第2話
こんな手記を拾った。黒い革のカバーがかかった小型の物で、遠目から見ると良い品に見えたが、手に取ってみると安物だとわかった。薄っぺらな合成皮の裏に厚紙が貼り付けられている。辺りにこれを落としそうな人影や肉塊は見当たらない。開いてパラパラと流し読みを試みると、見事に文字ばかりで絵や図は一切無い。日記のような文だった。思いついた文を書き散らかしたかのように、雑然としている。
「世界は変わってしまった。元凶が何であったかは既に問題ではない。健康な体を持って生まれた人間が、人としての生を全うすることなく変容していく酷い世界だが、不思議なことに俺はこの世界でこそ自分の希望を見付けることができた。思えば、あの一件が起こる前の世界では、俺にとってはどこもかしこも眩しくて(二行程、黒いインクが文字を潰していて読むことができない)。そして、俺は行動した。本来愛すべき人間の姿を取り戻すのだ。その為に払う犠牲を(光沢のある黒インクが、そこにあったであろう文字の上を無数に這っている)。この頃は、俺の考えに賛同してくれる人も現れ始めた。歩き回り、各地で希望を訴えかける日々が続く。その生活の最中で俺の両足は潰れてしまった。上半身の重さに耐えかねて、肉や骨がミンチになっていく。そこでこんな義足を入手した。元の足を形成していた肉を内包する、空洞型の義足。俺は自身を失ってはいない。順調だ。物事は進んでいく」
私の頭から顔を出して、一緒に手記を覗き込んでいた虫が甲高い声をあげた。
「見てられない! 何だ、この文、随分な大物がいたんだなぁ、オイどう思う!?」
「まぁ……」
虫の大声が頭の左側からワンワンと響く。耐えかねて頭を抑えたが鈍痛は治まらない。急に顔をしかめた私の顔は今おそらくとんでもなくブスになっているだろうが、幸いにも人は誰も私を見ていないどころか通りがかりもしない。この辺りもかなり閑散とした。
「眩しさで目が潰れる」
「おっ、綺麗だ。綺麗な色だ、発色が良い! あれ買わないか!?」
虫が騒ぎ出した。今鏡があれば、頭からひょこりと顔を出して外を覗いている虫が見られるかもしれないが、私が鏡を探したり持ち出すと引っ込むので不可能だ。私達の進行の先には、真新しいアイスクリームの移動販売があった。活きの良い脂の乗った肉のような、鮮やかな色をしていた。
「いいかもね」
鞄の中を確認して、お財布事情と相談した結果、私は移動販売に近付いていった。なんとか買える程度ではあった。赤い顔のおじさんが一人で切り盛りしているようで、小型のトラックも赤色を多く起用しているように見える。色鮮やかな臓物色の広告が、大きく車に載っていた。数人の人が列を作っているので、私もそれに並んだ。
遠くからか細いボーイソプラノの声がする。徐々に近付いてきているような気がした。列は短くなって、私の順番がやって来た。声はすぐ横まで迫っており、どうやら叫ばれていたのは私の名前だったらしい。泣き出しそうな声の主に目を向けると、知人だった。まだ綺麗な顔を維持している、友達の弟だった。友達は最近意思疎通が取れない状態になったので、弟との接点は増えた。
「探してた! なんで電話したのに出ないの!」
私は注文したアイスを受け取った。一口食べてみると冷たくて甘い!
「無視しないでよっ」
「ごめんて。つい」
「何かのっぴきならない用件があるに違いねえ……そんな表情だ。俺は予感する!」
頭の虫がハードボイルドなことを言い出した。そんな表情、と言われて注視してみたが、鼻水を垂らした小汚さしかわからない。
「どうかした? 今の時代、電話がちゃんと通じると思うなよ……普通に届いてないから」
「アレが無くなった! アレが! アレ!」
アレ、というジェスチャーをする。
「まさかアレか」
筋骨隆々の赤いおじさんがこころなしか青くなった。
「ぽろっと取れた……」
「そんな! なんてこと、惨すぎる!」
虫が騒ぐので頭が痛くなった。アイスに寄せられて集まっていた人々の、主に男性陣が弟を慰めにかかる。女性の私からすると、なんともいえない微妙な空気になってしまった午後だった。
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