(二)―3

(二)―3

 吉之助と並ぶほどの六尺豊かな長身に古びた衣服、蓬髪を雑にまとめ、困ったような、きまり悪そうな微笑を浮かべて見やってくる。上方に到着したという報せを昨晩受け取ったばかりだが、もう京都についたのか。一蔵が口を開くより前に、吉之助の声がまたかぶさってきた。

「一橋めえ、ちゅうて背中が愚痴っちょったぞ。何を済んだこつをいつまでも。おはんの取柄は諦めんこつだけじゃろうが」

「だけちゆこつはなかろう」

 立ち上がりながら一蔵は言い放った。いくら子供のころからの付き合いとはいえ、なぜここまで見透かされなくてはならないのか。

「大体、昔のこつなど考えとりゃせん。別の考え事しちょっただけじゃ……今ん元号は良かち思われんでの」

「ほう、ならばもっと良か元号ば考え付いたとか」

「まあ、の」

「そいはぜひ聞きたかのう」

「教えてやらん! 諦めんだけが取り柄がごたる愚かもんの案など、聞いても仕方なかろう」

「なにを、稚児んごたる議を」

 呆れ声で顔を背ける反応にまた苛立ちが募る。慶喜も国の行く末もどうでもいい、眼前のこの男をへこませないことには、自分は一歩も前に進めない。そんな気持にさえなりかかる。

「明治……」

 ふいに飛び込んできた声に、気を外された思いで一蔵は顔を向けた。

 土佐浪士坂本龍馬は、その耳慣れない語を口にし、にっこりと笑った。

「明るく治まるとかいて、めいじ。以前春嶽公とお話しした時、話の流れで元治改元の時の話題になりましてのう。そん時の他の候補の一覧を見せて頂いて、そん中にあったとです。一目で字面がぱっと目に飛び込んできましての。何かの古典に由来する言葉らしいが、詳しいことは忘れたしわかりもせん。けんど、明るいちゅうのは素晴らしい。何にも勝る価値じゃ」

 吉之助と一蔵の視線と絡み合うことなく、龍馬の目はやや遠くなっていた。

「あと春嶽公によると、この語は昔から改元のたびに候補になって、選ばれずというのがもう十回にもなっちょるらしい。それで余計に親しみが湧きました。明るいのに苦労人、苦労人なのに明るい。そんな語が元号になれば、わしらがような外れもんも、もうちっとは生きやすうなるかもしれんきにのう」

 微笑を崩さぬまま訥々と語る男が胸中の奥底に抱えた哀感が、一気に膨れ上がって流露し 一蔵の肌を震わせた。同時に現実の風景を圧倒して海が広がる。朝日に照らされ、無数の波頭があたかも水ならぬ純金のようにきらめく大海原。一度も見たことがないのになぜか直感でわかる。桂浜の海辺だ。

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