第86話 ベティの休暇生活
私は、ベティ。
B(ベー)だから、ベティだ。
少し前までは、この国……ビルトリアのスラムで、孤児達の取りまとめ役をやっていた。
半獣、産まれなんて分からない。賤しいと言われる、孤児。
でも、孤児にも、横のつながりがあった。
いや、違う。
横のつながりを気にしないようなのは、もう死んでる……。
孤児は、弱い。
力だけじゃなく、知恵もないし、体力もない。
スラムの大人達に良いように使われて、言われるがままに盗みをして、その上前をはねられる。
笑えるのは、上前をはねられている自覚すらないところかな?
分からなかったんだ、私達。
だって、誰も何も教えてくれなかったんだもの。
大人達にものを取られるのは当然で、当たり前のことだと思ってた。
そもそも、自分達が住んでいる国の名前も知らなかったんだよ?
文字の読み書きとか、礼儀作法とか、そんなような水準の話じゃない。
私達孤児は、人として認められていないし、実際に人として持っていて当然の知識や技能を持っていなかったの。
そこに、あのお方が。
エグザス様がやってきて。
私達に、全てを教えて、全てを与えてくれたの。
兄……、血は繋がっていないけれど、アランは、あのお方のことを「光」と言うけれど、私が最初にあのお方に会った時、私は。
「闇」だと、思ったわ。
私は、アランほどに……、アランみたいに、夢とか希望とか、そんなものを見てない。あると思ってないの。
孤児の生活は本当に酷かった。酷いと自覚すらしていなかったけど、何となくはそうだと思っていた。
表の路地には、「親」とかいう、何故か優しい大人に守られて、笑って生きている子供がいるんだよ?
それと、私達の何が違うんだろう?って、思わない日はなかった……。
何で酷いか?どう酷いのか?言語化すらできない。理由も分からないし、究明もできないし、そもそも調べるということそのものが分からない。
ただただ、盗んで、奪われて、殴られて。その日暮らしをして。体力のない下の子供達や赤ん坊から死んでいくのを眺めて。何もできない、何も分からない無力さを噛み締めるだけ……。
そんな生活に、闇が降ってきたの。
本当に美しい、それで恐ろしいお方が。
もちろん、尊敬している。感謝している。愛してすらいる。
けど、私は、本当に、本当に……、怖いの。
知恵も、知識も、魔法も、力も。
全ての底が見えない、奈落の闇。深淵の闇。
私のような、弱くて小さな生き物なんて、簡単にすり潰せる闇の王。
その手のひらの上で、踊り続けるだなんて。
分かっている。
エグザス様は、スラムの下衆な大人達なんかとは違うことは。
けれど、エグザス様は。
私が意に背くならば、どんなに逃げても隠れても、謝罪して懇願しても、絶対に殺す。
それが分かるから、怖いの。
……いや、最早、死ぬのが怖いんじゃない。
私が怖いのは、エグザス様に失望されること……!
だって、これは、怖い、おかしい。
エグザス様は、私にできることは何でもできる。
私が知っていることは全部、エグザス様が知っていること。
圧倒的な、大きな力、闇に抱かれて、踊っている……。踊らなくては、ならない……!
聞いたことがある。
エグザス様の、異国の話。
偉大なる超越者、「シャカ」、あるいはガウタマと呼ばれる存在は、無限の修練により人の域を超えて、神に等しい存在に転化したと言う。
そのシャカは大きく、手のひらの上だけで国よりも大きいのだとか。
それで……、そんなシャカにある日、乱行ばかりをする魔人「セイテンタイセイ」が楯突いた。
セイテンタイセイは、魔術によって一晩で山を飛び越え空を駆けることができるし、他にも様々な魔術を使う、最強の存在だったらしい。
そして、シャカは、セイテンタイセイに身の程を知らしめる為、手のひらの上に乗せて、「ここから逃げてみろ」と、命じる……。
セイテンタイセイは、その空を駆ける術で駆け抜けて、大きな山まで逃げ込むが……。
その山というのが、シャカの指のうち一本だった、と……。
まさに、そういうことなの。
私は、どんなに強く賢くなっても、シャカの、エグザス様の手のひらの上。
毎日毎日、この闇にすり潰されないか?と。
この闇に捨てられないか?と。
怯えて暮らしている。
……怯えることすら、不遜であると。
そのことも、承知の上だけれど。
それでもやっぱり、私は怖い。
エグザス様は、私達を愛して、重用してくれているけれど……、それは私達が「今のところは」有能であると思われているから。
いつ、「使えない」と判断されて、降格されたり、或いは、捨てられたりするのかと思うと……!
いやだ、いやだ!
この温かな闇を失うのは!
お美しいエグザス様のかいなで、微睡むことが二度とできないだなんて!
この幸福を失うなんて!
絶対に……、いやだ!
……だから、私は。
「はい、エグザス様。はい、はい……」
「もちろんです、殺しました」
「死骸は、ホムンクルス製造工場へ直ちに輸送します、はい。……ありがとうございます!」
捨てられないように。
汚れ仕事を、他人の嫌がることを率先してやるようになったのだ……。
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ビルトリア王国偉人伝 抜粋
ベティ・ルビィ
ビルトリア王国のスラム街生まれ育った獣人。ルビィの姓は便宜上名乗っているだけで、本来は姓や家名を持たない。
アウロラ団の中では、会計や警備などの内向けの仕事の責任者をしており、具体的にどのような役割だったのかは分かっていない。
都市伝説では、アウロラ団の暗部的役割の元締めを担った、などとされているが、真偽は不明である。
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