第1章7話 米製品の到来



 ニアージュがエフォール公爵家へやって来てから、10日が経過した。

 前世の頃より人付き合いを好み、そしてこちらの世界で再び生まれた後も、人好きのする気のいい村人達に育てられた事から、今世では非常に高いコミュニケーション能力を持つに至ったニアージュは、アドラシオンだけでなく、エフォール公爵家の侍女や使用人達とも、至って良好な関係を築いている。


 そして今日、ニアージュ達は邸の中庭にこぞって集まり、テーブルや椅子などのセッティングを行っていた。

 庭の片隅に拵えられた複数の簡易的なかまどには、既に幾つものパン生地やオーブン用の鍋が収められ、辺りにかぐわしい匂いを漂わせている。


 ニアージュが田舎の郷里へ、アドラシオンが小麦アレルギーである事、米を使った料理に興味を示してもらっている事などをしたためた手紙を送った所、村人達がここぞとばかりに米粉だけでなく、製粉していない米や、米を加工して作った製品、米を使ったレシピ集などの関連品を大量に送ってきた為、邸の人間全員で試食会をする事にしたのだ。


「ホントにもう……。米粉麺こめこめん米酒こめざけまで入ってる……。まだ「興味を持ってもらってる」だけだっていうのに、あれもこれも送り付け過ぎよ」


「あはは、きっとニアの村のみんな、米に興味を持ってくれるお貴族様がいるって知って、嬉しくなっちゃったんだよ。気持ちは分からなくもないわ」


 庭の隅に積んである荷を呆れ顔で荷物を漁り、ため息をつくニアージュに、アナが笑いながら言う。


「それは……まあ、確かにそうかも知れないけど。今はまず、米そのものを炊いたご飯と、米粉のパンよ。スタンダードな料理が口に合うかどうかが一番重要じゃない」


「分かってるって。でも……はぁ、なんて表現していいのか分からないけど、米粉の生地が焼ける匂いって、すっごくいい匂いね……!」


「でしょ? この匂いが嫌じゃないなら、きっと食べても美味しいって思うわ。後は……旦那様や他のみんなが気に入ってくれる事を祈るばかりね」


「絶対大丈夫よ。だって今この中で、パンが焼ける匂いを嗅いで嫌な顔してる人、誰もいないもの。大成功間違いなしだって!」


「うん、そうね」


 ニカッという擬音が聞こえてきそうな、侍女らしからぬ快活な笑みを浮かべてサムズアップするアナに、ニアージュも同じような笑みを返す。

 それと時を同じくして、料理人達が忙しなく動き始めた。

 そろそろ最初の料理が出来上がりそうだ。



 まず最初に出てきたのは、米をそのまま水で炊いたものを皿に盛っただけの、至ってシンプルな料理だった。

 それと共に、やや濃いめに味付けされた白身魚のトマト煮込みが、おかずとして添えられている。


「これは、私の郷里では『ご飯』と呼んでいる料理で、パン以外に時々主食として食卓に上っているものです。このご飯は、とても淡白で癖の少ない味わいが特徴なので、食べ慣れないうちはこういうおかずと一緒に食べると美味しく感じると思います。


 一口サイズにしたおかずを米の上に乗せて、フォークで掬って食べるか、米とおかずを続けて口の中に入れて、口の中で一緒にして食べてみて下さい。それと、炊き立ては熱いので、火傷しないように気を付けて下さいね」


 ニアージュの説明に従い、アドラシオン達は興味津々といった様子で各々米とおかずを一緒に口に入れ、咀嚼する。

 途端に、そこかしこから感嘆の声が上がった。

 アナが予想した通り、米のファーストインプレッションは上々のようだ。


「どうですか? 旦那様」


「ああ、これは美味い。白身魚の煮込みともよく合うし、こう、上手く表現できないんだが、長く噛んでいると仄かな甘さを感じるような」


「あっ、分かりますか? 旦那様は味覚が繊細ですね。素晴らしいです。ご飯を食べ慣れない人の多くは、この米特有の優しい甘みを感じ取りづらいものなんですけど。

 だったら……そうですね、シンプルに軽く塩を振っただけのご飯も、ぜひ食べてみて頂きたいです。米という穀物の、本来の風味と甘みを一番よく味わえますよ」


「そうなのか。やってみよう。塩の量はこのくらいだろうか……。……。うん、うんうん……! 塩味と米の甘味が互いを絶妙に引き立て合っていて、とても美味いな……!」


「ホントですか!? 分かります!? やった、よかった!」


 アドラシオンの反応に、ニアージュは喜色満面で諸手を上げた。

 米の味をしっかりと理解してくれる、同好の士と出会えた事。

 今世にあってなお、熱き農耕民族の魂を受け継いでいるニアージュにとって、これ以上に喜ばしい事など早々ない。

 それが異郷の地での出会いとなれば尚更だ。


 これでアドラシオンも米仲間の一員だ。

 これから先、偽装婚姻の契約がなくなっても、ズッ友として――いや、もはやズッ友というより、魂の友だと言っても過言でない気さえしている。


 最初はマイナスからの出発だったアドラシオンへの好感度が、ここに来て更にうなぎ登りに上がりまくって止まらない。


 どこからどう贔屓目に見ても、これは淑女の振る舞いではないと分かっているが、それでもニアージュは、一気にぶち上ったテンションをどうにも抑えられなくなってきていた。


「うふふふ、ああ嬉しい! この味を、王都で分かってくれる人がいるなんて……! ようこそ米食こめしょくの世界へ! ではでは、続いて米粉のパンをどうぞ! 丁度焼き上がったようです!」


「はは、分かった分かった、少し落ち着いてくれ」


 アドラシオンは、キラキラと目を輝かせ、焼き立ての米粉のパンを勧めてくるニアージュに苦笑しつつ、1センチほどの厚さに切り分けられたパンが乗った皿を手に取る。


 何気なく摘んだ米粉のパンは、小麦のパンと違って生地に気泡が見当たらず、ずっしりとした重みがあった。

 その明確な違いに一瞬戸惑ったが、ひと齧りしただけで、小麦のパンにはないしっとりした食感と、米そのものを食べた時より、一層鮮明になった甘みを感じ取れて、知らず頬が緩む。文句なしに美味い。


 その後もアドラシオンは、他の侍女や使用人達共々、米粉麵や、米を醸造して作った米酒、パン粉の代わりに米粉を衣にしたフライなどを、心ゆくまで存分に味わった。

 特に、米粉のパンと米粉を使ったフライは絶賛の嵐で、お代わりが相次いだ。


 どうやらニアージュがこよなく愛する米は、想定よりもずっと早く、エフォール公爵家の人間全員を虜にしたようである。


 お陰でニアージュはその日のうちに、郷里の村へ米粉の定期的な購入を打診するべく、再び手紙をしたためる事になった。

 とても喜ばしい話だった。


 これ以降、エフォール公爵家では米粉パンと米粉麺が日常的な主食となり、やがて米粉を使ったメニューは、安定した生産性と低価格、揺るぎない美味しさによって、身分を問わず、各地の各家庭へ爆発的に広まっていく事となる。


 この一連の出来事は、のちにクロワール王国史において、『食の革命の始まり』と呼ばれる歴史の転換点となるのだが、そんな事ニアージュには知りようもないのであった。

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