任務

「事態は急を要するみたいだから、早速任務に取り掛かる」


 そう言うが早いか、ミッチェル子爵はさっさと部屋を出ていく。

後ろから『き、気をつけてな~』と言う団長の声が聞こえたが……彼は気にせず歩を進めた。

どことなく機嫌の悪いミッチェル子爵にどう接していいのか分かり兼ねていると、彼は不意に足を止める。


「……いつも、あんな感じなの?」


「あんな感じというのは、頭グリグリのことですか?」


「うん……」


 弱々しく頷くミッチェル子爵に、私は『もしや、心配してくれている?』と思案する。


「確かにいつもあんな感じですが、見た目ほど痛くありませんよ。一応、女性だから手加減してくれていますし」


「それは……良かった。けど、そうじゃなくて……」


 握った手に力を込め、ミッチェル子爵は大きく瞳を揺らした。

かと思えば、ちょっと泣きそうな顔でこちらを見つめる。


「少し距離が……近すぎると思う」


「えっ?」


「あんなにベタベタ触らせて……ダメだよ、そんなの」


 私の手をそっと持ち上げ、ミッチェル子爵はスリスリと擦り寄った。


「僕だけにしてよ……」


 駄々を捏ねる子供のように『やだやだ』と首を横に振り、ミッチェル子爵は眉尻を下げる。

涙で潤んだアメジストの瞳に、恨めしい感情を宿らせながら。


 先日の一件で、情緒不安定になっているのかな?

なら、極力刺激しないようにしないと。


「分かりました。これからは団長との距離感に、気を配りますね」


 ミッチェル子爵の頭を優しく撫で、私はニッコリと微笑んだ。

すると、彼は見るからに表情を明るくする。


「本当?」


「はい」


「ありがとう、嬉しい……本当に凄く凄く嬉しい」


 私の手に頬擦りしながら、ミッチェル子爵はアメジストの瞳をうんと細めた。

かと思えば、手を繋ぎ直して再び歩き出す。


「それじゃあ、そろそろ現地に向かおうか」


「そうですね────あっ!まだ場所を聞いてませんでした!」


 ハッとして後ろを振り返る私は、慌てて執務室へ戻ろうとする。

が、ミッチェル子爵に止められた。


「場所なら、もう知っているから大丈夫だよ」


「えっ?いつの間に」


「あの大男が取り出した書類に書いてあった。他の情報も全部ここに入っている」


 トントンと自身の頭を指で叩き、ミッチェル子爵は『丸暗記した』と明かす。

さすがは最年少の第一級魔術師とでも言うべきか、飛び抜けた記憶力を持っているようだ。


「す、凄いです!あんなにたくさん情報が書いてあったのに、もう全て覚えてしまうなんて!」


 昔から物忘れが激しい私は、ミッチェル子爵に尊敬の眼差しを向ける。

すると、彼は照れたように視線を逸らした。


「こ、これくらい普通だよ……それより、一旦・・外に出たいんだけど」


「外、ですか?」


「うん。さすがに床へ魔術式・・・を書く訳には、いかないからさ」


 『跡でも残ったら、怒られそう』と語るミッチェル子爵に、私はキラキラと目を輝かせた。

だって、きっと彼はここで魔術────あらゆる理を紐解き、操る術を使うつもりだから。


 魔術式は魔術を発動させる手法のうちの一つ。

具体的にどんなことをしたいのか絵や文字で表して、世界の理に干渉するというもの。

種類は様々だが、一番ポピュラーなのは円の中に数字や文字を書き込んでいくタイプだ。

これが一番安定して、魔術を発動させやすい形らしい。


 第一級魔術師の魔術をこの目で見れるなんて、すっごく楽しみ!だけど────


「────一体、何の魔術を使うんですか?」


 思ったことをそのまま口にすると、ミッチェル子爵は何の気なしに


「転移魔術だよ」


 と、答えた。

『へっ……?』と素っ頓狂な声を上げる私の前で、彼は指先から魔力────世界の理へ干渉出来るエネルギーを出す。

紫色に輝くソレを紐状にして一本の線を作り、動かした。


「ここから目的地までかなり離れている上、何個か山を超えていかないといけない。移動だけで数日を要するだろう。だから、目的地の近くまで一気に転移しよう」


 『そっちの方が合理的だ』と語るミッチェル子爵に、私は思わず頷いてしまうものの……慌てて身を乗り出す。


「だ、大丈夫なんですか?転移魔術って、かなり魔力を消費するんですよね?」


 『第三級魔術師でも滅多に使わない代物なのに……』と思案し、私はミッチェル子爵のことを気に掛ける。

極端に魔力を失うと、魔術師は体調不良に陥り寝込んでしまうから。

時と場合によるが、死亡してしまうケースもあるらしい。


 第一級魔術師と言えど、数日掛かる距離を転移するなんて無茶なんじゃ……?


 などと考えていると、ミッチェル子爵がこちらを見て固まった。


「僕のこと……心配してくれているの?」


「はい」


 『何故、そんな当たり前のことを?』と思いつつも、私は素直に頷く。

すると、彼は口元に手を当てて俯いた。


「そっか。心配か。嬉しいな……」


 囁くような……呟くような声でそう言い、ミッチェル子爵は『ほう……』と感嘆の息を吐く。

そして暫し放心すると、こちらに熱い眼差しを向けた。


「心配してくれて、ありがとう。でも、大丈夫だよ。僕の魔力量は帝国一だから。この程度の距離を転移したところで、尽きることはない」


 『減ったとしても、全体の一割程度』と説明するミッチェル子爵に、私はホッと胸を撫で下ろす。


「そうなんですね。なら、良かった」


 安堵の息を吐いて表情を和らげ、私は繋いだ手を引いた。


「ここから外へ出るなら、中庭に行くのが一番早いです。さあ、どうぞ」


「うん……」


 促されるまま歩き出すミッチェル子爵は、私の後をついてくる。

まるで、雛鳥のように。

その様子がなんだか可愛らしくて、私はついつい頬を緩めてしまった。


「あっ!ここです、中庭」


 渡り廊下から外に出て、私はベンチと噴水の置かれた場所を指さす。

就業時間中だからか、幸い誰も居なかった。


「花壇の上じゃない普通の草むらなら、魔術式を描いても問題ないと思いますよ」


「分かった……」


 コクリと頷いて少し身を屈めるミッチェル子爵は、指先から魔力を垂らす。

と同時に、魔術式を作成させた。それも、一瞬で。


 予め術式の内容を考えていたにしても、これは……早すぎる。


 『さすが、第一級魔術師』と感心する中、彼は円形型の魔術式の上に乗った。

かと思えば、グイッと私の手を引っ張る。


「グレイス嬢も乗って。じゃないと、転移出来ない」


「了解です」


 ビシッと敬礼して応じると、私は魔術式の上に片足を乗せた。

ゆっくりと慎重に体重を掛け、もう一方の足も円の内側へ置く。

『よし、壊れていない』と安堵する私の前で、ミッチェル子爵は不意に腰を抱き寄せてきた。


「もっと寄って……危ないから」


「はい、分かりました」


 言われた通り距離を詰める私は、体が密着するほどミッチェル子爵に近づく。

髪の毛一本も円からはみ出ないようにして、細心の注意を払った。


「これくらいでいいですか?」


「う、うん……凄くいい……」


「本当ですか!ありがとうございます!」


 『褒められた』と浮かれる私に、ミッチェル子爵は凄く困ったような……でも嬉しそうな表情を浮かべた。

かと思えば、魔術式に手のひらを翳す。


「じゃあ、そのままじっとしていてね」


「はい」


 間髪容れずに頷くと、ミッチェル子爵はボソボソと何かを呟いた。

その瞬間────魔術式はより一層強い光を放ち、私達の視界を奪う。

『転移するところ、見たかったのに!』と悔しく思う中、突然平衡感覚が狂って……気づいた時には、全く知らない場所に来ていた。

少なくとも、騎士団本部の中庭ではない。


「ここは……」


 見晴らしのいい平地を前に、私はキョロキョロと辺りを見回す。

と同時に、村のような……集落のような建物が密集した場所を発見した。


「あそこが目的地ですか?」


「うん、そうだよ」


「じゃあ、早速行ってみましょう」


 『現地の人達から、より詳しく事情を聞かなくては!』と思い立ち、歩き出す。

が、手を繋いだままのミッチェル子爵は気が進まないようで動かなかった。


「魔物の特徴も規模も大体把握しているんだから、わざわざ行かなくてもいいと思うけど……」


 『必要な情報は揃っている』と主張し、ミッチェル子爵はさっさと魔物を探しに行こうと提案する。

無駄足のように感じられて、しょうがないのだろう。

まあ、実際魔物を討伐するだけなら現地の人々と接触する必要はないから。


「申し訳ありませんが、これは騎士団の規則なんです。いきなりドンパチ始めると、周囲の人々が驚いてしまいますから。それに────」


 そこで一度言葉を切ると、私は自身の胸元に手を添えた。


「────騎士団の到着を知ったら、皆安心するでしょう?」

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