第11話「協力関係」

「ごめんなさい……もう、大丈夫」


 泣き続けてしばらく、カーラちゃんが落ち着き始めた。


「ゆっくりでいいよ。待つから」


「ううん。大丈夫。ありがと、アキトさん。……ねぇ、アル。一つ聞いてもいい?」


「……なにかな?」


「逃げたって言ってたよね。ゴブリンがたくさん出てきて対処しきれなかったから、だから逃げた。そうだよね?」


 カーラちゃんの大きな瞳には、憎悪が渦巻いているように見えた。


 その憎悪の矛先はアルフレッドくんたちではない。であれば、どこに向いているのか。


 答えは明白だ。


「あ、ああ……そうだけど」


「ということはさ、兄さんを殺したゴブリンって、まだ生きてるんだよね?」


「……カーラ、なにを考えて……」


「生きてるぞ。お兄さんの弓を持って帰れなかったのも、ゴブリンの生き残りが逃げたからだ」


「アキトさんっ!? どうしてっ……」


「どうするかはカーラちゃんが決めることだろ。俺たちが口を出す権利はない」


 生き残りがいる。俺の言葉を聞いたカーラちゃんは、イアンくんの短剣をぎゅっと握りしめた。


「……復讐、したい。ゴブリンを……殺したい」


「カーラ! 馬鹿な考えはよすんだ! 復讐はなにも生まない!」


「まぁ、たしかにそうだな。それに、カーラちゃんはゴブリンっていう生き物の悪辣あくらつさを理解してるのか?」


 あえてすぐにはとどめを刺さず、苦痛と恐怖を与えて弄ぶ醜悪しゅうあく極まりない習性。


 一体ずつなら余裕を持って倒せるゴブリンだが、ひとたび群れを成せば、経験者であるアルフレッドくんたちですら敗走を余儀よぎなくされた。


 舐めてかかっていい相手ではない。


「……わかってる。知ってるよ。女がゴブリンに捕まったら、繁殖の道具にされる。死ぬより苦しい目に遭う……知ってる」


「…………」


 なにそれ知らない。


 ゴブリンは交雑で数を増やす生き物だったのか。しかも女性を捕まえて強制的に行為に及ぶようだ。なんだその生態、最悪すぎる。


「気持ちはわかるが諦めてくれ、カーラ。かたきは僕たちが取るから」


「……あたしが、あたしの手で殺したいの」


「戦う手段もないだろ?! 経験もないのに無理だ! 相手はふつうのゴブリンじゃない、ホブゴブリンだ!」


「村で弓を使ったことがある! 無理だなんて決めつけないでよ!」


「あの群れはふつうの群れとは違うんだ! 明らかに統率されていた! アキトさんがいなければ僕たちだって死んでたんだ! ……考えを改めてくれ、カーラ」


「っ……あたしは諦めない。絶対に復讐するッ!」


 短剣を抱きしめながら、カーラちゃんはアルフレッドくんを強く睨みつける。


 その迫力に、アルフレッドくんはのけぞった。


 気圧けおされたアルフレッドくんは俺に視線を向ける。


「……アキトさん。どうにか言ってあげてもらえませんか。」


 どうにか考えを変えさせたいようだが、俺にはアルフレッドくんが望むようなことは言ってあげられない。


「アキト、さんも……反対なの?」


「復讐。いいじゃん、やればいい。ゴブリンっていう生き物を一匹残らず絶滅させるとか言い出したらさすがに止めるけど、弓を持っていった親玉を殺せば復讐は果たせる。それで満足するならやりゃいいよ」


「アキトさん! さっき言ってたじゃないですか! 復讐はなにも生まないって!」


「ああ、復讐はなにも生まない。それは俺も同意見だ」


「では、なぜ……」


「復讐は生産的な行為じゃないからなにも生まないって言ったんだ。復讐ってのは、過去に踏ん切りをつけて前を向くための行為なんだよ」


 復讐とは、過去を清算するための行為だ。


 ゼロをイチにするようなプラスなものではなく、マイナスをゼロにして、もう一度歩き直すための行為。


 もちろん、復讐心に囚われずに心を切り替えて歩き出せるならそのほうがいい。


 だが、そう簡単に切り替えられないことだってある。自分では抗いようのない理不尽に打ちのめされて、心が折れて動けなくなることもある。

 

 俺がそうだった。


 一年前、勤めていた会社が不況の煽りを受けて業績不振におちいり、人員整理が行われて俺は解雇となった。結婚も考えていた彼女に解雇になったことを正直に打ち明けると別れを告げられた。


 理解はしている。会社が俺を解雇したのは経営が立ち行かなくなり、人員削減せざるをえなくなったからだ。彼女が俺を振ったのは感情的になったわけでも体裁を気にしたわけでもなく、一から再出発することになった俺との将来に不安を覚えたからだ。


 仕方のないことだったとは、一年経った今でも思う。


 でも同時に、俺がこれまでしてきた努力はなんだったんだと思ってしまった。


 失敗もしたけど真面目に働いてきたつもりだった。喧嘩もしたけど彼女との間に愛を育んできたつもりだった。


 それらを一瞬で失った時、俺は心が折れてしまった。


 貯蓄を切り崩しながらADZで時間を潰す日々を送り、貯蓄がなくなったら迷惑にならなそうな場所を選んで命を絶とうと思っていた。


 友人に説得されてなかったら、考えを改めて再スタートしようとも思わなかっただろう。結局ぽっくり死んで、なんの因果か今ここにいるが、これはこれで俺の人生だと割り切っている。


 ただ、理不尽に直面しても足を動かそうとするカーラちゃんを見て、俺はあったかもしれない別の道を想像してしまった。


 例えば、会社を解雇されて、彼女に振られて、人生で初めてどん底を味わったあの時。絶望して自暴自棄にならずに、カーラちゃんのように復讐してやる、見返してやると考えられていたら。


 俺の人生も、もしかしたら変わっていたのだろうか。


「お兄さんは君に幸せになってほしいって言ってたよ。その上で、カーラちゃんは復讐したいって思ったのか?」


 相手がなんであれ、命を奪うという行為は心のあり方を変質させる。カーラちゃんが仮に傭兵にでもなって、命を奪う仕事に一度でも足を踏み入れてしまうと、これまでの自分にはもう戻れない。


 その覚悟だけは確かめないといけない。


「……このまま生きても、ずっと頭に残ったままだと思う。もしかしたら、何年も何十年も時間が経てば……この気持ちは薄れてなくなって、いつか忘れるかもしれない。でもあたしは、仕方がなかったから、どうしようもなかったからって自分に言い聞かせて、諦めながらこの先を生きたくない」


「カーラ……」


 カーラちゃんの考えは現実が見えていないが故の無鉄砲なのかもしれないけど、少なくとも当時の俺にはない強さがあった。


「仇のホブゴブリンはカーラちゃんのお兄さんを殺したくらい強い個体だぞ?」


「……わかってる」

 

「もしゴブリンを殺せなくて、カーラちゃんが捕まったら、死ぬより苦しくてつらい目に遭うだろうな。それでも復讐する覚悟があんの?」


「……わかってるっ」


「戦う術もない、訓練もしていない、力もない女の子を手伝ってくれるような人はいないかもな。みんな生きるのに命懸けだ。お荷物になるような子をパーティには加えないかもしれない」


「わかってる……っ、わかってるよ! それでもあたしは……誰にどれだけ止められても! 誰にも協力してもらえなくても! 一人だけでも絶対に復讐する! 兄さんの仇を討つんだっ!」


 これだけ脅しをかけても、カーラちゃんの意志は曲がらなかった。


 短剣の柄を握って胸に抱きとめ、れるくらい泣いたはずなのに瞳を潤ませて、息を荒らげながら、カーラちゃんは宣言した。


「……そうか」


 イアンくんはカーラちゃんに『幸せに生きてくれ』と願っていた。


 『諦めて俯きながら平穏に生きる』ことと『復讐心であろうと前を向きながら生きる』こと。どちらがより幸せになれる道なのかは俺にはわからない。


 だが、俺には選べなかった道を選ぶカーラちゃんの行く末を見たくなった。


「なら、俺が協力するよ」


「えっ?」


「あ、アキトさんっ?! 本気ですか?!」


「ああ。だって、一人で放っておいたらカーラちゃん、そのうち死んじゃうだろ。これでも俺はイアンくんの最期を看取って、思いを託されたんだ。その相手が最悪な死に方したら寝覚が悪い」


 アルフレッドくんに言ったことも嘘ではない。


 それとはまた別に、カーラちゃんが復讐を果たした時、いったいどんなことを思うのか、俺は知りたいだけだ。そこから幸せに生きられるのか、カーラちゃんが辿る未来を俺は見たい。


「アキトさんが協力してくれるのは……もちろんうれしいよ。……すごく強いみたいだし。でも、あたしお金とか持ってないよ。なにも返せるものない……」


 俺がカーラちゃんに協力するだけでは一方的な関係にしかならない。それは健全とは言えないだろう。


 だから、カーラちゃんにも協力してもらう。


「カーラちゃんは賢いんだろ?」


「っ……」


 そうたずねると、なぜだかカーラちゃんは急に顔を青ざめさせた。下唇を噛みながら俯く。


 なんだろう、さすがに嫌とか言わないよね。協力してもらうけど対価は払いませんとか、そんな都合のいい話が通るなんて思ってないはず。


「だからさ、俺がカーラちゃんに戦い方を教える代わりに、カーラちゃんは俺に──」

「体で払え、ってこと……?」

「──文字の読み書きを教えてく今なんて言った? なぁ、おい、カーラちゃん。おい」


「びゃっ……な、なにもっ?! なにも言ってないっ!」


「…………」


「アキトさんになんて失礼なことを……」


 空耳ということにした。


 まったくなにを色ぼけたことを言ってんだ、このマセガキは。傭兵組合の受付のケイトさんか、せめてオリアナさんくらい年齢を重ねてから物を言えよ。


 というか、そんなに好色家に見えるかね、俺。鏡を見てないから今の顔はわからないが、ADZの時のグラフィックではハリウッド俳優みたいな無駄にイケメン顔だったんだけど。


「読み書きを教えるってことね?! うん! わかったよ! ……ていうか、アキトさん文字読めないの? なんか意外」


「カーラ。アキトさんは渡人わたりびとで、今日リムノア王国にきたばかりなんだよ。だから読み書きができないんだ」


「渡人……歴史上ではほんとにいたってことになってるけど、まさか実際に見ることになるなんて思わなかった。たしかに変わった服着てるし……」


「歴史上のアイラさんほど俺はすごくないけど、そういうことだよ。カーラちゃんがまともに戦えるようになるまで時間がかかるだろうし、その間俺にこの国の文字とかその他もろもろ教えてくれ。お互い教え合うわけだ、それなら貸し借りもない対等な関係だ」


 これからこの世界で生きていくなら、ここリムノア王国の文字の読み書きができるようになったほうが、なにかと都合がいいだろう。ついでに常識も教えてもらえたらなおいい。


「わかった、それでいいよ。で、どうする? 今日から教えてくれるの?」


「……いや、明日またくる。だから今日一日、ゆっくり考えてくれ」


「考えるって……なにを?」


「ほんとうに仇を討つために動き始めるのかを、だ」


「っ……まだ疑ってるの?! あたしはっ、本気でっ……」


「今のカーラちゃんが本気でやるつもりなのはわかってる。冷静になってからもう一度考えてくれってことだよ。カーラちゃんの人生に関わることなんだから急いで決めることはない。明日きた時にまた訊くから、落ち着いて真剣に考えておいてくれ。意見が変わったら、さっきの協力関係の話もなしにしていいから」


「……うん。わかった」


 明日もう一度くる約束をして、俺とアルフレッドくんはカーラちゃんの家をお暇した。


 俺の都合だけで言えば、カーラちゃんには仇を討つという考えを改めてほしくはない。復讐を果たした先になにがあるか知りたいからだ。


 でも同じくらい、明日になったら意見を変えてくれてたらいいなとも思う。


 教育を受けていたらしいカーラちゃんには、復讐以外の道もあるのだ。まだ年端も行かない女の子に血で染まった道を歩いてほしくない。


 どっちが俺の本心か、俺にもわからなかった。

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