第12話 初めてのナースコール
「あの、
「断る」
理由は分かっている。
それは俺がずっと胡桃の頭を撫でているからだ。
「ちなみに髪を触られるのが嫌って理由なら即座にやめる」
「万里さんにならいいんですけど、さすがに恥ずかしいです」
「誰も見てないのに?」
「そういうこと言うと嫌われちゃいますよ」
胡桃にそう言われた俺は、撫でていた手をゆっくり離して毛布の中で丸くなった。
「なんかすいません……」
「私は嫌いませんよ。慰めてくれてありがとうございました」
「ちょっとSっ気出てないか?」
「万里さんが可愛くて。そんな私は嫌いですか?」
「大好き」
全部分かりきった上で聞いてきてるのだろうけど、それを分かった上で可愛いと思ってしまうのだから俺に勝ち目はない。
そうやって素を出せるようになったと思うと、嬉しさしかない。
「全部話したら楽になったんです。だから私を好きと言ってくれた万里さんがどこまで私を許してくれるのか試しています」
「そういうの好きだよ。我慢するよりかは自分をさらけ出してくれた方が好感持てるし」
「私って家では『本当の自分』を出したことはなくて、学校でも地味な子でした。だから『本当の自分』がなんなのか今知ったんですけど、多分引くぐらいに変わりますからね?」
「ギャップ萌えな」
胡桃の境遇を聞いて、素を出せなかったのは容易に想像がつく。
だけど今まで出したことのない素がなんなのか即座に分かるのはよく分からない。
「もしかしてうち………、俺の家では溜め込んだの吐き出してる?」
「さすがに初日はそんな余裕無かったんですけど、万里さんや
それを聞いてほっとする。
胡桃の抱え込んでいるものは俺には到底理解しきれない。
理解出来るなんて簡単には言えない。
他人からの意見なんて結局は本当に辛いことの前では無力でしかないのだから。
相談に乗ることは出来ても、最後の解決は自分でやるしかない。
「それだけでもうちを使ってもらった価値はあったよ」
「先に言っておきますけど、本当に驚きますよ? ちなみにたまたまその場に出くわした幸さんは言葉を失って見なかったことにしてくれました」
「……マジで?」
幸は相手が嫌がることをするけど、空気を読むことは出来る。
それが本当に嫌がることなら絶対にしないし、後々対処が困ることは最初から起こさない。
その幸が見なかったことにしたということは、胡桃の反応から嫌がることではないので、話すと対処に困ることだ。
ずっと自分を抑え込んできた胡桃が自分をさらけ出す。つまりはストレス発散をして、幸がそれを対処が困ると判断した。
(ちょっと嫌な予感?)
俺がそんなことを考えていると、胡桃がカーテンを全て閉めた。
「胡桃さんや、なぜ今更カーテンを閉めた?」
「万里さんがさっき言った通りに、見られるのは恥ずかしいんです」
「だからなんで今更? あぁそうか、もう一度頭を撫でて欲しいんだな、いいぞ、いくらでも撫でるから」
何やら不穏な空気を察したので胡桃に主導権を渡さないようにしたい。
俺が手招きすると、胡桃が笑顔で俺に近づいてくる。
(なんか詰んでる気がする……)
多分もう手遅れだ。
何が起こるかは分からないけど、多分可愛い胡桃を見て俺は死ぬのだろう。
「胡桃、俺は一応けが人だから優しくな」
「はい。ちょっとずつ上げていきます」
「何をかは聞かない。でも俺は胡桃の全てを受け止める」
「あはっ♪ お願いしますね」
胡桃がとても愉しそうに笑い、なんか色々触られた。
「お嫁に行けない……」
「大丈夫ですよ。万里さんは元からお嫁さんにはなれませんから」
「じゃあ胡桃のお婿さんにしてくれる?」
「……それは二回目のお誘いですか?」
胡桃が獲物を見つけたハンターのような目で俺を見る。
先に言っておくと、一回目も別に変なことはしていない。
ただ顔や腕をいやらしく触られただけだ。
ちょっと、いや盛大に興奮しそうになった。
……してないよ?
「ちょっとずつ上げてくって言ってたけど、それは日に日に? それとも……」
「回数です♪」
「ですよね……」
多分顔や腕を撫で回すように触るのは序の口なのだろう。
つまり、それで興奮しそうになっていた俺は、次には病院を追い出される危険性がある。
「退院後のお楽しみには出来ませんかね?」
「やです。私、色々と抑え込んでいたので欲求不満なんです」
「自分で言うな。天使だと思ってたらとんだ小悪魔だな」
「嫌いになりました?」
「それってなってないの分かって聞いてる?」
「半分です♪」
俺の答えに満足したのか、胡桃が笑顔で抱きついてきた。
本当に最初と言うか、さっきまでと全然違う。
ずっと抱え込んでいた秘密をさらけ出したら、抑え込んでいた気持ちも一緒に出てきてしまったようだ。
「私って多分エッチなこととか、好きな人をいじめることが好きなんだと思うんです」
「サラッとすごいカミングアウト」
「万里さんはどっちの私が好きですか?」
胡桃の顔が文字通り目と鼻の先にある。
とても不安そうな顔をしてるが、それよりも綺麗で可愛いその顔にドキドキして目を逸らしてしまう。
「普通なら私の顔が醜くて目を逸らしたって思うんですけど、ドキドキが聞こえてくるとなんか嬉しいです」
「分かってるならちょっと離れて。俺は好きな子に抱きつかれた経験なんてないんだから軽く死ぬ」
幸になら抱きつかれたことはあるけど、その時はあくまで『妹』として見ることにより抑えていた。
だから本当の意味で人を好きになったのは胡桃が初めてで、こうして好きな人に抱きしめられるのは色々と辛い。
「やです。万里さんが嫌がるならやめません」
「ほんとSだな。こんなに顔近いとキスしたくなるんだけど?」
「私からしましょうか?」
「ごめんなさい」
どうやらこの状態の胡桃には勝てないらしい。
恋愛は好きになった方の負けと聞くが、全くもってその通りのようだ。
「やっぱり今の私はめんどくさいですか?」
「正直に答えていいんだな?」
「はい。お願いします」
胡桃の表情が引き締まる。
「どっちの胡桃が好きかって聞かれたら、どっちも好きって答える」
「そういうのは求めてません」
「それは求められてる答えを言えってことか?」
「それは……」
胡桃の言いたいことは分かる。
だけどそれが俺の嘘偽りない答えだ。
「答えに困って言ってるんじゃないんだよ。俺はさ、本当にどっちの胡桃も好きなんだ。もっと言えば俺は『胡桃』が好きなんだ」
「どういう意味ですか?」
「確かに容姿や性格って好きになるのに必要なものだとは思うんだけどさ、それってあくまで『好き』になるまでだろ?」
「えと……」
胡桃が困惑したような顔になる。
「つまりさ、『好き』になった後でどれだけ性格が変わろうとも、好きになったその事実は変わらないってことが言いたい」
「でも実際に付き合ってみて『付き合う前と性格が違う』って言って別れる人は沢山いますよね?」
「それはその人を『好き』になってないんだろ。あくまで性格を好きになっただけ。容姿もそう」
すっぴんを見てガッカリして別れるというのも聞くが、それも同じだ。
上辺だけを好きになって、中身は一切見ていない。
「まぁ恋愛経験皆無な俺の独断と偏見なんだけど」
「万里さんらしいです」
胡桃がさっきまでとは違う、ずっと見てきた優しい笑顔でそう言うと、俺から離れ椅子に座った。
「万里さんは最初から『私』を見てくれたした。顔がタイプって言ってましたけど、それは容姿が優れてるとかではなくて、表情や視線、そこから読み取れる感情。そういうの全てを含めての『顔』がタイプって言ってくれたんですよね」
「さすがにあの一瞬でそこまでは考えてないよ。本当にあの時は『綺麗な子だな』って純粋に思った。もしかしたら……いや、なんでもない」
絶対に有り得ないことを思い浮かんだが、絶対に有り得ないし、少し重い話なので言わなくていい。
「すごい気になります」
「なんか情に訴えるみたいで嫌だから言わない」
「私は秘密を話しました」
「ずるい言い方をする」
そんなことを言われたら隠し事なんて出来ない。
「本当に有り得ない事だから気にしないでよ?」
「はい」
「俺の両親が亡くなったのは話したよね。それがもしかしたら悲しくて、それで落ち着いた後初めて出会った綺麗な子に吊り橋効果で一目惚れをして、悲しさを埋めようとしたのかなって」
言い換えれば両親の代わりだ。
実際は両親に依存してた訳でもないし、悲しさがあったのかと聞かれたら無いと答える。
仲が悪かったのではなく、俺の感情が薄く、軽薄な人間だっただけなのだけど。
それに……。
「重なったのかもだし」
「何がですか?」
「同じなんだよ。両親も通り魔に襲われたから」
たまたま二人で歩いていたところを通り魔に襲われ、二人は死んだ。
そして俺も胡桃に襲われて入院している。
両親の死因と同じ事を味わっておいて、その相手を好きになるなんて、俺も人をサイコパスなんて言えないかもしれない。
「まぁそういう訳だけど、俺が胡桃を好きなのは本当……胡桃?」
俺が胡桃の方に視線を向けると、胡桃が息を乱して胸を押さえていた。
「大丈夫、じゃないよな。救急車……じゃなくてナースコールか」
いきなりのことで頭が回らない。
とりあえずナースコールのボタンに手を伸ばすと、胡桃に逆の手を掴まれた。
「ごめん、なさい」
胡桃はそれだけ言って気を失った。
唖然とする余裕なんてないので、伸ばした手でボタンを押した。
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