第15話 独り
晴香と別れた。あまりにもアッサリと別れた。
そのせいか、ここ数日は自分の現状を理解できず、まるで悪夢の中を彷徨っているかのような感覚に襲われていた。でも、時が経つごとに感覚は現実味を帯びてきた。
晴香と別れてから数日後、俊太郎から電話が掛かってきた。
『どうだ? キスはできたか?』
「……」
『奏、どうした?』
「……僕、晴香に振られたよ」
そう自分の口で声に出した時、初めて僕の目から涙が溢れてきた。心と体の連携を思い出したかのように、スマホを持ちながらその場に崩れ落ちる。
『すまん。俺が奏を焦らせるようなことを言ったばっかりに』
「……いいんだよ。俊に言われなくても、いずれ、キスはするつもりだったから。だから、少し別れる時期が早くなった、だけだから」
『奏。これからラーメンでも食いに行こう。俺が全部奢る』
「……ごめん。今は1人にさせて」
鼻をすすりながら電話をきる。
そうして、大声で叫ぶように泣いた。近所迷惑になるかもしれないけれど、今はそんなことを気にしていられなかった。
そうして2週間もした頃に、僕はようやく晴香と別れたのだということを完全に理解できた。
その間、晴香とデートをしたり、遊ぶことはなくなった。一緒に授業を受けることもなくなった。そもそも、大学で見かける機会が減った。
晴香が意図的に僕を避けているのだ。
授業では対角線上の位置の座席に座っていたり、食堂の利用時間をズラしたりしている。加えて、授業を休むことすらあった。
ただ、僕にはどうしようもなかった。
ボロボロと涙を流しながら別れ話をする晴香を見て、それでも彼女と付き合おうとは思えなかった。これ以上、彼女を悲しませたくはなかった。
今日も晴香と1度も会うことなく授業を受け終える。
「おい、奏」
帰り際、一緒に授業を受けていた哲也に呼び止められた。
「なに?」
「この後、暇だよな。ちょっと寄り道していこうぜ」
僕は驚いた。
希さんとの一件があってから、1度も遊ぼうとすることがなかった哲也が、突然、寄り道を提案してきたからだ。
「どこに行くつもりなの?」
「適当に散歩しようと思ってな」
「……分かった。じゃあ寄り道しよう」
時刻は15時10分。用事がなく何もすることがないと、晴香のことを思い出してしまう。晴香を忘れるためにも、寄り道をして別のことを考えたい。
僕らは大学からバスに乗って高崎の市街地へ入る。そうして、高崎市の中央図書館の前で下車すると、烏川に向かって歩いていく。
この道は、晴香と行った夏祭りで歩いた道と一緒だ。今日は平日のため、車道には沢山の車が行き交っている。そのため、夏祭りの時に歩いた全く同じ景色は見えない。でも、目線の先に和田橋が見えると、どうしても晴香との会話が思い出されてしまう。
忘れたくて寄り道をしているのに、これでは逆効果だ。
晴香以外のことを考えようと、僕は無理矢理に哲也と話すことにした。
「そ、そういえば、哲ちゃんとこうやって遊びに行くのは久しぶりだね」
「そうだな。ここ最近は色々とあって遠慮してたからな」
「そうだよね。あんなことがあったらね」
「希。色々と悩んでたんだな」
「希さんは真面目だからね」
和田橋を渡っていく。
ここも、夏祭りで晴香と歩いた道だ。
橋の中央部まで来ると、冷たい風が頬をかすめる。冬になったのだと実感する。今日のあいにくの曇り空。どうしても暗い話題になってしまい、哲也とも会話が続かない。
「そういえば、高崎祭りの時、晴香とここら辺を歩いたのか?」
突然、哲也の口から「晴香」が出てきて驚いた。まるで、僕の心の中を読まれたかのようだ。
僕は平静を装う。
「そうだよ。ここから歩いていって、河川敷のあそこら辺で花火を見たんだ」
「そうか。……で、なんで晴香と別れたんだ?」
「え……」
僕は思わず言葉を失い、その場に立ち止まった。
哲也も立ち止まると、振り向くことなく話を続ける。
「ここ最近、奏と晴香が全然一緒にいないから、何かおかしいとは思ってた。それで、晴香に直接聞いてみたら、別れたんだってな」
「……うん」
僕の情けない返事に、哲也は鬼の形相をしながら振り向いた。僕に近づき、僕の胸ぐらを掴む。
「俺が聞いた時、晴香は泣いてたんだぞ!」
「っ!」
「奏はそんなんでいいのかよ!」
「仕方なかったんだ。僕が焦ってキスしようとしたから」
「仕方ないじゃねぇだろ!」
言われた直後、僕の頬を右から左に激痛が走った。そのままの勢いでよろけて尻餅をつく。
哲也に殴られたのだと直ぐに理解できた。
哲也は眉間にシワを寄せると、再度、僕の胸ぐらをつかんで持ち上げる。
「言ったよな。晴香を泣かせたら殴るって。幸せにしろよって。なのに、俺達2人の約束はどうなったんだよ!」
「っ! ……ごめん」
あの日。僕と哲也が晴香への告白をかけて競争をした日。僕らは「ライバル」という新たな繋がりをもった。それは、それまで僕が望んでいた平和的な解決策で、哲也が教えてくれたものだった。それなのに、僕はそのライバル関係を壊したのだ。
そんな僕が、真正面から僕を睨む哲也と目を合わせるなんてできるわけがなかった。何1つとして、哲也との約束を守れなかったのだから。
「ごめんじゃねぇよ! 俺が知ってる奏はこんな奴じゃない。弱くて情けなくても、好きな人のためなら頑張れる奴のはずだ! 晴香を悲しませることなんて、絶対にしない奴のはずだ!」
「でも、無理だったんだよ。僕じゃ駄目だったんだ。やっぱり、哲ちゃんみたいに明るくて、リーダーシップがあ……」
「ふざけんなよっ!」
哲也の叫びにハッとさせられ、ゆっくりと顔を上げる。
哲也の目には涙が浮かんでいた。僕の胸ぐらをつかんで、何度も僕を揺らしながら言いつけるように話を続ける。
「俺があの時、どんな思いでお前に告白の権利を譲ったと思ってんだ。俺は、奏なら任せられると本気で思ってた。俺以上に晴香を幸せにできるって信じてたんだ。それなのに、今更になって、俺の方がとか、ふざけんなよ。俺が、馬鹿みたいじゃないか」
「……」
哲也の弱々しく吐いた言葉が、僕の心を深くえぐる。哲也の信頼を踏みにじった僕は、世界中の誰よりも情けなかった。
哲也は僕の胸ぐらから手を離しすと、力なく腕をおろした。
「今の奏と、仲良くやっていけそうにない」
そう言い残して、哲也は僕の横を通り過ぎていった。
頬が熱を持ちながらジンジンと痛む。その痛みを紛らわせるために、僕は橋の手すりに体を体を預けて風景を眺める。
目下には曇り空を反射した烏川が流れている。川のせせらぎは聞こえず、車が走る音だけが耳障りに僕の耳を支配する。
どんよりとした景色は、今の僕を映す鏡のようだった。
「なにやってるんだよ。僕は」
呟いた独り言は車の走る音でかき消される。
僕は独りになった。
その時だった。僕のスマホから着信音が鳴りだした。確認すると、非通知からの電話だった。
恐る恐る電話に出る。
「もしもし」
『もしもし。奏くんですか?』
「その声、もしかして……」
『今すぐ、群馬音楽センターに来て』
僕が名前を尋ねる前に電話は切れた。
でも、電話の相手が誰なのか、僕にはハッキリと分かった。それぐらい、彼女の声には聞き覚えがあった。
「希さん」
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