第10話 夏の終わり

 晴香と恋人になってから、あっという間に時は過ぎて、大学の後期授業が始まった。僕らは事前にどの授業を受講するかを連絡していたので、ほぼ全ての授業を4人で受けることになった。


 今日がその初授業である。僕は晴香と待ち合わせをして、一緒に授業開始15分前に教室に向かった。

 すると、教室の左後ろの席に希さんの姿を見つけた。以前よりも髪を伸ばして、首元まで伸びたミディアムヘアになっている。


「希ちゃん、久しぶり!」

「あっ、晴香ちゃん!」


 晴香が希さんの隣の席に座ると、早々に2人が熱く抱き合う。

 僕はそれを少し離れたところから眺めていた。すると、背後から勢いよく肩を叩かれた。


「よっ、奏!」

「哲ちゃん! 久しぶり」

「久しぶりだな。おっ、あっちの2人は熱々だな。俺等も抱き合っておくか?」

「遠慮しておくよ」

「なんだよつれないな」


 哲也は相変わらず白い歯を見せて笑っている。ただ、以前会った時より、僅かに横幅が大きくなっている気がする。筋トレをしていたのかもしれない。


「それで、晴香とはどんな感じなんだ?」

「い、いきなり?」

「当然だ」


 哲也が腕を組みながら深く頷く。


 ちなみに、晴香との交際は、ラインで哲也にいち早く伝えた。申し訳無さを感じるけれど、戦友として伝えなければならないと思ったから。

 その時の哲也の返事は「おめでとう」の1言だけだった。だからてっきり、あまり交際についての話を聞きたくないのだと思っていた。

 ただ、目の前の哲也は興味津々といった感じに笑みながら僕を見ていた。


「それって、言わなきゃダメかな?」

「ダメだ。俺には聞く権利があるからな。それで、デートはしたのか?」

「う、うん。何回か」

「くぅ〜〜羨ましい」


 哲也が拳を握って悔しがっている。その反応に僕は苦笑いする。


「自分で聞いておいて、なんで悔しがってるの?」

「だって気になるだろ! 聞きたくないけど、聞きたいんだよ!」

「なるほど」


 言葉だけでは理解しがたい。

 でも、哲也の表情を見て納得できた。きっと、僕も哲也と同じ立場だったら、拳を握りながらも聞いてしまうのだろう。


「まぁ、詳しいことは授業後に聞かせろ」

「恥ずかしいんだけど……」

「あっ。でもこれだけは今、言わせてくれ」

「なに?」


 哲也が僕の肩をガッシリと掴んだ。そうして、僕の目を真っ直ぐに見てきて、まるで虎に威嚇されているかのような威圧感がある、すると、周りに聞こえないような、でも、僕にはハッキリと伝わる声でこう言った。


「幸せにしろよ。晴香を泣かせたら、ぶん殴るからな」

「っ!」


 僕は哲也の威圧感に負けないように目を開き、拳に力を入れる。


「うん」


 僕らはお互い自然に手を前に出していた。そうして、熱い握手を交わす。


「ねぇ。2人でなにやってるの?」


 希さんが不思議そうに僕らを見ていた。

 僕らはさっと握手をやめると、なに食わぬ顔をして希さんの元へ歩いていく。


「なんでもないよ」

「希はわかんないだろうけど、男同士で色々あるんだよ」


 そう言って、僕らは希さん達の前の席に並んで座る。


「ふぅ〜〜ん、そうなんだ」


 哲也の説明に、希さんは納得したような物言いではあるけれど、表情は不満げだった。どうしても気になるらしい。


 ただ、僕と哲也と晴香との三角関係を知られたくはない。そこで、僕は作り笑いで誤魔化すことにした。


「それにしても、久しぶりだね。希さん」


 すると、希さんは案外アッサリと表情をにこやかにした。


「うん。久しぶり奏くん」

「髪、伸ばしたんだ」

「うん。ちょっと新しいヘアスタイルに挑戦したくて。……変かな?」


 不安げに希さんが毛先をいじる。


「変じゃないよ。希さんに良く似合ってる」

「ホントに! 良かったぁ」

「だから大丈夫だよって言ったでしょ? 可愛いんだから、もっと自信持っていいのに」


 晴香が希さんの頬を指でつつく。希さんはくすぐったそうにそれを避けながらも、満足げに微笑んだ。

 どうやら、僕が髪型について聞く以前に、晴香とも髪型について話していたらしい。僕の言葉で不安がなくなったのなら幸いだ。


「あっ」


 哲也が突然、声を出した。


「どうしたの?」

「いや。久々に会って話してて、出席タッチするの忘れたと思って」


 哲也の言う「出席タッチ」とは、各授業ごとの出席管理システムのことだ。大学の教室には出入り口に学生証を読み込む機械が置かれている。そこに学生証をタッチすることで、授業に出席したとしてカウントされるのだ。


 言われてみれば、僕も会話に夢中で忘れていた。授業が始まってから5分以内にタッチしなければ、遅刻扱いになってしまう。


「あっ。私も忘れてた!」

「僕も」

「3人とも早くタッチしたほうがいいよ。私が席を見ておくから」


 どうやら、早く来ていた希さんだけが忘れずにタッチしていたようだ。希さんは「もぉ」と困ったように微笑んで僕たちを見ている。

 希さんの真面目さは夏休み明けでも相変わらずのようだ。


「じゃあ、僕がまとめてタッチしてくるよ」

「マジで! ナイス奏! 俺のを頼んだ」

「はいはい。晴香も」

「ん。はい、これ」


 哲也と晴香から学生証を受け取る。


「ありがとね、奏。あっ。でも顔写真は見ないでね」


 眼力で念を押してきた。猫の威嚇のようで、可愛さと怖さが入り混じっている。

 僕は苦笑いしながらつばを飲み込む。


「努力するよ」


 そうして、何も気にしてないフリをしながら教室の出入り口に向かう。

 話題に出さなければ見るつもりなんてなかった。でも、わざわざあんな風に言われたら、むしろ興味が湧いてしまった。歩く途中でこっそりと見ることにしよう。


「び方……」


 背中の方から、希さんがボソッと何かを呟いた声が聞こえた。


「え?」

「う、ううん。なんでもないよ」


 気にしないでと希さんが腕を振る。


 何を言おうとしたのか気になるけれど、遅刻になっては仕方ないので、急いで出入り口に向かう。

 3人分のカードをタッチをし終わった所で、ちょうど授業が始まった。他の生徒の授業の邪魔にならないように屈みながら静かに自身の席に戻る。


 そうして、前期にも聞いたことがあるようなオリエンテーションを受けて、初日の授業は終わった。

 僕らは帰る準備をしながら、どこに遊びに行くかと話し合う。


「私、このパスタ屋さんに行ってみたいんだよね!」


 晴香が自身のスマホの画面を僕らに見せる。

 映っているのは、高崎市を中心に数店舗を構える人気イタリアンレストランのホームページだ。ボリューム感のあるパスタが人気で、群馬県民には馴染み深いお店だ。


「久々にみんなに会うから、食べながら夏休み中のこと色々話したいな〜〜って思って」


 そう言って、晴香がいたずらっぽく笑って僕を見た。恐らく、僕らが付き合っていると希さんにまだ伝えていないので、それを伝えようという意味なのだろう。

 僕は恥ずかしくなって、そっぽを向く。

 それに気づいた晴香が可笑しそうに微笑む。


 そんな僕らのいざこざを気にすることなく、哲也が口を開いた。


「いいな! それに、このお店って、群馬では結構有名って聞いたことあるぞ。だよな、奏?」

「うん、有名だよ。何回か家族で食べに行ったこともある。値段も安いから、食事には丁度いいんじゃないかな」

「良かったぁ。希ちゃんは?」

「うん。私も食べてみたい、かも」


 希さんの返事に晴香が目を輝かせる。


「じゃあ、決まりね! 早速、行ってみよう!」


 軽快に腕を上に突き上げて、僕らを先導するかのように晴香が歩き出す。僕らも荷物を持って晴香に続く。すると、背中から希さんが弱々しく声を出した。


「ご、ごめん」


 動きを止めて希さんの方を振り向く。

 希さんは両手を顔の前で合わせて申し訳無さそうに頭を下げた。


「私、今日はちょっと用事があって行けない」

「そっか……。それじゃあ、また次に4人が揃った時にしよっか!」

「ごめんね。ありがとう」


 こうして、僕らは約束を決めて、今日はそのまま帰宅することにした。


 ただ、それから1ヶ月以上、この約束が果たされることはなかった。

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