第1章6話 距離が縮まる共犯者達 後編
どこぞの誰かが言う、話が弾めば自然と食や酒が進む、という話は、あながち間違いではないらしい。
食事中にニアージュと談笑しているうち、珍しく酒量が増えてしまったようで、フラフラしているアドラシオンをアルマソンが支えながら廊下を進む。
その少し後ろには、イブニングドレス姿のニアージュが、そのまた後ろには、侍女のお仕着せをきっちりと着込んだアナが続く。
「大丈夫でございますか、旦那様」
「あ、あぁ……。すまない、アルマソン。それに、その……ニアも、随分飲んでいるようだったが、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。田舎の実家でもあまり飲む事はなかったので、今までずっと気付きませんでしたが、どうやら私、相当お酒に強いようです。あれだけ飲ませて頂いたのに、ちょっと気分がよくなっただけですもの」
「そうか……それはちょっと、羨ましいな……。俺は見ての通り、大して強くないから……。所で、どこまで付いてくるんだ、君は……」
「旦那様の部屋までです。アルマソンを手伝って旦那様を寝かし付けたら、アナと一緒に部屋へ戻りますよ。ホラ、なにせ私達、今日が結婚初日じゃないですか。つまり、今夜が初夜という事になります。
ですので、ひとまず『夕食の後旦那様の部屋に行った』、という事実だけは作っておこうかと。そうした方が後々アルマソンや他の方々も、下手な嘘をつかなくて済むでしょうから。
王家の方々はどうか知りませんが、あの下半身の欲求だけで生きてる男は、今後私や家人にそういう品のない質問をしてきそうな気がするので、ここは予防線を張っておくのも重要なのではないかと」
「はっはっ、確かに、これから旦那様のお世話を多少なりともお手伝い頂ければ、今宵、『奥様が旦那様の部屋を訪れた』というのは紛れもない事実でございますね。
私や他の使用人、侍女達も、今後ご身分の貴い方に此度の件で嘘をつかずに済みますな。お気遣いありがとうございます」
「そういうものなのか……。いや、そういう事ならここは念の為、一晩俺の部屋にいて、朝に自室へ戻った方が更に言い訳しやすいんじゃないか?」
アルマソンの肩を借りつつ、真顔でそう述べてくるアドラシオンに、ニアージュは少しばかり目を丸くした。
確かに、後々の言い訳の為、しっかり偽装工作をするのであれば、一晩アドラシオンの部屋で過ごす方がより確実だとは思っていたが、諸々ハードルが高いのも確かなので、無理な提案はすまいと、口を噤んでいたのだ。
それがまさか、アドラシオンの方からその提案が出てこようとは。なんとも想定外である。
「それはそうかも知れませんが……。その場合、私は寝床をどうすれば」
「俺のベッドを使えばいい。俺はソファで寝る」
「ええっ? さ、流石に、部屋の主をソファに押し退けて、ベッドを占領するというのは……。幾ら面の皮が厚くて神経が図太い私でも、それは落ち着きません」
「はははっ、面の皮が厚いだの神経が図太いだのと、自分で言うか。……いや、本当に気にしないでくれ。実は俺の部屋にあるソファは、しばらく前に興味本位で誂えた特別製で、簡易ベッドに形を変えられるようになっているんだ。
一度はそこで寝てみたいとずっと思ってたんだが、このカタブツがどうにもいい顔をしてくれなくてな、ベッドとして使った事はまだないんだ。今回こそはアレの出番というものだろう」
「旦那様……まだ諦めておられなかったのですか。そのように、目新しいものに飛びつく子供のような事はなさらないで下さいと、何度も申し上げましたのに」
「あら、いいじゃありませんか、アルマソン。新しいものに抵抗感を持たず、好奇心の赴くまま飛び込んでいけるというのも、得難い資質ですよ。思考が柔軟な証拠です」
少々渋い顔をしながら苦言を呈するアルマソンを、ニアージュが笑いながらやんわりと止める。
今話題に上がったソファベッドの事といい、夕食時に話した米の事といい、ニアージュ自身、アドラシオンのように好奇心が強く、チャレンジ精神のある人間は嫌いではない。
いや、むしろ結構好きな方だと言える。
前世の頃からニアージュは、そういう相手の方が得てして馬が合いやすい。
なので、アドラシオンとも、今後いい友人になれるのではないかと、ちょっと期待してしまう。
「それに、男の人の多くはどれだけ歳を重ねても、その内側のどこかに少年の心を抱いているものだと、酒屋のおばさんも言っていました。時々子供のような事をしたくなったとしても、それはきっと自然な事なんですよ」
「ほら見ろ、ニアは認めてくれたぞ。やっぱりお前の頭が固いんだ」
「旦那様……。全く、致し方ありませんな。ですが、今晩だけになさって下さいませ」
「分かっているさ。……ああ、本当に今日は楽しかった。家の者以外の女性とまともな話ができるなど、いつ振りの事か。
――ニア、ここへ来るまでの間、教会と馬車の中で君に対して取った、非礼な言動を詫びさせて欲しい。本当にすまなかった」
「旦那様……。どうか気になさらないで下さい。それを言ったら私の方も、だいぶ態度が悪かったと思います。特に馬車の中では不快に思われたでしょう。すみませんでした」
わざわざアルマソンから身体を離し、ふらつきながらも頭を下げて謝罪してくるアドラシオンに、ニアージュも深々と頭を下げて謝罪する。
「分かった。謝罪を受け入れる。君の方も、俺の謝罪を受け入れてくれたと考えていいだろうか」
「勿論です。すみません、こういう時、お貴族様はちゃんと『謝罪を受け入れます』と言わなくちゃいけないんでしたね。忘れてました」
「いいさ。何かをうっかり忘れるなんて、誰にでもよくある事だろう」
少しばつの悪そうな顔をするニアージュに、アドラシオンは再びアルマソンの肩を借りながら笑って言う。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると気が楽になります。……所で私、寝室でこのまま、ハイお休みなさい、と言うには、まだ全然眠くないのですが……何か私でも読めそうな本はありませんか?」
「本か……。生憎と俺の部屋には、仕事に使う参考書や、狩りや山歩きの参考にする為の、動植物の図鑑くらいしか置いてないんだが……」
「そうですか? じゃあ、図鑑がいいです。私も田舎ではよく、狩りや山歩きをしてましたから」
「そうか、なら丁度いいな。俺は明るくても寝られる
「ありがとうございます。うふふ、図鑑って高いから、田舎の村にはほとんど置いてないんですよねえ。それをまさか、ここのお邸で読めるなんて……! 旦那様、山の動物の生態が分かる図鑑はありますか?」
「ああ。それなら確か、何冊かあったと思う。中には、フルカラーの図説を採用している図鑑もあったな」
「わああ! なんですかその素敵な図鑑! ぜひとも読みたいです!」
いささか半端ながらも、今の今までずっと顔に貼り付けていた淑女の仮面を放り捨て、無邪気にはしゃぐニアージュを、アドラシオンだけでなくアルマソンとアナも、どこか微笑まし気に見つめていた。
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