ何とか到着。

 寂れた一角にある老朽化した雑居ビルの1つ。火災が起きたことでニュースになり、それで目に止めていた。

 入口のガラス戸に体当たりで突っ込む。

 体勢的に、女のケツでガラスを割ることになった。

「ぎゃー!」

 悲鳴を無視して、細い階段を上る。

 予想通り。

 2階には、大きな防火扉があった。

 ゾンビの集団は、またしても細い階段で詰まって動きを止めていた。

「にゃー!」

 女を放り投げ、防火扉を閉める。

 思ったよりも重く、ゆっくりでしか閉まらない。

 何体か無理やり上って来る。槍で突き刺し殺す。

「こういう時こそ落ち着く。こういう時こそ落ち着く。こういう時こそ落ち着く! ピンチに焦るな焦るな焦るな!」

 師匠の教えを繰り返しながら、ゾンビを殺し続け扉を締め切った。

 ゾンビたちが、防火扉を激しく殴りつける。所々へこむが、破られる様子はない。

 一安心。

 とはいかない。

 振り返ると、ビル内に元々いたゾンビが――――――全部、女に殺されていた。

「は?」

 女は、ワイヤーのようなもので、ゾンビの首を背後から切断している。

 かなり鈍重な動きだ。おかしいことに、やられてるゾンビが抵抗していない。意味がわからない状況である。

 視界にいる最後のゾンビの首を落とし、女は一息入れた。

「いやぁ~いきなり大変な状況だねぇ。って、アタシは襲われないから放置で良いんだって」

「本当に襲われないのか?」

 馬鹿の勘違いではなく?

「“見えていない”って感じが正しいかな。ほら、追っかけて来るゾンビも、ゾンビ同士でぶつかったり詰まったりするでしょ? あれってつまり、お互いが見えていないのよ」

「一理………」

 あるのか? あるかも。

「だから、アタシみたいなトロイ女でも生き残れるし、首も落とせる。どーよ。凄いでしょ」

「まあ、確かに」

 ゾンビから見えないのなら、生き残るのは余裕だろう。

 僕も欲しい能力だ。

 ああでも、人間に対しては意味ないか。だから、集団に属しているわけだ。

 通りでリーダーが………………ま、それはいいか。

「あ」

 それよりも他だ。

「お前、爆弾投げただろ」

「そんな大したものじゃないよ。自作の爆薬を鉄パイプに詰めただけ」

「爆薬の作り方を教えてくれ」

 いつか必ず必要になるから調べていた。

 ネットが使えれば一発なのだが、こんな世界じゃ情報を探すのも一苦労なのだ。

「え~いいよ」

「どっちの“いいよ”だ」

「教えてあげるけど、条件あり」

 嫌な予感。

「【タイタン】倒すの手伝って」

「そうなるよな」

 簡単な仕事が、一気に難関になった。

「いやぁ、どう考えてもアタシ1人じゃ無理だし。ウサギさんが手伝ってくれたら何か良い策あるかも」

「弱点探るだけじゃなかったのか?」

「どうせなら倒しちゃおう」

「それができないから困ってるんだろ」

「でもさ、何事も潮の変わり目ってあるよね。この雨とかも」

 耳を澄ますと、激しくなった雨音が聞こえる。

 まだまだ降り続きそうだ。夜まで降ったら、今日は何もできない。

「雨は地獄だろ」

「そうでもあるし、そうでない場合もある。ケースバイケース」

「………わからん」

「して、手伝ってくれるの?」

「………む、う」

 爆薬の作り方は知りたい。しかも、こいつに教わるのは都合が良い。なんせ、“砦”の連中と良い関係ではないからだ。

 だがだが、問題だらけ。

「勝算はるのか?」

「ゼロではないねぇ」

「無謀な賭けでも、ゼロではないよな」

「そうとも言う」

「現実的な成功確率は?」

「ウサギさんって、意外と細かい?」

「ウサギが細かくて何が悪いか」

 大雑把で生き残れるならそうしてる。

 適者生存だ。

「色々説明する前に一個約束して、“砦”の人らにアタシが爆弾作れるって言わないでね」

「どうしてだ?」

 力は、状況を拮抗させる手段として有用だ。

「誰にも言ってないから」

「あんたの仲間にもか?」

「もち」

「それこそなんでだ?」

「アタシたちの拠点、元拠点ね。そこが【タイタン】に襲われた原因が爆弾のせいだから」

「お前が原因と」

 そりゃ言えないな。

「違います。アタシに爆弾作りを教えてくれた人………………のせい。たぶん。あるいは保管してた爆弾を、誰かが盗んで遊び半分に使ったのかも。退屈なくらい平和だったのに、1個の爆弾で平和終了。阿鼻叫喚。そして今に至るってこと」

「下手したら、お前が犯人と疑われるな」

「疑われますねぇ。ただでさえ、汚染度ギリギリのほぼゾンビ女ですから。イシシッ」

 女は、自嘲気味に笑った。

 そういう感じは、ちょっとまあ………弱いんだな。僕は。

「まあ、無茶の一歩手前までなら手伝ってやる」

「やったぜ」

 女はガッツポーズをとる。

「早速準備しようね。先ず、お腹減ったからウサギさんの食料を全部寄越せ」

「調子に乗ってんじゃねぇぞ」

 蹴り入れてやろうか?

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