第3話
私は、喋る虫を見たことが無い。だからもしかしたら、この頭に住む虫もかつては人だったのかもしれない。そんなことを思う。
道を歩くと、端に転がる人だった肉塊がある。何か喋ることもあるが、既に原型を失っている。蠢き続けて、死ぬことは中々無い。この変異症状が悪化すると、極端に死に辛くなるという研究結果が出ていた。それで動けもしないのだから地獄だろうと思う。しかし、あの状態になってもまだ意識があるのかどうかはわかっていない。もしかしたら何の意識も無くて、平和なのかもしれない。そうだといい。
文明が急速に退化する中で、ほぼ唯一発展した技術が、安楽死である。人々はそれをいつ選択するか、それとも選択せずに希望を待つか。そもそもお金が無くて選択肢が用意されていない人もいる。私はその口である。ほとんど諦めた気持ちで、滅び行く町や国を眺めている。
こうも退廃した世間を見ると、こんな中でもめげずに希望を訴え続ける人を見るのは……厳しい。
「虫は元々虫だったの? 人が変異してそうなったとか? 虫が人の言葉を覚える必要がないものね」
「さぁーねえ! 俺は俺だよ! 俺俺! 覚えてる? 懐かしくない? 俺だよカアサン!」
頭痛がする。頭の奴が身じろぎしたり大声を出すと、顔をしかめる程の鈍痛がする。そういえばもうすっかりあの詐欺無くなったなぁ、確かに懐かしい。それよりももう少し声の音量を下げて欲しい。伝わっているのだから。
虫は答える気が無いようだ。
一度だけで良いから来てみないか、と友人に誘われて、感覚の薄れてきた足を引きずって町に出た。今日はここのあるビルの一室で、偉大なる時間を崇める集会があるらしい。変異が始まる随分前から根付いている、大衆的な会である。今では人口縮小に伴って、規模もいくらか小さくなっていると友人から聞いた。
町にはまばらに人がいる。両足が残っている人だけが往来を歩き、それ以外の人はこのエリアに踏み込んですらいない。それなりに活気のある地域だった。
待ち合わせ場所に着いた。事故が多発して使われなくなった駅の前に、よく待ち合わせに使われる石像がある。動物を模した像だが、その動物は既にほぼ姿を消している。免疫が極端に弱かったのだそうで。
広いスペースに、五体満足の人達が演説しているのが目に入った。先進的な拡声器で未来への希望を謳っている。音がワンワンと頭に響いた。
「何としてでも、人は人として生きるべきである! 聞け、耳のある者達。抗え、人は行動によって救われる。まずは我々の声に耳を傾けろ。我々は、人間の可能性、ひいてはこの先の未来への希望を捨ててはいない」
十人に僅か満たない程度の人数で、揃えられた黒服の男女が活動していた。簡単な冊子を配って、活動内容や唱える理念を訴えかけている。私がその冊子を受け取った時、頭の虫がおかしそうにせせら笑っていたので、黒服は怪訝そうな表情をしていた。集団の特に中央で拡声器を持っていたのが、背の低い男だった。彼は、この辛い世界をどのように捉え、認識し、生き抜くかという精神のありようについて話を広めていた。することもないのでぼんやりと聞き流す。どこかで聞いたような思想だ。演説を聴く物の中には、しきりに頷いて熱狂的な様子を見せる者もいた。
「待った?」
ぽん、と肩に手が置かれた。間近に能面のような彼女の顔があって瞬間的にぎょっとする。すぐに取り澄まして何でもないような顔をした。
「少し」
黒服が彼女に声をかけたら面倒なことになると思い、すぐにでも移動しようと彼女の腕を引いた。人間と希望を信じているらしいその集団の思想は、彼女の信じる偉大なる時間のための思想と相反する。
手本のような姿勢で歩く友人の後について、連れられた先に会の集合場所があった。古ぼけたビルには埃が溜まっている。歪んで開きにくくなったドアを、友人が足で蹴破っていたのが今日一番印象に強い。会の内容は、既に何度も友人から聞いた通りで、ほとんど聞き流してしまっていた。会の感じからすると、友人の影響力は中々強い方に見える。富豪だからだろうか。今日も堂々と遅刻していたらしい。
友人も所属するその集まりは、要するにこういうことを言っている。今日改めて貰ったパンフレットにも書いてある。「時間の経過によって起きる様々な結果を受け入れること」この終わりかけた世界を生きるにあたって、こういった考えの指標を仲間と共有するというのも悪くない手段だろうと思う。
「どうだった? もし良かったら、また来週にも似たような集まりがあるんだが」
「気が向いたら行くよ」
良い断り文句だ。
集会からの帰り道、まばらに人が散っていく。友人は私の腕を引き、かつて人気店として名を聞いた喫茶店に誘ってきた。手のかかった内装の店内に数人しかいないのが、寂れた証明のように思えて切ない。やんわりと彼女の誘いを断って、ここで今日は解散となった。
断った時に、友人はとても寂しそうな表情をした。というのは私の錯覚だった。実際には変わらずの表情だった。昔の彼女はそうではなかったと記憶している。柔らかな頬の凹凸が、鋭い目つきから受ける冷たい印象を和らげて、笑うと花が開くようだった彼女にはもう会えないのだと改めて認識する。まだ穴も開いていない胸に風が吹いたようだ。
枯れかけた街路樹に混じって数本、とんでもない枝振りであったり奇抜な色の葉であったり、逞しく環境に適応している木がある。昔からこれだけは変わらない日差しが肌に痛い。歩きながら髪をかき上げると、戻した手に束になった髪が抜けて付いていた。ぎょっとして髪を撫でる。抜けた毛は風が運ぶのに任せた。
「あれ、どこ向かってんの? 家じゃない? あぁ! 別のお友達に会いに行くんだな」
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