<第二章:ナイルパーチに夢を見る> 【02】
【02】
中央公園は、森になっていた。
元々公園とは名ばかりの緑地化しただけの広い敷地だったが、人の手から離れたことで自然が好き勝手に成長したようだ。
濃い枝葉の天蓋が、陽光を遮っている。
奥には光の届かない闇が口を開けていた。
蠢く気配を感じる。少しでも奥に入れば、ゾンビの集団に襲われるだろう。
こんな場所があるから近寄りたくなかった。
そもそも、釣りなんかしたことがない。
仮に釣れたとして、食えるのか?
こんな世界の魚だぞ?
よくわからんが、水とかも汚染されてるんじゃないの?
「どう思います? 師匠」
『いいか、釣りってのはな。竿を手に垂れ下がる糸を眺めることで、己の心を見つめ直す所作だ。魚が釣れる釣れないは、二の次だ』
「今回は、魚を釣ることが目的なんですが」
『なら、俺が言うことは何もない。時間を無駄に使え』
「無駄に生きててすいません」
『死んでるだろ』
「忘れてた」
ついつい、自分らが生きていると勘違いしてしまう。なりかけのゾンビなのに。
師匠とぶつぶつ話していると、溜め池が見えてきた。
一緒に異様なものも見えてくる。
案山子だ。
案山子にされたゾンビが、溜め池を囲むように並んでいた。手足を十字の棒に括り付けられ、頭には血で汚れたズタ袋が被されている。
どれもまだ、微妙に動いている。
なんと悪趣味な。
カラス避けに使えるだろうけど、こんな世界になってからこの街で鳥を見たことがない。野良猫や野良犬も同じく。
師匠曰く、『ゾンビが全部食い殺した』そうな。
となると、魚もゾンビに食われたのでは?
無駄足か。
とりあえず、目の前に釣り堀があるわけだし、駄目元で竿を垂らしてみよう。
ゾンビ案山子の間を通り、溜め池の縁に立つ。
溜め池のサイズは、学校のプールくらいだ。深さは、濁った水のせいでよくわからない。
バックパックに挿した釣り竿を引き抜く。
竹の棒に、テグスを巻いただけの簡単な釣り竿。ルアーは何故かバナナの形をしており、針は錆びている。
糸を解き、竿を振ろうとしたら、
「おい。釣りしたきゃ何か寄越せ」
「は?」
ゾンビ案山子の一体に話しかけられた。
驚いていると、案山子はロープを解き僕の傍に歩いてくる。
麦わら帽子とズタ袋を被った背の小さい男だ。長靴を履き、サロペットを着ている。背中の曲がり具合から見て、老人と言っていい。
「なぜ、案山子の恰好を?」
「趣味じゃ」
そこは、『なぜ、ウサギの恰好を?』ではないのだろうか。
「この池、あんたの土地ってことか」
「そうじゃ」
不法占拠だろう。
けど、先住民とモメる気はない。何事も穏便に済むならそれが一番。
バックパックから食料を取り出す。
「スナック菓子がある。それでいいか?」
「いいぞ。寄越せ」
奪われた。
案山子は、ズタ袋をズラしてスナックを飲むように食う。
「おら、勝手に釣れ」
「は、はあ」
許可が下りたので、竿を振るって溜め池に糸を垂らす。
見よう見まねだったが、上手く竿を振るえた。僕って、釣りの才能があるのかも。
そして、
小一時間が経過。
「飽きた」
ピクリともしねぇ。
「爺さん。この溜め池に魚はいるのか?」
「いるぞ。でけぇのがいる」
「全く釣れる気配がないんだが」
「釣り餌がよくない」
「どんな餌ならいいんだ?」
「餌代を寄越すのじゃ」
案山子に羊羹を渡した。
それをもちゃもちゃ食いながら、案山子は背から鉈を取り出し、ゾンビ案山子に近付く。
「おい、まさか」
通り過ぎて、近くにある側溝で屈む。
隙間に鉈を突っ込み、何かを突き刺して戻って来た。
「餌じゃ」
ザリガニだった。
「死体が動くようになってから、自然もおかしくなりやがってな。こいつらも、うじゃうじゃと出てきた。何食って増えてんだが」
考えないでおこう。
竿を引いて、ルアーにザリガニを突き刺す。
もう一度、竿を振る。
ルアーが水面に沈み、数秒。
強い引き。
竿がしなり糸が張り詰める。一瞬で食い付いた。
「って」
強すぎる。
そして、あまりにも大きい魚影が見えた。
高く水が噴き上がる。
飛び跳ねる魚は、
「サメ?」
と、見間違うほどのサイズ。
竿をへし折り、魚は水面に沈む。
「おい、爺さん」
「なんだ? 餌の追加欲しけりゃ食い物寄越せよ」
「今のブラックバスか?」
うろ覚えだが、ブラックバスっぽい姿ではあった。
サイズは3メートル近かったけど。
「源三郎じゃ」
「誰です?」
「儂の終生の友じゃな。死ぬ前に、いや死んで動き出す前にあいつを釣りあげたいもんじゃ」
「そう、ですか………」
色々面倒になってきた。
何だこの状況。
「あれ、僕が釣っていいもんなんですか?」
「ふっ、釣れるもんならな。そこの案山子を見るのじゃ」
「まさか」
釣り損ねた連中の末路か?
「よくできているだろう? あれを飾ってから、肝っ玉の小さい連中が近寄ってこなくなった」
「え? 釣りと関係は?」
「ない」
爺特有の話のとっ散らかり。
「釣っていいんですよね?」
「釣れるものならな」
折れた竿を捨て、槍を手にする。
「よし」
「それは駄目じゃ」
槍が急に軽くなる。
鉈で真っ二つにされていた。すげぇ切り口である。
「竿で釣るのも、槍で刺すのも変わらんでしょうが」
「儂が気に食わんから駄目じゃ」
「ぐぬ」
理屈が無さ過ぎて言い返せねぇ。
「それじゃ槍は駄目として、何ならいいんだ」
「釣り竿で釣らんかい」
「たった今持って行かれただろ!」
「いいか、儂がお前らの歳にはダイナマイトで魚を釣ったもんじゃ」
「犯罪だろ」
「うむ、捕まった」
「犯罪じゃねぇか」
「反省はしている。問題ないのじゃ」
「問題があったから、反省することになったんだろ」
順序が逆。
「いいか、魚を釣るために必要なのは、竿と根気、お天道様の機嫌じゃ」
この爺、僕の話を聞いていない。
「そうですか。道具貸してくれ」
「食い物を寄越すのじゃ」
「もうねーよ」
これ以上は、僕の食料がなくなる。
「そもそもなんじゃ。貴様は、源三郎を釣ってどうするつもりじゃ?」
「食う」
「儂の友を食うとな!?」
「あんたこそ、釣った後どうすんだよ」
「食うに決まっとろうが。もったいない」
殴り倒したい気持ちを我慢した。
「じゃあ、分けてやるから僕が食うのも許可しろよ」
「どうやって食うんじゃ? 儂、焼くだけは飽いた」
源三郎って、まさか前に2匹いたとか?
さておき、
「のり弁の揚げ物にする」
「のり弁じゃと? 儂が好きな弁当ではないか。それを持ってくるなら、源三郎を釣るのを許可してやる」
「だから、釣らないとできないんだって」
「そんなに源三郎の命が欲しいか!?」
「それは、釣り竿振る前に言えよ!」
「その恰好して殺生するとは思わなんだ」
「ただの着ぐるみだ」
殺生なし生きれる街じゃない。
「いや貴様、子供向けアニメの恰好をしているのに殺生はいかんだろ。普通に考えて」
「え、なんで知ってるんだよ」
あのアニメ、絶対有名じゃないだろ。
「死んだ婆さんが見ておった。ボケてからは、趣味まで子供みたいになっていたのじゃ。昔から興味があったのかもしれんが」
「あ、はい」
反応しにくい話題を振るな。
「しかし、源三郎はのり弁になるのか。婆さんが死んでからは、三食コンビニですませておった。ある意味、ここ最近で一番懐かしい味じゃ」
「そりゃ贅沢な」
僕みたいな貧乏人は、たまにしかコンビニで弁当を買えなかった。
「戦後と比べたら、何でも贅沢なもんじゃな」
「爺さん。100歳超えてるとか言わないよな?」
「失礼な。儂はまだ90代じゃ」
「元気ですね」
「感染してからの方が、痛みが少なく過ごしやすい。痛み止めも飲まないでよくなった」
「話が逸れてる。あの魚を獲っていいんだな?」
「全く最近の若いもんは、何かにつけて急ぎおって。情緒を楽しまんかい」
「いや、急がなきゃ駄目だろ」
こんなことしてる間も汚染度は上がっている。
「駄目駄目駄目と、駄目若者が」
「駄目爺が」
「なんじゃ! やるか!」
「やらねぇよ。爺殺しても何の得にもならねぇ」
「恐れをなしたか」
「あ~はいはい」
爺というよりガキ相手にしてるみたいだ。
まあ、似たようなもんか。
「約束しろ。必ず、のり弁を儂のところに持ってくると」
「分けてやるって言ってるだろ」
「信用できん」
「それなら結構。僕はもう帰るぞ」
「仕方ない。儂が妥協して信用してやる!」
「勝手にしろ」
もうやだ、このボケ爺。
「ほれ道具じゃ」
案山子は、短い筒状の物体を僕に渡す。それに付いている導火線に、100円ライターで火を点けた。
「は?」
大きい花火?
「ほれ、投げんと死ぞ」
「は?」
ポイっと池に投げた。
爆発が起きた。
池の水が高い柱を作り、雨のように降り注ぐ。
衝撃で視界がぼやけ何も見えない。酷い耳鳴りがする。脳も揺れている。
回復には、3分くらい必要だった。
「なっんてもん渡すんだ!」
「ダイナマイト漁をやったと言うたじゃろ」
「昔のことだろ! 反省はどこいった!」
「捕まったことは反省しただろうが!」
完全に犯罪者の思考だ。話にならない。話すだけ無駄。
「ほれ、源三郎が浮いてきたぞ」
池には、巨大魚がプカリと浮いていた。
情緒も何もない釣りだ。
爺に棒を借りて魚を引き寄せ、陸に上げてからあることに気付く。
「大きすぎる」
僕1人、で担いで持って行くのは無理だ。爺に手伝わせても無理だろう。
「お~若者よ。貴様は運が良い。ここに台車がある。だが、タダではない」
「………何が欲しい?」
腕時計やら、隠した食料やら、色々奪われ台車と交換した。
のり弁のために我慢だ。決して損な取引ではない。けど、あの爺ムカつく。
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