第2話 お持ち帰り戦争

 土曜日の夕方。


 紺野こんの俊太郎しゅんたろうに見繕ってもらった清潔感のある服装に着替える。鏡の前で身だしなみを確認して家を出る。最寄り駅から電車に乗って高崎駅へ向かう。新入生歓迎会の会場は、その高崎駅から徒歩で5分ほどの和食屋さんだ。なんでも、そのお店が3000円で食べ放題飲み放題のため、会場として選ばれたらしい。


 ちなみに、今日、桜木さくらぎなぎささんは来ない。

 なんでも、誰かにお持ち帰りされたら嫌だと俊太郎に言われて、参加を断ったらしい。

 というわけで、僕1人で新歓を乗り切らなければならない。何だか敵地に潜入するスパイの気分だ。


 お店の近くまで来ると、お店の出入り口前にサークルの代表の男子が立っていることに気づいた。その人を中心として人だかりができている。

 集合時間5分前に到着した僕も、その人だかりの中に入る。


 ぱっと見た限りだと、参加者数は20人強。

 その中には当然、白石しらいし晴香はるかさんの姿もあった。白のニットにライトグリーンのレーススカート。シンプルながら春らしさもあって、とても似合っている。

 

 集合時間になると、代表がお店の中に入り、僕たちもそれに続いて入っていく。案内されたのは、4人がけのテーブルが6つ置かれた、和な雰囲気を感じられるお座敷だ。


 僕は白石さんが座った席を確認すると、その右隣を陣取るように素早く座る。続いて、相向かい側に左から、眼鏡をかけた色白で茶髪ショートヘアの女子、醤油顔で肌が小麦色に焼けたイケメンの男子が座る。


 まだお互い、話したことがないために、様子を伺い合っている。誰かが、話を切り出してくれるとたすかるのだけど。


「あのっ!」


 いきなりだった。

 白石さんが声を上げた。


 同じテーブルに座る全員が白石さんに注目する。


 彼女は僅かに口角を上げて自然な笑顔で話しだした。


「私、1年の白石晴香って言います! よろしくお願いします!」


 やはり、白石晴香だった。僕の記憶にも、桜木さんの情報にも間違いはなかったのだ。人違いでなかったことに、ひとまず安心する。


「よろしく」

「よ、よろしくお願いします」


 前に座る男子と、その隣の女子が返事をした。僕も「よろしくお願いします」と返事をして、軽く頭を下げておく。


「ねぇ。あなたのお名前は?」

「わ、私ですか?」


 白石さんの前に座る女子はもじもじと恥ずかしがっている。いや、この場の雰囲気に緊張しているのかもしれない。

 ただ、白石さんが微笑みながら「うん」と頷いたのを見て緊張が溶けたのか、ゆっくりと話しだした。


「い、1年の小翠こみどりのぞみです」

「へぇ〜! 希ちゃんって言うんだ! 名前かわいいね!」

「あ、ありがとうございます」

「同級生なんだからタメ口でいいよ」

「は、はい、っじゃなくて、うん」

「えぇー、何その反応! ちょーかわいい!」


 小翠さんは少し気がゆるだようで、小さくはにかんだ。


「じゃあ次、俺、いいかな?」


 小翠さんの隣に座る男子が軽く挙手した。

 全員で頷いて自己紹介を促す。


「俺、赤坂あかさか哲也てつやって言います。1年生です」


 こうして流れが来たので、僕も自己紹介をしておく。


「1年の蒼井あおいかなでです。よろしく」


 小翠さんと赤坂くんが軽く頭を下げた。

 ただ、白石さんの反応だけは違っていた。


「っ!」


 驚いたように目を開いて、僕をまじまじと見つめていた。

 もしかしたら、小学生の頃の記憶を思い出したのかもしれない。僕のことを覚えていてくれたのだとしたら、とても嬉しいのだけど。


「ってことは、全員同級生か! 良かったぁ。先輩かもしれないって、俺、変に緊張してて」


 赤坂くんが砕けた笑顔で笑った。それを見て、みんなで「そうだよね」と共感し合った。良好な関係を気づけそうな、良い雰囲気だ。


「乾杯するみたいだから、今のうちに注文しておこう」


 メニューをみんなが見れるように、白石さんがテーブルの上で開いた。それぞれ好みのソフトドリンクを注文する。

 そうして、全員に飲み物が行き渡った所で、離れた位置のテーブルにいたサークル代表の男子が立ち上がった。


「この度は、スキー・スノボーサークルに参加いただきありがとうございます」


 深く頭を下げる。

 すると、どこからともなく「堅苦しいぞ!」とヤジが飛んできた。それに苦笑いしながら、代表の男子はジョッキを掲げた。


「それでは、新入生の加入を祝って、乾杯っ!」

「乾杯ーー!!」


 店内に大きな声が響き渡る。

 僕たちはお互いのジョッキを当てて一口飲む。いかにも、飲み会って感じがして楽しい。


 こうして、新入生歓迎会は幕を開けた。


 僕たちは様々な話をした。その中で、数多くの発見があった。

 全員が同じ「経済学部 経済学科」であること。友達を作りたくて、新入生歓迎会に来たこと。小翠さんは千葉県、赤坂くんは長野県出身で、現在は大学近くで一人暮らしをしているということ。白石さんは僕と同じで、大学が地元の群馬にあるために、実家から通っているということ。全員が「EuropeanヨーロピアンGenerationジェネレーション」という、男性4人組バンドが好きだということ。

 とにかく、様々なことについて話した。


 おかげで、僕たちは互いを名前で呼ぶような関係になれた。


 そうして2時間もする頃、周りのテーブルの先輩達の酔いが回って、大騒ぎし始めた。

 その空気感に押されたのかもしれない。未成年ということも忘れて、晴香さんと哲也がアルコールを飲み始めた。


「おーーい、奏も飲もうぜ」


 哲也がダル絡みし始めた。彼は酔っ払いやすい方なのかもしれない。


「ごめん。僕はお酒、苦手なんだよ。少し飲んだだけで頭痛くなるから」

「そっかぁ。希は?」

「わ、私は、その、えっと……」


 希さんはおどおどして、返事しきれずにいた。そもそも、彼女は人見知りそうなので、出会って1時間の相手のダル絡みは対処しきれないだろう。


てっちゃん。希さんが嫌がってるからやめた方がいいよ」

「あぁ、ごめん」


 哲也を希から引き離す。ちなみに「哲ちゃん」は哲也のあだ名だ。つい先程、僕がつけたのだ。


「そうだよ哲也くん。女子に無理矢理飲ませようとするなんて、サイテー!」


 アルコールのせいか、晴香さんの声量が少し前より増している気がする。ただ、そこまで酔っているという風ではない。


「無理矢理じゃないって。マジでごめんって」

「大丈夫だよ希。私が守ってあげるからね」

「う、うん」


 希さんは下手にはにかんでいた。

 人見知りなりに頑張っているのだと思うと、微笑ましい。


 僕も晴香さんに連絡先を交換するために頑張らなくては。


「あの、晴香さん。良かったらでいいんだけど、れ……」

「なに? 奏くんも希を狙ってるっていうの? そうはさせないよ〜〜!」

「ああ、えっとそうじゃなくて……」

「それとも、お酒飲む?」

「……なんでもないよ」


 駄目だった。晴香さんの声の勢いだけで押し返されてしまった。また別のタイミングで連絡先を聞くしかない。


 それにしても、晴香さんの性格は以前よりだいぶ変わった気がする。もちろん、「以前」と一言に言っても、10年近く前ではあるのだけど。

 その頃の晴香さんは、物静かだった。今みたいに、積極的に話すようなタイプではなかったし、活発さもなかった。僕の知らない約10年で変化したのだろう。

 おしとやかで大人しそうな見た目から相反している性格に、別人ではないかと錯覚してしまう。

 それでも、彼女の子供っぽい笑顔は、記憶の中の白石晴香さんそのものだ。紛れもなく、僕の初恋の人なのだ。


 そんなことを思っていると、希さんが立ち上がった。


「どうしたの、希さん?」

「あの、ごめんなさい。私、明日、朝早くからバイトがあって、帰らなくちゃいけなくて」

「え〜、そうだったの。希、帰っちゃうの?」

「うん。今日はありがとう」


 希さんは軽く頭を下げた。

 晴香さんが不機嫌そうに唇を尖らせた。希さんが帰ってしまうことがよっぽど不満らしい。駄々をこねている子どものようでかわいい。


「あっ、それじゃあさ!」


 突然、ベロベロに酔った哲也が大声を上げた。


「ここの4人で連絡先交換しよう!」

「あっ、いいねそれ! 同じ学科なら、これから何回も付き合いがありそうだし」

「ぼ、僕もそれ、賛成!」


 哲也からの思わぬ発言に、妙に慌ててしまった。ただ、何はともあれ、連絡先を無事に交換する流れになった。


 全員でスマホを出し合って連絡先を交換する。それから、哲也が自撮りする形で4人の集合写真を撮っておいた。


「俺が後でグループラインに送っとくわ」

「哲ちゃん、ありがとう」

「哲也くんナイス」

「ありがとう哲也くん。それじゃあ、私はこれで」


 3人で手を振って見送る。希さんは食事代を置いて帰っていった。

 それから間もなくのことだった。


「……」

「ねぇ。哲也くんって?」

「うん。落ちちゃったね」


 哲也が寝てしまった。

 テーブルの上に突っ伏した形でいびきをかいている。顔は笑っているので、きっと楽しい夢を見ているのだろう。寝て起きて、今日の出来事を忘れてなければ良いのだけれど。


 ただ、哲也が寝てしまうのは、僕にとって好都合でもある。晴香さんと1対1で話せるからだ。希さんや哲也が聞いている所では話せなかったことがあるのだ。

 今がまさに、それを話すチャンス。


 唐揚げをつまむ彼女に声を掛ける。


「あの、晴香さん」

「なに?」


 彼女が唐揚げを呑み込んだことを確認してから話を続ける。


「僕のこと、覚えてる?」

「ん? 奏くんとなんかの授業でペアになったりしたっけ?」

「そうじゃなくて。晴香さん、上毛じょうもう中央ちゅうおう小学校の生徒だったよね? 僕、1年から3年まで同じクラスだったんだけど」

「え? ……あっ、ソウイエバソウダッタカモ」

「……」


 分かったことが2つある。

 1つ目は、彼女の演技力は壊滅的であること。2つ目は、彼女は僕のことを覚えていなかったことだ。


 正直、悲しい。


 自己紹介をした時に、僕の方を見た彼女は驚いた表情をしていた。だから、てっきり覚えいるのだと思っていた。

 ただ、同時に仕方ないような気もしていた。

 なにせ、僕は小学生の頃、彼女ととても親しいという訳ではなかった。1週間に1回か2回、話すような程度の仲だったのだ。それも「どんな本読んでるの?」とか「好きな食べ物なに?」とか、僕が一方的に話しかけるだけだった。

 だから、彼女が覚えていなくてもおかしくはなかったのだ。


 今でさえ、僕の一方的な質問に、彼女は困り顔をしていた。


「ご、ごめんね。正直、全然、思い出せないんだ」

「い、いや。いいんだよ。ただ、覚えてるかなぁって、気になっただけだから……」

「そっか」

「……」

「……」


 最悪だ。さっきまで楽しく話せていたのに何も話せなくなってしまった。会話を続けるために純平を起こすのも気が引ける。

 周りがお酒の勢いで騒がしい分、余計にこのテーブルの静けさを感じる。


 すると、身長180センチはあるであろう体格の良い黒髪センターパートの男子が近づいて来た。


「あれ? やけに静かじゃん。あんまり楽しめてない感じ?」


 何の躊躇もなく軽々しく話しかけてきた。先程まで希さんが座っていた位置に座り込んで、持ってきたお酒を飲んでいる。

 そういえば、この人の声にはどこか聞き覚えがある。どこで聞いたのだろう。


「いやその、楽しめてないというか……」


 返事に困った。なにせ、僕が楽しい雰囲気を壊してしまったのだから。

 ただ、晴香さんは違った。

 

「楽しんでますよ。唐揚げも美味しいですし」


 すぐに笑顔を作って、アルコールを飲んでみせた。演技力は壊滅的だが作り笑顔だけはプロ級だ。何となく、場馴れしているような立ち振舞だった。


「君たち、1年生だよね? 俺、3年の金澤かなざわ。とりあえずさ、乾杯しよう。乾杯。!うぇーい、乾杯っ!」

「か、乾杯」

「乾杯です」


 3人でジョッキを当て合う。

 その時、思い出した。

 彼はサークル代表が挨拶をする時にヤジを飛ばしてしていた人だ。どうやら、根っからのお調子者という性格らしい。


「ねぇ、君、かわいいね。名前なんて言うの?」

「白石晴香です」

「晴香ちゃんか! 名は体を表すって言うけど、本当にその通りじゃん!」

「……ありがとうございます」


 金澤さんは慣れた様子で褒めている。普段からこうして女子と接しているからかもしれない。きっと、俊太郎とは違うタイプのモテ男だ。

 ただ、晴香さんは最後の言葉が気に入らなかったらしく、苦笑いをしている。


 すると、金澤さんがこちらをちらりと見た。そして、ニヤリと笑った。


「あれ? そっちの君が飲んでるのって、ソフトドリンク?」

「そうですけど?」

「そっかぁ。それじゃあアルコール飲んでる晴香ちゃんと同じテンションで楽しめないじゃん。もっと、他の人のこと考えないと」

「は、はぁ」


 なぜか飲み物に対しての指導が入った。飲み物ぐらい自分の好きなものを飲みたいのだけど、それすら許してもらえないのか。


 金澤さんは立ち上がって、晴香さんの隣に来た。


「ねぇ、晴香ちゃん。向こうのテーブルで一緒に飲まない? アルコール飲んでる人同士の方が絶対楽しいよ!」

「ありがたい誘いですけど、先輩方の中に入るのは申し訳ないですし」

「心配しなくても大丈夫。おんなじサークルでこれから仲良くなるんだから。ね? ちょっとだけ」


 すると、金澤さんはニコニコとしながら晴香さんの肩を掴んだ。

 晴香さんはあまりいい顔をしていないが、先輩後輩という立場の関係もあるのだろう。「それじゃあ、少しだけ」と立ち上がって、向こうの席に行ってしまった。


 取り残された僕は、歩いていく彼女の後ろ姿をぼーっと見つめていた。


 1人だけになってしまっては、どうしようもない。ただ、今日の目標である「白石晴香さんとの連絡先の交換」は達成できた。明日、俊太郎に良い報告をできるのが楽しみだ。

 というわけで、お店を出る準備をする。荷物を確認して、ついでに、寝ている哲也の肩を揺らして起こす。


「哲ちゃーん。帰るよ〜〜」

「……ん? なに?」

「帰るよ。哲ちゃんも一緒に帰ろう」

「帰んの? ちょっと、肩かして。動けそうにない」


 言葉通り、哲也はぐったりしている。こんな状態では、帰宅できるかどうか心配だ。

 哲也と肩を組んで、どうにか歩かせる。今日の料金を代表に渡して、お店の出口を目指す。


「ありがと〜〜」


 感謝はしているようだけど、気持ちはまるでこもっていなさそうだった。次に会った時に、何かをお礼として奢ってもらおう。


 そう考えながらお店を出ようとして、最後に店内を見回した。


 奥の方のテーブルで、先輩達が大盛りあがりでお酒を飲んでいる。その中には晴香さんもいて、グイグイと豪快に飲んでいる。楽しそうな笑顔だ。

 ただ、そんな中で妙な胸騒ぎがした。

 あの笑顔はどこか見覚えがある。それも、ついさっき見た笑顔だ。ちょうど、僕と晴香さんの会話が途切れて、金澤さんが来た時に見せた笑顔、作り笑顔だ。


 そう考えた時に、ふいに俊太郎の言葉が頭をよぎった。


『ちょっと仲良くなって、食事に誘ってみて、そのままだぞ』


「あれ?」


 もしかして、今のこの状況は、かなりまずいかもしれない。


 僕は頭の中で勝手に、金髪のチャラそうな男がワンナイトラブを狙っていると思っていた。ただ、そんなものは、僕の偏見でしかない。

 それこそ、金澤さんは女性慣れしている人だ。ワンナイトラブなんて日常茶飯事なんじゃないか。

 そう考え出すと、盛り上がっている先輩達が全員オオカミのように見えた。


 考えだしたら、居ても立ってもいられなくなった。


「哲ちゃん。ちょっと外で待ってて」

「え? おう? 待ってるけど……」


 哲也をそっと外で座らせる。

 そして、哲也の返事を聞き終える前に店に入り直す。そのままの勢いで急いで先輩達が飲んでいるテーブルに近づく。金澤さんと晴香さんの間を狙って強引に入り込む。


「あれ? 君ってさっき……」


 僕に気づいた金澤さんが呟いた。ただ、それを遮るように僕は名乗りを上げた。


「僕、新入生の蒼井奏って言います! 先輩方と一緒に飲ませてくださいっ!」

「っ! 奏くん?」


 小さく晴香さんが驚いたような声を上げていた。そんな彼女を良く見てみたら、頬が真っ赤に染まっていた。どうやら、こちらのテーブルに移動してからかなり飲んだらしい。


「おっ。威勢良いね。いいよいいよ。何飲む?」


 女子の先輩がメニューを見せてくれた。僕はひとまず度数の低そうなものを選ぶ。


「梅酒ソーダでお願いします」


 すぐに運ばれてきた梅酒ソーダのジョッキを持つと、先輩達がジョッキを掲げた。


「じゃあ、乾杯!」


 全員がゴクリと美味しそうに飲んでいる。晴香さんも少しだけ飲んでいるが、その表情は少しキツそうだ。

 僕も口をつける。ほんのりとアルコールが体内に入っていく感覚がある。そうして飲んでいる最中に、先輩達のうちの1人が再び僕にメニューを見せた。


「うぇい! じゃあ、もう一杯いこう!」


 嘘でしょ。そう言いたかった。なにせ、僕はまだ1杯目を飲みきってすらいないのだから。

 ただ、ここで断ってしまえばこのテーブルで飲むことはできないかもしれない。


「カシスオレンジでお願いします」


 仕方なく、追加注文をする。


 そうして梅酒ソーダを飲みきった頃、カシスオレンジが運ばれてきた。

 頭がすでに痛くなってきている。ほんの少し頭を動かすだけで、脳内をビリっと電流が走るような痛みに襲われる。

 これだから、アルコールは飲みたくないんだ。


「じゃあ、乾杯!」


 合図に合わせて飲んでいく。正直、もう飲みたくはない。ただ、ここはどうにか付いて行くしかない。

 というか、何をもって「じゃあ」なのだろう。


 すると、金澤さんが晴香さんに何か話しかけていることに気づいた。


「晴香ちゃん。もう飲み終わっちゃうね。追加注文してあげよっか?」

「もう大丈夫です。私、これ以上飲んだら1人で帰れなくなっちゃうので」

「安心して。俺が帰り一緒に家まで送ってあげるから。すみません! ハイボール追加で」


 なにが「安心して」だ。少しも安心できないじゃないか。それに、晴香さんが「飲みたい」って一言も言ってないのに注文までして。

 酔っ払ってきたせいか、無性に金澤さんに怒りが湧いてきた。


 僕は自分のカシスオレンジを飲み干すと、晴香さんに運ばれてきたハイボールを奪い取った。


「あぁ、それ、晴香ちゃんの」

「うるさいっ!」


 無意識に金澤さんに怒鳴ってしまった。僕の荒々しい態度に、金澤さんは機嫌を損ねている。

 ただ、そんな僕の態度に、他の先輩達は大はしゃぎだ。

 

「おお! いいぞ1年! もっと飲め!」

「奏くんだっけ? マジ最高!」

「はい、飲んで飲んで飲んで、飲んで飲んで飲んで」


 コールが始まった。僕は一気に飲み干す。

 ただ、それが悪かったのかもしれない。急に吐き気がしてきた。

 口を押さえて、急いでトイレに向かう。


「おっ、トイレか。廊下で吐くなよ。わははは!」


 可笑しそうに先輩達が僕を笑っている。

 きっと、今の僕は相当ダサいのかもしれない。ただ、そんなことを気にしている暇はなかった。トイレにいる間にも、金澤さんは晴香さんに飲ませるかもしれない。


 僕は自分の喉に指を突っ込んで、無理矢理吐いた。そして、少し気が楽になった状態で先輩達のテーブルに戻る。

 想像通り、晴香さんの前には新しいジョッキが置かれていた。僕はそれをすぐに奪い取って、再び飲み干す。


「コイツ、また飲みやがった」

「本当、馬鹿なんじゃねぇの!」

「それで、気持ち悪くなってるし。わははは!」


 頭の痛みは更に強くなっていた。吐き気もするし、視界がクラクラとする。先輩達の笑い声もトンネルの中にいるように頭の中で反響している。ダサくて醜い姿を見られるのが恥ずかしい。いくら水を飲んでもスッキリしない。気持ち悪くて仕方ない。

 早くここから逃げ出してしまいたい。

 でも、それだけはできなかった。晴香さんを取られないようにするには、僕は飲むしかない。


 決意を胸に、僕は宣言した。


「もう1杯、追加で!」


 それからいったいどれほど飲んだのだろうか。数えられないほど、ひたすらに飲んで、どうにか晴香さんの隣に居続けた。そして、いつの間にか僕の記憶はなくなった。

 ただ、記憶が飛ぶ直前、僕の耳元には天使の囁きのような声が聞こえた。


「……もぉ、無茶するんだから」

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