第15話 ごめんなさいとありがとう。それから……

万里ばんりさん、新婚旅行はどこに行く?」


「俺の心をそんなにえぐりたいのか?」


 胡桃くるみが亡くなってから四年が経った。


 数ヶ月はまともな生活が出来なかった俺だけど、しあの献身的な荒療治とのおかげで社会復帰出来た。


 何をされたかは俺と幸だけの秘密だ。


「だって胡桃ちゃんも私と万里さんが幸せになることを願ってるって」


「いい度胸だな? 家ならまだしも、外で俺を泣かす気か?」


 俺は四年前に比べたらマシになったけど、未だに胡桃の名前を出されると泣く。それは泣く。


 おそらく人間が一日に放出してはいけない量の水分を放出している。


 だからその度に幸が抱きしめて頭を撫でてくれる。


 元凶としての罪滅ぼしなんだけど。


「万里さんを慰めてると、母性をくすぐられて」


「とんだサディストだな。胡桃もそういうとこあったんだよな」


「やっぱり万里さんってマゾなんじゃない?」


「可愛い子にいじめられるのは誰でも嬉しいものだろ?」


「そういうところはサディスト寄りなんだよね……」


 幸が少し頬を赤くしながら呆れたように言う。


「それより、幸って就職ってどうするんだ?」


 幸は現在女子大生をやっている。


 今は二十歳はたちで大学二年生だから再来年には就活が始まる。


「そんなの決まってるよ」


「俺と同じ道を歩む気か」


 俺は結局就活が出来る程のメンタルは回復しなかった。


 だけど胡桃と約束した以上は動かなければと就活をしてみたけど、死人のような顔が元に戻らず面接に全て落ちた。


 そんな俺を気にした上野さんが「うちで正社員になればいいだろ」と言ってきた。


 それは最終手段だったけど、おそらくもうその段階にまで来ていたので、俺はバイトから正社員になった。


「違うよ。万里さんが正社員なら私はパートさんになればいいでしょ?」


「言い方変えてるだけでフリーターってことか?」


「ううん。だから私は専業主婦になるからいいの」


「大学でいい相手を見つけたのか?」


「怒るよ」


 幸が頬を膨らませる。


 それが胡桃と最期に話した時を思い出させる。


「ご、ごめんなさい。でも万里さんも悪いんだよ。私が好きなのは万里さんだけなんだから」


「俺もごめん。それといつも言ってるけど、俺は胡桃以外の子と付き合ったりはしない。たとえ幸でも」


 このやり取りは四年間続けている。


 俺はもう誰とも付き合うことはない。


 たとえ胡桃が俺と幸が付き合うことを願っているとしても。


「なら付き合わなくていいから一緒に居たい」


「だから条件を飲めるならいいって言ってるだろ」


 俺が出した条件は一つ。


『キス以上の関係をもたないこと』


 これだけなのに幸は嫌だと言い続けている。


「だって一緒のベッドで寝たいもん」


「それはいいけど、絶対に俺を襲わないって約束出来るのか?」


「出来ない!」


「堂々と言うな。しかも普通は男が襲う側だろ」


「じゃあ襲って!」


「外でそういうことを大声で言ってるうちは駄目かな」


 いくら人目がないからって外で叫ぶようなことではない。


 幸の気持ちは嬉しい。


 俺のぽっかり空いた穴を埋めようとしてくれてるのも分かる。


 だけどどうしても胡桃を忘れることなんて出来ない。


「忘れろとは言わないけどさ、私なら受け止めるよ?」


「幸の優しさに甘えるのは簡単だけど、俺が本気で好きになった相手は胡桃なんだよ。今だって俺は胡桃を愛してる。その気持ちを持ちながら幸と関係を持つのは違うだろ」


 過去に囚われるのがいい事だとは思わないけど、一度愛した相手と二度と会えないからといって、その気持ちを残しながら他の人と関係を持つのはどちらに対しても最低な行為だ。


「言いたいことは分かるけどさぁ。どう思う胡桃ちゃん?」


 幸はそう言って胡桃の眠るお墓に視線を向ける。


「ほら胡桃ちゃんも『私を愛しながら幸のことを幸せにしなさい』って言ってるよ」


「勝手なこと言うな。なんとなく言いそうだけど」


「これは帰ったらまた洗脳しないとだな」


「やめろ。明日の仕事に支障が出る」


「だったらぁ、私のことを毎晩抱きしめるぐらいはしてくれていいんじゃないかなぁ?」


 幸がとてもニマニマしながら言う。


 幸は成人したからといって、俺の家に毎日泊まりに来ている。


 正直幸がいなかったら自暴自棄になって胡桃の元に行っていてもおかしくなかった。


 だから幸は胡桃に続いて二人目の命の恩人である。


「祟られたら責任取れよ?」


「え、いいの?」


「幸に感謝してるのは事実なんだから、それぐらいはするよ。やっと精神も安定してきたし、幸を本能のままに傷つけることもないだろうしな」


 正直それが一番怖かった。


 胡桃の死で俺の精神は壊れた。


 そんな状態で幸に優しくされて、何もしない訳がない。


 最初の方はそれどころではなかったけど、二年目辺りからは幸とのスキンシップは絶対に出来なくなっていた。


「万里さんらしいや。私も万里さんが壊れるのが怖かったから誘惑も最低限に抑えてたけど、これで我慢はいらないね」


「しろ。せっかく入ったんだからせめて大学は卒業しろ」


「避妊すれば大丈夫」


「だから外でそういうことを言うなっての。それと許したのは抱きしめるだけだからな?」


 それ以上を許すとほんとに取り返しのつかないことになり、幸は大学を辞めることになる。


 本人は気にしなそうだから俺が気にしなければいけない。


「ほんと、とんでもないものを残してくれたよ」


「でも消さないんだよね」


「消す訳ないだろ。胡桃が居たっていう証明なんだから」


 そう言って俺はスマホを取り出す。


 何回か機種変更をしてるからあの時のとは違うけど、それでも中には胡桃が残した動画が残っている。


 ちなみに証拠として撮られた動画は見ずに消した。


 あれは俺の知らなくていいものだから。


「帰ろっか。胡桃ちゃんの前で万里さんが私を襲う宣言してくれたし」


「してねぇよ。今日は夢に出てきそう」


「嫌なの?」


「嬉しいに決まってんだろ」


 俺はそう言うと胡桃に「またな」と言い幸が「またねー」と言ってその場を去る。


『バイバイ、は駄目か。待ってまーす』


 何か聞こえた気がするが振り向かない。


 幸も同様でそのまま進む。


 振り向いたら心配させてしまうから。


 車の後部座席に倒れるようにうずくまり、幸はそんな俺の頭を膝に乗せた。


 二人でそのまま気づけば暗くなるまで泣き続けた。




『万里さん。スマホを盗んだ挙句に勝手に動画を撮ってごめんなさい。ロックは寝てる万里さんの指を拝借しました。寝言で「胡桃……」って言われた時はドキッてしましたよ』


 胡桃がフードを外して素顔を晒し、笑顔で話している。


『それはさておき、これは叔父のところに行く前に撮ってます。だからこれが見られてる時は多分私って死んじゃってるのかなーって思ってます。まぁ死んでなかったら消すんですけど』


 胡桃が頬をぽりぽりとかきながら言う。


『万里さんは多分、私がこれから傷つくのは自分のせいだって思うと思います。でもそれは違いますからね? 私は万里さんのせいで傷つくんじゃなくて、万里さんの為に傷つくんです』


 胡桃が『分かるかな?』と言って首を傾げる。


『私は万里さんから色んなものを貰いました。優しさや友達。それから好きって気持ち。他にも色々と』


 胡桃が胸の前で両手を交差させて俯きながら言う。


『色んなことを教えてくれた万里さんに少しでも恩返しがしたいんです。ただ、それで死んじゃったら万里さんは怒りますよね。安心してください、別に死んじゃう可能性があるだけで、死にに行く訳じゃないので』


 胡桃はそう言うと『あ、でもこれを見てるなら私は死んでるのか』と難しい顔になる。


『とにかく。私は万里さんへの恩返しがしたいだけなんです。その結果、私が死んじゃったら、まぁ忘れてください。忘れて幸さんとそれは深い関係になってください』


 胡桃が言いながら赤く染まった頬を両手で押さえる。


『分かってますよ。万里さんなら私を好きだからって言って幸さんとそういう関係にならないって。でもですね、絶対幸さんの方が柔らかくて気持ちいいですよ』


 胡桃が自分の胸を触って悲しそうな顔になる。


『あ、これは幸さんに聞いて欲しいことなんですけど、万里さんを絶対に一人にしないでくださいね? 私の後追いとか絶対にさせないように』


 胡桃の顔が今まで見たことのないくらいに真剣になる。


『そろそろ終わりにしますね。きっと万里さんからしたら恩を仇で返すみたいな感じなんでしょうけど、それはごめんなさい。でも、これは私がやらないといけないことなんです』


 胡桃の目元に涙が浮かんだ。


『やっぱり駄目か。泣いたら心配しちゃいますよね。そうですよ、死にたくないですよ。だって私は万里さんに自分の気持ちをちゃんと伝えてないんですから』


 胡桃が涙を手のひらで拭いながら言う。


『万里さん、短い間でしたけど、本当にありがとうございました。私は万里さんが世界で一番大好きです!』


 胡桃が涙を流しながら満面の笑みでそう告げた。


 そこで動画は終わる。


 その後胡桃がどうなったかは誰も知る必要のない事だ。

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通り魔に襲われたけど、顔がタイプだったから結婚を申し込んだ。 とりあえず 鳴 @naru539

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