第3話 修羅場に突入してしまった
「おはようございます、一条さん」
「おはよう、ちゃんと寝れた?」
目覚めてからやることもなくボーっとしていたら、フードを被った天使、もとい矢島さんがやってきた。
「おかげさまでとてもよく寝れました」
「それなら良かった。ちゃんと暖房つけて布団で寝たね?」
「……はい」
「ダウト」
絶対やらないと思ったから昨日帰る前に話した。
暖房をつける事と、嫌でなければ俺の布団を使う事を。
布団を使わないのは仕方ないとしても、それなら暖房はつけないとさすがに駄目だ。
「うちはただでさえ寒いんだからちゃんと使いなさい」
「ですけど……」
「使わないなら俺が病院抜け出してつけに行くから」
そんなの出来ないことはわかっているけど、そうでも言わないと矢島さんが凍え死ぬ。
それだけは絶対させる訳にはいかない。
「本当に大丈夫ですよ。えっと、毛布だけはお借りさせてもらいましたので」
「それなら布団も使いなさいよ」
「それは、その……。心の準備が」
矢島さんがフードを両手で引っ張って顔を完全に隠してしまった。
よくはわからないけど、それなら今日来るであろうあいつに任せることにする。
「家出る時に誰とも会わなかった?」
「はい。でも良かったんですか?」
「何が?」
「鍵を置いてきてしまって」
矢島さんには一つ、頼み事をした。
それは俺が渡した家の鍵を、母親が趣味で育てていた花(名前は知らない)の植木鉢で隠れるように置いてもらうこと。
「うん、もしかしたら鉢合わせるかと思ったけど、いくらあいつでもそんなに早くは来ないか」
今は面会時間が始まってすぐの八時だから、うちからの距離を考えると少なくとも七時には家を出てるはずだ。
「昨日から気になってたんですけど、あいつって誰なんですか?」
「俺は説明が苦手だから後でちゃんと紹介するけど、簡単に言うならバイト先の後輩」
何故かやたらと懐かれて、両親が居ない時限定でうちにもたまに来ていた。
ちなみに居ない時限定というのは、両親に説明するのがめんどくさかったからだ。
「家に呼ぶぐらい仲がいいんですね」
「呼んでない、勝手について来ただけ」
バイト終わりに「万里さんのお部屋見たい」と言ってきたので断ったら、当たり前のようについて来た。
何を言っても聞かなかったからめんどくさくなって、ちょうど家に誰も居なかったから仕方なく家に入れた。
ベッドじゃないことを残念がりながら俺の部屋でエロ本探しをやっていた。
「じゃあその方にお着替えなんかを頼んだんですか?」
「まぁね。うちのことは色々と知ってるからあいつに聞いて」
うちに来る度に色々なものを探すものだから、多分俺よりもうちのことを知っている。
もちろん俺の私物に限るが。
「噂をすれば、か」
スマホが震えたので見てみると『着いた』と連絡が来た。
時間的に矢島さんとはすれ違いになったようだ。
「どんな人なんでしょうか」
「多分驚くかな。色んな意味で」
俺に懐くぐらいだから、とても変人だ。
変人ではあるけど、人には気に入られやすいから矢島さんが嫌うことはないと思う。
多分。
「それはどういう──」
「万里さん!」
とても可愛らしい声で俺の名前を叫ぶ奴が病室に入ってきた。
これはちゃんと静かに入ってくることを言わなかった俺の責任ではある。
「あの馬鹿……」
「今の声ってもしかして……」
矢島さんの反応は『知ってる人』という感じではなく『思いがけない人』の声を聞いた感じだ。
言ってはなかったからその反応もわかる。
俺の後輩が女子ということを。
「万里さん!」
「黙れ、他の人も居るんだよ」
「あ、ごめんなさいしてくる」
そう言ってリュックを背負った可愛らしい少女は同室の人に謝りに行った。
「あの人が?」
「そう、
俺は人と一緒に居るのが苦手だ。
だけど幸はしつこかったせいか、もうなんとも思わなくなった。
「唯一ですか……」
矢島さんが少し寂しそうになる。
「どしたの?」
「いえ、なんでもないです。それより可愛らしい人でしたね」
「そうだね、実際バイト先でも幸が好きって言う奴は多いし」
人付き合いは好きではないが、別に誰とも話さない訳ではない。
だからそういう話もたまに耳に入ってくる。
「でも何故か俺と幸が付き合ってるみたいに言われることがあるんだよね」
「それは家にまで入れてるからでは?」
「傍から見たらそう見えるのか。俺が幸と付き合うことは無いのに」
幸が嫌いとかではない。
むしろ人としては好きな部類に入る。
だけど一つ、絶対に幸とは付き合えない理由があるだけだ。
「上野さんは男の方が好きそうな感じですよね」
「見た目?」
「しか私にはまだわかりません」
「それもそっか。実際幸の見た目を見ただけの奴は一発で惚れるよ」
身長が低く、元気な子。
それだけでも甘やかしたい衝動に駆られて好きになる男は多い。
それだけでなく──。
「私、本物って初めて見ました」
矢島さんが自分の胸部を撫でながら言う。
そこに
幸はいわゆるロリ巨乳というやつなのだ。
「一条さんも大き……くなくても、ある方がお好きですか?」
フードを持って顔を隠しながら聞いてきたので、どういう心境の発言なのかはわからないけど、こういう時は素直に答えるのが一番いい。
「主語がないから間違ってたらごめん。俺はあるとかないとか気にしたことはないかな。だってあったらいい人とかある訳でもないでしょ」
むしろある人の方がいい人な印象がない。
ただの偏見ではあるけど、ある人がない人を馬鹿にしてるところをアニメなんかで見るからだと思う。
「これはセクハラに聞こえるかもだけど、実際俺は矢島さんを好きになった訳だから」
あの時は矢島さんの顔を見て好きになったからそもそも胸なんて目に入ってなかったけど、今だってその気持ちに変わりは無い。
「そんなこと言っても、上野さんみたいな可愛い子に迫られたら貧相で醜い私なんかに興味なんて無くなるんじゃないですか?」
「それ本気で言ってる?」
「言ってますよ。というよりは、それが普通の反応だと思います」
確かに誰が見ても幸は可愛い。
それとは逆に矢島さんは見る目の無い奴が見たら近づきもしないだろう。
昨日の警察のように。
「出会って二日で信じろとは言わないけど、俺は心から矢島さんを綺麗で可愛いって思ってるから」
「一条さんが特殊すぎるんですよ。殺されかけて、しかもこんな顔の私を好きだなんて」
「仕方な──」
「仕切り直して、万里さん!」
しんみりムードを吹き飛ばす明るい声がやってきた。
どうやら謝罪を終えて、荷物を増やして帰ってきたようだ。
「お菓子いっぱい貰った」
「優しい人達で良かったな」
「うん、いっぱいお話ししちゃった」
この病室には俺以外に二人の入院患者が居る。
俺の祖父母ぐらいの年齢だと思うから、若い幸と話すのが楽しかったのだと思う。
「それで万里さんは大丈夫なの? 私、昨日は仕事が手につかなくて途中で帰らされちゃった」
「それはごめん。大丈夫か大丈夫でないかで言われたら大丈夫じゃないんだろうけど、すぐに退院出来るみたいだから別に平気だと思う」
ナイフは結構深く刺さっていたようだが、刺さりどころが良かったおかげで、今もこうしてベッドの上限定で普通に出来ている。
「それなら良かった。でも毎日お見舞いに来るね」
「学校帰りに寄るの大変だろ。無理しないでいいよ」
「してないもん。来たいから来るの。それに万里さんのお着替えとか諸々のお世話は私しか出来ないでしょ?」
両親がいなくなった俺の世話を出来る人間なんて確かにいない。
昨日までは。
「それを頼める相手が出来たんだよ」
「あの万里さんにお友達?」
「そう、学生時代に友達が一人もいなかった俺に、ものを頼める相手が出来たんだよ」
「普通なら怒るところなのに万里さんは乗っかるよね」
事実なのだから仕方ない。
それに否定したところで意味があるとも思えない。
「それでその人はそこのフードさん?」
「そう、俺が結婚を申し込んだ相手」
「……ふぅん」
(まずったか)
空気が一瞬で凍りついた。
幸がハイライトの消えた目で矢島さんを睨み、その矢島さんは怯えながら俺に助けを求めるように視線を向ける。
これが世に聞く修羅場というものなのかと現実逃避をしたくなった。
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