第4話 RIP

「……ほら。ほらな。わかってた。……優しいやつから死んでくんだって」


 『後如脱兎ラピッドファイア』で全速力で走って『ハイパー聴覚アキューシス』で異音を捕捉した。


 森の中、少し開けた空間。音の発生場所に向かうとゴブリンが一ヶ所に固まって群がっていた。奴らの体の隙間から、赤黒く染まった人間の足が見えた。


「ッ……くそがよ。……ん?」


 群がっているゴブリンから少し離れたところに、これまで見た個体よりも明らかに体が大きいゴブリンがいた。


 他のゴブリンは人間・・に夢中だったが、その大きいゴブリンだけは俺に気付いていた。


 金属同士を擦り合わせるような耳障りな鳴き声を発しながら、大ゴブリンはを引く。


「もしかしたら別人かも、くらい思わせてくれてもいいだろ……」


 アルフレッドくんが指差した方角で、人が一人倒れていて、ゴブリンがを持っている。


 現実逃避も許してくれない。


「ギャギャギギィッ!」


 不快な、おそらく笑い声をあげながら、大ゴブリンは矢を放った。俺が動いてないから矢を当てられると思ってるらしい。


「舐めんなよ。戦ってきた世界が違うんだ」


 さほど練習してないだろうに、二十〜三十メートルほども離れた人間を狙える腕を持ってることは褒めてやる。


 だとしても、矢の速度は『獣人Hybrid 兵士Beast』には遅すぎる。


 ライフル弾は秒速七百〜八百メートル、ものによってはそれ以上の速度になる。そんなもんが飛び交う戦場で、この体は戦ってきたんだ。


 それに加えて、敵に狙われた時にシグナルが発せられる『危険感知シックスセンス』というスキルも存在する。


 俺は、これだけ揃って反応できないような初心者ではない。


 USP45を構え、トリガーを引く。


 俺と大ゴブリンの中間あたりで、矢は木っ端微塵になった。


「グギ、ギャギィッ?!」


「……ふつうに躱せばよかった」


 頭に血が上ってつい矢を撃ち落としたが、こんな危ないことする必要なかった。戦場はなにがあるかわからないんだ、冷静にならなければ。てか何気にすごいことしたな、さすが獣人兵士。


 意識を改め、大ゴブリンに狙いを定める。


「ギュギャッ! ガァッ」


 銃口を向けると、大ゴブリンは弓を盾にするように頭部を庇った。


「っ……ただのモノ・・だってのにっ……」


 遺品になるだろう彼の弓にもしあたったらと思うと引き金を引けなかった。


 弓を避けるように照準をずらす。放った銃弾は大ゴブリンの肩を貫いた。


「ギィッ、ギュギィッ……グルァアァッ」


「くそがっ……それ置いてけよ!」


 肩を負傷した大ゴブリンは弓を握りしめたまま森の奥へ逃げていく。


 追い討ちをかけたかったが、大ゴブリンとの攻防の間に他のゴブリンに気付かれた。絶対に意識してやってはないだろうが、ゴブリンどもに射線を遮られる。


「っ……がわは最強なのに、なかみこれだからっ……」


 これ以上、大ゴブリンは追えない。


 弓を回収できなかったことは残念だが、他にも遺品があるかもしれない。


「……はやく、確認しないとな」


 群がってくるゴブリン、近くにいた二体それぞれの頭に風穴を空ける。


 落ち着いてリロードしつつ、肉薄してきた一体が振るった棍棒を一歩下がってやり過ごし、一歩踏み込んで前蹴り。


 ゴムボールみたいに転がっていった仲間を見て、残る三体のゴブリンは、動揺していた。


 攻めるか逃げるか迷うような素振りをしているそいつらを、たんたんたんとテンポよく弾いた。


「……ドッグタグみたいなのがありゃいいけど」


 アルフレッドくんの首には変わった形のネックレスがあった。もしあれがドッグタグだとしたら、同じパーティメンバーのイアンくんにもあるはずだ。


「う、あ……」


 伏兵を警戒しながらイアンくんへ近付いていると、小さく呻き声が聞こえた。


 ゴブリンの特徴的な呼吸音じゃない。周囲にゴブリンの生き残りはいない。


 イアンくんは、まだ息があった。


 すぐに彼に駆け寄る。


「っ…………」


 駆け寄って、絶句した。


 彼の体は、なぜ意識があるのかわからないほどぼろぼろだった。


「ぁ……ぐ、ぅ……」


「……誰かに、伝えたいことはあるか?」


 彼の胸に手をあてながら声をかける。意識があるうちに聞いておかないといけない。


「お、れ……も……だめ、なのかな……」


「っ……ああ。助からない」


 あのゴブリンたちが人間の生理学に精通しているとは思えないが、偶然にしてはできすぎている。


 人間は頭部や胸部を傷つければすぐに死ぬということを、ゴブリンたちはわかっている。知った上でバイタルゾーンを避けて苦痛を長引かせているのだ。反吐へどが出るほど悪辣あくらつな習性をしている。


「さ、むい……いたい、くる、しい……」


「…………」


 彼はもう今際いまわきわだ。手の施しようがない。


 いくら体力VITの低い貧弱な兎といえど、どこかで使う機会があるかもしれないので医療キットはバッグに入れている。


 だが彼はとうに、医療キットでどうにかなる範疇を超えてしまっている。医療キットはどこまでいってもファーストエイド──戦場での応急手当でしかないのだ。失われた血液や臓器を綺麗さっぱり元に戻すような、そんな魔法の道具ではない。


 俺に、彼の命は救えない。


 だからせめて、俺は俺にできることをしよう。


「な、にを……」


「少し楽になると思う。だから今のうちに、言い残しておけ」


 バッグからオートインジェクター──ドーピング用の注射器を取り出し、彼の首筋に押し当てる。内蔵されている針が皮膚に刺し込まれ、薬液が注入される。


「う、あぁ……」


 イアンくんが吐息を漏らした。これまでのような苦痛に喘ぐような声ではなかった。


 オートインジェクターには種類があるが、彼に注射したものはリップホーン、頭三文字を取ってアールアイピーとも呼ばれる即効性のある強力な鎮痛剤だ。こんな状態の彼に刺すアイテムがRアールIアイPピーってのは、どんな皮肉なんだ。


 もともとこれらのドーピング剤は人間兵器にされた『獣人兵士』用に調整された強力な薬剤。わざわざアイテムの説明テキストにも、一般人は使用できない、と書かれるほどの代物だ。


 本来なら打つべきじゃないし、俺だって獣人兵士以外に使わせようなんて思わない。


 だが、目の前のイアンくんはすでに風前の灯だ。苦痛と恐怖に苛まれるくらいなら、せめて痛みだけでも取り除いてあげたほうがいいだろう。


「イアンくん……イアン。お前の仲間はみんな無事だ。お前のおかげで、みんな助かった。よくがんばったな」


「そ、か……よかった……」


「なにか家族や仲間に渡したいもの、伝えたいことはあるか?」


 仲間のために身命を賭した結果が、孤独な死なんてあまりにも報われない。


 仲間思いの優しい男の最期なんだ。せめて、俺にできることはしてやりたい。


「みんな、には……これ、を……」


 そう言うと、イアンくんは左腕を震わせながら首元に運んだ。


 アルフレッドくんも似たようなネックレスをかけていた。


 彼の意をんでネックレスの紐を服の内側から引っ張り出すと、淡い青色の金属板がついていた。真ん中で割れるように切れ込み線がある。


「ドッグタグか……。仲間には、これを渡せばいいんだな」


 肯定するように小さく頷いて、イアンくんは頬を引き攣らせるように微笑んだ。


「あ、りがとう、と……これまで、たのしかっ……た、と」


「っ……ああ。伝えるよ」


「か、カーラ……。妹に、な、なにか……はぁっ。おれ、なにも……はっ、はぁ……ぁ」


 呼吸が弱い。喘鳴ぜんめいも酷い。瞳孔も反射が鈍い。


 彼はもう、限界だった。そもそもこんなに意識を保てているほうがおかしいくらいだ。


 このままゆっくりと見送ってやりたい気持ちもある。


 しかし、力を振り絞って最期に妹さんへ想いを伝えようとしている。彼も妹さんになにか遺したいはずだし、遺された妹さんも彼の最期の言葉を聞きたいはずだ。


 胸に当てた手に力を込め、虚ろな彼に言葉が届くように声を張り上げる。


「……っ、がんばれ。がんばれ! 大事な妹なんだろ!」


「は、はっ……っ! ゆみ、とられ……から、たんけんを。かねに、なりそうなもの……それくらいしか、ないから……」


「ああ、わかった。必ず渡す」


「ひとり、にして……ごめん。らく……させてやれなくて、ごめん。くろうばっか、かけて……ごめん。ふぅっ、はっ、はぁっ、っ! 幸せに、生きてくれ……って」


 イアンくんは掠れた声で、妹さんへの言葉をつむぐ。


 彼の手を強く握り締めて、安心できるように彼に約束する。


「ああ、伝える。心配すんな。絶対伝えるから」


「────」


「……安らかに眠れ」


 俺の声が届いたかはわからない。


 それでも彼は、焦点の定まらない瞳を閉じて、安堵したように頬を緩めた。

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