第2話 幸せを知りました

「生きてるのかな?」


 目を覚ますとそこは知らないベッドの上だった。


 どこからどう見ても病室ではあるけど。


「痛みはない。麻酔が効いてるってこと……。俺はやっぱり死んでるのか?」


 視線を隣に向けると、そこには天使が寝ていた。


 ここは実は天界で、いい事はしてないけど、特に悪いことをしてなかった俺は天国に来たのかもしれない。


(俺は一生この天使の寝顔を眺めていたい)


 死んでいたら一生も何もないけど、永遠に見ていたいとは思ってしまう。


 だけど有意義な時間とはすぐに過ぎるようで。


「天使のお目覚め」


「……ひゃい?」


 天使、矢島さんが寝ぼけまなこで俺を見るものだから、腹部ではなく胸に激しい痛みが走る。


「やばいな、胸の痛みでまた死にそう」


「い、一条さ──」


 矢島さんが椅子から立った拍子にベッドへ膝をぶつけてしまった。


 結構強めにぶつかったので、矢島さんが膝を押さえながら丸くなる。


「ドジっ子ですか。そんなに可愛いことするとほんとに動悸で死ぬよ?」


「なんか色々とすいません」


 俺としてはありがたい。


 俺の最後の記憶では、矢島さんは相当に自分を責めてシリアスな雰囲気になっていた。


 それでは話したいことも話せない。


「矢島さんが救急車呼んでくれたの?」


「はい、勝手にスマホを使ってしまってすいません」


「なんで謝るのさ。そのおかげで俺はまた矢島さんと話せてるんだから」


 言ってしまえば命の恩人だ。


 なんで命を脅かされたのかはスルーの方向でいくけど。


「ちなみに俺はどのくらい寝てた?」


「半日ぐらいでしょうか。七時になりますから」


 俺がバイトに行くのは七時前だから半日なのに間違いはない。


 さすがに手術はしたのだろうけど、その間に矢島さんの方も色々あったはずだ。


「どういう設定にした?」


 俺は小声で矢島さんに問う。


「設定ですか?」


「矢島さんが第一発見者になる訳でしょ?」


「そういうことですか」


 状況的に俺は誰かに襲われているのは明白だ。


 それを矢島さんが見つけて救急車を呼んだように見える。


 だけどナイフには矢島さんの指紋しか付いていないだろうから、一番に疑われるはずだ。


「私が話したのは、私と一条さんは赤の他人で、私が刺されている一条さんを見つけたことになってます」


「まぁ九割はそうだからね」


 実際出会うまでは赤の他人だったし、ナイフが刺さっている俺を一番に見つけたのは矢島さんだ。


 残りの一割は、そのナイフを刺したのも矢島さんということだけ。


「勝手なことを言ってすいません。でも一条さんともう一度話したくて」


「俺を喜ばせても俺が死ぬだけだよ?」


 言いたいことはわかる。


 実際真実をそのまま話して矢島さんが逮捕でもされたら俺はどうしたらいいのかわからなくなっていた。


「捕まるにしても一条さんから正式に罰を受けないとって思いまして。逃げとか甘えとか思われても仕方ないのはわかってます。だけど……」


「それが正解。実際俺が何も言ってなかったら素直に捕まるつもりだったでしょ?」


「はい、でしたので」


 わかってはいたけど訳ありのようだ。


 まぁこんないい子が自分から人を刺したいなんて思うはずがない。


 何せ天使なのだから。


「理由は聞かないけど、今の状況は大丈夫なの?」


「はい、一種の度胸試しみたいなものだったので」


「ダウト」


「え?」


 嘘なのが見え見えだ。


 笑顔で誤魔化しているようだけど、ずっと自分の手をぎゅっと握っているし、その手も少し震えている。


「さっき知り合ったばかりで信用はないと思うけど、ちょっとぐらいなら頼ってくれていいからね? 俺の将来の夢は矢島さんと結婚することだから」


 生まれてこの方夢なんて持ったことのない俺だけど、そんな俺にも初めて夢が出来た。


 矢島さんを一生幸せにしたいという。


「冗談ですよね。朝はそれどころじゃなかったから何も思わなかっただけですよ。その証拠に私の顔を見ないじゃないですか」


 確かに俺は矢島さんが寝てた時しか顔を見ていない。


 そんなの当たり前だ。


「俺は元から人の顔を見るのが苦手なの。それが矢島さんになると恥ずかしくて余計に見れないんだよ」


「大丈夫ですよ、慣れてるので。警察の人も私の顔を見て気味悪がってましたから」


「そいつら消すか」


 矢島さんを傷つける奴は誰であろうと許さない。


 誹謗中傷で訴えてやる。


「……」


「どしたの?」


「本気で怒ってくれるって思って」


「逆に怒らない理由ある? 好きな人がバカにされたんだよ?」


 矢島さんの目をまっすぐに見てそう言うが、やはり恥ずかしくなって視線を逸らしてしまう。


「やっぱり人と目を合わせるの苦手」


「だ、大丈夫です。私も苦手ですから」


「絶対に慣らす。最初の目標は矢島さんと十秒目を合わせることにしよう」


「駄目です。それだと私が恥ずかしいので」


 そんなことを言う矢島さんを横目で見ると、顔を両手で隠していた。


 だけど耳が真っ赤なのが見えた。


「おいおい、可愛いが過ぎるぞ」


「やめてください。さっきまでは冗談だと思ってたのに、本気に聞こえちゃいます」


「本気だから仕方ない。てかすごい今更だけど帰らないで平気?」


 矢島さんだってやることがあるだろうし、これ以上俺に付き合わせるのも悪い。


 本心を言うとずっと居て欲しいけど。


「帰りたくないって言ったらどうしますか?」


「え、ずっと居て」


「そう言うと思いました。正直家には帰りたくないんです。一条さんが目を覚ますまでは一緒に居てもいいって警察の人と病院に人に許可を貰ったんですけど」


 それは困った。


 多分警察の誰かが矢島さんを送るのだろうけど、矢島さんを傷つけた奴と一緒に帰らせたくない。


 それに矢島さんと一緒に帰って、魅力に気づかれても困る。


「言葉がわからないフリして駄々こねようかな」


「それはさすがに冗談ですよね?」


「さすがにね」


 いくら俺でもそこまではしない。


 半分ぐらいは本気だったけど。


「そろそろ呼ばないとですね」


「家が嫌ならうちに居てもいいよ?」


 矢島さんのナースコールに伸ばした手が止まる。


「どうせ俺は居ないし、片付けしたばっかりで多少は綺麗ではあるから」


 そうは言っても人の家を勝手に使うのは気が引けるだろうけど。


「いいんですか?」


「いいよ、家のものは好き勝手に使っていいから」


 まさか受けるとは思っていなかったけど、それだけ家に帰りたくない理由があるということだ。


 それを聞き出すほど野暮ではない。


「これから一条さんが退院するまでお見舞いに来てもいいですか?」


「俺は嬉しいけど、矢島さんはいいの?」


 学生なのか社会人なのかはわからないけど、矢島さんにだって生活があるはずだ。


 それなのに毎日来るのは大変なはずだ。


「はい、元から終わるつもりでいたので」


「じゃあ俺の私物を次いでに持ってきてもらってもいい?」


 入院中は暇で仕方ないだろうから娯楽物が欲しい。


 本当に矢島さんが毎日来てくれるなら別にいらないけど。


「そうですよね、お着替えとか必要でしょうし」


「そういうのは頼まなくてもデリバリーしてくれる奴がいるから気にしてなかった」


 表面上だけでないのなら、きっと気にしてくれてるだろうから後で連絡をしようと思っていた。


 上野さんにも追伸を送らないといけないし。


「お友達ですか?」


「ちょっと違うかな。多分明日来るだろうから紹介する」


 本当はしたくない。


 絶対に良くないことが起こるから。


 だけどちゃんと説明しないとあいつに悪い。


「憂鬱」


「何か癒せるものとかお家にありますか?」


「矢島さん」


 矢島さんが居れば俺は癒される。


 だけどその矢島さんを紹介することが憂鬱というジレンマが発生しているから困っている。


「えっと、失礼します」


 矢島さんはそう言って慣れない手つきで俺の頭を撫でた。


「……」


「す、すいません。私なんかが──」


 矢島さんが手を離そうとしたので、その手を握った。


「ごめん、続けてもらってもいい?」


「えっと、はい」


 とても癒される。


 だけどこれはなんだか違う気がする。


 とても温かい。


「幸せってこういうことを言うのかな」


「大袈裟ですよ。こんなことでいいのならいつでもやります」


「矢島さん、大好きだよ」


 矢島さんの手が一瞬止まったが、また続けてくれた。


 矢島さんのなでなでは警察官が来るまで続いた。


 やって来た警察官に軽く話を聞かれたが、俺が不機嫌すぎたので続きは明日になった。

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