第2話 ジェットレース

20万人が収容できる国立ジェットレースドーム《ビッグバン》に男はいた。今日は新年初めてのジェットレース予選。足の踏み場が無いほど混み合っている。ドームに見に来ている観客は殆どエンプロイの富裕層である。チケット料は予選でも数十万円はくだらない。貧しいノマドはテレビや街角に置かれた公共のメガモニターで観戦するのだ。


「またお前か。懲りねえ奴だな。まだ死んでねえのが不思議なくらいだ」


片腕のない受付係の老人が言う。 


「うるせえよチャゴ。ジェットレーサーになるまでやるんだよ」


若い男は悪態をつきながらエントリーフィーを老人に投げた。


「デンジャーのまま死ぬ奴の方が多い。まあ期待してるぜ。マオウ、死ぬんじゃねえぞ」


マオウはジェットレースの参加バッジを貰い、待合室へと歩いていった。


毎月行われるジェットレースの年間成績の上位者が国公認のジェットレーサーとなり、輝かしい未来が約束されるのだ。ジェットレーサーになれない野良のレーサーは命知らずの馬鹿であり、デンジャーと揶揄されていた。


1000人以上を収容できるほどのだだっ広い待合室には、うなだれている者や目を爛々と輝かせている者もいた。1000人を超える出場者が既に集まっていた。ジェットレースに参加する人間の動機は様々だ。大抵はノマドの中でも底辺にいる貧困を極めた人間たちだ。ジェットレースに参加して生還さえすれば決して少なくない報奨金が国から支給される。ただ、金が貰えるとしてもこの殺し合いのレースに参加する馬鹿はそうそういない。参加者の殆どが貧民のノマドで、後は自慢のマシンを試したい気晴らし目的の富豪達である。しかし、マオウはそのどちらでもなく、レースを生き甲斐とするスピード狂いの1人であった。1月から予選が開始され、12月まで計12回のレースがある。プレイヤーは徐々に減り、最終的に12回分のレースのポイントが最も高かった人間が国公認のジェットレーサーとなる。


マオウが待合室の中を歩いていくと、すれ違い様に誰しもが噂話をした。


「あいつって例のマオウじゃねえか…」

「しっ…!聞かれたらまずいぞ。アイツとは関わるな。アイツは…」


噂話には目もくれず、マオウは風を切って歩いていく。途中で、忙しなく目を動かし、挙動のおかしい人物とすれ違った。たいそう不安な顔をしており、何か恐ろしい事が迫ってきているように怯えている。どうせレースの初めての参加者だろう。このレースを恐怖するのは仕方のないことだ。


超資本主義体制が敷かれてからというもの、経済格差が劇的に広がり、貧困で鬱憤が溜まった国民達が度々暴動を起こした。そこで政府はジェットレースを創設した。表向きはジェットレースを開催する発展途上都市のインフラ基盤整備と活性化が目的である。裏向きの理由は貧しい大衆の鬱憤を発散させ、怒りの矛先を政府から逃すためであった。いたるところの街頭に巨大モニターが設置され、また各家庭にテレビが無料で支給された。大衆はジェットレースを見ることが唯一の気晴らしであり、楽しみだった。


マオウは歩きながら参加者の面々を確認していた。切羽詰まった表情を湛える貧民と犯罪者が殆ど。後は殺戮ショーを楽しみたい富豪達と、それと常連のスピード狂いが数名。去年は途中でやられちまったからな。同じ轍は踏まねぇ。ぜってぇ勝つ。マオウは奥歯を噛み締めた。必ず勝たなきゃならねぇ。果たさなければいけないことが俺にはある。


「どいつもこいつも萎びた顔してるなぁ!これなら余裕で勝っちゃうしょ。ねえ、ボロウ」

「そうですね、モーガン様」

「肉体強化している奴も殆どいねえ。こんな貧乏人のオールドマンたちに負けるわけがねぇ!」


陰気な雰囲気が漂う控室に勝ち気な声が高らかに響き渡った。振り返ると、この場に似つかわしくない高貴なスーツに身を包んだ男が、執事と思われる猫背で痩せた男を連れて歩いていた。モーガンと呼ばれる男を見ると、手や首がメタリックな輝きを放っていた。ニューアニマと呼ばれる人類は身体の一部を機械化し、肉体の能力を向上させている。人では持ち上げることが不可能なトラックを持ち上げたり、化け物じみた飛躍が可能になった彼らは、機械化した自身の身体をステータスとしている。肉体改造は内蔵まで及び、肺活量や視力を向上させている。また人によっては精力を向上させている人間もいるとか…。裕福なエンプロイの今の流行は身体を機械化させ、強力な人間になることなのだ。


「普通に働いててても、この強化筋肉の使い所がねえからなぁ…。今回は使い放題だ!なんせジェットレースは殺しが合法化されている最高のショーだからな!楽しみで仕方がねえ!普段の仕事のストレス発散しちゃうよぉ〜!!ゲハハハハ!」


モーガンは周りの参加者を舐め回すように見ながら、唾を撒き散らし、下品に笑った。


「あ。そこのお前、何見てんだ」


「は、はい?わ、私です、か…?」


途中ですれ違った挙動不審な男が運悪くモーガンに目をつけられたようだ。


「おめぇのことだっよぉぉっ!!おらぁぁ!」


男はモーガンにみぞおちを凄まじい勢いで殴られ、地面に突っ伏した。


「この!貧弱なぁ!オールドマンが!てめぇらは!エンプロイのお陰で!生きていられるんだ!もっと敬え!ひれ伏せぇ!」


機械化された足で、何度も何度も蹴られた男は次第に動かなくなった。モーガンは満足そうな顔をするとその場から離れていった。


地面に倒れた男の顔には見覚えがあった。あいつは…。


モーガンが離れた後、マオウは男に近寄り、手を差し伸べた。


「おい、大丈夫か」


男は顔の表情を不自然に引き攣らせながら不気味に笑っていた。顔は別人のように変わっていた。


「ヒヒヒ…!ヒヒ!俺にやらせろ!!………ダメだ殺しはダメだ殺しはダメだ…」


マオウはその男の狂った様子に驚いたが、同時に目的の人物をこうも早く見つけた幸福さに喜んだ。俺が探していた男はこいつだ。


この男がどこまでやれるかだな…。


「出場者はレースメインエリアに集まり、登録したマシンに乗車してください」


天井の至る所に付いているスピーカーから一斉に機械的なアナウンスが流れた。


マオウは踵を返し、レースメインエリアに向かった。


時折、エンプロイの人間がジェットレースに参加してくる。彼らは金に興味はない。人を殺したいという欲求のあるエンプロイがレースに参加して、日頃のストレスを発散するのだ。彼らは超合金の肉体と凄まじく予算のかかったマシンで他を圧倒する。


レースメインエリアに向かう恐怖に怯える参加者達の中で、マオウは口角をあげてほくそ笑んだ。


面白いレースになりそうだな…。

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